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淡々三国演義  作者: ンバ
第九回 暴凶を除きて呂布司徒を助け、長安を犯して李傕賈詡に聴く
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四、蔡邕の涙

 さて、止まない歓声のなか、呂布は下々へ言い放った。


「董卓の暴虐は、すべて李儒の補佐によるものだ! やつにも報いを受けさせねばなるまい。誰ぞ、捕えてまいれ」


 李粛が声に応じ、行く事を願い出た。が、俄かに朝門の外から喊声が発された。報告によれば、李儒の家の奴婢が既に彼を捕縛し、献上して来たとの事であった。


 王允の命により、李儒は市へと引っ立てられ、首を斬られた。


 一方で董卓の遺骸は、命により大通りに晒された。


 董卓の体はでっぷりと肥えており、見張りの兵がその臍に火を点けると、膏油が溢れ出して地に満ちた。


 そばを通り過ぎる百姓のうちで、手ずから董卓の頭部をなげうち、その屍を足蹴にせぬものはなかった。


 王允は更に呂布・皇甫嵩・李粛に五万の兵を与えて郿塢へと向かわせ、董卓がこれまでに積み重ねた家産や人材を掠奪させた。


 一方、李傕りかく郭汜かくし張済ちょうせい樊稠はんちょうは、既に董卓は討ち取られ、呂布が迫ってきていると聞くと、すぐに飛熊軍を纏め、連夜の行軍で涼州へ逃げ去っていった。


 呂布は郿塢へ至ると、先ず貂蝉を保護した。皇甫嵩こうほすうの命で郿塢に所蔵されていた良家の子女は、盡くが解放された。


 ただし、董卓の親族係累は老若の区別なく、全員が誅戮された。九十歳を超える董卓の母も、董卓の弟・董旻とうびん、甥の董璜とうこうも、一切合切に斬首の令が下された。


 郿塢に蓄積されていた黄金数十万、綺羅、珠宝、器皿、そして糧食──数えきれない程の物資が回収されると、呂布らは戻って王允への報告を済ませた。


 王允は軍士らを大いにねぎらわんと都堂に宴席を設え、百官を召集、酒の傍ら、よろこびを叫んだのであった。


 そして、まさに宴も酣という頃、忽ちに斯様な報せが齎された。


「市に晒されている董卓の屍の前に、突如として男が一人現れ、遺骸に縋って何やら大泣きしておるのですが……」


 王允は怒りを露わにした。


「董卓は誅殺されたのだぞ! 士民のうちで慶賀せぬ者はおらぬというのに、どこの誰であるか。涙なぞ流しておるのは!」


 かくて武士が喚呼され、


「その不届き者を捕えてまいれ!」


 と命が下された。


 件の男は、須臾にして連行されてきた。


 その姿を見た諸官のうちで、驚駭せぬ者はなかった。董卓の死を嘆いていたかの男は、あろうことか漢室の忠臣と謳われた、侍中の蔡邕さいようだったのである。


 王允は叱責した。


「逆賊董卓は本日この日に誅殺された。国家にとっての大いなる幸いであろう! 汝は、漢臣の身でありながら国の為に慶ばず、反対に賊の為に流涕するとは、一体どういうつもりなのだ!!」


 蔡邕は平伏して述べた。


「私は非才ではありますが、大義を心得ております。どうして国家に背いて董卓に迎合いたしましょうや。ただ……彼からの一時の知遇に、感じ入った事もまた事実。その時の事が思い起こされ、はからずも涙が溢れてまいりました。罪の大きさについては自覚しておりますが、どうかご慈悲を。頭部へのいれずみでも、足切りの刑でも受けます。漢の史書を綴る事で、罪を清算させてください。それこそが、我が幸いです」


 百官は蔡邕の才を惜しみ、王允に助命を願い出る。太傅の馬日磾ばじつていもまた、王允に密かに告げた。


蔡伯喈さいはくかい曠世こうせいの逸材です。もし彼に漢史を編纂させたならば、まこと盛事と申せましょう。それに、彼は孝行な事で素より聞こえておりますから、もしも俄かに殺してしまえば、恐らくは人望を失ってしまいますぞ?」


 王允、


「かつて、孝武皇帝(劉徹)は司馬遷しばせんを殺さずにおいたため、後に史記が作られ、遂には誹謗の書物として後世に流布されるに至った。まさに今は国家の命運が衰微し、朝政は錯乱しておる。このような佞臣に、幼主の左右で執筆なぞはさせられぬ。今度は、我々が誹謗を蒙る事になるのだぞ?」


 馬日磾は無言で引き退がり、諸官に私的に告げた。


「善人は国の紀、制作は国の典であろうに。紀を滅ぼし、典を廃そうとするとは……。王允の天下も長くはないな」


 王允は馬日磾の言を却下した後、命を下して蔡邕を獄中へ送り、首を括らせた。当時の士大夫はこの事を聞き、盡くが涙を流した。


 後世の人は、蔡邕が董卓の為に涙した事は間違っているが、王允が蔡邕を殺した事もまた大変な過ちである──と論じたのであった。


 この事を歎じた詩が存在する。


 董卓、権を専らにして不仁をほしいままにすれども

 侍中、どうして自ら竟に身を亡ぼさん。


 当時、諸葛しょかつは隆中に臥すも

 安んぞ身を軽んじて乱臣に

 事えるを肯んじようか?

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