4.一撃を入れることができる人
俺が無慈悲な現実を告げてやると、ライアンは頭を抱えた。
しかし、無駄なところでだけ諦めの悪い部下は、ばっと顔を上げて、縋るようにいった。
「だけど、副隊長なら! 近衛隊でナンバー2の強さでしょ!?」
「強さなんていうのは相対的なものだと、さっき教えたばかりだろうが」
ボウフラ頭な部下にため息をつく。
確かに、俺は、近衛隊内で、一対一の勝ち抜き戦でもしたなら、優勝か、それに近い順位まではいけるかもしれない。
だが、隊長の強さは、そういった次元にはない。たとえ近衛隊が一丸となって隊長を倒そうとしても、かすり傷一つ負わせられずに全滅させられるだろう。だからこそ、あの男は『人の皮を被った呪いの魔剣』などと呼ばれているのだ。
そこで俺は、ふと、言葉を零してしまった。
「もし、隊長に、一撃を入れることができる人間がいるとすれば ─── 」
「すれば!?」
ライアンが目を輝かせて、勢いよく食いついてくる。
このうっとおしい男を前にして、失言だったと、俺はげんなりとした気分になる。
だが、どうせ実現することのない話だ。
俺は、面倒に思いながらも告げた。
「いるとすれば、それは、アメリア殿下だけだろうな」
ライアンが、えっ? と、驚いたようにヘイゼルの眼を見開いていった。
「あの細身の殿下に、実はそんな秘められた剣技が……?」
「あるわけないだろう」
じゃあどうやって……と首を傾げてから、ライアンは苦い顔になった。
「あぁ、殿下の『命令』ですか? 殿下が動くなと命じたら、隊長は何があろうと動かないから?」
能天気な部下の声には、珍しく棘があった。
どうしようもないボウフラ頭だが、身分を笠に着た横暴に、嫌悪感を見せるところだけは、まっとうな男だといっていいだろう。その他の人間性は九割方が壊滅状態だが。
それに、想像力も欠けている。俺は少し笑っていった。
「そうだな。殿下が命令されたなら、隊長は何であろうと従う。たとえ殿下に剣を向けられ、あまつさえその剣を振りかぶられたとしてもな。 ─── だが、この仮定には、致命的な欠陥がある。殿下は決して、そのような命令はされない」
だから、現実的な話としては、隊長に一撃を入れることは不可能だ。
これで話は終わりだと、軽く手を振って言外に示したが、ライアンは食い下がってきた。
不可能で終わられては困ると思ったのか、粗探しをするようにいう。
「わからないじゃないですか。例えばですけど、お偉方を人質に取られたら、アメリア殿下は、隊長を優先できないことだってあるでしょう?」
「……なるほど? あぁ、お前のいう通りだな。難しくはあるが、何らかの脅しを持って、殿下を従わせることは、不可能ではないだろう」
俺は腕組みをし、冷ややかにライアンを見やって続けた。
「殿下はああいった方だ。国と民を守るために、ほかに方法がないと思えば、隊長に剣を向けるだろう。殿下はいつも、己の愛を最優先にはできない。あの方は、私情で動ける立場にはないからな」
そこまでいえば、ライアンは、わかりやすく怯んだ顔をした。
思慮の足りないろくでなしだが、女性の不幸を喜ぶような男ではない。具体的な未来図を聞かされたら、『そんなつもりじゃなかった』といわんばかりの顔をして、しゅんと肩を落とすくらいの可愛げはあるようだ。
俺は、口の中で笑いをかみ殺した。やはりライアンには想像力が足りない。
殿下の苦しみを、断じて許さない男が、身近にいるだろうに。
「だがな、ライアン。あの隊長が、その状況を見過ごすと思うか? 殿下が苦しんでおられるのに、ただ黙って命令に従い、みすみす殺されるような男だと?」
軽薄なヘイゼルの瞳が、答えを探すようにさまよう。
やがて、ライアンは、安堵とも恐怖ともつかない、深いため息を吐いた。
「いやあ……、隊長なら、とりあえず殿下の安全を確保してから、脅迫した連中を潰すでしょうねえ……。陛下の首に剣を突きつけても、無駄だろうな……。気づいたときには、その剣を持つ腕ごと切り落とされてるやつ……」
「そう。脅迫は殿下には有効だが、隊長には無意味だ。たとえ殿下の近くに、脅迫者の間諜が潜んでいたとしても、隊長ならまず、その者から潰すだろう。そして脅迫者たちのアジトまで乗り込んでいく。人質を盾にしても無駄だ。隊長の動きのほうが速い。 ─── つまりな、脅迫者たちを殲滅することが簡単すぎるんだよ、あの男には。そして、隊長がそうである以上、殿下への脅しもまた意味をなさない」
「いっぱい首が転がりそう……、うっ、やめてください、俺を巻き込まないで」
だから、隊長に一撃を入れる方法としては、殿下が本心から望んで剣を向けるしかないのだ。
しかし、仮に隊長に裏切られたとしても、殿下は望まないだろうし、そもそも隊長は決して殿下に背かない。なので、あらゆる仮定が無意味だ。
俺は、今度こそ話は終わりだというように、書類を手に取った。
書類仕事は、先日ようやく、予算案という一つの山を越えたところだ。
しかし、今度は、後回しにしていた定期報告書の束が待っていた。
近衛隊の隊員は、皆、文字の読み書きはできる。それは入隊における基本条件だ。しかし、読み書きができることと、文字が読みやすいものであるかどうかは、まったく別だ。さらにいうなら、読める文字であっても、文章として意味のわかるものになっているかも別なのだ。
俺はときどき、部下たちの報告書を前に、文字と文章の解析能力を試されている気分になる。
跳ねる文字。尖る文字。なぜか四角になる文字。
そして唐突に挟まれる飲み会の提案。誰々に好きな女性ができたらしいという噂話。妻に喜ばれる贈り物は何でしょうかという相談。
報告書には報告だけを書けと何度いったら覚えるのだろうか、うちの隊の連中は。
解読能力を要求してくる報告書たちと、午後の暖かな日差しの中で、集中力は徐々に削られていく。
俺は睡魔に耐えようと、眉間を指で押さえた。
それから、気を紛らわせるように、先ほどまでの話題を思い出して、俺はぽつりと呟いた。
「まあ、剣でなければ、殿下が隊長に向けることも、あり得るかもしれないな……」
俺の独り言には、願望の響きが滲み出ていたことだろう。
剣でなければいいのだ。傷つける目的でないのなら、可能性はゼロとはいえない。
そして、その際は、隊長も少しは反省するはずだ。
「殿下がいかに温和な方とはいえ、隊長に怒ることもあるからな……。まあ、だいたい、隊長の身を案じてという、この世で殿下しか抱かなそうな心配によるお怒りだが、怒ることもあるから……。もっと厳しく怒っていただきたい……。あの男、俺が怒っても右から左へ聞き流すことしかしないからな……。事務仕事はすべて俺に押し付けてくるし……。俺だって書類を見ていると眠くなることはあるというのに……。ここは殿下に厳しく……、厳しく怒っていただきたい……!」
「やっぱりクッション貸しましょうか、副隊長?」
「この苛立ちは、主に、お前と隊長のせいだが、どう思うライアン。殿下も、刃物以外なら隊長へ向けてくれるのではないだろうか」
「俺の首が飛びそうな質問をしないでくださいとしかいえませんね」
「小遣いは半額でいいのか」
「そーっスね! 俺が考えるところによると、剣じゃなくても、木刀なんかの当たって痛い物は駄目だと思いますね!」
「ふむ」
「ところで、俺の母さんは、抱き枕用にといって、細長いサイズのクッションも作ってるんですが」
「ほう」
「それの小型版といいますか、クッション製の模造剣なら、殿下も隊長に向けてくれるかもしれませんよ。腹を立てたときには、それで隊長を突くこともあるかもしれません」
なるほどと、頷いて、俺は、ライアンの案を想像してみた。
剣を模したクッションで、殿下が、隊長へ一撃を入れる。
腹を立てておられる状況ならば、一度ならず、二度、三度と突くかもしれない。
柔らかいクッションだ。痛みはなく、打撃音も、ぽすぽすなどの、間の抜けた響きになるだろう。
殿下にそう、ぽすぽすとされて、隊長も少しは反省を……、反省を……。
─── いや、死ぬほど嬉しそうな顔をしている隊長しか浮かばないな?
殿下がどれほど怒っておられたとしても、ぽすぽすやられる隊長は、緩みそうになる頬を必死で抑えているだけだろう。機嫌の良さを隠しきれていない。謝罪は口先だけだ。こげ茶色の瞳は、明らかに、殿下の可愛らしさを堪能している。隊長の全身から殿下への愛しさが滲み出ている。……なんて虚しくなる想像だ。
俺は愕然としていった。
「ライアン、それはただの仲睦まじい恋人たちのじゃれ合いじゃないか?」
「フッ、気づいてしまいましたか。まぁ、率直にいって、いちゃついてるバカップルですよね」
俺は、乾いた笑いを零すと、たちまちのうちに冷めた気分で、書類へ目を戻した。
なにが悲しくて、殿下と隊長の睦まじい姿を想像しなくてはならないのか。そんなもの、目の前で見る光景だけで充分である。
ライアンではないが、俺だって、素敵な人と巡り合うことを、諦めたわけではないのだ。どうせ考えるのなら、他人の春ではなく、自分の春がいい。
「ライアン、今の話は、隊長には黙っておけよ」
「そんなこと、いちいちいわれなくたってわかってますよ。俺は思慮深い男っスよ、副隊長」
次回はアメリア視点になります。
書籍化記念番外編①は次回で完結予定です。