14.ある少年の話(前)
胸の奥が、からからと鳴る。
冷たい風が通り抜けては、からからと。
俺は、物心ついた頃から、ずっとその音を聞いていた。
親の顔は知らない。気づいたときには、ゴミ溜めのような場所で、剣を振るっていた。
俺に殺せない人間はいなかった。俺を傷つけられる人間もいなかった。敵が一人だろうと、徒党を組んでいようと、俺には同じことだった。何人いようと、何十人いようと、俺にとって変わりはなかった。
しかし、面倒なこともあった。
俺を恐れる連中はいい。俺を化け物と呼んで、逃げまどう奴らはいい。
不快なのは、俺を欲しがって、手を伸ばしてくる屑どもだった。
お前の剣は素晴らしい。俺の部下になれ、褒美は望むままに与えてやる。俺のものになって、俺たちに逆らう者どもすべてを殺しつくすのだ。 ─── そう、俺の寝床まで押しかけてくる馬鹿もいた。
信じられねえ。あんなわずかな時間で、全員殺したのか。すげえよ。あんたの部下にしてくれ。あんたの腕に惚れたんだ、あんたに一生ついていく。 ─── そう、こびへつらうゴロツキもいた。
すごいよあんた、あっという間にみんな殺しちまった。あんた強いんだね。ねえ、あんたに惚れちまったみたい。あんたの最初の女になってあげるよ。 ─── そう、のしかかってくる女もいた。
最初の頃は、片っ端から首を飛ばしていたが、そのたびに、俺はため息をついた。
せっかく確保した寝床が汚れたからだ。血も死体も何も感じないが、臭いベッドで寝る趣味はない。
あちこちを転々としながら、そのうち、俺は、多少の妥協はしようと考えた。
俺の寝床へ入ってこなければ、押しかけてくる連中は、全員無視する。
俺の邪魔をしない限りは、殺さないでやる。そういえば、誰もが引きつった顔で頷いた。
しかし、これもあまり上手い作戦ではなかった。俺はすぐに後悔した。
勝手に俺を頭目と呼ぶようになった屑どもが、どんどん数を増やしていって、俺が放置している間に、一大勢力のようになっていたからだ。敵対組織だと自称する屑どもに、抗争を仕掛けられて、俺はうんざりしながら、全員の首を飛ばした。
その後は、とにかく、一ヶ所に長く留まらないと決めた。
胸の奥が、からからと鳴る。
冷たい風が通り抜けては、からからと。
俺は、俺を欲しがる誰もかれもが、気持ちが悪かった。
死体に這う蛆虫を眺めても、何も感じない俺だが、どうにもあの連中の、下心がむき出しの眼は、気持ち悪くてたまらなかった。
俺を利用したいと、素直にいうなら、まだマシだ。
俺を欲しがる連中は皆、俺を褒め称えた。素晴らしいと。神に与えられた力だと。その強さがあれば何でも叶うと。そう誉め言葉ばかりを口々に吐き出しながら、恐怖と欲望の入り混じった眼で、俺を見るのだ。
『欲しい』
『その力が欲しい』
『こいつがいれば、誰だって殺せる、怖いものなしだ』
『このガキが欲しい、このガキの力が欲しい』
『こいつを自分のものにできたら、力が手に入る。一国を獲れるほどの力が!』
『こいつの力があれば、敵はいない。逆らう奴らは、皆殺しだ! こいつが欲しい!』
─── のちに、殿下の騎士となった後で、『人の皮を被った呪いの魔剣』と呼ばれたときには、俺は、うまいことをいうと、思わず噴き出したものだ。
確かに俺は、呪いの魔剣みたいなものだった。誰もかれもが、俺の力を欲して、俺の所有者になりたがる。だが、あいにく俺は、『間違えて人間に生まれた男』でもあったので、俺を所有物扱いする連中が、どいつもこいつも気持ち悪くてならなかった。
※
そのとき、俺が、その塔の見張りの兵士になったのは、単に、寝床を確保するためだった。
野宿でもよかったが、兵士を募集していると聞いたので、せっかくならベッドで寝るかと思ったのだ。
身元や、剣の腕を確かめられるかと思ったが、何も聞かれずに採用となった。
あとから考えると、あれは、死なせてもいい兵士を集めていたのだろう。
そのときの俺は、政治にも貴族にも何の興味もなかったので、兵士用に誂えられた簡易ベッドに、喜んだだけだった。
この塔に、高貴な方がいらっしゃる。和平のための話し合いをするのだ。そのための見張りの兵士だ。
そう聞かされていたが、実際に、その高貴な方とやらが到着すると、それまで潜んでいた敵が、一斉に姿を現して進軍してきた。
「反乱軍だ!」という悲鳴がどこかで上がる。
「罠だったんだ……!」と、俺の隣にいた奴が叫んだ。
へえ、と思った。
面倒だな、とも思った。
しかし、反乱軍とやらは、どう見ても、こちらを皆殺しにするつもりで来ている。
仕方ないので、俺は剣を抜いた。
─── 後から聞いた話によると、反乱軍にはおよそ三千の兵がいたらしい。もっとも、途中からは、悲鳴を上げて逃げていく兵も多かった。それに、俺のほかにも反乱軍と戦っている連中はいたので、俺が片付けたのは、おそらく二千程度だっただろう。
見渡す限りを平らにして、俺はあくびをかみ殺した。
反乱軍とやらは、もう誰も立ってはいない。誰も息をしていない。
俺は全身が返り血で汚れていて、べたべたするのが気持ち悪かった。水浴びがしたいと思ったところで、背後で、剣を抜く音がした。
振り向けば、一人の男が、震えながら、俺に剣先を向けていた。
俺のような雑兵とも、反乱軍ともちがう格好をしていたから、高貴な方とやらのお供の連中だろう。
俺は、一応とはいえ、こいつらを守ってやったことになるのに、礼の一つもいえないもんかねと思いながら、ふわとあくびをした。
……まあ、無理か。こいつらにとっちゃ、俺は怪物だ。
頭の片隅でそう考えて、それもどうでもいいと思った。こいつを殺せば終わりだ。あとは水浴びできる場所を探そう。
胸の奥が、からからと鳴る。
冷たい風が通り抜けては、からからと。
俺が、男を殺しに行こうとしたときだ。
塔の中から、誰かが飛び出してきた。
まだガキの女だった。高そうな服を着ていた。
俺に剣を向けている男は、そいつに向かって逃げろと叫んだ。それで俺は、この女が、例の高貴な方とやらかと納得した。
ガキの女を追うように、年かさの女も現れた。ガキの女を連れて逃げようとしているようだった。それは、この場においては、唯一真っ当な判断ってやつだったろう。俺には、逃げる奴を追いかけてまで剣を振るう趣味はない。そんな面倒な真似はしない。
だが、ガキの女は、年かさの女に短剣を押し付けると、こちらを振り向いた。
そして、そのまま歩き出した。
俺は、少しばかり面食らった。
この惨状でも、逃げ出さずに、俺のほうへやってくるということは、このガキの女も、俺が欲しいといい出すのだろう。だが、それにしたって、自分から武器を手放すとは、何を考えているんだか。
俺は、俺の前で、武器を手放せる人間を知らなかった。
普通の人間にとって、俺に近づくだとか、俺と向き合うだとかが、相当に恐ろしいことだというのは知っている。
俺を雇いたいといってくる連中も、武装した上で、配下を引きつれてくるのが、いつものことだった。まあ、その武装も、配下という名前の肉の壁も、俺にとっては何の意味もなかったが。
しかし、ガキの女は、死体の間を、よろよろと、震える足取りでやってきた。
隠し持った武器でもあるのか? と思って、じっと眺めたが、どう見ても、武器を潜ませるどころか、剣を握ったこともなさそうな、ひょろりとしたガキだった。
髪は長く、高そうな服を着ていた。貴族のガキだろうとはわかった。それだけだった。
ガキの女は、やがて、俺の正面に立った。
いつでも殺せる距離だった。
ガキの女は、青ざめた顔をしていた。唇まで血の気が引いていた。この唇が、俺が欲しいという言葉を吐いたら、それがこいつの最期だと思った。
ガキの女は、震える息で、声を吐き出した。