20.王妹殿下は狂犬騎士といちゃいちゃしたい
わたしとバーナードの婚約は、御前会議において、お兄様の口から明かされ、その後、国内外へと通達された。
お披露目パーティーはまだ先だけど、わたしたちは、公式に婚約者になったのだ。
わたしの補佐官たちや、付き合いの長い重臣たちは、御前会議の後から、早々に、祝いの言葉を伝えにきてくれた。その大半が、祝辞というより、弔辞を述べているような表情だったのが、気になるところではあるけれど。
わたしは、何度も、『わたしがバーナードを口説き落としたのだ』ということを、アピールしたのだけど、みな、信じるどころか、お悔やみを申し上げるような顔をするばかりだった。中には、どんな酷い夫とも縁が切れると評判の修道院を教えてくれる人もいた。わたしは憤慨した。まだ結婚もできていない内から、あんまりだ。離婚なんてしません。
とはいえ、わたしたちの婚約を、心から祝ってくれる人たちもいた。
そのほとんどが女性官吏や、後宮勤めの侍女たちだった。
一部には、適齢期の娘や姉妹を持つ男性官吏もいた。
彼女たち、あるいは彼らの熱気はすごく、わたしを拝まんばかりの勢いで「ご婚約おめでとうございます!! 素晴らしいことですわ!! どうかいつまでも、いつまでも、末永く、お幸せになってください!!!」と叫んでくる侍女もいた。
さすがに、先輩格の侍女に叱られていたけれど、確か彼女は、伯爵家の末娘だったと思い出して、わたしはしみじみとチェスターを見つめた。
わたしとチェスターが婚約しているも同然である、という噂は、わたしが思っていた以上に、広く、深く、浸透していたらしい。
チェスターに想いを寄せる女性陣からの、わたしとバーナードの婚約への支持は凄まじかった。
わたしは、内心では、王妹の婚約者が平民出身であることを非難してくる者たちも多いだろうと、身構えていたのだけれど、名家の奥様方からは「もし、お相手の出自をとやかくいうような愚か者がいたら、教えてくださいませ。いつでもお力になりますわ」と囁かれる始末だった。
ちなみに全員、年頃のご令嬢がいる奥様方だった。
わたしが、ホッとしたような、気が抜けたような胸の内を、ぽつりとお兄様に零したら、お兄様は遠い眼をして「あの男には、出自以外の問題が多すぎるからな。今さら誰も、出自など気にしていられんだろう……」と呟いていた。
まあ、問題視されなかったのはいいことだ。
わたしが苦慮したのは、むしろ、チェスターとの縁結びを、わたしに頼んでくる人々への対応だった。
「娘との顔合わせだけでもお願いできませんか」「いいえせめて話だけでも振って頂けたら!」と、わたしに頼み込む人々の多さといったら、列をなしそうなほどだった。
どうも、チェスターは、わたしの婚約発表後も、持ち込まれる縁談をすべて断っているらしく、ついにはルーゼン公爵その人が、わたしを訪ねてきて、息子への説得に力添えして頂けないかといい出すほどだった。
「殿下からのお言葉とあれば、愚息も考えを改めるでしょう」
それは職権濫用である。
わたしはやんわりとお断りしたし、バーナードは呆れ顔をしていたが、後日その話を知った、当のチェスターは、珍しく本気で怒っていた。
わたしは気にしなくていいといったけれど、彼は、静かに激怒して、実家へ乗り込んでいった。その後については、詳しくは知らない。チェスターは話したがらなかったので、わたしも深くは聞かなかった。
ただ、その後、わたしに仲介を依頼してくる人々は、格段に減った。
※
そして、婚約発表からおよそ三週間が経った。
わたしとバーナードの距離も、大いに縮まって ─── ……いなかった。
正式な婚約者になって、三週間も経つというのに、ちっとも進展がない。何なら退化しているような気さえする。わたしは頭を抱えたくなったけれど、主な原因は自分でもわかっていた。
単純に、忙しかったのだ。
もともと詰まり気味なスケジュールに、婚約関係の諸々が加わり、さらにはイレギュラーなトラブルも勃発した。
まあ、王補佐の仕事というのは、イレギュラーに対応することが本業のようなものではあるけれど、こういうときに限って、重要な報告が上がってきていなかったことが発覚したり、元から仲の悪かった部署同士が決定的に対立したりするものだから、わたしは人間関係の火事をボヤで済ませるために、せっせと消火活動にあたっていた。途中からはほとんど、消火専門の衛兵になったような心境だった。
忙しかったのだから仕方ない。
頭ではそう考えるものの、心の中には小さな不満がくすぶっていた。
─── だって、職場恋愛というのは、忙しさの合間を縫って発展するものではないの……!?
わたしが耳にしたことがある職場恋愛というのは、わたし付きの補佐官たちによる「あいつらこの忙しいのにいちゃつきやがって」「口より手を動かせ」「おい絡めるために動かすんじゃないペンを握れ」「あらゆる恋愛脳滅ぶべし」「働かない脳内花畑どもが憎い」という呪詛がほとんどだった。
だから、職場が同じ相手との恋愛というのは、そういうものなのか……と、なんとなく思っていたのだ。
もちろん、わたしは王妹としての立場があるのだから、公私の区別はつけるべきだ。
わかっていたけれど、そうはいっても、人目を忍んで関係が進む……という出来事も、当然この身に訪れるのだろうと思っていた。
その瞬間をわくわくどきどきしながら待っていた。
「あっ、駄目よ、バーナード。こんなところで……」なんて言ってしまったりするのかしら……!? と考えては一人でじたばたしたりしていた。
それはもう、わたしの予想においては、たいへんにいちゃいちゃすることになっていたのだ。
─── しかし、現実はどうだ。
あれから三週間、わたしはバーナードと、主に業務上の会話しかしていない。
「あっ、駄目よ」どころか、身体的接触がゼロだ。皆に見えないところで、そっと手を繋ぐ……ということさえ一切ない。まずもって、バーナードが、不用意にわたしに近づいてくれない。常に護衛として適切な距離を保たれてしまっている。
おかしい。人目を忍んでいちゃいちゃする展開は、どこへ消えてしまったのだろう。
もちろん、わたしだって、わかってはいる。
わたしには、王宮内であっても、少なくとも二人は護衛の騎士がついている。これが王宮から一歩でも外へ出るなら、五人は護衛につくし、王都から出るなら、一部隊はつく。人目を忍ぶということが、ほぼ不可能だ。お忍びで散策へ出かけるときだって、必ず護衛はついている。護衛の騎士にも、お忍び用の服装をしてもらっているだけだ。
王宮内の移動ですら、二人は近衛騎士がついているのだから、バーナードと二人きりになることなんて不可能……、……いえ、わたしが頼んだら、バーナードは可能にしてくれると思うけれど、その場合、部下の意識を失わせて縛り上げて倉庫へ放り込むくらいのことはする人なので、わたしもうかつには頼めない。
やむを得ない状況ならともかく、いちゃいちゃしたいという理由で、近衛騎士を可哀想な目にあわせるわけにはいかない。
だけど、わたしは、バーナードと、いちゃいちゃしたかった。
その願望のあまり、突然のアクシデントが起こって、うっかりバーナードと二人きりで書庫に閉じ込められたりしないかしら……と夢想することもあったけれど、わたしの近衛隊はみな有能なので、そんなハプニングは起こらなかった。残念である。
まあ、書庫に閉じ込められたくらいでは、バーナードが扉を蹴破って、あっさり事態を解決してくれる気はする。かつては、投獄されても一人で脱獄して、わたしを助けに来てくれた人だ。並大抵のことではバーナードを閉じ込められない。
わたしは途中から、どうやったらバーナードでも脱出できない状況に陥って、二人きりで閉じ込められるかということについて、しきりに頭を悩ませたけれど、たとえ雪山で遭難したとしても、バーナードならわたしを背負って下山してくれるだろうという結論が出たところで、虚しくなって考えるのをやめた。
だいたい、閉じ込められなくたっていいのだ。そこは大事じゃない。いちゃいちゃできることが大切だ。
そして、婚約発表からおよそ一ヶ月が経過したある日、わたしはついに、しびれを切らして、一計を案じた。
そう、待っていても情勢が動かないのであれば、自ら攻勢に打って出るべし ─── と、昔読んだ兵法書にも書いてあったのだ。