婚約編2
登城の日、迎えに来たのはジョルジュだった。王家のものにしては控えめな装飾の馬車で、目立ちたくないニコレットにはありがたかった。
王城は初めてでは無い。
まだ幼い頃に何度かパーティーに呼ばれたことがあった。けれど聡いニコレットにとって大人の思惑が蠢く王城は酷く疲れる場所で、幼さを武器に中には入らずに過ごすことが多かった。――魔女の疑いがかかってからは呼ばれることも少なくなったが。
そういえば、幼い頃少しだけ一緒に遊んだことのあるあの男の子は息災だろうか。ニコレットは金色の髪に青い目をした、天使のような少年と遊んだことがあった。苦手なパーティーの記憶の中で、唯一楽しかった思い出だ。
幸せな記憶を反芻しながら城の門をくぐると、中央通りから傍に逸れる。離れに向かうのだろうか。まだ婚約が本決まりではない侯爵令嬢を迎えるには妥当かも知れない。
庭園には早咲きの春の花が花開き、手入れされた薔薇の木はこれから季節が来たら咲き誇るだろうことが見てとれた。離れの近くはチューリップが可憐に彩っている。
幼い頃は好きでは無かったが、綺麗な場所だと今は思った。
※※※
通された応接室には品の良い調度品が揃えられていた。ふかふかのソファーを勧められ、座って待つ。これから王子に会うのかと思うと、少し緊張した。きっと何か条件を提示されるはずだから、それがマルシャン家の特になるように交渉しなければ……。
そんな風に考えていると、ノックと共に扉が開いた。慌てて立ち上がる。
「待たせてすまない」
入ってきたのは、上品な金色の髪に深い緑の瞳を持った、まさに王子に相応しい青年だった。確かニコレットよりもひとつ年上で、今年十七歳になるはず。実年齢通りまだ若いが、それでも溢れ出るような貫禄があった。キュッと引き締まった口元から、意志の強さが見て取れる。
「第二王子のアンリ・シュヴァルベだ」
見つめられ、ドキリとした。寡黙王子――国民からはそう呼ばれている。口数が少なく、心情が読めないからだそうだ。けれど、ニコレットにはわかる。確かに表情豊かとは言えないが、それでも薄く笑った彼は自分を歓迎してくれている。
澄んだ、吸い込まれてしまいそうな翠眼。いくら王族とは言えこの呼び出しが非常識な自覚があるのだろう、少しの申し訳なさと、それでも引く気のない心の強さが混ざり合っている。それはニコレットに対する誠実さの表れだと感じた。
素敵な人なのだと思う。こんな人が、理由があるとは言え自分に求婚してくれるなんて。
ニコレットは魔女疑惑をかけられて以降あまり家族以外の人と親しくしてこなかったため、こういうことに慣れていない。耐性がないのだ。
頬が熱くなっていく中、緊張しながらも淑女の礼をとる。
「マルシャン侯爵家長女のニコレットと申します。お目にかかれて光栄です」
「…………」
「?」
精一杯のカーテシーだったが、何か失礼があっただろうか。黙ってしまったアンリの瞳を覗き見ようとすると、彼は手のひらで目を覆ってしまった。口元は相変わらず引き締まっていて、表情は見えない。
「え、え……?」
通常ならば拒否されたと思うだろう。目も当てられないほどの挨拶であった可能性もある。あるが、わかってしまった。――これは、愛しくて直視できないということではないか。
多分、合っている。この勘がいいからこそ、ニコレットは魔女疑惑をかけられたのだから。理由に心当たりは全くないけれど、……アンリはニコレットを好ましく思ってくれているのだ。それも、おそらく最大級の好意。
理解して、ボッと顔が熱くなる。普段は冷静なニコレットだが、初めての経験に思考がまとまらなくなってしまった。
目を覆った王子と、顔を真っ赤にした魔女疑惑の少女を沈黙が包む。そこに背後から。
「――……ッ、駄目だ、耐えきれない」
誰かが呟いたからと思ったら、直後。
「あっはっはっはっ! はっはっはっ、ひー……!」
豪快な笑い声が響いた。驚いてニコレットが振り返ると、ジョルジュが涙を滲ませながら笑っている。心から面白がっているのは、ニコレットでなくともわかるだろう。
アンリにジトッと睨まれて、ジョルジュは目尻の涙を拭った。アンリの目には笑いすぎだという非難の色が見える。しかし口にしないところが寡黙王子の所以なのだろう。そんなアンリの意図を汲み取って、ジョルジュは息を整える。
「はは、すみません。ふぅ〜……。
いや、お二人が面白すぎて。特に殿下なんですけど」
「少しは歯に衣を着せろ」
繰り広げられるやりとりに、ニコレットは目を白黒させた。仲が良いのはわかるが、ジョルジュの態度は王族に向けて良いものではないのでハラハラしてしまう。
そんなニコレットに、アンリは言った。
「ジョルジュは幼馴染みなんだが、見ての通り失礼な奴なんだ。驚かせてすまない」
「いっ、いえ。お気になさらず」
ニコレットがそう答えた後、アンリは安心したように頷いた。促されてソファーに座ると、また沈黙が訪れる。
何か言った方が良いのかとも思ったが、アンリがニコレットに話題の提供を求めているようには感じなかった。ただ、この空気を噛み締めているような……アンリは本当に感情を表に出さないようで、ニコレットでなければそれは感じ取れなかっただろうが。
アンリが満足しているからだろうか、ニコレットも次第に嬉しくなってくる。向けられる好意に緊張はするが、居心地は良かった。
――この、二人がただ黙って見つめ合うだけの時間を越え、ジョルジュはのちにこう語った。「いやぁ、男女が言葉も身体も交わさずに出来上がることってあるんですね」と。
もとい。
この上なく幸せだが進展のない時間を、次へ繋げたのはジョルジュだった。
「殿下」
呼ばれたアンリはハッとして、咳払いをひとつ。
「改めて。
ニコレット嬢、今日は来てくれてありがとう。すでに伝わっていると思うが、君とこれからの話がしたい」
「はい」
「ここから先の話は、聞いたらもう戻れない。だから、失礼を承知で君ひとりで来てもらった。お父上を巻き込むのは君の本意ではないだろうから。
もちろん悪いようにはしないが――進めても、いいだろうか」
ニコレットはグッと気を引き締めて、緊張で震えそうになるのを必死で隠した。
「はい、覚悟はできております」
わかってはいた。たとえどんなにアンリがニコレットを想ってくれていたとしても、王族がその気持ちだけで本来対象とならない家柄の相手に求婚出来るわけがない。王子の結婚は、これからの国の行く末を決める重大な政治案件だ。アンリがニコレットとの婚約を王家に認められたのには、必ず理由がある。
それはきっと、ニコレットがこれまで考えたことも無いような大変なことに違いなかった。
ニコレットの覚悟を見て、アンリは口を開く。
「大前提として、私は王子で君には魔女疑惑がかかっている。本来であれば婚約が認められるはずがない」
「はい」
隠したり湾曲な表現をせず、アンリは淡々と言う。アンリの真っ直ぐな人となりがニコレットには有り難かった。言葉の裏を読む必要も、裏を読んで疑いの目で見られることもないからだ。
「ただ、私は魔女という存在を信じていない」
「え……」
「だから、魔女という存在が国に禍をもたらすということも信じていない」
「それは、」
きっとこれまで多くの人が疑問を感じて、でも口には出せなかったことだ。魔女はいない。魔法なんて存在しない。
でもそれでは理屈が通らない事があるからと、その考えは禁忌とされていた。
「私はこれまで、魔女の烙印を捺された人たちにたくさん会ってきた。そして確信した。少なくとも私が会った彼、彼女らは人間だ。それも、極めて優秀な。
ある人は薬学の知識に長けていた。ある人は天気を予測するのが得意だった。そして君は、人の心の機微にとても聡い」
「…………」
「人は自分の理解が及ばないものを恐れる。想定外のことをされ、自分に危害が及ぶことを嫌う。だからその恐れがある存在を悪として隔離した。薬学に秀でていれば毒の魔女、天気が分かれば天災を操る魔女……実に馬鹿げている。
魔女に魅入られたとされる子供たちが行く学園では、愛国心を徹底的に叩き込まれる。何故か? 優秀な人材に反旗を翻されると困るからだ。そして教育を終えた後は王国の監視という名の下、その能力が国のためになる仕事を与えられる。この国はそういう風に成り立っている。……これが私の見解だ」
漠然と、そうかも知れないと感じていたことも、言葉にすると真実味が増す。ニコレットがこれまでうっすらと感じていたこの国の在り方をアンリは明確にした。
ニコレットは今、物心がついてから初めて期待に震えるという経験をしている。だって、次にアンリが何と続けるのかがわかるから。アンリは、きっと――
「私はこんな国の在り方を変えたい。優秀な人材に国のために働いてもらうことには賛成だが、それなら彼等には相応の地位を与えるべきだ」
じわじわと目頭が熱くなっていく。我慢しようとしたけれど、堪えきれず頬に涙が伝った。
ニコレットは慌てて顔を両手で覆う。かろうじて、嗚咽は漏らさなかった。
そんなニコレットを慮りながらも、アンリは続ける。
「反発は多いだろう。国の根幹の話だし、個人の信仰にも関わる。でも、前時代からの悪習はどこかで断ち切らないといけない。
全ての人の、未来のために」
ずっと不安だった。今はまだ子どもだから許されているが、いつか魔女だからといって殺されるのかも知れないと、怯えて日々を過ごしてきた。それを悟られないために、努めて気丈に振る舞ったりもした。
だけどそれが終わるかも知れない。アンリの言うことは、本心だとわかるから。
「そのためには私のような王族と、魔女たる存在が手を取り合う必要がある。それが、私が陛下に直談判した内容で、陛下は成果を上げて見せろと言ってくださった。全てはそこからだと。
――ニコレット。君には私と一緒に、国を変えるための礎となってほしい」
顔は覆ったままコクンと頷くと、ニコレットはふぅーと長い息を吐いて呼吸を整えた。涙を拭って、真っ直ぐにアンリを見る。
「――謹んで、お受けいたします」
ようやくそれだけ伝えると、アンリは真面目な表情のまま頷いた。けれどニコレットにはその態度がとても嬉しそうに見えて。
この人に、ついて行きたいと思った。
お読みいただきありがとうございます。
王子が出てきて書くのが楽しくなってきました☺️
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婚約編3は8/16に更新いたします