二、燎原の雒陽
頭を抱えた李傕は董卓の元へそそくさと逃げ帰り、孫堅が無礼な振る舞いを働いたと報告した。怒った董卓が李儒に諮問すると、
「温侯(呂布)が敗れたばかりで、兵士たちは戦意を喪失しています。こうなれば、兵を率いて洛陽へ帰還するに越した事はございませんかと。帝をお連れして長安へ遷都いたしましょう。近頃、市井にてかような童謡が出回っておりましてな、いわく、『西頭に一個の漢、東頭に一個の漢。鹿が走りて長安へ入り、方に斯くの難きなかるべけんや』。臣がこの言について思いますに、『西頭一個漢』とはすなわち、高祖が西の長安に都し、十二の帝に皇統が伝えられて西漢が盛えた事に応じております。『東頭一個漢』とはすなわち、光武帝が東の洛陽に都し、今また十二の帝に皇統が伝えられて東漢が栄えた事に応じております。詰まる所、天運とは巡るものなのでございます。相国がこの流行歌に応じ、長安へ遷都なされたなら、憂いはなくなります」
董卓は大喜びして、
「そなたの言がなければ、わしは大事を誤るところであったぞ!」
と述べると、かくて呂布を引き連れて当夜のうちに洛陽へと戻り、然るのちに遷都の件について商議するため、文武百官を朝堂に集めてこのように宣言した。
「漢の東の都である洛陽は、二百余年のうちに命数が衰えておる。わしが見るに、運気が盛んになっておるのは長安じゃ。車駕を奉じて西方へ遷都いたそう。そなたら、各自支度をせい」
司徒の楊彪が反駁する。
「関中は荒れ果て、すっかり零落しておりますぞ。今わけもなく宗廟を損ない皇陵を棄ててしまえば、恐らくは百姓が動揺してしまいます。天下を動かす事はいと容易くとも、安んずる事は至難の業なのです。相国、どうかお考え直しください!」
「きさまは、国家の大計を阻むつもりか!」
董卓は怒声を張り上げたが、太尉の黄琬が楊彪に同調して、
「楊司徒の仰る事も尤もかと。かつて王莽が簒奪を為し、更始帝や赤眉が蜂起した際、長安は焼かれ、盡くが瓦礫と化してしまいました。人民を強制移住させた上での成功など、百に一、二もありませぬ。今宮室を捨てて、荒廃した地に移るなどという方策は避けるべきです」
董卓、
「関東で賊が蜂起し、天下は混乱しておる。長安は崤山と函谷関の険峻を有し、更には隴右に近く、木材や石・瓦なども調達できるゆえ、宮室の修復などは一ヶ月もかかるまい。そなたらはまだ世迷言を抜かすのか」
更に司徒の荀爽が
「相国がもし遷都を実行されたなら、百姓は混乱し、安寧に過ごす事が出来なくなってしまいますぞ!」
と諌めたが、董卓は激怒して言い放った。
「わしが天下の大計を為すのに、どうしてちっぽけな民衆なぞを惜しまねばならぬ!」
かくて楊彪、黄琬、荀爽の三者は即日罷免され、庶民に落とされてしまった。
董卓が退出して車に乗り込むと、二人の男が現れて拱手した。見れば尚書の周毖と城門校尉の伍瓊である。董卓が何事かと問うと、周毖が言う。
「今しがた相国が長安に遷都なさると聞き及びまして、こうしてお諌めに参りました」
董卓は忿怒して、
「わしは当初、そなたらの意見を聞き入れて袁紹を用いたが、今やその袁紹が反乱を起こしておるではないか。諫言だなどとたわ言を抜かしおって。これは、そなたらも賊に与する一派であるということじゃ!」
と述べると、武士に怒声で命じて周毖と伍瓊を引きずって行かせ、都の門前にて両者を斬刑に処した。
かくて遷都についての令が下知され、直ちに準備が進められた。その際、李儒が董卓に進言して、
「ただいま我が軍は資金、糧秣ともに缺乏しております。洛陽には富裕層が極めて多いですから、奴らの財産を没収してしまいましょう。袁紹どもの門下であるとでも称してその宗族から家財を掠め取れば、必ずや巨万の富を得られましょうぞ」
董卓は即刻鉄騎五千を差し向け、洛陽の富裕者遍く数千家を拿捕、頭上に大きく「反臣逆党」と書いた旗を揚げさせ、城外にて盡くを斬殺──その家財をそっくり回収してしまった。
李傕と郭汜は洛陽の民衆百万戸を駆り立てて長安へと赴いていたが、百姓一群の間に軍隊を配備して強制的に連行する形での行軍であり、途中で力尽き、溝壑に転がる死者は数え切れない程にのぼった。行き遅れた者には背後の軍士らの白刃が迫り、野に屍を晒す。さらに董卓は、軍士には思いのままに婦女への姦淫や暴行、民から食糧や金品の強奪を認めており、人々の哀哭の声は天地をも揺るがさんばかりであった。
董卓は行軍に臨んで諸門に火を放って民家を盡く焼き払うように言い含めており、更に宗廟や宮室にまで火の手が及んだ。南北の両宮に放たれた炎は這うように繋がり、洛陽の宮廷は盡くが焦土と化した。
一方で呂布に命じて歴代の皇帝および后妃の陵墓への盗掘を行わせ、その副葬品をも回収させていた。更に兵士たちはその勢いに乗じ、官民の墓までも暴いていった。
董卓は金の宝珠や嗜好品数千を車賀に積載し、天子並びに后妃らを脅して同乗させると、竟に長安へと去っていった。




