2.通常、王家の婚約者には護衛がつくものであり
王家の方の婚約者となれば、婚約が公式に発表される前から、総隊長によって密かに人員の選抜が始まり、発表後は、その方専属の近衛隊隊員も公表されるものだ。
しかし、隊長の場合は、事前の選抜もなく、婚約発表後も、総隊長は何も動く気配がなかった。
これは別に、総隊長に悪意があったという話ではなく、純粋に、あの隊長に護衛をつけるという発想が浮かばなかっただけだろう。正直なところ、俺も、新たな近衛隊が選抜されなくとも、なんとも思わなかった。たぶん、ほとんどの人間がそうだったんじゃないだろうか。
しかし、例外もいた。アメリア殿下である。
あの人外の男が人間として見えている、この世で唯一の御方ではないかと思われる殿下は、婚約発表から数日後の御前会議後に、いつも通りの穏やかな微笑みで、総隊長へ声をかけた。
「バーナード付きの近衛隊の選抜は進んでいますか? なかなか、難しいでしょうから、わたしで助けになれることがあれば、いつでもいってくださいね」
総隊長は、戸惑った顔をした。
その場に残っていた陛下は、不思議そうな顔をした。
当事者である隊長も、わずかに眉間にしわを寄せて、意味を問うように俺を見た。俺は、視線だけで、隊長に『いや俺にもわかりません、何の話なのか』と返した。
総隊長は、恐る恐るといった様子で、殿下に尋ねた。
「申し訳ないのですが、殿下。殿下のおっしゃるバーナード殿というのは、どこのバーナード殿でしょうか……?」
「ここにいるバーナードですよ?」
そこで殿下は、何かに気づいた様子で、困ったように微笑んだ。
「わたしたちの婚約も、急な話でしたから、まだ近衛隊の選抜まで手を付けられていないのでしょうか? だとしたら、ごめんなさいね。急がせるつもりではないのです」
「待ちなさい、アメリア」
陛下が、驚愕の顔で、声をかけた。
「お前はまさか、そこの狂戦士に護衛をつけるつもりなのか?」
「わたしの婚約者ですから。お兄様の未来の義弟でもありますしね」
「私に義弟など未来永劫存在しないが、たとえ婚約者でも、いらんだろう!? 一人で三千の兵を殲滅した男だぞ? 護衛という概念が成り立たんだろう、呪いの魔剣には!」
「実力でいうなら不要でしょうけど、でも、お兄様。王家が婚約者に護衛をつけなかったという、悪しき前例を作ってしまうのも、問題がありますでしょう?」
「それは……、お前のいうことはもっともだが、いや、しかしな」
陛下は、腹の底から、重々しい声を出していった。
「その辞令を引き受ける者はいないだろう。近衛隊が総辞職してしまうぞ。チェスター以外は誰も残らん」
俺が残ることは決定なのか。
俺は、陛下の信頼が嬉しいような、そこを当てにされるのは嬉しくないような、複雑な気持ちだったが、総隊長は、しきりに頷いて同意を示していた。
隊長は、困ったように軽く首を傾げていった。
「殿下、進言をお許しいただけますか?」
「どうぞ、バーナード」
「王家の慣例は知っていますが、俺は殿下付きの近衛隊隊長です。その俺に、近衛隊をつけるというのは、現実的には難しいんじゃありませんか。殿下のご懸念はわかりますが、婚約者が隊長職にある際は除外するということで、いいんじゃないですかね」
「ほう。たまには貴様もまともなことをいうではないか、狂戦士よ」
「それに、俺につく近衛隊とやらが、殿下をお守りするのに邪魔になったら、せっかくご配慮くださった殿下には申し訳ないですが、俺は躊躇しませんよ。誰の首を落とそうとも、あなたの身の安全が最優先です」
「ははっ、貴様を一瞬でも見直した私が愚かだったな」
「王家の婚約者が、近衛隊の首を根こそぎ落としたというのも、悪しき前例になってしまうでしょう?」
「前例の問題ではないわ大馬鹿者が」
「さっきからごちゃごちゃと殿下の兄君がうるさいですが、俺は殿下のお言葉に従います。ですが、俺の意見としては、俺に近衛隊などつけないのが最善だと思いますよ」
陛下の額に青筋が浮かんだところで、殿下はたしなめるようにいった。
「バーナード、わたしは陛下のお言葉に従いますよ」
「殿下がそうおっしゃるのでしたら、そのように」
そうして、その場の全員から指示を仰ぐように見つめられた陛下は、深いため息をついてから「悪しき前例とならないよう、手順を検討しよう」といって、一時保留としたのだった。
※
その後、陛下の補佐官たちにより、王家の婚約者に近衛隊をつけないという、今回の件が、いかに例外的措置であるかを、懇切丁寧に、丹念に記入された公文書が作られ、この件は終了となった。
しかし、あの狂犬隊長に近衛隊をつけようという動きがあるという噂は、瞬く間に広まってしまい、俺は、総隊にいる友人知人たちから、怯え切った顔で取り囲まれて、質問攻めにされる羽目になった。
皆、うちの隊長が怖いからって、俺を問い合わせ窓口代わりにするのはやめてほしい。
だいたい、隊長は確かに恐ろしいが、アメリア殿下に対して危害を加えるような真似をしなければ、剣を抜くことはない人だ。普通に話をする分には、そこまで心配しなくても大丈夫なのだ。隊長は、隊長本人への侮蔑や暴言には反応しない。隊長自身への言葉であれば、何をいわれようと、眉一つ動かさない。たぶん本気でどうでもいいのだろう。
ただし、その場にアメリア殿下がいる場合は、殿下が腹を立てるし、殿下が動くことがあれば、必然的に隊長も動くので、そのときは死を覚悟しておいてほしい。
※
そんな狂犬隊長であるが、本日は休みだ。
正確にいうと、近衛隊としては非番で、殿下の婚約者として、来週のお披露目パーティーの準備やリハーサル等に駆り出されている。
隊長は、今まで、夜会などで、護衛騎士として殿下の後ろに控えることは数多くあったが、婚約者として、殿下の隣に立つことは今回が初めてだ。王家には、定められた手順やしきたりも多い。陛下からは「アメリアに恥をかかせるような真似は許さんぞ!」と厳命されていることもあって、式典の担当者たちは、怯えながらも、必死で隊長を指導しているらしい。
もっとも、隊長は、呑み込みが早い上に、身体能力が異常だ。俺はさほど心配していなかった。アメリア殿下もそうだろう。殿下はただ、リハーサルなどで、隊長と一緒に過ごせることが嬉しいという顔をしていた。
一部の口さがない連中は、殿下と隊長の婚約について「陛下は、あの狂犬の強さを惜しんで、妹君を生贄に差し出したに違いない」などと囁き合っているらしい。
だが、俺としては、殿下のあの、隊長へ向ける、輝くような眼差しを見てみろといいたい。
隊長のあの、殿下を見つめる、深く重い眼差しも見てみろといいたい。
二人の間に、婚約前とはちがう、蜂蜜よりも甘ったるい空気があることに、連中は気づかないのだろうか。
俺は、正直にいうと、この世であの二人の婚約に文句をいってもいいのは、俺だけではないか? と思っている。
だって、俺は、あの流血夜会事件の後から、およそ二年間、もしや俺が殿下の夫になるしかないのか、いやしかし殿下と隊長のお気持ちはどうなんだと、胃が痛くなるほどに悩んできたのだ。
─── 相思相愛なら、もっと早くそういってくれよ!!! さっさとくっついてくれ!!!
と、俺が叫びたくなったところで、咎められる人間はいないはずだ。
俺も成人している男であるから、叫ばないで我慢したけども。陛下としては、隊長を殿下の夫にするのは、ぎりぎりまで避けたい事態だったのだろうとも、察せられるけれど。
俺は、そこまで思い返してから、はあとため息をつくと、再び書類を手に取った。
今日中には終わらせてしまいたいと、数字に集中しようとした、そのときだ。
隊室のドアが勢いよく開いて、男が飛び込んできた。
「チェスター、助けてくれ」
そう、珍しく動揺した顔でいったのは、礼装姿の狂犬隊長だった。