3.流血夜会事件(前)
「あの、お兄様……?」
「先にいっておこう。私は本気だ。お前の夫となって問題が起こらない相手は、もはやあの狂戦士本人しかいないだろう」
「まっ、まってください、その……、お話は、……バーナードには……?」
わたしが、息も絶え絶えに尋ねれば、お兄様は目をそらしていった。
「してない」
「お兄様!」
悲鳴を上げたわたしに、お兄様は開き直った様子で口を開いた。
「仕方ないだろう。いいか、アメリア? 私とて、あの男が、王家の威信を理解する人間ならば、先に話を通しているさ。あるいは、あの男が、国のため、民のためという志を持つ騎士ならば、同様に根回ししているとも。 ─── だが、あれは、お前の話しか聞かない狂犬だ。間違えて人間に生まれてしまった男だ。縁談の話などしたら、私の首が物理的に飛ぶだろうよ」
「それでは、わたしの口から、彼に話せというんですか。わたしと結婚するようにと、わたしの口から!?」
「アメリア」
お兄様は、深く、心のこもった声音で、わたしの名前を呼んだ。
「お前が嘆く気持ちはよくわかる。もし、私がお前の立場だったら、兄を恨み、国を恨み、将来を悲観して打ちひしがれるだろう。だが……、わかってくれ、アメリア」
お兄様は、心底忌々しいという口調で続けた。
「あの狂戦士が傍にいる限り、お前に縁談は来ない」
「それは、そうでしょうけれども……!」
「そしてあの男は、人の皮を被った呪いの魔剣だ。投獄しようと追放しようと、やすやすとお前のもとへ戻ってくる」
わたしは、額を押さえながら、それでも一応の訂正をした。
「投獄も追放も、濡れ衣によるものだったではありませんか。バーナードは、冤罪で罰せられたというのに、わたしやお兄様の危機に駆けつけてくれたのです」
「なにをいう、アメリア。あの男が、私のために動いたことなどあるものか。すべてお前のためだ。私を助けたのは、ただのお前のついでだ。ハッ、私など、奴にとっては道端の草以下よ。お前がいるから、お前が望むから、私もついでに助けただけだ。 ─── そうとも、あれは、お前が拾ったときから、お前のために三千の兵を壊滅してみせた男。間違って人間に生まれてしまった“何か”だ。おそらく、本来は、呪いの魔剣としてこの世に現れるはずだったのであろう」
お兄様が、あごをさすりながら、訳知り顔でいう。
そんな事実はないので、自信たっぷりの顔をしないでほしい。
誰が何といおうと、バーナードは人間だし、多少やりすぎることはあるけれど、誠実で信頼できる、立派な騎士だ。
「お兄様、何度も申し上げておりますけれど、わたしは彼を拾ったのではなく、彼の人生を一時的に預かっているだけです。それに三千の兵は誇張ですわ。バーナード以外にも味方はおりましたし、バーナード自身も『俺が片付けたのは二千くらいですよ』といっておりましたよ」
「お前はその会話を疑問に思わんのか、アメリア!?」
お兄様は、空中に敵でもいるかのように、ばしばしと拳を叩きつけながらいった。
「確かに、奴には命を救われた。それは認めよう。一度や二度ではない。それも認めよう。……先王のせいで、私もお前も、何度も窮地に陥ってきた。和平のために、お前を送り出した先で、お前が反乱軍に包囲されたと聞いたときは、私とて、目の前が真っ暗になったものだ。 ─── しかしな、あの狂戦士が、お前の安全を確保しようと、反乱軍をことごとく殺しつくし、見渡す限りを赤く染め、屍の山を築くたびに、お前まで恐怖の対象になっていたんだぞ!?」
お兄様は、片手で顔を覆って続けた。
「あの夜会以前から、すでにそうだった。戦場を知らない貴族たちは、大げさな噂よと笑っていたが、王立騎士団団長も、王室近衛隊総隊長も、お前とバーナードを見るたびに、青ざめた様子で、そっと目をそらし、すれ違うことすら避けていた……ッ! あの勇猛と名高いボルツ辺境伯すら、自分の息子とお前の縁談だけはどうかご容赦頂きたいと、私の前で膝をついて懇願してきたんだぞ!? あの我が国最強の将軍と謳われたボルツ殿まで!」
「まあ……、そうでしたの……」
初耳だ。できれば一生知りたくなかった。
「名門貴族の中でも、武門の家の者たちは、みな、お前との縁談だけは回避しようと必死だった……。あの狂戦士がセットでついてくるからな……。騎士団の者たちなど、お前を妻にしてバーナードを迎え入れることは、己の一族への死刑宣告も同然だと囁き合っていた」
「ええ……、それは聞いたことがありますわ……」
「奴のせいで、ただでさえ、お前への縁談話は少なかったというのに、あの夜会だ。よりにもよって、各国の要人を招いていた、あの夜会で、あの、お前の身の安全以外は何も考えない狂犬が、衆人環視の中で首をスパンと飛ばして以来、お前を妻に望む者は一人もいなくなってしまった。 ─── ならば、本人に責任を取らせるのが、筋というもの! そうだろう、妹よ!?」
わたしは、再び額を押さえた。
もはや、頭痛を通り越して、めまいがしてきた。
※
あれは、およそ二年前、お兄様が即位して一ヶ月ほど経った頃だった。
即位後、初めての大規模な夜会を催した。
わたしも、いつになく華やかな装いをしていた。
お兄様の即位の式典では、伝統的な白のドレスを着たから、流行を取り入れた美しいドレスというのは、本当に久しぶりだった。
王女時代にも、お兄様の代理を務めることはあったし、そのために正装する機会は多かったけれど、そういった場での王族の装いというのは、伝統と格式を求められるものだ。つまり、毎回似たような装いになるのだ。
わたしは「悩まずにすんでいいわ」なんて笑ってみせてはいたけれど、流行りの素敵なドレスに憧れがなかったといえば、嘘になるだろう。
お兄様のようやくの即位、そして即位して初の大夜会だ。
わたしの心も、密かに浮ついていた。
華やかなドレスを身にまとったわたしを見て、バーナードが「よくお似合いです。とても美しい。……困ったな、ほかの言葉が出てきません。あなたはとても美しい。ええ、以前から知っていた通りにね」などと、大げさに褒めてくれたことも、これ以上なく、わたしの胸をざわめかせていたのだろう。
長年の自制をもってしても、彼からの言葉には、心が揺れてしまう。わずかな期待と喜びがにじみ出てしまう。
バーナードは、いつも通りに、わたしの後ろに控えて、護衛を務めてくれた。
わたしは、彼が傍にいてくれるだけで心強かった。
夜会が始まると、お兄様とわたしの前には、挨拶のための長い列ができた。
自国の貴族に、他国の要人。身分が高く、有力な者から先に並ぶので、列が半ばほどまではけた頃には、顔を知らない相手もちらほらと混ざるようになっていた。
だから、セズニック伯爵に、彼の長男を紹介されたときも、さほど深くは考えなかった。
珍しいな、とは思った。わずかな引っ掛かりはあった。
セズニック伯爵の長男は病弱で、何度も大病を患っており、ベッドから出られることはほとんどないと、噂で聞いていたからだ。
─── おそらく、長男と実際に会ったことがあるのは、家族や使用人くらいなものだったのだろう。彼と面識がある人物は、夜会に出席している貴族たちの中には、一人もいなかった。
だから、セズニック伯爵が、長男だと紹介すれば、誰もが信じた。
わたしは、伯爵の長女である女性ならば、挨拶を受けたことはあった。
ただ、彼女は、一昨年に出産したとも聞いていた。もしかしたら、お子さんが風邪でも引いたのかしら、と頭の片隅で思った。
彼女は、伯爵家を継ぐために、婿養子をとっていたが、なかなか子供に恵まれず、苦しんでおり、無事に産まれた際には、伯爵家をあげてのお祭り騒ぎだった……と、そんな話も伝えきいていたから、余計だった。
紹介された長男は、美しいが、痩せていて、繊細そうな男性だった。
長年、病で臥せっていたといわれたら、誰もが納得するような容姿だった。
最近になって、多少は体調が回復したのだろうか? それで、伯爵は、長男にも、華やかな夜会を体験させてやりたいと考えたのかもしれない。
数秒の間に、そう考えを巡らせてから、わたしは、いつも通りの微笑みで、彼から挨拶を受けた。
─── ……いや、挨拶を受ける、はずだった。
けれど、ほんの一瞬、まばたき一つの間だ。
わたしが、ぱちりと瞬いた後には、セズニック伯爵の長男は、首から上がなくなっていた。
何が起こったのかわからない。
わからないけれど、まるで丸いボールのような何かが、ポンと天井へ上がって、それから、円を描くようにして、落ちた。
たまたま、その落下地点にいた、50歳過ぎても好色で見境がないと評判の侯爵は、上から落ちてきたものを、思わずといったように受け止めて、受け止めてしまって、そして ─── 。
侯爵の野太い悲鳴が、大ホールに響き渡った。