四、蔡邕の涙
さて、止まない歓声のなか、呂布は下々へ言い放った。
「董卓の暴虐は、すべて李儒の補佐によるものだ! やつにも報いを受けさせねばなるまい。誰ぞ、捕えてまいれ」
李粛が声に応じ、行く事を願い出た。が、俄かに朝門の外から喊声が発された。報告によれば、李儒の家の奴婢が既に彼を捕縛し、献上して来たとの事であった。
王允の命により、李儒は市へと引っ立てられ、首を斬られた。
一方で董卓の遺骸は、命により大通りに晒された。
董卓の体はでっぷりと肥えており、見張りの兵がその臍に火を点けると、膏油が溢れ出して地に満ちた。
そばを通り過ぎる百姓のうちで、手ずから董卓の頭部を擲ち、その屍を足蹴にせぬものはなかった。
王允は更に呂布・皇甫嵩・李粛に五万の兵を与えて郿塢へと向かわせ、董卓がこれまでに積み重ねた家産や人材を掠奪させた。
一方、李傕・郭汜・張済・樊稠は、既に董卓は討ち取られ、呂布が迫ってきていると聞くと、すぐに飛熊軍を纏め、連夜の行軍で涼州へ逃げ去っていった。
呂布は郿塢へ至ると、先ず貂蝉を保護した。皇甫嵩の命で郿塢に所蔵されていた良家の子女は、盡くが解放された。
ただし、董卓の親族係累は老若の区別なく、全員が誅戮された。九十歳を超える董卓の母も、董卓の弟・董旻、甥の董璜も、一切合切に斬首の令が下された。
郿塢に蓄積されていた黄金数十万、綺羅、珠宝、器皿、そして糧食──数えきれない程の物資が回収されると、呂布らは戻って王允への報告を済ませた。
王允は軍士らを大いに犒わんと都堂に宴席を設え、百官を召集、酒の傍ら、慶びを叫んだのであった。
そして、まさに宴も酣という頃、忽ちに斯様な報せが齎された。
「市に晒されている董卓の屍の前に、突如として男が一人現れ、遺骸に縋って何やら大泣きしておるのですが……」
王允は怒りを露わにした。
「董卓は誅殺されたのだぞ! 士民のうちで慶賀せぬ者はおらぬというのに、どこの誰であるか。涙なぞ流しておるのは!」
かくて武士が喚呼され、
「その不届き者を捕えてまいれ!」
と命が下された。
件の男は、須臾にして連行されてきた。
その姿を見た諸官のうちで、驚駭せぬ者はなかった。董卓の死を嘆いていたかの男は、あろうことか漢室の忠臣と謳われた、侍中の蔡邕だったのである。
王允は叱責した。
「逆賊董卓は本日この日に誅殺された。国家にとっての大いなる幸いであろう! 汝は、漢臣の身でありながら国の為に慶ばず、反対に賊の為に流涕するとは、一体どういうつもりなのだ!!」
蔡邕は平伏して述べた。
「私は非才ではありますが、大義を心得ております。どうして国家に背いて董卓に迎合いたしましょうや。ただ……彼からの一時の知遇に、感じ入った事もまた事実。その時の事が思い起こされ、はからずも涙が溢れてまいりました。罪の大きさについては自覚しておりますが、どうかご慈悲を。頭部への黥でも、足切りの刑でも受けます。漢の史書を綴る事で、罪を清算させてください。それこそが、我が幸いです」
百官は蔡邕の才を惜しみ、王允に助命を願い出る。太傅の馬日磾もまた、王允に密かに告げた。
「蔡伯喈は曠世の逸材です。もし彼に漢史を編纂させたならば、まこと盛事と申せましょう。それに、彼は孝行な事で素より聞こえておりますから、もしも俄かに殺してしまえば、恐らくは人望を失ってしまいますぞ?」
王允、
「かつて、孝武皇帝(劉徹)は司馬遷を殺さずにおいたため、後に史記が作られ、遂には誹謗の書物として後世に流布されるに至った。まさに今は国家の命運が衰微し、朝政は錯乱しておる。このような佞臣に、幼主の左右で執筆なぞはさせられぬ。今度は、我々が誹謗を蒙る事になるのだぞ?」
馬日磾は無言で引き退がり、諸官に私的に告げた。
「善人は国の紀、制作は国の典であろうに。紀を滅ぼし、典を廃そうとするとは……。王允の天下も長くはないな」
王允は馬日磾の言を却下した後、命を下して蔡邕を獄中へ送り、首を括らせた。当時の士大夫はこの事を聞き、盡くが涙を流した。
後世の人は、蔡邕が董卓の為に涙した事は間違っているが、王允が蔡邕を殺した事もまた大変な過ちである──と論じたのであった。
この事を歎じた詩が存在する。
董卓、権を専らにして不仁を肆にすれども
侍中、どうして自ら竟に身を亡ぼさん。
当時、諸葛は隆中に臥すも
安んぞ身を軽んじて乱臣に
事えるを肯んじようか?




