19.きょうだい
晴れ渡った秋空が、窓の外に広がっている。
わたしは、バーナードとともに、お兄様の執務室を訪れた。
お兄様には、報告したいことがあるから、時間を取ってほしいということを、補佐官を通して、事前に伝えていた。その報告の内容までは、明らかにしていなかったけれど、お兄様は察していたのだろう。
通された執務室には、お兄様以外の人影はなかった。そしてお兄様の腰には、輝くような白銀の鞘に包まれた、王家の剣が下がっていた。名剣と名高い一振りだけど、わたしはお兄様が、式典以外であの剣を下げている姿を見たことがない。今回が初めてだ。
それに、そもそも、
「どうして執務室で帯刀してらっしゃるんですか、お兄様。必要ありませんのに」
「必要になると思ったからだ、愛しい妹よ」
お兄様が真顔で答えた。
どういう事態を想定しているのか教えてほしい。いえ、やっぱり聞きたくないわ。
わたしは白銀の剣を見なかったことにして、いつも通りに斜め後ろに控えているバーナードを振り返り、隣に並んでくれるように、眼で促した。
彼は少し照れたように微笑んだけど、まんざらでもないといった様子で、わたしの隣に立ってくれる。
お兄様のこめかみに青筋が浮かんだ。
わたしはそれも、全力で見なかったことにして、お兄様に告げた。
「お兄様。先日のお話ですが、バーナードも了承してくれました。 ─── わたし、バーナードと結婚しますね」
口にすると、じいんと胸の内に喜びが広がった。バーナードと結婚する。素晴らしい響きだ。
わたしは、喜びをかみしめながら、お兄様からの祝いの言葉を待った。
しかし、お兄様は、苦悶の表情を浮かべていた。
さながら、この世の災いすべてが、この地に降り注いできたかのようだった。世界の終わりを前にして、絶望に打ちひしがれる青年のようだった。いっておくけれど、もちろんそんな状況ではない。これは、晴れがましい、妹の祝い事だろう。お兄様には、大いに祝って頂きたい。
わたしが少しばかり憤慨していると、お兄様は、苦悩の表情のままいった。
「アメリア……、可愛い妹よ。結婚へのはなむけとして、一ついっておくことがある」
「はい、お兄様」
わたしは期待を込めてお兄様を見つめた。
お兄様は、両手でわたしの肩を掴むと、わたしをまっすぐに見つめていった。
「離婚したくなったらいいなさい。兄はいつでもお前の味方だ」
わたしは憮然とした。
「それのどこがはなむけなんですの、お兄様」
「お前がこの狂戦士と結婚するにあたって、一番に覚えておくべきことだろう。北と西に対しては、お前が結婚したという事実だけあればいい。結婚後にお前が何を選択しようと自由だ。まあ、さすがに挙式翌日の離婚は、偽装結婚ではないかという言いがかりをつけられかねないが、なに、せいぜい三ヶ月も結婚しておけば、別れても問題はないだろう」
お兄様がしたり顔でいっている。
わたしはお兄様の両手を、肩から降ろして、じっと見つめた。
お兄様が、少し怯んだ顔をした。
わたしは、そこに畳みかけるように、きっぱりといった。
「お兄様。わたしはバーナードと、生涯を共にすると決めたのです」
「なぜ決めてしまったのだ……」
「それは、だって……、バーナードを、愛していますから」
わたしが照れながらもいうと、お兄様だけでなく、隣のバーナードまで呻いた。
うめき声の二重奏だ。お祝いの日に聞きたいメロディとはいいがたい。
わたしは、恨みがましい眼でバーナードを見上げた。
すると、彼は、片手で口を抑えて、頬を朱色に染めていた。焦げ茶色の瞳は、困ったようにわたしを見つめている。途端にわたしは、すべてを許す気持ちになった。
─── バーナードが実は照れ屋である、ということを、わたしは、彼と心を交わして初めて知った。
長い付き合いだというのに、今まで知ることがなかったのだ。
もしかしたら、わたしが知らなかっただけで、近衛隊の皆は知っていたのかもしれない。
もっとも、そう羨ましい気持ちになって、チェスターにこっそりと「バーナードが照れ屋だと知っていましたか?」と尋ねたら、チェスターは、まるで不可解な単語でも耳にしたかのように首を傾げたのだけれど。
そのうえ「殿下、それは何かの誤解ではないでしょうか。誰かとお間違えではありませんか? 隊長には、そのような感情は備わっていないと思います」と、すがすがしい笑顔で言い切られてしまったのだけど。
でも、わたしは知っている。バーナードは、意外と照れ屋だ。
そして、照れている彼は、とても可愛い。
わたしがにこにこしながらバーナードを見つめていると、お兄様が呻きながらいった。
「お前がそこまでいうのならば……。ぐっ……、やむを得ん……、騎士バーナードよ……」
お兄様の呼びかけに、バーナードも、すっと表情を改める。
わたしはハッとした。これはまさしく、世にいう『娘をよろしく頼む』という場面ではないだろうか。わたしの場合は妹だけど、お兄様はわたしの保護者も同然だ。
わたしの胸は期待に高鳴った。わたしの結婚において、そういった普通のやり取りが見られるなんて、夢にも思わなかった。普通で、多分ありふれていて、だけどとっても素晴らしい瞬間だ。わたしはワクワクとお兄様の言葉を待った。
お兄様は、バーナードに対して、親の仇を前にしたかのような形相だったけれど、喉の奥から振り絞るようにしていった。
「私の最愛の妹だ。どうか、妹を、よろしく……、よろしく、たの……、くっ、たの………、た……の………」
「頼む、頼むと仰りたいのですよね、お兄様!?」
「 ─── いいやッ、頼まん!!!」
バーナードが「なんでだよ」とさすがに呟いた。
わたしは思わず額を手で押さえた。
お兄様は、完全に開き直った顔をしていった。
「どう考えても、アメリアにとって、貴様より私のほうが頼りになる! 貴様など、アメリアの足を引っ張ってばかりではないか、この狂戦士が。貴様に頼むことなど何一つとしてないわ。アメリアよ、いつでもこの兄を頼っていいのだぞ。夫など離縁してしまえば赤の他人だが、兄は永遠に兄なのだからな」
バーナードが、鼻で笑って言い返した。
「さすが、殿下に厄介事を押し付けるしか能のない方は、いうことがちがいますね。殿下の兄君が、頼りになる? ははっ、面の皮の厚さだけはご立派なものだ。殿下が今までどれほど危険な目に遭われてきたか、そして兄君がいかに殿下を手駒として使ってきたか、ここで思い出させて差し上げるべきですかね?」
お兄様が、額に青筋を浮かべながら、腰の剣に手をかけた。
「我ながら、己の先見の明を褒めたいものだな。やはり、剣が必要になったと」
バーナードが、嘲笑いながらいった。
「図星を指されたからといって、暴力に訴えるのはやめて頂きたいですね。短気な方だ」
お兄様の額の血管が、今にもぶちっと切れそうなほど、くっきりと浮かび上がった。
「夜会で首を刎ねた愚か者にいわれたくないわ! 貴様のその所業のせいで、アメリアは縁談が来なくなってしまったのだぞ! これほど聡明で美しい妹だというのに! 貴様こそ、今までどれほどアメリアの足を引っ張ってきたか、胸に手を当てて思い出してみろ!」
バーナードが、不機嫌そのものの顔で、低く唸るようにいった。
「何でもいいから、いい加減、剣から手を放していただけませんかね。兄君が剣を振るったところで、何の役にも立ちませんし、それに、いいか ─── 、殿下の傍で、剣に手をかけるんじゃない。俺は反射的にお前の首を落としそうになるのを、必死に我慢してやってるんだ」
わたしは、ため息をついて、軽く手を叩いた。
「お兄様も、バーナードも、そのくらいにしてください。……仲良くとまではいいませんけれど、お互いに、挑発的な物言いはやめてくださいな」
なんといっても、と、わたしは唇を緩ませて続けた。
「わたしたちが結婚したら、お兄様とバーナードは、義兄弟になるのですからね」
二人そろって、ものすごく嫌そうな顔をした。
「お兄様にとって、バーナードは義弟になりますし」
「私のきょうだいはお前だけだぞ、アメリア」
「バーナードにとっては、義兄上になるのですから」
「俺にそんな存在はいません、殿下」
この二人は意外と息が合うんじゃないかしら、と、わたしは以前から思っているのだけど、バーナードとお兄様は、いつまでも、睨み合っていた。