4.丸太のように、荷物のように
そうなのだ。
俺の見る限り、隊長の動きは完璧だった。
ライアンは、できると大口を叩いていたものの、実際には、頭でわかっている程度だったのだろう。身体が上手く動いていないことも、足さばきを間違えることも、テンポがずれることもたびたびあった。
その都度、隊長が完璧にフォローしていた。
ライアンは悲鳴混じりに踊っていたが、隊長は、ライアンがどんなミスをしようとも、眉一つ動かさずに、うまく次のステップへつなげてやっていた。
「問題はないように見えましたが……、隊長?」
隊長は、眉間にしわを寄せながら、自分の手を開いては閉じることを繰り返していった。
「力加減がわからなくてな。……踊るときに、手を握るだろう?」
「それがなにか?」
我が国の夜会において、ダンスの基本の型というのは、男性と女性が向かい合って片手をつなぎ、もう片方の手で、男性は女性の背中から腰の辺りに手を添えて支え、女性は男性の肩に手を置くというものだ。
隊長は真剣な顔でいった。
「俺が力加減を誤って、殿下に痛い思いをさせたくない」
ライアンが、冷めた顔をして、バカにするようにいった。
「なんスか、それ。ノロケですか? 彼女にフラれたばかりの俺の前でノロケですか? 人の心がないんスか?緊張でちょっと強く手を握り過ぎちゃって、彼女に『もう、痛いってば、ライアンったら』とたしなめられるのなんて、俺だってやりたいですよちくしょう!」
「ライアン」
隊長は薄く笑った。
「俺は、素手で、お前の頭を、トマトみたいに握りつぶせる」
「殺人鬼だーっ! う、嘘でしょ、隊長ってそこまで人外だったんですか!?」
「まあ、隊長ならできるでしょうけど」
ライアンが「副隊長もなに平然としてんスか!?」と叫んだが、このくらいで驚いていたら、この男の副隊長などやっていられない。だいたい、その程度のことは、俺以外の近衛隊の古参メンバーも知っているし、もちろん殿下もご存じだ。
「でも、隊長が今まで、力加減を間違えたことなんてないでしょう? 勢い余って何かを壊したこともありませんし、隊長が壊すときは、意図して壊していたでしょう」
「相手は殿下だぞ。壊しても問題ないものとは一緒にできない」
「ライアンとだって、完璧に踊れていたじゃないですか」
「何をいってるんだ、チェスター。ライアンの骨は砕いても問題ないが、殿下はちがうだろう」
「隊長こそなにいってんスか!? 大問題ですよ! 俺の手を砕いたら俺の実家が黙ってませんからね!」
ライアンの情けない叫び声を完璧に聞き流して、隊長は苦悩する顔でいった。
「だいたい、殿下の手ときたら、細くて、柔らかくて、華奢すぎる。殿下は食事量を増やした方がいいんじゃないか? 俺が握るだけで折れてしまいそうで怖い」
それはさすがにいい過ぎだろう。
殿下は細身ではあるが、痩せすぎというほどではない。それに、日頃から、重臣たちや他国の要人相手に、会議や会談にと忙しい方だから、その分、食事はきちんとなさっているし、体調管理にも気を配っている。まあ、必要だと判断されたら、いくらでも無理をされる方でもあるのだが。
もっとも、この世に恐れるものがないのだろうと囁かれる、この人の皮を被った呪いの魔剣と評判の隊長が、唯一恐怖することが、殿下が傷つくことだ。多少大袈裟になるのも仕方ないのだろうと思いつつ、俺はなだめるようにいった。
「殿下が相手でも、隊長が力加減を間違えたことはないでしょう? ほら、昔は、丸太を担ぐ人夫のように、殿下を肩に担いで、敵陣を駆け抜けたこともあったじゃないですか。俺が何度やめろと叫んだことか」
「なにやってんスか隊長」
ライアンが思わずというように呟いたが、俺もこればかりは同感である。
女性の身体にみだりに触れてはいけない、という以前に、殿下を荷物のように肩に担いで突破するのはやめてほしかった。
殿下だって、一番最初に、突然担ぎ上げられて「悪い、姫様。少し我慢してくれ」とだけいわれ、殿下を担ぐのとは逆の手で剣を振るって道を切り拓いていく殺人人形の服に、必死でしがみついていたときは、真っ青な顔をしていたものだ。
殿下はお優しい方だから、窮地を切り抜けて、地面に降ろされた後も、殺人人形を責めるようなことはいわず、ただ「……少し、びっくりしました」と、身体を震えさせながらも、微笑まれていたが。
そして、殿下は、順応性が高い方でもあるので、段々と慣れていって、しまいには「担がれるときのコツを掴んだように思います」と嬉しそうにいっていたけれど。
だが、どう考えても姫君が慣れるべき事柄ではない。荷物のように担ぐな。
俺がどれほど説教しても、絶叫しても、聞く耳を持たなかった、かつての殺人人形かつ現在の狂犬隊長は、相変わらず反省の色が見えない顔でいった。
「あれは、殿下の身の安全を確保するために、最善だと判断したからやったんだ。俺は、不必要に殿下に触れるような真似はしない。緊急時だったから、やむを得なかったんだ。お前だってわかってるだろう」
「ええ、俺も何回もいいましたが、触れる触れない以前の問題です」
だいたい、と、俺は渋い顔で続けた。
「殿下を肩に担いだまま、崖から飛び降りたことだってあったじゃないですか」
「本当になにやってるんスか隊長!?」
まったくだ。俺はライアンの言葉に深々と頷いた。
いくら窮地だったとはいえ、いくら敵に囲まれていたとはいえ、殿下を担いで崖から飛ぶな。
俺は、人生であれほど絶叫したことはない。
敵に待ち伏せされて、殿下たちと離れ離れになってしまったと焦っていたら、殺人人形が殿下を抱えて飛び降りるのが見えたのだ。
目の錯覚だと思いたかったが、俺は、あの少年ならやりかねないと知っていた。
俺は絶叫し、がむしゃらに二人が落ちただろう場所へと走ったが、たどり着くと、殺人人形はピンピンしていた。その一方で、殿下はさすがに、足が震えて立てないでいた。当たり前である。殺人人形も、殿下を怖がらせたことだけは謝っていた。
俺が当時を思い出して、しみじみと胃痛を感じていると、隊長は、渋い顔でいった。
「誤解を招く言い方はよせ、チェスター。あれは岸壁に剣を突き立てて、勢いを殺しながら降りたんだ。飛んだわけじゃない」
「訂正するとこそこなんスか!? そこしかないんスか!?」
「必要だからやっただけだ。みだりに触れたわけじゃないぞ」
「聞きたいのはそこじゃないんスけど!?」
ライアンが叫んだが、隊長は『うるさいな、コイツ』といわんばかりの顔をした。
冬の太陽は沈むのが早い。訓練所は肌寒く、窓から差し込む陽射しも、少しずつ傾いてきている。
俺は、この不毛なやり取りに終止符を打つべくいった。
「緊急時に力加減ができるのなら、平時にもできますよ。それでも心配なら、殿下にお願いして練習に付き合って頂くべきです。ライアン相手に何十回踊ったところで、力加減は学べないでしょう」
「それじゃ殿下が痛い思いをするかもしれないだろう」
「いいですか、隊長。さっきこのろくでもない部下がいった通り、緊張のあまり、少し手を強く握ってしまって、たしなめられるというのも、婚約者同士ならありふれたやり取りです。気負わずにいってください」
「そうっスよ。まあ、俺は昨日フラれましたし、副隊長は婚約者に捨てられましたけどね!」
「ライアン。俺も隊長ほどではないが、剣の腕にはそれなりに覚えがある」
優しい声でいってやると、余計なことしかいわない部下は、ひっと叫んで後ずさった。
隊長は呆れたようにライアンを見ていった。
「お前とチェスターを一緒にするな。チェスターは大抵のことはできる男だぞ。コイツにないのは女を見る眼だけだ」
「隊長。俺に、死を覚悟したうえで、隊長に決闘を申し込めということですか?」
「悪かった」
隊長が、降参といわんばかりに両手を上げてみせる。
俺は嘆息した。
こういうところは、素直なんだよな、この男は。やることもいうことも無茶苦茶なんだが。