1.副隊長の苦労
気の滅入るような曇天が続いた後に広がる、晴れ渡った見事な青空と、暖かな日差しは、午後の眠りを誘うには十分だった。
俺は、あくびをもらしかけて、ぐっと口の中でかみ殺す。目の前の書類へ集中しようとするが、今日は午前中が戦闘訓練だったこともあり、余計に瞼が重くなってしまった。
近衛隊の隊員は、通常の職務と並行して、定期的に戦闘訓練へ参加することが義務付けられている。
『常に戦場にいると思え』というのは、護衛騎士が最初に叩きこまれる心構えだ。
国内が落ち着いていようとも、地位が上がろうとも、王家の方々の護衛として、身体を錆びつかせるような無様な振る舞いは許されない。訓練中は、ベテランも新人も関係なく、徹底的にしごかれる。訓練時に置いては、指導官が絶対だ。たとえ戦場で足の一本、腕の一本なくしていようとも、可能な範囲で参加することになっている。
まあ、うちの隊長だけは例外だ。
一応、隊長にも訓練の義務はあるのだが、訓練場に現れることはほとんどないし、ほかの隊員がサボろうものなら死ぬほど走らせるような、厳しい指導官たちも何もいわない。むしろ、たまに隊長がふらりと現れると、指導官のほうが嫌そうな顔をするほどだ。
「ああいう人外じみた男が来ると、全体の士気が下がる」
「天才なら歓迎するが怪物はいらん」
「人間が目指せる範囲を超えている奴は訓練の邪魔」
……などと零しているのを聞いたこともある。
俺が何度目かのあくびをかみ殺していると、ふわあと、遠慮も何もない大きなあくびが聞こえてきた。
今、隊室にいるのは、俺とライアンだけだ。
俺は目をすがめて、隊室の扉側に座る部下を見やる。
明るい茶色の髪をした軽薄な部下は、上司の冷たい視線に気づくこともなく、半分寝ているような顔で、引き出しから小ぶりのクッションを取り出した。
─── いや、待て、なぜそこからクッション? 引き出しに何を入れているんだ、こいつは。
俺は愕然としたが、ライアンは堂々とクッションを机に置いた。
そして、躊躇なくクッションに顔をうずめて、居眠りをする体勢に入った。
俺は、しばし考えた末に、引き出しから、バターナイフのような、薄い刃物を取り出した。
これは先日、隊長からおすそ分けされてしまった武器だ。
なんでも、最近隊長は、『(首を刎ねると大事になってしまうから)心臓を一突きして病死に見せかける方法を練習している』そうだ。
こんなに聞きたくない話がこの世にあるだろうか? と、その衝撃の真実を明かされたとき、俺はもはや意識を失ってしまいたい心地の中で思った。
そして『この男が関わる事柄では、結構あったな、心底聞きたくなかったこと……』と、つらつらと忌まわしい記憶まで思い出してしまった。
隊長が、知り合いの工房に頼んで大量発注したという、小型で薄いナイフを取り出し、俺はそれを、ライアンの机めがけて投擲した。
カンッと、いい音がして、木製の机に刃物が突き刺さる。
ライアンは、『なんだ?』と言いたげに目を開けて、そしてまじまじとナイフを凝視してから、信じられないという顔をして俺を見た。
「隊長に毒されすぎっスよ、副隊長!?」
「なにをいうんだ。俺はお前の首を刎ねていないし、心臓を一突きにもしていない。おまけにその意味の分からないクッションにも当てないでやったんだぞ。この上なく優しい上司じゃないか」
「どこが!? これ、殺人未遂事件の立派な証拠っスからね!? 法務官呼びますよ!?」
「法務官が、俺とお前の証言、どちらを信じると思う?」
「最低だこの上司!!!」
「お前はまず、その提出期限を大幅に破っている報告書を仕上げてから、口を開け」
ライアンは気まずそうに眼をそらす。
それから、引き出しに手をやると、さらにもう一つクッションを取り出してきた。
頼むから、隊長とは別方向に狂人の振る舞いをするのはやめてくれないだろうか。
なぜ、引き出しから立て続けにクッション。お前は職場の引き出しを何だと思っているんだ? 職務に関係のないものを入れるな。というか、もしや、関係のあるものが一つも入ってないんじゃないだろうな?
俺が、思うところがありすぎて、何も言葉にできずにいると、ライアンはクッションを持ったまま立ち上がり、俺のもとへ来ると、そっと差し出してきた。クッションを。
「どうぞ。一個使っていいっスよ。副隊長も眠いんでしょ?」
「お前はよくこの状況でその親切顔ができるな?」
「眠いとイライラしちゃうんスよね、わかります。これ、俺の母さんの手作りなんで、いい匂いしますよ」
「お前にイライラしない人間がいたら顔を見てみたい……、待て、母君の手作り?」
改めて見ると、クッションには、猫をモチーフにしたらしき、可愛らしい耳がついている。ほのかに香るのは、モルミナの葉だろうか。香油にして糸に浸しているのかもしれない。ほっと肩の力が抜けるような匂いだ。
俺は、先日の婚約お披露目パーティーでお会いした、ライアンのご両親を思い出していた。このボウフラ頭のご両親とは思えないほど、怜悧な眼差しの父君と、優しそうな母君だった。どれほど素晴らしい御両親でも、子育てに失敗することはあるという実例を見てしまった気分だった。
「母君は手芸が得意な方なんだな。可愛らしいクッションだ。お前のために二つも作ってくれたのか?」
「普段から趣味で色々作ってるんスけどね。俺が、寝る間もないほど仕事が忙しいって手紙を書いたら、心配したらしくて、親父の商会経由で送ってきたんスよ」
「わかった。上司として、お前の真実を書いた手紙を送ろう」
「真実でしょ!? 寝ようとしたらナイフ投げられたんスよ!?」
「お前は、まさか、寝る間もないほど遊びほうけて、仕事中に居眠りしようとしたら注意されたことが、手紙に書いたような言い回しになると思っているのか? さすがの俺も困惑するぞ? 人の言葉が理解できないなら、人里を離れて、自然豊かな場所で暮らした方がいいんじゃないか。離島への船は俺が手配してやろう」
「それって遠回しに流刑を勧めてません? 副隊長こそ人の心がないんスか?」
そんなことはない。俺にしては率直に勧めている。
口だけは達者な部下に、クッションを返して、席へ戻れと促す。
ライアンは、自分の椅子に腰を下ろし、クッションを二つとも引き出しにしまった。
しかし、これでようやく仕事に戻るかと思いきや、ペン先をぶらぶらとさせながら口を開いてきた。
「副隊長って、隊長を抜かせば、近衛隊で一番強いんスよね?」
「黙って報告書を書け」
「まあまあ、そういわずに。可愛い部下とのコミュニケーションを取る、貴重な機会ですよ?」
「ドブに捨てたくなる貴重さだな」
俺はため息をついて、手にしていた書類を置いた。
そして、出来の悪い生徒に、教え諭すような口調でいう。
「いいか、ライアン。強さなんていうものは、相対的なものだ」
「はあ」
「その場の状況すべてに左右される。一対一の戦いで強い者が、戦場でも強いとは限らない。逆もまたしかりだ。乱戦に強い者もいるだろう。雨風に強い者もいるだろう。己の精神状態や体調によっても大きく違ってくる。そのときの状況次第で、勝敗はたやすく変わるものだ」
「はあ」
「絶対的な強さなどというものは存在しない。隊長を除いてはな」
わかったか? と聞けば、ライアンは、素直にうなずいた。
そしていった。
「で、副隊長って隊長の次に強いんスよね?」
「さっき頷いたのは何だったんだ、お前は!?」
俺は思わず怒鳴ってしまったが、ライアンは何も気にしていなそうな、けろっとした顔でいった。
「俺、いま、うちの狂犬隊長に一撃入れられる人材を大募集中なんスけど、副隊長ならできそうっスか?」