第十五話:前門のサメ。おそらくワニ。
紅港の地下に拡がる水路網。
運河と繋がり、深く深く都市の地下へ伸びるその水路網は、今もまだどこかで拡張し、複雑化を続けている迷宮なのだと言われている。
あるいは次元を超えて都市を繋げている地下鉄網のように、それ自体が異常存在なのかもしれない。
マータとしても、水路の全貌について把握しているわけではない。ごくごく浅い層の、比較的安定した『太い』水路について知っているだけだ。
何のため作られ、誰が拡げているのかもわからない水の迷宮。しかし。一部の水路は都市の地下街として利用されてもいる。ここを上手く通れば、地下鉄駅に辿り着けるかもしれない。
鯱族の立体空間把握能力と、エコーロケーションを駆使して、マータは水路を進む。尾びれに戻した脚は、コッコを抱えたままでも十分な速度を出せていた。
やがて、マータは広い筒状の縦穴に行き当たった。
ここをさらに潜っていけば、もう少しで地下鉄駅に辿り着ける。
だがその底の方で、何者かの気配を感じたのだ。
コッコもそうだったのだろう。マータが何かを伝える前に、黄昏のレンガ道を使ってブロックを出して、その輝度を高め、縦穴の底を光で照らす。
そこに居たのは、俺ことイナバの見知った顔。忘れもしない白い頬だった。
「初めまして……で、良いんだな? お嬢さん方とド畜生め。港湾労働者組合のトニー・ジャオだ」
サメ男。トニー・ジャオ。
深い深い水路の底でも、作業服と紫のネクタイは律儀に締めていた。
おまけに。既に霊子外骨格をフル装備で着装しており、完全に臨戦態勢だった。
フォースフィールドは、いかなる環境の変化からも異能者を保護する。
水中での行動に慣れていないコッコにしても、フォースフィールドがあるので窒息する心配はない。しかしそれでも。服を濡らすことすらないほどの強力なフィールドを持つ異能者は、この都市でも限られている。
トニーこそが、その限られた例外なのだ。
「……わっさ。ボクはコッコ=サニーライト。こちらはマータ・カルカーサ。そして、ぬいぐるみのイナバ」
水中なので、直接『声』を出して会話しているわけではない。技能によって霊波を飛ばし、互いに『思念』を送り合って会話している。
もちろん。その際にもフォースフィールドを介し、互いに余計な干渉を弾いていた。
霊波を飛ばし合う会話は、それだけで互いの実力や状態を推し量る事ができる。あるいは『憑依』のように、直接相手の精神を攻撃するような技能も存在する。
つまり、挨拶をする時点で既に戦闘は始まっているのだ。
「おお。おお。そいつがイナバか。ずいぶん愛らしい姿になったもんだ。美少女の尻に齧りついて、さぞ楽しく第二の人生を謳歌していると見える」
「どうかな。あえて美少女ってのは否定していないが『相手による』って部分はあるぜ」
「やっぱ年下は嫌いなんじゃねえのか? ……で」
トニーは、頬まで裂けた口に、列をなす鋭い牙をぎらつかせて問う。
「……どっちだ?」
「ボクだ」
即答。コッコが前に出る。
マータから離れて、彼女を護れる位置に。
そして騎士剣を再生し、両手で構える。
「ボクがストームルーラーだ。用があるならボクが付き合う」
「ああ、そうじゃねえ。そうじゃねえんだよ」
指を振るトニー。
「既にマータの小型船から『真っ二つに割れたアクリル定規』を見つけてるんだ。それを発見して、ホテルが爆発炎上したって話を聞けば、大体の事は察せられる。だろう?」
「……流石だね。もうそこまで手が回っていたんだ」
水上マーケットでの乱闘。九朧城での戦闘。
両方の事件を繋げることができるのなら、マータの小型船を辿るのはそう難しい話ではない。そもそも、だからこそマータの危険性が高まっており、ホテルにて保護してもらう計画だったのだ。
「先に言っておこう。俺様の異能は暴食の魔獣という。ぶっちゃけて言えば『食べた』モノの能力をコピーできるんだ。例えそれが異常存在であってもな」
つらつらと、自分の能力について口上を並べるトニー。
だが嘘やハッタリではない。本当のことだ。
異能とはそもそも異常であり例外だ。『異能には反ミーム性があり、どのような記録手段によってもコピーできない』などというルール自体を破壊してしまう異能があっても、何もおかしいことはない。
「だから用なんかねえよ。食うだけだ」
トニーは。それで。ストームルーラーをも食べて、己のモノとしようとしている。
「俺が聞いたのは、食べる順番さ。どっちを先に食えば良い? アナトリアの騎士は食ったことはないんだが、こういう時は『後に』するか『先に』するか、どっちがいいんだ?」
そしてもちろん。それを阻止しようとするコッコをも食べようとしている。
こちらは特に理由はない。そうすることができるからそうする。ただのそれだけだ。トニーは脅しや冗談でそのようなことを言うタイプではないし、むしろ食べたことのないモノにはとりあえず挑戦してみるというタイプだ。
「……ボクは、ショートケーキは端っこのスポンジからちょっとずつ食べて、いちごは最後に食べるよ」
「そうかそうか。そういうことなら俺様は逆だ。いちごから先に食べる。赤いからなあ……!」
コッコの意見を聞いて、トニーが突撃する。
方向は真っすぐ。『赤い』髪を持つコッコの方へだ。
「無茶だ! 逃げろコッコ!」
俺はコッコに警告する。
フォースフィールドがある限り、水中での生命維持は問題ない。だが、霊子外骨格はそうはいかない。コッコの使うLeoもWOODSMANも、水中での戦闘は想定していない。その性能を発揮することはおろか、起動することすらできないだろう。
つまり、今のコッコは素のフォースフィールドと異能、そして騎士剣のみで完全武装のトニーに対応するしかないのだ。
「相手は一人だ! ボクが時間を稼ぐからスキを見てマータちゃんは逃げて!」
瞬間。衝撃がコッコの頭を撃つ。
コッコはぐらつきながらも体勢を立て直し、騎士剣で頭を防御する。
だが、トニーはまだコッコの十数メートル下方にいた。接近は続けているが、それでもまだまだ間合いは開いている。本来なら、攻撃を受けるような距離ではないはずなのに。
「かっか……逃げるならそれも好きにしな。尾びれ振って逃げる女は好きだ」
その。トニーの両手には。シャコ兄弟にあったはずの腕。エーテリウムの光と線と面で構成された、カマキリのような形のハサミ。
「まさか……!」
「気にするな。もてあましていた能力を、俺様が有効に活用してやるってだけさ。むしろ感謝して欲しいくらいだな!」
トニーが、左右のハサミから同時に衝撃波を撃ち出す。衝撃波は、空気中よりも水中の方がより素早く、効率良く伝わっていく。二つの衝撃波が、コッコのいる地点で重なり合い、一気に増幅した。
コッコはブロックを展開し、重ねて拡げて壁を作る。しかし、衝撃波は壁を回り込んでいくため、完全には防ぎきれない。
さりとて、避けてしまえば今度はマータが狙われてしまう。コッコはレンガの壁の厚みを増やすことで、衝撃波を躱そうとする。
だがそれこそ、トニーの狙いだった。
味方を護るために動けなくなったコッコに向かって、正面からハサミを叩きこむ。当然攻撃はレンガ壁によって防がれるが、それすら厭わず左右で衝撃波のラッシュを撃ち込んでいく。
それでも。それでも。コッコの黄昏のレンガ道は攻撃に耐えていた。ひび割れながらも、衝撃波の攻撃に耐えていた。
「つまらねえな」
だが。トニーは口を開き、レンガ壁に噛みついた。
それがトドメとなって。エーテリウムの障壁はひび割れ、粉々になって砕け散ってしまう。
「馬鹿な!? 電磁装甲なんだぞ!?」
さらに襲い来る両腕を、コッコは三節槍の剣とメイスとで左右でガード。
しかしそれも、追撃の振動波によってあっけなく破壊されてしまう。へし折られてしまう。
さらにさらに、蹴り攻撃。
トニーは水中戦闘に対応した霊子外骨格を纏っていた。それらは各部に設けられたウォータージェット機構により、水中での姿勢を安定させ、さらには推進力を利用した格闘戦をも可能にした。
ウォータージェットによって加速した蹴りにはガードすら間に合わず、コッコは上段と下段に蹴りを二発受けて体勢を崩す。
そしてトドメに。尾びれによる追撃。
体勢の崩れたコッコにこれを防ぐ術は無く、トニーの尾びれを肩に受けてしまう。
それだけではない。トニーの霊子外骨格に搭載されていた円盤状の物体が、鎖のように連なってコッコの身体に巻きついてきたのだ。
「チェーンマインだ!」
俺が警告したところで、何もかもが遅い。
コッコに巻きついた円盤が、全て爆発する。
チェーンマインは、対異能者を想定して開発された霊子兵装だ。仕組みは単純だ。エーテリウムで再現された爆雷を、数珠つなぎにして対象に投げつけ、巻きつけてから爆破する。
通常の爆弾では異能者を倒すことはできない。しかしエーテリウムならば、フォースフィールドを侵食して突破できる可能性がある。さらにゼロ距離からの多重の爆発となれば、いかに強大なフォースフィールドを持つ異能者であっても防ぎきることは難しい
事実、このチェーンマインの爆発によって、コッコは深刻なダメージを受けていた。
あの爆発では『致命傷にならない』程度の防御がやっとで、身体のあちこちに火傷や外傷を受けている。その上で、もはや、そのフォースフィールドすら消えかかっていた。
傷つき、吹き飛ばされたコッコに、さらにトニーが追撃を仕掛ける。
「ココねー!」
だがその間に、マータが割り込んだ。
すぐさまコッコを抱え、身を捻り、自身の尾びれでトニーを打つ。
「ぬ……!?」
トニーが尾びれを躱した隙をついて、マータはトニーの脇をすり抜けた。
そして。縦穴の横に空いていた小さな水路に一目散に潜り込み、その場から離脱していく。
「……いいぜ。逃げな。必死に尾びれを振って逃げる奴を追いかけるのは好きだからな」
トニーは。振り返りもせず、ただ一言呟きを残した。
次回。第十六話:女の子をやさしくあたためよう




