第十六話:女の子をやさしくあたためよう
地下鉄駅。
いつから、誰が、何のために作ったモノなのか。それらを正確に答えられる者は少ない。
それは紅港の都市が今のように発展するより遥か昔から存在し、ほんの数百年ほど前に『発見』されたモノだからだ。
地下鉄は、エーテルネットワーク上に存在する『鉄道管理局』という組織によって管理されている。実際の運営業務は機械生命体によって行われており、生きた人間は関わっていない。
彼らは、古代の未知の文明が作り出したモノだ。あるいは次元を超えて都市を繋ぐレールや、列車そのものも含めて異常存在であるのかもしれない。
数十年前。地下鉄から機械生命体が飛び出し、各次元都市に対し『侵攻』を始めた。これをきっかけにして起こった『地下鉄戦争』において、各都市の人族は協力して機械生命体と戦い、辛くもこれを押し返した。しかし、激しい戦いによって鉄道管理局や地下鉄は深刻なダメージを受け、機能停止に陥ってしまった。
故に、今では地下鉄駅の中にも、放棄された駅やプラットホームがいくつも存在する。それらは機械生命体によるメンテナンスも行われず、ただ荒れて、ただ朽ちて、忘れ去られるのを待つばかりだ。
「……ぷは」
マータが辿り着いたのも、そんな風に機能停止に陥った地下鉄駅の一つだ。
細長いトンネルを、消えかけで点滅する蛍光灯がまばらに照らしている。レールは完全に水没しており、プラットホームにまで届きかねないほどの水位だ。
しかし水の流れはほとんど無く、その水に潜ってやってきたマータにとっては、プラットホームに身体を引き揚げやすいという点では有難かった。
ぐったりとして動かなくなったコッコを、水面から持ち上げて、『黄色い線の内側』まで押し出した。
そして自身もプラットフォームに上がって、コッコの顔を覗き込む。
「ココねー! しっかりして!」
マータは声をかけてコッコの意識を確かめるが、反応が悪い。かろうじて死んではいないようだが、重傷で、虫の息だ。
「落ち着いて容体を確認しろ。外傷や出血はないか?」
俺ことイナバもプラットホームに上がり、コッコの元へ駆け寄る。
「擦り傷切り傷はたくさん。でも骨は大丈夫そうだし、深い傷も……多分ない」
「チェーンマインに気付き、咄嗟に後退してトニーのフォースフィールドから逃れたんだな。おかげでいくらかは、自前のフィールドでダメージを軽減できたか……」
一瞬の差だった。
もし。後退が間に合わず、トニーのフォースフィールドの圏内でチェーンマインが炸裂していたら。干渉を受け、中和されたフォースフィールドでは防御力を発揮することができず、さらに深刻なダメージを負っていたことだろう。
「でもどうしよう……! 傷は無いけど、心臓の音も呼吸もどんどん弱くなってるよ……!」
「低体温症だ! フォースフィールドが弱くなって、冷たい水に体温を奪われたんだ」
「凍えてるの? もう二月なのに?」
「まだ二月なんだよ。鯱族と同じようにはいかない。地下水路は水流も速かったし、体感温度もだいぶ低かったハズだ。とにかく早いとこ身体をあたためないと死んでしまうぞ」
鯱族であるマータは、冷たい水の中でも呼吸や体温の低下を心配をする必要はない。そういう技能を遺伝子に刻みこまれているのだ。フォースフィールドなどなくても、凍った海の底で昼寝できるのが鯱族だ。
しかし、コッコはそうもいかない。肺にためておける酸素に限界があるし、水圧に耐える内臓もない。フォースフィールドが無ければ、二月の水の冷たさすらも致命的だ。
「で、でもどうしよう……火を起こそうにもここには火種も薪もないし……」
「何を言っている! 『熱源』なら今ここにあるだろうが!」
俺は耳を動かし、マータ自身の胸を示した。
「……マータが? 熱源?」
「俺はもうただのオモチャだし、バッテリーの熱だけじゃどうしようもない。今この場で最も多くの熱を出してるのはお前だけだ」
「でも、それって……」
「とにかく! 今すぐ! 服を脱いで抱き合え! それが一番早い!」
緊急事態である。
おろおろしている女子に声を張り上げることを赦して欲しい。
内容についても、現状では最も有効かつ効率的な解決方法だ。
「マータが?」
「コッコもだ。二人とも脱げ」
「全部?」
「全部だ!」
「下着も?」
「下着もだ!」
マータは。一瞬だけ逡巡して、しかし意を決して、コッコの服を脱がせにかかる。せっかくのベストやスラックスだが、戦闘によってボロボロに破れて、海水でびしょ濡れになっているのでは体温を奪うだけだ。脱がせるしかない。
俺はここで光学センサーを切って、二人に背を向けた。緊急事態だが、俺にだって一応の分別はある。
「イナバ!」
「なんだ!」
「ココねーのおっぱい大きい! 仰向けになっててもこんなに!」
「そりゃ良かったな!」
「よく見たら、腹筋もちょっと割れてる!」
「霊子外骨格のパワーは元の体力に依存するからな! それなりにタフじゃないとあんな戦い方できん! 体脂肪率も低いんだろう!」
「それと……え、あれ……?」
「どうした! 何か問題か!」
聞いてもいない感想を聞かされるのには参るが、マータは順調に服を脱がせていたようだった。だが、ある時点でマータの動く気配が止まった。
服の上からではわからないような外傷があったのだろうか? 俺は身構える。
「ねえ、ココねーって、女の子……だったよね?」
「……ああ、それか」
俺は、振り向かずに伝える。
「アナトリア人の40%ほどは『白銀の子』だ。『白銀の子』は、男と女両方の身体を『同時』に持ち合わせている。コッコもそのクチだったんだろう」
女性しか生まれない国。アナトリア。
かの国では女性を『青銅の子』と呼び、男性を『黒鉄の子』と呼んでいる。そして『青銅』と『黒鉄』両方の肉体を持つ者を『白銀の子』と呼んでいるのだ。
外見上は『白銀の子』と『青銅の子』に大きな違いはない。アナトリア人自身も両者を区別することはあまりせず、どちらも『女性』として扱っている。
「そこら辺は俺からは何ともよくわからん。肉体的には『種』も『卵』もあるのに、精神的には『女性』というんだからな。だがまあ、本人が言うんだったらコッコは『女の子』ではあるんだろう」
アナトリア人の信じる、太陽教の神話において。神は『黄金』たる自らに似せて『白銀の子』を作り、その次に『青銅の子』を、またその次に『黒鉄の子』を作ったと伝えられている。
故に『白銀の子』は、太陽の使徒として世界に愛と正義を伝える使命があるといわれている。故に騎士は剣を取り『青銅の子』と『黒鉄の子』を護るために戦うのだと。
「そっか……」
「……おい。言っておくが。姿形はどうあれ、コッコは俺とマータを助けてくれたことには変わりないんだから……」
「あ、違う。違うの。そうじゃなくて」
マータは少し、はにかんで。
「かわいいって。そう、思った。だけだから……」
「……なら、さっさとあたためてやりな」
俺は腹の中に仕込んでいた祈祷機を使って、再生したものをマータに渡した。
特別なモノではない。エーテリウムで再現した、アルミ製のエマージェンシーブランケットだ。
「え。そんな便利機能あったんだ……!」
「急ごしらえだがな。アルミシート一枚でも、二人で包まれば少しはマシだろ。流石に焚火までは用意できないが……」
「ううん。ありがとう」
がさがさ。
ごわごわした質感のアルミシートは少し耳障りな音がしたが、これでなんとかマータはコッコと二人で包まる。
光学センサーでわざわざ確認したりはしないが、『アルミホイルに包まれた焼き芋』が脳裏をよぎった。
「ねえ。イナバ」
落ち着いた頃合いで、マータが声をかけてきた。
放棄されたプラットフォームは静かで、折れた天気輪の柱が、蛍光灯の光に虚しく照らされている。
「ストームルーラーって、なんなの」
マータの問いには、困惑と。ほんの少しだけ、怒りの色が混じっていた。
「……詳しくは俺も知らん。ただ、クラスⅢと指定された異常存在だ。軽く見積もっても、都市一つ破壊するくらいの力はあってもおかしくない」
「そんな大変な力が、どうしてマータに……」
「原因はいくつもあると言えるし、何も無いとも言える。一個一個説明してやってもいいが、今の状況で意味があることとも思えんな」
「マータは……死ぬの?」
「誰だっていつかは死ぬ。不死でも無い限りはな」
「マータは。どうしたらいいの?」
「お前はどうしたい? すべてを変える力がその手にあるとして、お前はそれを何に使うつもりだ?」
「…………」
答えられないマータ。これまでの人生に、選択肢などなかった。
岩礁に生まれて、そこで生きると言われ、しかし逃げてきた。選択したわけではなく、選択から逃げただけだった。都市に行きついても、まだ逃げていた。
自由になりたいというのも、あるいは自分を騙すための嘘だったかもしれない
したいことなんて、無かったのかもしれない。
「マータは……」
コッコの肌に触れ、身体を抱き締める。祈りを込めて。
したいことはわからなくても。すべきことは、肌が触れるすぐそこにあった。
「……取り込み中だったか?」
水面から。声
そして。影から浮き上がるように。トニーが姿を現した。
「仲良くしてるのを邪魔するようで申し訳ないが……あの程度で逃げ切れたと思われるのも心外だ。なあ?」
マータはそれでも、トニーをまっすぐに見据えて、コッコから手を離すことはなかった。
次回。第十七話:決闘申し込み




