1.祝祭後のこぼれ話(完)
第二部本編後のこぼれ話です。番外編②よりは前の話です。
(問題発言前なので、バーナードのライアンへの殺意がまだ低い時期です)
窓の外には暗闇が広がる。辺り一帯から人の気配が消えうせたような夜更けに、俺は隊室で期限の迫ったいくつかの書類を相手にしていた。
室内に残っているのは、俺のほかにはチェスターとライアンだけだ。最近は残業になるとだいたいこの面子が揃う。俺は護衛任務以外の仕事を後回しにしているせいで、チェスターは俺がやらない分まで事務処理を担っているからだが、ライアンは単に仕事をサボっているからだ。毎回チェスターがキレるまで報告書を出さないとは、なかなかいい度胸をしている。
俺は苛立っている副隊長になけなしの気遣いを発揮して、ライアンの逆さ吊りを提案したが、人の良い男は眉間に深く皺を刻んだのちに無言で首を横に振った。
吊るしたところで報告書は仕上がらないと思ったのだろう。ライアンはきいきい喚いていた。
暖炉からはときおり薪の爆ぜる音が聞こえてくる。
俺はふと息を吐いて書類を置き、チェスターは軽く伸びをした。
ライアンはじっとしていることに飽きた子供のように、体重をかけて木製の椅子を背後へ傾けさせている。だらしなく爪先で木造りのゴミ箱を押し、あと少しで転がるだろうというギリギリまで傾きながらいった。
「これは俺の可愛い好奇心から聞くんスけど」
「黙れ。黙って手を動かせ。報告書を仕上げるまで一言も話すな」
凍てつく声で答えたチェスターに、ライアンが「わかってないっスねえ」と自分のほうが何もわかっていないだろう台詞を吐いた。
「労働には適度な休憩が大事なんスよ。長時間労働は非効率的だって、俺の親父もいってたっス!」
「真面目に働いて事業を成功させた父君と自分を同列に語っていいと思っているのか、お前は?」
「もちろんス。それで隊長、隊長って副隊長には嫉妬しないんですか?」
俺はまじまじとライアンを見た。
チェスターも呆気にとられた顔でライアンを見ていた。
ライアンは胸の前で腕組みをすると、勝手に納得顔をしていった。
「だって隊長、ギルベルトのことはボッコボコにしたじゃないっスか。アレを見て俺は、隊長にも嫉妬心があったんだと感動したんですよ。俺も隊長の気持ちはよくわかります。ああいう女の子たちにきゃあきゃあいわれてる男はそこにいるだけでムカつくのに、自分の彼女にちょっかい出してきたら最悪っスよね!」
俺は深く首を傾げた。嫉妬。
そういう感情だっただろうか、あれは。
「で、副隊長っスよ。ギルベルトにあれほどムカついていた隊長なら、当然副隊長にもイラっときません? 副隊長がいるせいで俺の魅力が女の子たちに十分に伝わらないんだって思いません? そろそろ仲間割れを起こして、俺の味方に付いたりしませんか、隊長!?」
チェスターが薄笑いを浮かべた。
これは逆さ吊りの未来が決定したというより、ライアンにある日突然辞令が降りて、地図に名前も載っていない寒村への異動が決まる類の顔だ。
俺はライアンの未来はどうでもよかったが、いわれた内容にはいま一つピンと来なかったので、首を傾げたまま尋ねた。
「この男の首を飛ばそう、という気持ちは嫉妬か?」
「それは殺意っスね!」
「じゃあ『殿下のお許しがいただけたら即座に喜んで首を飛ばすリスト』に名前を載せる行為が嫉妬か?」
「それも殺意っスね! てか何なんスかそのリスト!? 殺害予告は犯罪っスよ!?」
「殺意順リストだ。俺の首を飛ばしたい気持ちが強い順に名前が載っている。ああ、俺の脳内にしかないから安心しろ。証拠を残すような下手な真似はしない」
「不安しかないんスけど!? そのイカれたネーミングを堂々と口にしないでほしいんですけど!?」
「お前の名前も載っている」
ライアンが椅子ごと床に転がり落ちた。
椅子を傾けすぎて、バランスを崩したのだろう。したたかに顔面を打ったらしく、顔を抑えて魚のように跳ねている。
憐れみの眼で眺めていたが、なかなか起き上がらないので、俺はしかたなく立ち上がった。ライアンの元へ歩いていき、手を差し伸べてやる。
「ほら、掴まれ。大丈夫か?」
「いやあああああ近寄らないでええええ俺は可愛い部下っスよおおおおおおおおおおっ」
虫のように床を這って猛スピードでライアンが逃げていく。
そのまま並んでいる机を回り込むと、チェスターの後ろに隠れた。眉間の皺を深めたチェスターの椅子の足をがたがたゆすってライアンが叫ぶ。
「副隊長っ! 何とかいってやってください、あの狂犬隊長にっ!」
「俺はまずお前にいいたいことが山ほどあるんだが」
「そんなモン後回しでいいでしょ!? 俺みたいに顔よし頭よしな有能可愛い部下が殺害予告を受けたことのほうが重大事件でしょうが! だいたい隊長、言ってることとやってることが一致してなくて怖いんスよ! 殺害予告した口で平然と親切ぶるのなんなんスか!? 人間の振りが不慣れな怪物の仕草っスか!?」
ぎゃあぎゃあと喚きたてる声のうるささに、俺はうんざりしていった。
「俺が嫉妬しているかどうかを聞きたいんだろう? 殺意順リストにチェスターの名前は載っていない。ギルベルトも今はない。お前は今も載っている。解決したな?」
よし、という気分で俺は自分の席へ戻る。
しかしライアンはチェスターの影から顔だけ出して、なおも騒いだ。
「嫉妬と殺意は全然別物ですし、そもそもなんで俺が入ってるんスか! ギルベルトの一件ではめちゃくちゃ大活躍したこの俺が!」
「御前試合で賭け事をやろうとしたな」
ライアンが顔までチェスターの影に隠れた。
俺はペン先をぶらぶらと弄ぶように持ちながらいった。
「本当はお前はその首を落とすか、除隊の意味でクビになるはずだったんだ。だが、殿下が惜しまれてな。お前の社交力と人脈が役に立つ場面もあるからと。それで仕方なくお前を隊に残したが、俺の殺意順リストにも名前が残っている」
簡単な話だ。筋も通っている。
ライアンも納得しただろうと思ったが、猛烈な勢いでチェスターの椅子が揺さぶられた。
「やめろ、椅子が壊れる」
「俺と椅子のどっちが大事なんスか副隊長っ!」
「椅子に決まっている。お前は自業自得だろうが」
「賭け事なんてちょっとしたお遊びだし過ちは誰にでもあるんスよ!」
「だから俺の椅子を揺さぶるな。椅子の足にしがみつくな。殺意順リストに名前が載ったとしても、殿下が許可されない限りは隊長は剣を抜かない。安心できたな?」
「できるわけないでしょ不安ありまくりでしょ!? 副隊長まで常識を捨ててどーすんスか! しっかりしてほしい!」
チェスターは、なおも椅子を揺さぶるライアンを引き剥がすべく、片手でぐいぐいとその顔面を押した。ライアンは木の枝にしがみつく猿のように離れない。チェスターはため息をつくと、猿の存在を視界から消そうとするかのようにこちらを見ていった。
「ですが、隊長。ライアンの台詞じゃありませんが、殺意と嫉妬は別物ですからね。首を落とすリストに載っているか否かで判断するのはいかがなものかと」
「そうか?」
「そーっスよ! 嫉妬というのはもっと愛に満ちた感情なんです。たとえば医務室のティアラちゃんが貧乏子爵家の冴えない次男と結婚すると聞いたときに、どうして俺じゃないんだ、俺のほうが君を幸せにできるのに……! と俺の胸の内に沸き起こったこの感情こそ嫉妬っス」
「なるほど、身に覚えがないな」
「好きな子が冴えない男に笑いかけるのを見てイライラしちゃうこの胸のざわめきが嫉妬っス!」
「それも覚えがない」
「ええー、見栄を張るにもほどがあるでしょ。殿下がギルベルトに笑いかけるのを見てムカついたことが絶対あるはずっス!」
「ない」
殿下がギルベルトに微笑みかけるときは、あの方は常に『王妹殿下』だった。
王家の一員、王の右腕、この国を背負い民を導く者。そういう存在として立っていた。
ああいう場面で殿下が誰に笑いかけようとも、俺が苛立ちなど覚えるはずがない。
いや、まあ、相手が殿下を侮辱した場合と、殿下がろくに休みも取らずに仕事をしている場合は別だが。それ以外では俺は護衛に徹しているし、殿下の安全以外に意識を向けることもない。
しかし、簡潔に否定したにも関わらず、ライアンは疑わしいといわんばかりの眼を向けてきて、いっそ呆れたような口調でいった。
「さすがに無理がありません? ギルベルトをあれだけボコボコにしておいて、そんな嘘が通用すると思ってるんスか?」
俺は顔をしかめた。
そういわれても、覚えがないものはない。
ギルベルトを叩き潰したのは事実だが、あれはライアンがいうような感情に基づいてやったわけではない。腹が立っていたことは否定しないが『どうして俺じゃないんだ』などと思ったことはない。
というか、どうやったらそんな発想に至れる?
俺の姫様はいつだって俺だけを見て、俺だけを愛していると───……、
ああ。
とっさに片手で顔を抑えた。それでも足りずにうつむく。ああくそ、そういうことか。俺はなんて馬鹿だったんだ。俺がギルベルトに嫉妬を覚えるはずがなかった。だって姫様が、あれほどに───……。
『誰が何といおうと、わたしが愛しているのはあなただけです。わたしの婚約者はあなただけ』
『名付けて『いちゃいちゃ大作戦』です!』
『見惚れてしまいます。とても素敵です』
『わたしはあなたが悪くいわれるのは嫌なのです』
『一緒に来てくれますか、バーナード?』
あれほどに、俺に愛を伝えてくれているのだ。
俺の心が震えないはずがない。俺が満たされないはずがない。ギルベルトへの嫉妬など覚えるはずがない。そんな隙間はない。
俺のすべてはあなたのもので、あなたの愛は俺のものだ。愛している。愛している。俺の世界の中心に立っているあなたが、光り輝く微笑みで俺を見てくれる。
俺にあるのはこの世のなによりも美しい姫様と、姫様が俺にくれる愛と、あなたを愛しているという気持ちだけだ。
突如としてこみ上げたこの情熱と衝動に耐えるために、俺はしばらく片手で顔を覆って無言を貫いた。
それから、なんとか心を落ち着かせて顔を上げた。
すると、チェスターはあからさまに『俺は何も見ていませんよ』という顔をして書類を手に取り、ライアンはやはり虫のようにかさこそと自分の席に戻った。
そして、わざとらしく報告書を両手で持って向き合いながら、心底嫌そうにいった。
「あの、なんかもうわかったんで。知りたくなかったのになんか空気で伝わってきちゃったんで。何もいわなくていいっス、マジで。隊長のノロケなんてぜんっぜん聞きたくないっス」
完結です。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。
完結を惜しんでくださる温かいお言葉もありがとうございました。とても嬉しかったです!
また、第二部本編&ラブコメ書き下ろしの載った書籍二巻も発売中です。お手に取っていただけたら嬉しいです。
それでは、本当にここまでお付き合いくださってありがとうございました!