婚約編4
アンリが善は急げとばかりに公表したので、王子と魔女の婚約は婚約式もまだのうち、瞬く間に国に知れ渡った。
第一王子のミシェル・シュヴァルベが奔放な性格で各国を飛び回っていることから、アンリを王太子に推薦する声は多い。そんな次期国王候補の婚約者が裁判を待つ魔女で、しかも本来であれば婚約者の候補にも上がらない家柄の娘となれば、反発の声も多かった。魔女が裁判を有利に進めるために王子を誑かしただとか、アンリが魔女の力で悪事を働こうとしているだとか。
この国では長く魔女は悪者であるため、そんな批判は想定内のことだった。――魔女の妹以外にとっては。
「お姉様のことをよく知らないくせに、好き勝手言いますわ!」
「エステル、お口が悪いわ」
「だって! ……悔しいんですもの。お姉様はこんなに素敵な方なのに」
今年十ニ歳になる妹のエステルは、ニコレットをとても慕っていた。身内に魔女がいても、表面上その家族は罪に問われない。魔女は突発的に発生するものらしいからだ。けれど、影ではきっといろんなことを言われたはずだ。ニコレットには決して見せようとしないが、エステルが泣きながら学園から帰ってくることがたまにあった。まだ幼いこの子が理不尽に晒されている原因は自分にある。これまでも、……今現在も。
それでも。
ニコレットが謝ればエステルは悲しむ。本当に優しい子なのだ。だからニコレットはどれだけ心苦しくても謝ったりしない。求められない謝罪はただの自己満足だからだ。ただ、この子が幸せになれますようにと、ずっと祈っている。
アンリの言う通り魔女がこの国で重宝される存在になれば、エステルに不条理をぶつける輩もいなくなる。それがニコレットには希望の光だった。
「大丈夫よ。今回の婚約には陛下もご了承下さっているから、陰口はともかく直接被害を加えようとする人はそういないわ」
「だといいのですけれど……わたくしは陛下も殿下も、まだ信用できておりませんの」
「滅多なことを言うものではないわ」
「だって! これまで何の接点もなかったのに、急に求婚なんておかしいです! お姉様は素敵な方ですから、殿下がお姉様を慕っていらっしゃることは真実としても、陛下がどうして後押しをなさるの?」
それはニコレットにも疑問だった。
アンリの言う通り魔法が本当にないとして、国ぐるみで魔女裁判を推進してきたのは国王たる陛下だ。アンリと同じように旧体制を変えたいと思っているのか、アンリに王位を継がせるために魔女制度を諦めたのか、それとも他に理由があるのか。
アンリにも聞いてみたけれど、申し訳なさそうに教えることはできないと言われた。その代わりにニコレットや家族に危害が加えられることはないと約束してくれたので、それ以上は聞けていない。
謁見できれば少しは意図が読み取れるのかも知れないが、それはまだ実現していなかった。
「陛下の御心はわからないけれど、ご了承くださったのは事実よ。
――それよりエステル、用意は出来た?」
「もちろん! 準備は万端です!」
ぱぁっと顔を明るくするエステルに、ニコレットは笑った。
明日はいよいよニコレットの裁判だ。その年に成人を迎える魔女疑いの子どもはコレージュを卒園するこの時期に裁判にかけられ、進む先を決められる。ニコレットはアンリとの婚約が発表されたが、まだ正式に決定した訳ではないので、王妃候補だからといって裁判を受けないわけにはいかない。これは第一にアンリの狙いだった。魔女が有用であると知らしめるためには、ニコレットには魔女側の立場でいてもらう必要がある。その上で万が一にも非道な判決が下らないよう、念のため王族が背後にいることを仄めかしたのだ。魔女裁判ではごく稀に、思いもよらない事が起こるから。
そして第二に。ニコレットにしても、アンリと婚約できるからといって裁判を受けないのは違う気がしていたのだ。王族と親しくなれば魔女でなくなるというのはどう考えてもおかしいし、他の魔女候補に申し訳なくて顔向けができない。生意気かも知れないが、ニコレットはきちんと順序を踏んで、真っ当に生きたい。例え魔女でも、正しくありたいと思うのだ。
そんなわけで、裁判の準備は万全なのである。
裁判が済めばニコレットも気軽に外出できなくなるため、今日はエステルと出掛けると決めていた。
「街にはいろんな人がいるから、中には酷いことを言う人もいるかも知れないけれど……」
「お姉様に無礼な事を言う人がいたら、わたくしが成敗して差し上げますから大丈夫ですわ」
「ふふ、頼もしいわね」
侯爵令嬢である二人にはマルシャン家の護衛がいるが、心配したアンリから別口でも護衛を付けられているのでその辺は安心だった。
※※※
街はいつものように賑わっていた。城下街の外れ、中央通りから少し距離のある喫茶店がマルシャン姉妹のお気に入りだ。
穏やかな店主はニコレットの噂を聞いているだろうに、想像していた通りにこやかに二人を招き入れてくれる。周りにはこそこそとこちらを見ながらお喋りしている客もいたが気にしないことにして、二人がお茶の時間を楽しんでいた、その時だった。
「失礼します、ニコレット様。その……ご挨拶したいという方がいらっしゃったのですが」
護衛に声をかけられ振り向くと、見知らぬ男がそこにいた。男はニコレットと目が合うと、キラキラと目を輝かせる。
「やぁ! 君がニコレットだね。僕はミカ」
弾むようにそう言ったミカと名乗る男は、大層な美人であった。二十代中盤くらいだろうか。絹のように柔らく光を返す長い金髪は結いまとめて肩から流していて、瞳は吸い込まれてしまいそうな空の色。一瞬何処かで会ったことがあるような気がしたが、これほどの美貌を忘れることはないだろうと思い直った。
そう、一度見たら忘れられないだろう整った顔。そして『傾国』という言葉が頭をよぎる妖艶さが男にはあった。けれど声は見た目を裏切るように明るく楽しげだ。
美貌に圧倒されたのか護衛はまごついていて、精鋭の騎士にしては珍しい光景だった。しかしニコレットにもミカに害意はないように見えた。彼の態度は初対面の侯爵令嬢に対するものではないが、もしかしたら尊い身分の人かも知れない。勿論、ただの無礼者かも知れないが。
「――私になにか御用でしょうか?」
警戒は解かないようにしながらも護衛に下がるよう伝え、ニコレットはミカに向き合った。
「第二王子の婚約者殿が来ていると聞いて見に来たんだよ。ふぅん、なかなか可愛らしいじゃないか。王子が羨ましいよ」
不躾に、けれど何処か憎めない調子で、ミカは続ける。
「ねぇ。王子は頑固な堅物だと聞くよ。僕にしとかないかい?」
言って、艶やかに笑った。
離れていても馨しく匂い立つ魅力に、ふらついてしまう人は少なくないのだろう。事実、周りの人間は彼を見てほぅ、と甘い息を吐いていた。けれど。
「ご忠告痛み入ります。
ですが、アンリ王子にはとてもよくしていただいておりますので、そのお話は遠慮いたしますわ」
ハッキリと言ったニコレットに目をぱちくりさせて、ミカはへぇ、と笑った。
「僕の心がわかるんだね」
ミカの誘いは本心ではなかった。ニコレットが自分に靡くか試したのだ。その上でニコレットを陥れる気はないように見えるから、ミカの目的がわからない。
「さすが魔女だ」
「まだ裁判は始まってもいませんわ」
「いやいや、君は魔女だよ」
そんな不躾な物言いに反応したのはエステルだった。
「っ、どこのどなたか存じませんが!
お姉様は今わたくしとお茶を楽しんでおりますの!」
だから帰ってくれないかと言外に込めて、エステルは言った。気丈に振る舞ってはいるが、握りしめた手がかすかに震えている。――怖いのだ。
無理もない。ニコレットにはミカの無害がなんとなくわかるが、エステルにとってはいきなり姉にからんできた大人の男だ。エステルはその素性の知れない相手に、無礼にならないギリギリの切り込みを仕掛けた。
「へえ、気が強い子だね。魔女の妹かな?」
「この子は関係ありません」
エステルに火の粉がかからないようニコレットが庇えば、ミカは一瞬感情の読めない顔をして。
「――妹くんに免じて、今日は引いてあげるよ」
またニコリと笑ったミカは、クルッと方向転換すると、背中越しに手を振って去っていった。店を出るのを見届けて、二人は緊張を解く。
「なんだったのかしらね。でももう大丈夫よ」
ニコレットが言えば、エステルも頷いた。
「ええ、せっかくのお出かけですもの。目一杯楽しみますわ!」
姉に心配させまいと笑う妹は、本当にいい子だ。
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