6.金萼家の男
「いいですか、殿下。俺は俺がとても危険な男であるという話をしています。俺を侮ってはいけません。わかりましたね?」
「はあ……、でも、あなたを侮ったことなんてありませんよ? 先ほどの訓練中もとても怖かったです」
こげ茶色の瞳が今度は気まずそうに伏せられた。
「申し訳ありません、殿下。俺は……」
謝罪の言葉が続きそうだったので、わたしはビシッと片手を突き出して彼を制した。
「いいのです。訓練とはいえ真剣勝負、お互いに正々堂々と戦った結果です」
その言葉を口にした瞬間にまずいと思ったけれど、ここは強気で押し切るしかない。わたしは何も気づいていないふりで歩き出した。
「戻りましょう。皆が待っています」
青の布を奪われた者は、出発地点である小謁見室で待機することになっている。チェスターたちも、わたしたちが戻ってくるのを待っているだろう。
数歩進んだところでバーナードが隣に並ぶ。
彼は面白がっている口調で尋ねてきた。
「正々堂々でしたか、殿下?」
「ええ、とても実戦的な訓練ができたと思います」
「確かに、実戦ではなにが起こるかわかりませんからね。不測の事態も含めて訓練ということですね」
「その通りですよ、バーナード」
「でも、俺に嘘の逃走経路を教えましたよね、殿下は」
じろりと、気まずさを隠して隣を見上げる。
最強の騎士は、かろうじて口元に拳を当てているものの、隠すそぶりもなく笑い出した。
「くくっ、いや、責めてるんじゃありませんよ。罠を仕掛けることも、立派な戦法です。俺の実力を承知の上で、怯まず勝ちに行こうとするのは殿下くらいでしょうけどね。さすがは殿下、危なっかしいほどに根性があります」
「あなたこそわたしを侮っているのではありませんか?」
「とんでもない。殿下の御心の強さを褒め称えていいのか、それともその無謀さを窘めるべきなのか、心から悩んでいるところです」
どう聞いてもからかわれている。
わたしは彼を睨みつつ、疑問に思っていたことを尋ねた。
「いつから気づいていたのですか? わたしたちに追いつくのがとても速かったですけど、コリンたちには釣られなかったのですか?」
偽りの逃走経路を信じて走ったものの、コリンたちに追いついたところで騙されたことに気づき、それからわたしたちを探した……と考えるには、姿を現すのが速すぎた。わたしの作戦が最初から見抜かれていたと考えるのが自然だろう。
バーナードはあっさりと答えた。
「最初から気づいていましたが、コリンたちは追いかけましたよ」
わたしの顔に盛大な疑問符が浮かんでいたのだろう。
バーナードは一つずつ説明するようにいった。
「気づいたのは、エルネストが戻ってきているわりに、俺へのハンデが手ぬるかったですからね。あの男なら、俺を棺に入れて地中へ埋めろくらいはいうだろうと……、ああ、やっぱりいったんですか。でも、殿下が止めてくださったんですね。ありがとうございます」
「礼をいわれるほどのことではありませんよ」
真実である。どこの世界に、訓練のために人を埋めることを許可する上司がいるというのか。
バーナードは軽く笑って続けた。
「俺は埋められる程度のことはどうということもありませんがね。殿下のお気持ちはありがたく頂きます。それで、どうして気づいたかというと、エルネストを抑えられるのは殿下だけでしょう? まあチェスターでも、力づくなら勝てますがね。あいつはその辺まっとうなので、殴って黙らせるという選択を取らないんですよ。だから殿下が止めたんだろうと思いましたし、止めた以上はなにかしら代案を出されただろうとね。どうせエルネスト以上に過激な案は出てこないだろうから、殿下の作戦で行くことになっただろう、そして殿下が考えるなら偽の逃走経路辺りだろうなと」
わたしは愕然とした。
「つまりそれは、わたしの考えが読まれていた上に、手ぬるかったということですね……!?」
「悪くはない手でしたよ。ですが、仕方がないでしょう。俺は戦闘職であなたを護る専門家です。戦いの訓練も受けていない殿下に出し抜かれるようでは、護衛隊長としての資質が疑われるというものです」
正論である。
今度はわたしが呻く番だった。
バーナードはおかしそうにこちらを見やりながら続ける。
「偽のルートだとはわかっていましたが、せっかくなので、コリンたちを追いました」
「せっかくなので……?」
「うちの連中に関しては、殿下に対して無害であれば無力でもいいというのが俺の方針ですが、恐怖を経験しておいて損はないでしょう。殺す気で来ている敵に切っ先を突きつけられたときに、自分がどういう状態に陥るかを知っておくのは大切なことですよ」
「なるほど……、心構えを持たせるということですね」
わたしに向かって殺気が容赦なく飛んできたのもそういう理由だったのかと深く納得してから、隣を歩く彼を見て、ふと首を傾げた。
「コリンたちも捕まえてから来たのですか?」
それにしては、腕に巻かれている青の布が少ない。
「ああ、あいつらの分は奪っていませんよ。叩きのめしてきただけです」
「そうでしたか、叩きのめ、……バーナード……?」
「骨までは折っていませんよ。完治に時間がかかりすぎますから」
最強の騎士はひょいと片眉を上げて見せて、笑い混じりにいった。
「今ごろは何とか立ち上がって、小謁見室に必死に戻っている頃でしょう。訓練に参加した連中全員、同じように潰してもよかったんですけどね。チェスターを始めとして、あなたの護衛についていた連中はコリンたちほど平和ボケしていませんし、明日からの護衛任務もありますから、布を奪うだけで済ませました」
その言葉に、わたしは小さな引っかかりを覚えて眉をひそめた。
訓練に参加した騎士たちを、お兄様の即位を一つの分かれ目として新参と古参に分けるのなら、コリンについていたのは大半が新参の騎士だった。
お兄様の即位後に入隊した騎士たちだ。
即位前の動乱の時代に戦場に出ていたわけではない。平和ボケとまではいかなくとも、実戦経験は古参の騎士たちに比べて少ないだろう。
そしてわたしについていたのは古参の騎士たちがほとんどだった。
この配置を勧められたときは、特に違和感は覚えなかった。進言した者を信頼していたということもある。だけどこれは、もしかして。
しばし無言で歩き続けた後に、隣を歩く近衛隊隊長を見上げる。
「護衛騎士たちの配置は主にチェスターの意見を聞いて決めたのですよ」
「そうでしょうね」
「もしかして、バーナード」
「はい」
「チェスターはこうなることを───あなたが罠を見抜いた上でコリンたちを追うだろうことを、見越していたと思いますか?」
バーナードがわずかに眼を泳がせた。
無言で見つめ続けると、こげ茶色の瞳がこちらを向く。困ったような、それでいて教え諭すようでもある瞳だった。
「殿下は国を治める立場です。戦闘も護衛もあなたの仕事ではありません。襲撃を受けたなら殿下が考えるべきは御身の安全のみです」
「それは、わかっていますけど」
「まあチェスターが俺に『ライアンたちを叩きのめして戦場を学ばせてやってほしい』と考えていただろうことは否定しませんが」
「やはりそうですね!?」
恐らくチェスターの考えはこうだ。
わたしの案がバーナードを出し抜けるならそれでいい。けれど、罠が作動しなかったなら敗北は必須だ。ただバーナードに負かされるのでは意味がない。敗北には敗北なりの利用の機会がある。たとえば、わたしの制止が入らない場所で、新参の騎士たちに真に実戦的な状況下での訓練を施す、といった類の。
おおよそを察して嘆息する。
「わたしには事前に話してくれてもよかったでしょうに」
「逃げることに集中していただきたいというのと、殿下の意気込みをくじかせたくなかったんじゃないですかね。まあ、チェスターも最初から負けるつもりでやっていたわけじゃないと思いますよ」
「わかっています。勝てるならそれでよく、負けたとしても利益を得る。”ルーゼンたるもの勝敗ごとき価値を見出すな、その手に掴んだ利益を見よ”───といいますからね。チェスターらしい配慮です」
「なんだかんだ言ってもあいつも金萼家の男ですよね。まあ、ときどき意味のわからない真似もしますが。知っていますか、殿下。チェスターの奴、最近、変な鉢植えを買ってきて机に飾っているんですよ」
「ああ、侍女たちから聞きました。丸くて棘が生えているのでしょう? 南方の行商人から購入したと聞きましたが、名前は確か、サボ……、サボンの花でしたでしょうか? チェスターを慕う女性たちが同じ物を入手したいと懸命に探し求めているそうで、王宮内では大変な人気になっているそうですよ」
「そうなんですか? うちの連中は『副隊長がついに胃痛と頭痛に耐えかねて奇行に走った』と騒いでいましたが」
「まあ……」
チェスターには今度長めの休暇を取らせたほうがいいだろうか。
ただ、チェスターはバーナードとは別の意味で仕事をしたがるところがある。名門中の名門ルーゼン家で、三人いる男子のうちで唯一独身なため、休日だとわかると各方面からお茶会に夜会に観劇にと誘いが殺到してしまうのだ。断るのも一苦労だから仕事をしていたほうがいいというのがチェスター本人の弁である。
いつも読んでくださってありがとうございます。
この番外編も次で完結予定ですので、今回は読者の皆様に感想欄で最も労わられる男ことチェスターに少しだけ焦点をあてて書いてみました。
次はまたラブコメに戻って番外編②完結です。
そして狂犬騎士2巻、先日無事に発売になりました。
書き下ろしもありますので、お手に取っていただけたら嬉しいです。