13.王妹の告白
彼を、邪魔だと? ずっと傍にいてほしかった人に、そういえと?
どうして、そんな残酷なことを望むのだろうと思った。
そうして、本当に残酷なのはわたしのほうだと思い直した。
わたしはせめて、彼の望みを叶えるべきだ。そのくらいしか、できないのだから。
だけど、声が出ない。息が上手くできない。唇が震えた。いえ。いってしまえ。そう思うのに、動かない。
ただ、馬鹿みたいに瞬いていると、バーナードは、少し怯んだ顔をした。
「……そんな顔をしたって、無駄ですよ。俺はもう、あなたの騎士じゃなくなるんですから」
わたしは今、どんな顔をしているのだろう。
憐れみを誘うような顔だろうか。
行かないでほしいと縋るような顔だろうか。
弱々しく、情けない顔をして、彼を見ているのだろうか。
「隊長、もういいでしょう……!」
扉の前のチェスターが、たまりかねたように動く。
わたしは片手を上げた。チェスターを制して、そして、深く息を吐き出した。
震える息で、それでも必死にバーナードを見つめていった。いおうとした。
「わたしは、あなたが……」
そのとき、バーナードが、諦めたような、哀しい顔をした。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。心の中もぐちゃぐちゃだった。
だけど、彼のその寂しげな瞳を見たとき、かちりと、何かが回る音がした。
─── わたしができることは、これしかない?
ちがう。もう一つある。たとえこれが、わたしたちの思い出まで汚す行為だとしても、それでも。
今、ここで、この人に、こんな悲しそうな顔をさせているよりは、ずっといい。
「本心をいいます、バーナード」
一度、強く目をつむると、その拍子に、目尻からボロボロと水滴が零れた。
瞼を上げると、ひどくうろたえた様子のバーナードが眼に映ったけれど、わたしは構わなかった。
身体の震えが、いつの間にか収まっている。
「あなたのいう通り、最初から、本心を伝えるべきでした」
「 ─── いいです、殿下。もういいです。俺が悪かった。俺だって本気で、あなたが本心から、俺を捨てたがっていると思ったわけじゃない。事情があるのはわかってるんだ。ただ、そうでも思わないと、諦めがつかなかったから、あんたのせいにした。悪かった、姫様。泣かないでくれ。俺が悪かったよ」
「バーナード、聞いてください」
ふーっと深く息を吐き出して、わたしはいった。
「わたしはあなたが好きなのです。ずっとずっと好きなのです」
一生いうことはないと思っていたのに、口にすると、滑らかに言葉が出た。
「念のために付け加えますが、ここでいう好きは、護衛騎士へ向ける親愛ではなく、恋愛の好きですよ。率直にいうと、あなたとベッドを共にしたいという意味の好きです。残念ながら、わたしはたわわではありませんが」
「 ─── ………………はっ?」
バーナードが、彼にしては非常に珍しく、間の抜けた声をあげた。
わたしは気にせず続けた。
「お兄様から、あなたとの結婚を命じられて、一度は、あなたを口説き落とすことを考えました。さまざまなアプローチを検討しました。ですが、あなたの結婚観を聞いたことで、あなたに無理やり迫ってはいけないと、考えを改めました」
「はっ……? はっ? ……待て、待ってくれ、姫様、じゃなかった、殿下。あなたが何の話をしてるのか、俺にはさっぱり」
「あなたが好きだという話をしています、バーナード」
バーナードが、まるで、敵からの渾身の一撃でも受けてしまったかのように、大きく呻いた。
もっとも、わたしは、実際に彼が一撃を受けたところなど見たことがないので、的確な比喩かどうかはわからない。
「先ほどもいったとおり、わたしがあなたに与えられる選択肢は、二つしかありません。そして、バーナード。あなたはここに残ると、わたしに結婚を迫られます。それは、あなたにとっては気分の悪いことでしょうし、わたしもあなたを不快にさせたくはありません。だって、好きな人には、できるものなら、好きでいてほしいですからね。たとえ、好きの意味がちがっていても」
バーナードが、いつになくうろたえた顔で、口を開いては閉じることを繰り返している。
わたしは、少しばかり愉快な気分になって、最後までいいきった。
「これがわたしの本心です、バーナード。さあ、わたしに力づくでモノにされたくなかったら、大人しく出て行くのです!」
わたしがビシッという。
バーナードは、愕然とした顔になって叫んだ。
「 ─── 力づくって、あんたのその細腕で、どうやって!? どうやって力づく!?」
「隊長! ツッコむところはそこじゃないでしょう! しっかり! 正気を保って!」
チェスターが声援を送っている。
わたしは、ふふんと、胸を張っていった。
「わたしは王妹ですよ。権力にものをいわせて、あなたに無理強いすることもできるのです」
「いや、だから、どうやって……!? どうやって無理強いを……!?」
「殿下、城中の兵士をかき集めても、隊長に無理強いというのは不可能かと……!」
案じるチェスターに、わたしは大らかに笑ってみせた。
「大丈夫ですよ。バーナードは、わたしの命令には従うでしょう」
「はあ……、そりゃ、従いますけど……」
「従った結果が、無理やりの結婚なんですか……?」
わたしは、大きく頷いた。
「そうです。バーナードは、今ここで立ち去らないと、わたしに、その、あの……、てっ、てごめにされて、既成事実を作られてしまうのですよ!」
「いや、だから、無理だって。やれるもんならやってみろよ、姫様。無理だけどな。……あー、いえ、無理だと思いますよ、殿下。絶対に無理です。あなたがその細腕で俺をどうこうしようなんて、天地がひっくり返っても不可能です」
「殿下、口にしづらいなら、無理をして『てごめ』とかいわなくていいんですよ……」
なんてことだろう、チェスターに慰められてしまった。
あと、バーナードは、わたしを侮っていると思う。わたしだって、彼に動かないように命じて、自分から頑張ってアレコレすることはできるのだ。たぶん、きっと、できると思う。経験はないけれど、そういう話を耳にしたことはあるから、わたしにだってできるはずだ。バーナードが、そのときになって後悔しても、もう遅いのだ。
わたしは、こほんと咳ばらいを一つして、仕切りなおすようにいった。
「話が少々それてしまいましたが……」
「だいたい、『てごめ』なんて言葉をどこで覚えてきたんですか、殿下。まさか、殿下に向かってそんなことをいった屑がいるんじゃないでしょうね?」
「隊長、いま追及するところはそこじゃないでしょう……!」
「話がそれてしまいましたが!」
「はい、殿下」
「はっ、申し訳ありません」
わたしは鷹揚に頷いて、それから、改めてバーナードを見つめた。
彼はもう、先ほどのような悲しい顔はしていなかった。困惑には満ちていたけれど。
わたしはそれが嬉しくて、自然と微笑んだ。
「バーナード、あなたをずっと見ていました。あなたはわたしの最高の騎士です。あなたのことを、誇りに思っています。できることなら、わたしも、あなたが誇れる主でいたかったけれど、でも、これでよかったのだと思います。初めから、偽りなく、本心を伝えるべきでした。だから……、どうか、もう、行ってください。退職後のことについては、できる限り、あなたの力になると約束します」
バーナードは、天を仰ぎ、うめき声を上げて、それから、わたしを見た。
「本気ですか、殿下? 本気で俺の心が欲しいと?」
「ええ、そういいました」
「一時的に預かるのではなく、俺の人生がほしいですか?」
失恋は決定しているのに、念押しするとは、バーナードも少しばかり手厳しい。
わたしが黙ってうなずくと、彼はいった。
「では、あの日の約束通りに ─── 、あなたに預けていた、俺の人生を返していただきます」
わたしは、精一杯の微笑みを浮かべて、その言葉を受け入れた。
バーナードが立ち上がる。
出て行くのだろうと、その背中を見送るつもりでいたのに、なぜか彼は、わたしのもとへ来た。
そして、わたしの足元に、片膝をついていった。
「俺は、俺の意志で、あなたに差し上げます。どうか、今度こそ受け取ってください、殿下。俺のすべては、あなたのものです、アメリア殿下」
眼を見開いたわたしに、バーナードは、悪戯っぽく笑っていった。
「本当は、もうずっと、俺はあなたのものでしたよ、姫様。 ─── 俺は、愛も恋もわからない男ですが、あの日からずっと、俺の世界の中心には、あなたがいるんです。あなただけがいて、俺に微笑んでくれている。この気持ちを、愛と呼んでもいいのなら……、ずっと、あなたを愛していました、殿下」
次回はバーナード視点の過去回想&二人の出会い編です。
あと、チェスターは王家に慰労金をもらってもいいと思います。