婚約編3
そこからは国政の話を聞いた。勿論ニコレットが聞いても問題ない範囲でだ。
第二王子のアンリは有力な王太子候補ではあるが、第一王子の王位継承権が無くなったわけではない。第一王子に国を継ぐ意思はないらしいが、諸貴族の手前それだけではアンリが王太子となる理由には足りないらしい。とりわけ第一王子を押している大公爵が首を縦に振らないのだそうだ。
「では、私との婚約は殿下の足枷になるのでは……?」
通常で考えれば、魔女との婚約はアンリの立場を危うくするはずだ。不吉な存在を王家に取り入れようとするアンリを大公爵が見逃すはずがない。
「ああ。だがこれが奴の口を塞ぐ手段でもある」
アンリの言うように魔女の存在が国の力となるのであれば、いち早くそれに気付いたアンリは国にとっても魔女にとっても英雄だ。そうなればいくら大公爵といえど、碌に国にいない第一王子の方が王に相応しいとは言えなくなる。
「王位が欲しいわけではないが、この国を良くしたいと思う。兄上は国政に関わる気がないようだから、やはり私が王になるのが一番の近道だろう」
アンリは真に国民を思っているのだろう。ニコレットにはその真摯さがとても尊く見えた。
「殿下が王になってくださったら、私ども国民にとってこれほど嬉しいことはありません」
「……ありがとう。誰にとっても、そうでありたいと思うよ」
全国民のための王になりたいと、その中には魔女として虐げられてきた存在も含まれているのだとアンリは言う。
勿論、その中心にニコレットがいて。
それがわかるから、ニコレットはくすぐったいような気持ちになった。幸せで、心がふわふわと浮ついてしまう。
見つめ合う二人の間に優しい時間が流れる中、ふとアンリは立ち上がった。
「ここからは王子じゃなく、ひとりの男として言わせてくれ」
言って、ニコレットの側に膝をつき手を差し出す。
「聡い君には伝わっているだろうが、俺は君を好いている。いろんな話をしたが、この求婚の一番の理由はそれだ。――俺と婚約してほしい」
王子が自身を俺、と言うのが新鮮だった。こちらが本来のアンリなのだろうか。先ほどまでとは纏う雰囲気も違う気がする。
ニコレットはこれまで自分が人に想われることがあるなんて思いもしなかったし、想いを向けられることがこれほど嬉しいなんて知らなかった。生まれて初めて感じるこの胸の高鳴りは、ニコレットからアンリへの恋だろうか。わからないけれど。
跳ねる心を落ち着かせながら、ニコレットはアンリの手に自らの手を重ねた。
「この上ない幸せでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
それは心からの言葉だった。アンリに思われていることが嬉しくて、それに応えたいと思う。
ニコレットの気持ちが伝わったのか、珍しく嬉しそうにニッと笑って、アンリはニコレットの指先に口付けた。触れた部分が熱くなって、まるで手がくっついてしまったかのように離れない。
しばらくそのまま、二人はまた見つめ合っていた。
「――おめでとうございまーす」
パチパチと拍手をして沈黙を破ったのは、またしてもジョルジュだった。アンリはニコレットとの沈黙の語らいを邪魔されて少し不服そうだったが、確かにそれほど時間があるわけではないらしくグッと押し黙った。王子という立場と今後の展望から、彼はかなり忙しいらしい。名残惜しそうに手を離す。
ジョルジュは気にせずニコレットに笑いかけた。
「ニコレット嬢、今日は頑張ったけど、殿下は基本無口だから何かわからないことがあったら私に訊いてくださいね。だいたいわかりますから」
「いや、何かあれば俺に直接訊いてくれ。ちゃんと答えるよ」
「どうだか。殿下、ニコレット嬢を好きな理由も伝えてないじゃないですか」
「…………」
痛いところを突かれたらしく、アンリは黙ってしまう。
ニコレットにしてもそれは気になるところだ。こんなに素敵な人がどうして自分を見そめてくれたのか。教えて貰えるなら嬉しいが……。アンリを見つめると、彼は一度口を開こうとして、また閉じてしまった。
そっぽを向いて。
「情けない話はしたくない」
それだけ言うと、また黙ってしまう。その顔は至極無表情で、やはり寡黙王子は伊達じゃない。
普通なら意味がわからず不満や不安を覚えてしまうところだが、ニコレットはクスクスと笑う。だってアンリのそれは照れ隠しで、本心は言葉の通りニコレットに情けないと思われたくない、それだけだとわかるから。
「きっと理由を聞いても情けないとは思いませんけれど……無理に聞きたいとも思いません。
私を想ってくださる、それだけで充分です」
心からそう言えば、アンリも安心したように頷いてくれた。
お互いしか見えない視界の外で、ジョルジュのため息が聴こえた気がした。
※※※
何かにつけてニコレットとの時間を取ろうとするアンリをジョルジュが嗜める形で、なんとか婚約式の日程など必要なことを決めた頃には、日が傾き始めていた。ジョルジュからは「時間ぎりぎりまで粘りやがって……」という思考が見てとれて、案外彼の方が苦労人なのかもしれない。
二人で席を立つと、アンリは改めてニコレットを見つめる。
「その、今更だけど……素敵なドレスだ」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
褒められて、とりあえず礼を言う。けれど少し引っかかった。アンリは確かにそう思ってくれているのだろうが、どこか残念がっているようにも感じる。
今日はアンリに会うということで、とっておきのドレスを着てきた。流石にこの短期間で新しく仕立てることは出来なかったので、もともと持っていたものだが。落ち着いた色調のドレスはニコレットの一張羅だったが、アンリはお気に召さなかっただろうか。
「ニコレット嬢、違う違う」
少し落ち込んでいると、ジョルジュが笑いながら否定する。
「殿下はね、今日のために貴女にドレスを贈りたかったんですよ。シャンパンゴールドの生地のものをね。
でも流石に婚約確定してもいないご令嬢に自分の色のドレスを贈るのは無いって止めたんです」
「まぁ」
瞳や髪など、自身の色を恋人に贈るのは愛情表現だとされている。ただし、その場合すでに恋人関係に至っていることが一般的だ。何故ならその行為は、多分に独占欲を孕んでいるから。
驚いたニコレットは、アンリを見る。表情こそ動かないが、アンリが少し慌てているのがわかった。
「――我慢したから、大目に見てほしい」
アンリがようやく絞り出したそんなお願いを聞いて、ニコレットの心はじわじわと弾み出す。――年上の男性に向ける感情ではないかも知れないけれど……可愛い。
「大目に見るだなんて……むしろ嬉しいです」
そんな風に想っていただけるなんて。
そう笑ったニコレットに釣られるように、アンリも少し口角を上げた。その表情にニコレットは魅入ってしまう。
「あの、殿下」
「アンリ、と」
「……アンリ様」
「うん?」
希望通り名前を呼ばれ、満足そうにアンリは言う。王族らしい押しの強さを、ニコレットはやはり可愛いと思った。
「次はあなたの色のドレスを着てお会いしたいと言ったら、はしたないと思われますか……?」
「! まさか!
一番君に似合うドレスを贈るよ」
嬉々として言った後、あ、とアンリは思い返す。
「でも、ドレスが出来上がるまで会えないのは駄目だな……。無論急いで作らせるけど、それまでも会ってもらえるだろうか?」
「! もちろんです」
なんて嬉しいことを言ってくれるのだろう。
「私、こんなにも明日が明るく見えたのは初めてです。
今日アンリ様にお会いできて本当に良かった……幸せです」
「……これからが大変だろう」
「はい、それでも。
私を選んでくださってありがとうございます」
そう伝えると、アンリは優しく笑ってくれた。
「感謝するのは俺の方だ。申し出を受けてくれてありがとう。
ニコレット、きっと幸せになろう」
「はい!」
アンリの背後に、輝く未来が見えた気がした。
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王子とジョルジュとの関係も書いていけたら嬉しいです☺️