6.狂犬騎士にとっては世界の真理なので照れはない
すみません、完結してません。もう一話だけ続きます。
毎回予告通りにいかなくて申し訳ないです。
隊室を出て、後宮へと向かう。
今の時間帯なら、殿下は私室でドレスの試着をされているだろうと知っていたからだ。自分が非番の日だろうと、殿下のスケジュールなら、おおよそ頭に入っている。婚約者としての俺は、先ほどのリハーサルで、下手なダンスを披露した後、早々に用済みになったが、殿下はあの後も、婚約披露パーティーのための諸々の打ち合わせが入っていたはずだ。
殿下の兄は、俺にふさわしい振る舞いを身に付けさせろと厳命したらしいが、式典の責任者からは、何もしないでくれと懇願されている。パーティーの主役はあくまでアメリア殿下であり、婚約者など添え物だ。殿下の付属品として、最初から最後まで黙って立っていてくれるだけでいい。頼むから何もしないでくれと、俺の腰の剣にちらちらと目をやりながらいっていた。俺としては、頷くしかなかった。
俺とて、殿下にとっての晴れの日を、血で汚すことは、できる限り避けたいと思っているのだ。
流血夜会事件に続いて、流血婚約披露パーティーになってしまったら、殿下に申し訳が立たない。
ここは、警備にあたる騎士団が、今度こそ役に立つことを期待したいが、連中の腕はチェスターよりも劣るので、いざとなれば、俺が、最大限、血が流れないやり方を取るしかないだろう。首を飛ばすのではなく、心臓を一突きするなら、病気による突然死のように見せかけられるかもしれない。首が一番楽なのだが、騒ぎになってしまうので、俺は最近、病死に見せかけるやり方を練習している。
※
後宮へ入るための正門まで来て、俺は、顔馴染みの衛士に、殿下の侍女に、俺が来ていることを伝えてほしいと頼んだ。殿下にお許しを頂きたい案件があるとも伝えてもらう。
近衛隊隊長として、殿下の護衛についているときや、護衛として朝お迎えに伺うときは、この扉の先へ入るが、それ以外では、侍女を通してやり取りをしている。殿下は大らかな方なので、俺やチェスターに対しては、私室前まで入ってきて構わないというが、それは色々とよくないだろうというのが、殿下の周りにいる俺たちの共通認識だ。
まあ……、俺は、私室まで入ってしまったこともあるんだが。しかしあれは、殿下の悪だくみにも問題があるだろう。頼むから、自分の身を天秤にのせるような真似はやめてほしい。
俺があの夜のことを思い出して、眉間にしわを寄せていると、後宮側から正門が開いた。
じろりと俺を睨みつけてくる婦人は、殿下の最も信頼が厚い侍女であるサーシャだ。
俺は一礼していった。
「お忙しいところ、申し訳ない。殿下に許可を頂きたいことがあって」
「ついてきなさい」
俺がいい終わる前に、サーシャは俺に背を向けて、さっさと歩きだしてしまう。
「待ってください。殿下は取り込み中でしょう? お会いする必要があるほどの用件ではありません。いつものように、サーシャ殿から殿下に伺いを立ててもらえたら」
「いいから、黙って、ついてきなさい」
有無を言わせぬ迫力だ。婦人は振り向きもせずに、後宮の中へと進んでしまう。
俺は諦めて、彼女の後ろを歩きだした。
俺は、俺が護衛につく以前から殿下をお守りしてきた、チェスターとサーシャの二人には、敬意を抱いているのだが、サーシャは昔から俺のことが嫌いだ。まあ、無理もないことだと思う。俺だって、殿下の傍に、俺のような男が現れたら、殺しにかかるだろう。血生臭い人間を殿下に近づけたくないという点では、俺とサーシャの意見は一致している。もっとも、それをいうと、婦人の眉はいっそう吊り上がって、忌々しげに俺を睨みつけるのだが。
殿下の私室の前まで行くと、サーシャは立ち止まり、振り向いて、俺をじろりと見上げた。
「殿下の婚約者になったからといって、思い上がらぬように。夫になったわけではないのですよ。あなたはまだ、殿下に対して責任を負える立場ではない。そのことを十分にわきまえて行動なさい」
要するに、手を出すなという意味だろう。
俺の脳裏に、一瞬、あの夜のことがよぎったが、唇に触れるだけのキスだ。婚約者として許される範疇であると願いたい。俺は、内心の葛藤をおくびにも出さずに、粛々と頷いた。
「無論、承知していますよ」
「殿下と二人きりだからといって、不埒な真似をしないように」
俺は一瞬ぎょっとしたが、サーシャはすでに俺を見ていなかった。
婦人は私室の扉を開け、中にいるのだろう殿下に目礼すると、俺に『さっさと入りなさい』といわんばかりに目で追いやった。
「待ってくれ、俺は私室に入る気はない」
「殿下をお待たせするとは、何様のつもりですか」
サーシャがまなじりを釣り上げるが、俺だってふざけるなといいたい。あんたが一番俺を止めるべき立場だろうが。たかが婚約者だといったのはあんただぞ。俺と殿下を二人きりにするんじゃない。
だが、俺がいい返すよりも早く、室内から、涼やかな声がした。
「バーナード? どうぞ、入ってください」
……俺が、この声に逆らえたためしなどないのだ。
おそらく、サーシャもないのだろう。
最古参の侍女は、怒りの形相で扉を開いたまま持ち続ける。
俺は、理性と平常心を全身からかき集めながら、俯きがちに、殿下の私室へ足を踏み入れた。
背後で扉が閉まり、俺はゆっくりと顔を上げる。
まず、目に入ったのは、白いドレスの裾だった。
式典などで着る、王家の伝統と格式に基づいたドレスだろう。
殿下が以前「毎回、ほとんど同じですよね……」と残念そうに零していたこともある。確かに、重ねる生地の多さなどには多少の変化があるものの、おおまかには同じだろう。伝統とは維持することに意味があるのだから仕方ない……というのもまた、殿下のお言葉だ。俺としては、この白のドレスもよく似合っていて美しいと思うが、殿下が、流行りの華やかなドレスに、憧れの眼差しを向けていることも知っている。
俺は、ひとまず、試着が終わっていたことにホッとした。さすがに試着中であれば、サーシャが俺を通すとは思えないが、それでも殿下のされることだ。殿下は、こういう面では、大らかすぎて信用できない。
俺は安堵とともに姿勢を正し、視線を上げきって、そして息を呑んだ。
殿下の髪型は、いつもとはちがっていた。前髪の一部を編み込み、それを纏めるように、髪飾りが弧を描いている。髪飾りからは、首元まで、金の細い鎖が垂れ下がり、鈍く輝く白色石が、いくつも結ばれている。
そして、なによりも、俺を見る殿下の表情が、この胸を撃ち抜くようだった。
殿下は、恥ずかしそうに、それでいて、ほのかな期待の滲む眼差しで、俺を見つめていった。
「髪飾りくらいは、多少華やかにしてもよいだろうということで、新調してみたのです。……どうでしょうか、バーナード」
俺は、止めていた息を吐き出して、微笑んだ。
「とてもよくお似合いです、殿下。あなたは常日頃から美しくていらっしゃるが、その装いのあなたも、とてもお美しい。あなたの輝きに、太陽も霞むほどでしょう。本当にお美しい」
そこで俺は、同じ言葉ばかり繰り返していることに気づいて、意味もなく首筋をかいた。
「あぁ、すみません、殿下。俺はさっきから、馬鹿の一つ覚えのように、美しいとしかいえていませんね。あなたの美しさを形容する言葉を、もっと増やしたいとは思っているのですが……、駄目ですね、俺は。殿下を目の前にすると、美しいという言葉以外出てこなくなってしまう」
俺が、俺自身の至らなさを反省していると、殿下は、なぜか、大きく顔をそむけた。
その形の良い耳は赤く染まり、細い肩はぷるぷると震えている。
いつもとは違う殿下の態度に、俺は戸惑った。俺が美しいとしか口にできなくなるのは、毎回のことなのだが、殿下は、柔らかく微笑まれるのが常だった。こんな風に、顔を背けられるのは初めてだ。
まさか、怒らせてしまったのだろうか。婚約者になったというのに、以前と変わらず、同じ言葉ばかり繰り返したのだ。美しく装われている殿下に対して、礼を失した振る舞いだったかもしれない。
「殿下、申し訳ありません。あなたがあまりに美しくて……、いえ、俺はその、新しい髪飾りもよくお似合いだと思います。無論、いつもの装いのあなたも、世界の隅々まで照らすほどに輝いていらっしゃる。俺は、殿下がどんな装いをしていても、その美しさに心を奪われますが、殿下が嬉しそうにしていらっしゃる姿は、その輝きでこの眼が潰れるのではないかと思うほど眩くて」
「そこまでに……っ! そこまでにしてください、バーナード……!」
殿下は、おずおずとこちらへ顔を戻して、紅潮した頬に、潤んだ瞳でいった。
「あなたが謝る必要はありませんから……っ」
「殿下……、まさか、照れていたんですか?」
「今のは謝ってください」
「すみませんでした」
俺はおとなしく頭を下げた。
緩んでしまった顔を隠すのにも、ちょうどよかったので。