3 壁と俺と記憶喪失
「義國さん、あなたは約1年前、富士の樹海でとある事故に巻き込まれました。そしてその影響で記憶が欠如している可能性が高いです。」
担当医の阿倍野は俺の体調を気遣ってか、ゆっくりと丁寧に話し始めた。
「事件は去年の2月、今と同じ月ですね。富士の樹海に突如として高さ2000メートルを超える壁が出現しました。丁度富士山の右側面側から発生した壁は、日本列島を完全に縦断しており、陸路でこちら側、つまり東日本から西日本に向かうことができなくなりました。ライフラインも寸断され、空路、海路でも西日本とコンタクトを試みましたが…」
簡単な地図を使いわかりやすく説明してくれる。
「だめだったんですかね…?」
「はい、見えざる壁に遮られ、この一年間あの壁を越えた者はおりません。今この日本共和国は東日本のみで国家を保っている状態です。未曾有の危機とでも言えるかもしれませんね…」
阿倍野は力なく笑った。
「その、西日本?とこっち側の東日本が分断されるとそんなに困ることがあるんですか?すみません、全然思い出せなくて…はは…」
「いえ、お気になさらないでください。どこからお話すればいいか。まず日本には二人の神が居られます。西日本を統率する兄神のガイア様。彼は大地と海を制する神として崇め奉られています。この日本共和国は絶海の孤島とも呼ばれる極東の国です。他国からの輸入で食料自給率を賄うことはできません。よってガイア様の叡智を授かった者が西日本を中心に第一次産業を率いてます。」
「なるほど…」
何故かはわからないが、話がスイスイ頭の中に入ってくる。記憶喪失というより異世界転生した主人公が異世界事情に柔軟に順応していくようだ。
なんて、なんで俺は異世界転生なんて意味のない事は覚えているんだ!?
「そして謎の壁ができてからは、東日本を統べる妹神のサーバ様が日本共和国を支えてくださってます。」
「そのサーバ様ってのは何を得意としてるんです?」
「サーバ様は人智を統べる神と言われております。私達に言語を広め、物事の理を教え、時には人の力を超えた能力を与えます。分かりやすいものですと未来予知をされると聞いたことがありますね。なので、東日本は工業や研究、勉学が盛んな地域なのです。」
「じゃあ、今はかなりの食糧難とか日本共和国はめちゃくちゃなんですか?」
「いえ、そこは一国家としてバランスを取っておりましたので、なんとか凌げてはおります。しかしそれもサーバ様の叡智を持ってなんとかしているというのが正しいでしょう。東日本の男手は現在多くが東北地方での田畑の開墾に割かれております。」
医者として働く阿倍野の顔が少し曇る。おそらく彼は技術職であるので開拓に参加したくても出来ないのだろう。この土地からも多くの男性が東北と呼ばれるエリアに送られているのだろうか。
「俺が眠ってる間になんかすごい大変なことになってたんですね…ということは俺の巻き込まれた事故っていうのは…」
なるほど…大切な話とは恐らく、先程の空路海路での西日本にコンタクトを取ろうとした政府組織の一員であるというとこk…
「義國さんは、富士の樹海のハイキング中に偶然壁が発現し、瓦礫に巻き込まれた一般人です!」
え?
「富士の樹海にハイキングにいらしていた一般人ですよ。海軍や空軍の方ではありません。」
キラキラと急に笑顔で答える阿倍野に、心の声が読めるのかよっ!とツッコミを入れた義國だった。
「義國さんの心の中が見えるわけ無いじゃないですか!顔に出やすいんですよ、義國さんは!あははは!」
先ほどとは打って変わって陽気なキャラクターになった阿倍野に少し引く義國だった。
「まずは明日、再度CTを取ってみましょう。以前の病院では特別何かあったわけでは無いとのことでしたが、記憶喪失なら話は別です。再度精密検査を行いましょう。ただ、事故の後遺症で記憶が失われたとするともっとこう、何もわからない赤ちゃんの様な状態が普通なんです。」
「つまりは…?」
「義國さんの記憶喪失は頭をぶつけたことが原因出ない可能性が高いです。考えられるのは富士の樹海を一人でハイキングされてたので、もしかして記憶をなくす前にお仕事やプライベートで行き詰まってた可能性がありますね!」
「えっと…それはどういう意味で?」
「富士の樹海は自殺の名所なんですよ!もしかしたら義國さんも…なんてね!あははは、冗談ですよ〜!」
この時俺はめざめて初めて殺意を覚えたのであった。阿倍野…イケメンだが医者としてのデリカシーに欠けるのではないか。でも、阿倍野のおかげでなんとなくこの日本共和国が、そして俺がおかしい状態なのはわかった。俺はこれからどうすればいいのだろうか。記憶は戻るのだろうか。
手が震えている…
阿倍野が席を立ち、一人になった義國は急に不安感と孤独感に襲われていた。
よかったら屋上に行ってみてください。富士山と壁がよく見えますから。
阿倍野が去り際に残した言葉を思い出し、脚が勝手に動いた。屋上はひとつ上の階なので直ぐだった。
眼前に広がる壁と富士山の光景に絶句した。
「おいおい…こりゃ富士の絶景が台無しじゃねえか…」
富士山の頭だけがひょっこり見えているが、その手前にはまるで合成したかのように壁がそそり立っていた。
そしてそんな光景を見て自然と口から出た言葉に、自分は異世界人でも何でも無く、ただ記憶を無くした普通の日本人であることを実感した。
拙い文章ですがお読みいただきましてありがとうございます。頑張って連載していきたいと思いますので宜しくお願いします。
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。