3,ラングドシャを召し上がれ
レイヴァ・デ・アーシュラン。
黒髪に深緑の瞳の彼は、側室の子だった。
彼の母は、もとは踊り子であり、王に見初められて側室となったため、平民の側室として白い目で見られていた。彼の父である王も、彼の母に飽きるとあっさりと離れていった。そして王が母に飽きて離れていって数日後、彼の母が身ごもっていることが判明。子が一人もいなかった王は、側室のもとにまた通うようになり、子の誕生を心待ちにした。
そうして産まれたのがレイヴァだった。彼の父である王は、待望の子、しかも男児の誕生を嬉しがったが、一方で残念がる気持ちも抱えていた。レイヴァの母であり、自らの側室が、レイヴァを産んですぐに、産後の肥立ちが悪く、死んでしまったからだ。
母亡きレイヴァは正室の子として育てられ、正室に大事に育てられた――――――というのは表向き。
正室が忌々しい側室の子であるレイヴァを大事にするわけもなく、レイヴァを罵り、虐げた。しかし、王が来るときに限っては身なりも整えさせ、大事に育てていると思わせていた。
そんなレイヴァは、醜い側室の子は醜いのだ、と言われて育つ。そして正室は、レイヴァの顔に傷をつけてしまった。しまったと思ってももう遅く、王がやってくる時間は迫っていた。正室は虐げているとバレてしまう、と思い、咄嗟に仮面を付けさせて、「レイヴァは、呪いのせいでなってしまった醜い顔を隠すため、仮面を付けている」と言いふらした。
表の聡明な正室を信じていた王たちは、レイヴァは醜い容姿を隠すため、仮面を付けている、ということを真実だと信じ込んだ。
そのまま仮面を付けて暮らしたレイヴァ。気付けばレイヴァが仮面を外そうとすると、皆が呪いにかかってしまうかもしれないと怯えるようになった。
そのため、レイヴァは仮面を外さなくなった。というより、正室が外すな、と命令したので外せなくなった。外したら最後、どうなるかレイヴァはよく分かっていたから。
そして、正室が死んだ。最後まで正室は、忌々しい側室の子を大事に育てた聡明で優しい人、と信じられていた。
正室が死んだあと、レイヴァは仮面を人前でも外せるようになった。もう、外すと傷つけてくる正室はいないから。
だけど、レイヴァは仮面を人前で外せなくなっていた。
仮面を人前で外して素顔を見せると、正室が死の国からでも自分の名誉を守ろうとして、傷つけてくるかもしれない、と怯えるようになったから。
レイヴァは仮面を必要最低限つけて暮らした。今は亡くなっているが、今もなお、恐ろしい恐怖の対象である正室の脅威から逃げるように。
そして、王が病気で死に、唯一の王の実子であったレイヴァが後を継ぎ、王となった。
レイヴァはまず、聖女のおかげで地位が高い、リンフィ―王国と結びつきを強くしようと、リンフィ―王国から妻を迎えようとした。
そうして迎えたのがリリアーヌ…のはずだったが、私、ティアレシアが来た、ということだった。
とまぁ、あらかたこんな内容をレイヴァは話してくれた。
「―――どうだ、今はもう亡き正室の脅威に怯える俺が貧弱だと思っただろう…というか、なぜ泣いている?」
気付けば泣いていたらしい。道理で前髪が濡れていたわけだ。
『ごめんなさい』
と見えづらい視界の中書いて、レイヴァ様に見せてから、長い前髪の中にハンカチを入れて涙をせき止める。
涙が落ち着いたところで、なぜ泣いていたかをようやく理解する。
『たぶん、似ていたからだと思います』
「俺とお前が似ている?」
『はい』
「どこがだ?」
『独りぼっちなところです』
「独りぼっち、か。…確かに俺も、独りだったかもしれない」
『私は独りぼっちでした。みんな義妹の味方でした』
「…そうか。俺も、みんな正室の味方だった」
だけど、私とレイヴァ様との違うところに気付き、サララッと紙に書いた。
『だけど、一つだけ違うところがありますね』
「どこだ?」
『私は影薄幸薄ですが、あなたは影が薄くないし、今は国にも侍従さんたちにも恵まれていますよ』
「そうか、俺は、恵まれているのか」
『お菓子の聖地であるアーシュラン王国にいるのですから、すごく恵まれていますよ!良いお菓子食べ放題です!』
レイヴァ様は驚いたような感じになって、くはっと笑った。
「確かにな」
それからレイヴァ様の前に置いてあるお菓子に気付いて、
『お菓子を食べてみてください。早く食べたほうが美味しく味わえます』と紙に書いて見せた。
「そうだな、それでは頂こう」
モノを食べるには仮面を外さなければいけないだろうから、仮面の下の素顔を人に見せるのが怖いであろうレイヴァ様の気持ちを配慮して部屋を出ようとする。
「なぜ部屋を出る?」
『見られるのが嫌でしょう?』
「そうだが…お前…ティアレシアには見られてもいいと思う」
なぜに、と思ったが見られてもいいとレイヴァ様がおっしゃったので、すとんと再び座る。
スッと仮面が外される。
現れた顔は、レイヴァ様の黒髪に似合う、深緑の瞳の、醜いなんて面影もない、美しい容姿だった。思わずみとれてしまう。この顔面、リリアーヌのタイプだっただろうなぁ。
私が作ったラングドシャを口に運ぶ姿も、肖像画みたい。
「美味い…」
と褒められて、顔への注意が粉砕する。
『良かったです!』
えへへと照れてしまう。褒められるの慣れてないもんで…。
「…」
なぜかレイヴァ様が、片手に紅茶、片手にラングドシャを持った姿勢のままピタリと止まった。どうしたんだろう?
そして固まっているレイヴァ様の手から紅茶のカップが―――――。
パリーン
落ちて割れた。レイヴァ様が動きを取り戻してうわっとなって片付けようとしていると、カップのカケラがレイヴァ様の手を薄く切った。
『触らないでください!』
と急いで書いてレイヴァ様に突き付け、レイヴァ様の傷が出来てしまった指に手をかざす。
暖かな光がレイヴァ様の指を包み、光が消える頃には傷は跡形もなく消えていた。
ふぅ…。と息を吐く。この芸当は、昔から出来たもの。小さな切り傷ぐらいだったらすぐに治せるので、義妹義母に傷をつけられても自分で治癒をして、痛みを減らしていた。
リリアーヌに治癒してる現場を見られて、『誰でもできる魔法なんだから、偉ぶって見せびらかさないことね!』と言われたのを機に、人前では見せないようにしている。注意したあのときのリリィは殺気を放っていたから。
だけど、こうしてレイヴァ様の前で見せてしまったのは、途轍もない安心感があったからだと思う。
「…失礼する」
急に言われて、レイヴァ様に前髪を完全に上げられた。レイヴァ様の深緑の瞳に映る私と見つめ合う。瞳の中の私も、なぜ急に、というような顔をしている。
「セシリアブルー…」
レイヴァ様が小さく呟いた言葉。現聖女リリィの瞳の色であり、聖女の証である瞳の色。
レイヴァ様と私の距離が凄く近くなっていることに、今更ながら気づいて赤面する。
『近いです』
目だけはレイヴァ様と見つめ合いながら、手の感覚を頼りに『近いです』と書いてレイヴァ様の顔面に突き付けた。
「す、すまない。…まさか聖女だったとは…」
聖女?私が?私がセシリアブルーなの?そんな訳ない!
『聖女は私の義妹ですよ』
「…しかし、ティアレシアは確かにセシリアブルーの瞳だった」
『そんな訳ありません!だって治癒魔法は皆使えるって義妹が言ってました!』
「…皆は使えないぞ。少なくとも、俺は使えないし…。…使えるのは聖女だけだ」
へ?とレイヴァ様を見つめる。ウソを言っているようには見えない。
『私聖女なんですか?』
「そうなんじゃないのか?」
『そうなのでしょうか?』
「そうなのではないか?」
聞いて聞いて聞いて聞いてを繰り返して、じーっと見つめ合う。
『私、聖女かもしれませんね』
「そうなのかもしれないな」
『かもしれませんね』
「かもしれないな」
かもしれないを繰り返して、手鏡を持ってくるよう、仮面をつけて扉を開けてたレイヴァ様が外にいる侍従に命令した。
そして一分後、見事素早く用意された手鏡を手に座って向き合った私とレイヴァ様。
恐る恐る私が前髪を上げて鏡を覗き込むと、映っているのは…ユリシスブルーの瞳の私。
『私、たぶん聖女ですね』
「いや、絶対聖女だろ」
『そうですね』
『で?』
「聖女って分かったら…何するんだろうな?」
『知りません』
「俺も知らない」
『とりあえず…結界張ってみたいと思います』
「やってみてくれ」
興味津々のレイヴァ様。
結界できろーみたいな感じでやるのかな?
結界でーきろー。
するとパアッと手が光って、しんしんと光が降り積もるような感覚になった。
「どうだ?」
『出来た気がします』
「どんな感じでやったんだ?」
『結界でーきろーみたいに』
「そんなんで良いのか…」
『多分』
『とりあえず、前髪切ってみたいと思います!』
「切った方が…楽だと思う」
『そうですよね』
「いま切るか?」
『切れるなら』
「俺が切ろう…どうやるかは知らないけど」
『では任せます』
「では…」
レイヴァ様がギラリと光る短剣を鞘から取り出した。
私の長い前髪をまとめたものの丁度よい長さに刃を当てて切り落とそうとする。
こうやって前髪切るんだなー。…すると、バッとドアが勢いよく開いた。
「ノックも無しに失礼いたします!辺境地で魔物の消滅が確認され―――ってえぇっ!殺人⁉心中ですか⁉」
どうやらこれは端から見ると髪切りの場ではないように見えるらしい。
あとから、レイヴァ様の髪切り方法は間違っていることが分かった。