2.ルーゼン家とオーガス家
「総隊長が連れてきたんだよ」
俺は、小皿に用意された平岩茸の根油揚げをつまみながらいった。
「まず、なんであの髭自身が来ちまったんだ? って思うけどな」
「総隊長を髭呼びしないでください。聞こえますよ」
「髭愛好家なんだからいいだろ。聞こえても褒め言葉だと思うさ」
「思わないほうに今夜の会費を賭けてもいいです」
髭を生やしている中年男というだけなら、騎士団長もそうなのだが、総隊長は髭の手入れにこだわっていることで有名なのだ。立派に蓄えられた髭こそ、貴族のたしなみなどと自慢しているらしい。
まあ、いるよな、そういう中年のオッサン。モテ男の俺にいわせれば、髭より服装や髪型に気を配ったほうがいいんだけどな。
ヘイリーが、はーっと疲れた息を吐き出していった。
「婚約相手がアメリア殿下だからねえ、君らの隊長。これが平民の女性相手だったら、総隊長は絶対に来なかったと思うけどね。狂犬隊長には可能な限り関わらないようにしてるから、あの人」
「あぁ、総隊長って基本、うちの隊長のこと野放しだよな。自由な放牧っていうの?」
「先輩、放牧の意味を分かってませんね? ……つまり、野心家の総隊長としては『殿下の婚約者』を無下には扱えずに、この祝う会に出席していると?」
「うん……」
ヘイリーは、いかにも疲れたオッサンという顔をして頷いた。
一応、まだ三十代のはずだけど、すでに人生にくたびれた男の顔をしている。
「でも、総隊長は、狂犬隊長の隣に座りたくなかったんだろうね。騎士団長と、陛下付きの隊長も強引に誘ったせいで、このありさまだよ。……あぁ、ベルゼンだけは別だけどね。あいつは、総隊長が総隊の面子に声をかけたときに、真っ先に食いついていたから」
「そういや、ヘイリーはなんで来たんだ?」
俺が、今さらなことを尋ねると、眼の下にクマができているオッサンは、ううっと片手で口を抑えて嘆いた。
「俺は、たまたまその場に居合わせちゃったんだよ……! 今日こそ定時で上がろうと思ってたのに! 上がれるはずだったのに! 完全に巻き添えを食らったの……!」
「そこは断れよ」
「上司の意向を無視できるような度胸があったら、“永年総隊組”なんて呼ばれてないッ! それに、俺はこれでも、出世を諦めたわけじゃないからね……? 戦いたくないだけで、出世はしたいからね?」
「戦いたくないのが致命的ですね」
コリンがいいにくいことをハッキリいった。ガキだから気遣いという言葉を知らないのだ。
ヘイリーがよろよろと、顔面から木造りのテーブルに倒れ込む。飲みすぎだろう。
そこでコリンが、ふと引っかかったように、首を傾げた。
「総隊長が、騎士団長と、陛下付きの隊長を誘ったんですよね?」
お子様の紺色の瞳の先には、嵐の丸テーブルがある。
そこに陛下付きの隊長の姿はない。
うちの狂犬隊長の隣に座るのは、いかつい顔をしたオーガス副隊長だ。顔だけでなく、身体つきもごつく、一言でいい表すなら岩男だ。うちの隊長ですら、オーガス副隊長の隣にいると細身の優男に見えるのだから相当だろう。
ヘイリーが、テーブルにべたりと頬をくっつけたままいった。
「陛下付きの隊長は仕事で来れなかったんだよ。でも、あそこの隊長は人が良いから、ただ欠席するのも悪いと思ったんじゃないかな。代わりに副隊長を寄越してしまったんだ……」
「総隊長も誤算だっただろうな。陛下付きの隊長なら、場の空気を和らげようと話題を振ってくれそうだけど、岩男じゃなあ」
「無口だもんねえ。まあ、君らの副隊長がいなくてよかったけど」
しみじみとヘイリーがいう。
うちの副隊長の実家であるルーゼン家と、岩男の実家であるオーガス家は、どちらもこの国の一、二を争う名門公爵家だ。建国王の時代から張り合っているといわれるほど長い歴史と因縁を持つ間柄で、昔から代々仲が悪い。その険悪さといったら、貴族社会とは縁遠い庶民ですら一般常識として知っているほどだ。
俺のような裕福なお貴族様ともなると、もう少し詳しい。
例えば、現在の社交界ではルーゼン家のほうが格上とされる ─── なぜならオーガス家は、先王の荒れた治世下では領地にこもりきりで、当時は不遇の王太子殿下だった陛下に助力することもなく、己の一族のみが安寧をむさぼった。しかしルーゼン家は、先行きの見えない情勢下でも、国を憂い、王太子殿下とアメリア殿下それぞれに直系の息子を寄り添わせた ─── といわれていることも知っている。俺は情報通でマメなハンサムなのだ。
まあ、その噂が事実かどうかまでは知らないが。
王家と公爵家のお偉いさんが実際どうだったかなんて、それこそアメリア殿下や副隊長でなければわからないことだろう。
俺が事実として知っているのは、副隊長同士は引き合わせてはいけないということだけだ。場が凍るから。
うちの副隊長は、狂犬隊長のせいで精神が鍛えられているのか、それとも大貴族の生まれだからなのか、公の場で好悪の感情が顔に出ることはそうない。
だが、オーガス副隊長を前にしたときは別だ。
あの人にしては珍しいと感じるほど、わかりやすく冷ややかになる。
それはオーガス副隊長のほうも同じ……いや、岩男のほうが激しいか。普段は冷静で寡黙と評判なのに、ルーゼン副隊長を相手にしたときだけ、ぎらついた敵意がむき出しになっている。
何なんだろうな、あれ?
単に家の関係なのか、それとも過去に何かあったのか。
俺は知らないし、興味もないが、オーガス副隊長相手だったら、まだ狂犬隊長のほうが普通に接しているという恐ろしい事実だ。
まあ、接するっていうか、二人とも何も喋らないんだが。
あれは多分、うちの隊長のほうはオーガス副隊長に一切興味がなくて、オーガス副隊長は、狂犬隊長には敬意を払っている……いや、怯えを必死で隠してるのかね? よくわからない。俺も、むさくるしい男どもには興味がないのだ。
ちなみに、オーガス家とルーゼン家は、どちらも由緒ある一族なので、どこに一族の所縁の人間が潜んでいるかわからないという恐ろしさもある。
なにが怖いって、俺がそうと知らずに声をかけた女の子がオーガス家寄りの家柄だった場合、いつものようにうちの副隊長の話をすると泣かれることだ。
俺の体感として、アメリア殿下みたいな男の趣味が謎な一握りの例外を除けば、王宮のあらゆる女性はチェスター・ルーゼンの話を振ると喜ぶものだ。
女性に声をかけるときに、「俺はあのルーゼン副隊長の部下なんだけど」という切り出しは最高にウケがいい。
みんなもっと話を聞かせてほしいというので、デートに誘いやすくなるのだが、オーガス家に縁のある女性は駄目だ。わなわなと震え出して「チェスター様の話をしないで! 家を捨てたくなるから!」とか「わたしだって、堂々と、チェスター様をお慕いする会に入りたかったのに……!」なんて叫んで顔を覆ってしまう。俺はそのたびに途方に暮れた心地になって、真剣に副隊長を呪っている。
ああどうか神様、副隊長が女の子に見向きもされなくなる日が来ますように。
俺が思い出し呪いをしていると、またひときわデカい説教の声が店内に響き渡った。
俺たち三人は、げんなりした顔を突き合わせて、声を潜めていった。
「騎士団長は飲みすぎだし、隊長はそろそろ暴れてくれてもよくないか? 酒がまずくなるから、団長を黙らせてほしい」
「隊長が暴れたら騎士団長の首が飛ぶでしょうが。それこそ飲み会どころじゃなくなりますよ」
「でも、君たちの隊長、そろそろ限界じゃない……? ほら、見てよ、あれ。完全に眼が死んでるよ。ここまでよく我慢してくれたと思うけどね。さすがに手が出るんじゃないの」
ヘイリーの不安に満ちた囁きに、俺はひらひらと手を振った。
「いや、ないない。自分でいっておいてなんだけど、殿下が関わらない限り隊長は動かねーから」
「あれは眼が死んでるというより、ここに意識がないんだと思いますよ。どうせ、『今頃アメリア殿下は会食中だろうか、何事もなくすんでいるだろうか』とか、殿下の身の安全を案じているんでしょう」
「嘘でしょ? 君たちの隊長、仕事熱心すぎじゃない?」
「あれは仕事じゃなくて殿下熱心だぞ」
「変な言い回しを作らないでくださいよ。しっくりくるのが怖いでしょうが」
そうたしなめるようにいいながらも、コリンはため息をついて、ちらと丸テーブルを見やった。
「騎士団長が酒癖が悪いって噂は聞いたことがなかったんですけど……、あれは相当ですね」