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淡々三国演義  作者: ンバ
第五回 矯詔發され諸鎮曹公に応じ、関兵を破り三英呂布と戦う
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一、陳留にて再起

 〜この回から登場する人物〜


・陶謙《とうけん》(恭祖《きょうそ》)132〜194

 揚州丹陽(たんよう)の人。後漢の徐州刺史。正史ではしたたかな戦略家、演義では仁徳の人。


・馬騰《ばとう》(寿成《じゅせい》)?〜212

 扶風《ふふう》茂陵《もりょう》の人。西涼にて名高い存在。馬超《ばちょう》の父。


・夏侯惇《かこうとん》(元譲《げんじょう》)?〜220

 沛《はい》国譙(しょう)県の人。曹操とは縁族に当たる剛毅なる将。


・夏侯淵《かこうえん》(妙才《みょうさい》)?〜219

 夏侯惇の族弟。弓術に長ける。


・曹仁《そうじん》(子孝《しこう》)168〜223

 曹氏一族の将。若い頃は粗暴だが、徐々に一廉の名将に成長。


・曹洪《そうこう》(子廉《しれん》)?〜232

 曹氏一族の将。正史では助平で吝嗇《りんしょく》家。演義では血気盛んな猛将として描かれる。


・楽進《がくしん》(文謙《ぶんけん》)?〜218

 曹操配下の将。陽平《ようへい》衛《えい》国の人。


・李典《りてん》(曼成《まんせい》)?〜?

 曹操配下の将。山陽《さんよう》鉅鹿《きょろく》の人。


・程普《ていふ》(徳謀《とくぼう》)?〜?

 孫堅配下の将。右北平《うほくへい》土垠《どぎん》の人で、鉄脊蛇矛《てっせきだぼう》の使い手。


・黄蓋《こうがい》(公覆《こうふく》)?〜?

 孫堅配下の将。荊州零陵(れいりょう)の人で、鉄鞭《てつべん》の使い手。


・韓当《かんとう》(義公《ぎこう》)?〜226

 孫堅配下の将。遼西《りょうせい》令支《れいし》の人で、大刀の使い手。


 さて、陳宮は今にも曹操を殺めんとしていたが、忽《たちま》ちに思い直した。


(私は国家の為にこの男をここまで逃したのだ。それを殺すのは不義というもの……。孟徳よ、これでお別れだ。私はどこか別の所へ行こう)


 かくて剣を鞘に収め、夜が明ける前に陳宮は東郡へ身を投じた。


 やがて目を覚ました曹操、陳宮の姿が見えないので尋思する。


(陳宮は前後に渡る我が言動から、私を不仁と見なして捨て去ったか……。久しく留まっているわけにはいかん、すぐにこの場を離れねば……)


 かくて連日連夜馬を飛ばし、遂に陳留《ちんりゅう》まで辿り着いた曹操は、すぐに父親に見えて経緯を話した。そして「家財を掻き集めて義兵を召募したい」と申し出たところ、父は言った。


「操よ、我が家には貯えが少なく、全て吐き出したとて成功は望めそうにない。ただ、この界隈には※孝廉《こうれん》の衛弘《えいこう》どのがおる、義を拠り所として巨万の富を築いたお方だ。もし彼の援助を得られれば、事を図ることも出来るのではないか」


(※世語《せご》には、孝廉の衛茲《えいじ》とある)


 曹操は即座に宴席を設えて衛弘《えいこう》を自宅へ招き、このように告げた。


「今漢室には主無く、董卓が権威を弄んで君を欺き民を害す有様に、天下は切歯しております。私は社稷を救う事を志しておりますが……力が足りない事が恨めしい! そこで、あなたを忠義の士と見込んで、援助を求めに参じた次第です」


「私も久しく社稷の為に働きたいと願いつつも、いまだ英雄に出会えぬ事を悔やんでおったが、天は既に孟徳の如き大志を抱く英才を世に遣わしていたか……! 是非こちらからもお願いしたい、援助は惜しまぬ」


 曹操大いに喜び、こうしてまず偽詔が発布され、早馬で各地に伝えられた。然るのち義勇兵を招集し、集めた兵に「忠義」の二文字を記した白旗を豎起《けんき》させようとしたものである。


 そして、数日と経たぬうちに呼び掛けに応じた勇士が雨の如くに結集した。


 一日、陽平《ようへい》衛国の楽進《がくしん》、字を文謙《ぶんけん》、そして山陽《さんよう》鉅鹿《きょろく》の※李典《りてん》、字を曼成《まんせい》が曹操のもとへ馳せ参じた。


(※正史では李典の従父の李乾《りけん》が曹操に早くから付き従っていた)


 また、沛《はい》国譙(しょう)県の夏侯惇《かこうとん》、字を元譲《げんじょう》という男がいる。


 彼は前漢の夏侯嬰《かこうえい》の後裔であり、独学で槍術を嗜み、十四歳のときに師に就いて本格的に武芸を学んだ。その師を侮辱した者を殺害して隠遁していたが、曹操がこのたび挙兵するという噂を聞きつけ、族弟の夏侯淵《かこうえん》とともにそれぞれ壮士千人を率いて合流してきたものである。


 曹操の父はもともと夏侯氏であったが、曹家の養子となった経緯があり、曹操と夏侯惇・夏侯淵とは本来同族の兄弟に当たる間柄であった。


 数日経たぬうちに、曹氏の兄弟である曹仁《そうじん》と曹洪《そうこう》もそれぞれ千人を率いて曹操の援助にやって来た。曹仁の字は子孝《しこう》、曹洪の字は子廉《しれん》といい、ともに兵馬の指揮に熟練、武芸に精通している猛者であった。


 夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、楽進、李典といった将が次々と幕下に加わった事で曹操は大いに喜び、早速村中にて兵馬の調練を始めた。衛弘は家財の悉くを差し出して、曹操軍の為に鎧や旗を調達。曹操が董卓打倒の為に起ち上がったと聞いて、四方から糧秣を送ってくる者が後を絶たなかった。

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