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淡々三国演義  作者: ンバ
第七回 袁紹磐河に公孫と戦い、孫堅江を跨ぎて劉表を撃つ
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一、袁紹の謀略

 〜この回から登場する人物〜


趙雲ちょううん子龍しりゅう)?〜229

 常山じょうざん真定(しんてい)県の人。知勇兼備にして恭敬なる将。初め公孫瓚に仕え、やがて劉備の股肱の臣となる。


孫策そんさく伯符はくふ)175〜200

 孫堅の長子。父に勝るとも劣らぬ胆力度量の持ち主で、その武勇をかの項籍に比された若獅子。


孫権そんけん仲謀ちゅうぼう)182〜252

 孫堅の次子。碧眼紫髯へきがんしぜんの異貌を持つ。熟慮の上で物事に臨み、江東を大いに発展させる。


田豊でんほう元皓げんこう

 袁紹の知恵袋。直言居士。

 さて、劉表りゅうひょう軍からの重囲を受けている孫堅そんけんであったが、不幸中の幸いは程普ていふ黄蓋こうがい韓当かんとうら宿将の存在である。この三将が死に物狂いで主を救出し、辛くも攻囲からの脱出を果たした孫堅は、兵の大半を失いながらも江東へ落ち延びた。


 寡兵とはいえ孫堅軍も奮戦したため、劉表軍の方も少なからぬ被害が出、この一件以来両者の間には深い遺恨が残る事となったのである。


 さて一方の袁紹えんしょう河内かだいに兵を留めていたが、肝心の糧秣が払底しており、冀州牧きしゅうぼく韓馥かんふくのもとへ使者を遣って食糧を催促し、その不備に充てようと考えていた。


 謀臣の逢紀ほうきがそこで袁紹に説くよう、


「大丈夫は天下を縦横するもので、どうして人の食糧などをあてにしておるのですか。冀州は資源・食糧ともに豊富な土地柄ですのに、将軍はなにゆえこれを奪ってしまわぬのです?」


元図げんとよ、何か良策があるのか?」


 逢紀は続けて、


「秘密裏に人を遣わして公孫瓚こうそんさんに書状を送り、ともに兵を進めて冀州を攻め取るように持ち掛けるのです。さすれば公孫瓚は必ずや兵を興しましょう。韓馥は無謀の徒、幽州ゆうしゅうから軍勢が攻めてきたとあらば、間違いなく将軍に刺史の事業を委託しようとするでしょう。かくて内部に入り込めば、いとも容易く冀州を手に入れられます」


 この献策に大いに喜んだ袁紹は、即刻公孫瓚へ書状を送ったのであった。


 書状を得た公孫瓚は「共に冀州を攻め、領土を分け合おう」との提案に欣喜し、果たしてすぐに兵を出した。


 袁紹は一方で内密に韓馥にも使者を遣っていた。韓馥は公孫瓚が攻めてきたと聞くや大慌てで荀諶じゅんしん辛評しんぴょう──配下の謀臣らと善後策を協議した。


 荀諶が言う。


「公孫瓚がえんだいの軍勢を率いて長駆しておりますが、そのほこさきにまともにぶつかってはなりませぬ。元々の手勢に、虎牢関で名を馳せた劉備・関羽・張飛の助力を得たとなれば、抵抗するのは極めて難しくなるでしょう。当代人の中では、袁本初えんほんしょが知勇人に過ぎ、配下には広く名将を揃えております。将軍は彼に冀州を対等に統治するという条件で援軍を要請するべきかと。必ずや将軍を厚遇し、公孫瓚を退けてくれましょう」


 韓馥はすぐさま別駕べつがの※関純かんじゅんを袁紹のもとへ差し向けようとしたが、そこで長史の耿武こうぶが諌めて言うよう、


(※正史には閔純びんじゅんとある)


「袁紹は孤絶した客将であって、軍勢は窮乏しております。我々の鼻息を仰ぎ、例えるならば膝の上の嬰児えいじの如くでありますから、授乳を絶ってしまえば立ち所に餓死するものかと思いますが。何故彼に州統治を委ねようなどと仰るのですか? 虎を羊の群れに引き入れるようなものですぞ!?」


 韓馥は反論して、


「私はもともと袁氏の故吏であり、才能もまた本初には及ぶべくもない。古代では賢者を選びてこれに譲るというが、諸君らはどうして彼に嫉妬などしておるのかね」


 耿武は天を仰いで嘆息した。


「ああ、これで冀州の命運は尽きた──」


 こうして、三十人余りが官職を捨てて韓馥のもとを去っていったが、ただ、耿武と関純の二人のみは城外に埋伏し、袁紹を討ち取らんと待ち構えた。


 数日後、袁紹が手勢を引き連れて至ると、耿武と関純が抜刀して袁紹を刺殺せんと飛びかかってきたが、袁紹の部将の顔良が耿武を、文醜が関純をそれぞれ斬って捨てた。


「天晴よ。韓馥の下にも忠臣が残っていたか」


 討死した両者への惜しみない賛辞を送ると、袁紹は悠然と冀州へ入り、韓馥を奮威将軍に任じて、配下の田豊でんほう沮授そじゅ許攸きょゆう・逢紀に州の諸事を分担させ、韓馥の州刺史としての権勢を盡く奪い取ってしまった。韓馥は自ら袁紹を招き入れてしまった事に懊悩したが時すでに遅く、かくて家族を捨てた彼は一頭の馬に跨って陳留ちんりゅう太守の張邈ちょうばくを頼って落ち延びていった。


 さて、袁紹が冀州を自分のものにしてしまったと聞いた公孫瓚は、弟の公孫越こうそんえつを袁紹のもとへ遣り、領地の分配の件について問い質そうとした。


 袁紹は、


「この話は汝の兄が直接参りてすべきであろう。さぁ戻った戻った、私は商議で忙しいのだ」


 として突っぱね、公孫越は遣る方なく踵を返した。五十里まで行かぬうちに、道の傍らより一団の兵馬が閃光の如くに罷り出で、


「我々は董相国(董卓)の部将である!」


 との口上を述べるや、雨霰と矢を射かけてきた。余りにも突然の出来事に、公孫越は為す術もなく命を落としてしまった。


 従者らは逃げ延び、公孫越が董卓の配下を名乗る兵団に討ち取られた事を公孫瓚に告げた。これには公孫瓚も烈火の如くに怒り、


「袁紹めぇええーーっ!! 私に韓馥を攻める名目で挙兵を持ちかけたのは、自らが裏で冀州牧に取って代わろうと目論んでいたためであったのか! そして今度は董卓の兵であると詐って、我が弟を殺しおったな……! この恨み、弟の無念、晴らさでおくべきか!!!!」


 かくて公孫瓚は手勢の兵をかき集め、冀州へと殺奔したのであった。

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