十、宦官か、外戚か
中平六年(189)の夏四月、霊帝の病が重篤となると、大将軍の何進が召されて後事を託された。
この何進という男、もとは一介の屠殺業者である。妹が帝に見初められて貴人となり、皇子の劉弁(少帝)を産んで皇后となった事で、外戚として重役を担うまでに至ったのであった。
霊帝は一方で王美人を寵愛しており、こちらは皇子の劉協(献帝)を産んだが、嫉妬の感情を滾らせた何皇后(何進の妹)が王美人を鴆毒によって殺してしまったため、劉協は董太后の宮中にて養育されていた。
董太后は霊帝の母であり、解瀆亭侯の劉萇の妻である。先代の桓帝には子が無く、宗族の中から解瀆亭侯の子が選ばれて帝位に立てられた、すなわちこれが霊帝である。霊帝は大統を後継するに及んで母を宮中に迎え、尊んで「太后」と為したのである。
董太后はかつて霊帝に劉協を太子に擁立するように勧めており、霊帝もまた劉協を溺愛していたのであるが、病膏肓に入りた折、中常侍の蹇碩から斯様な上奏があった。
「もし劉協皇子を太子に立てようとなさるならば、先に何進を誅し、後の禍を絶つべきでしょう」
霊帝は蹇碩の意見も尤もだと考え、聖旨により何進を宮中へと招いた。何進が宮廷の門へ至ろうとした所で、司馬の潘隠が密かに進言した。
「参内はなさらぬ方がよいかと。蹇碩が公の命を狙っております」
仰天した何進は即刻私宅へ引き返し、宦官を掃滅せんと諸大臣を招いた。座上の一人が身を乗り出して言うよう、
「宦官の勢力は沖帝・質帝の時代より起こったもので、朝廷とは密接に関わっております。全滅させる事は難しいのではございませんか。機密が漏れれば必ずや族滅の憂き目に遭います、お考え直しください」
何進が発言者を見やれば、あな典軍校尉の曹操である。何進は曹操の分を弁えぬ発言に激昂した。
「黙れ孟徳。貴様のごとき小童に、朝廷の大事の何がわかる!」
議論に進展の見られぬ所へ、潘隠が慌てた様子で駆け込んで来て、
「たった今、陛下が身罷られました! 現在、蹇碩と十常侍が協議の上で喪を秘匿し、偽造した詔勅によって何国舅を呼び寄せて後顧の憂いを絶ち、協皇子を帝に擁立しようとしております!!」
言い終わらぬうちに使者が勅命を持って現れた。何進に速やかに参内し、後事を話し合おうという内容である。
曹操が言う。
「今日のところはまず正当な君を立て、賊の掃討についてはその後に考えましょう」
何進頷き、
「誰か、わしとともに賊を討伐しようという者はおらぬか!」
その申し出に、一人の男が身を乗り出して答えた。
「どうか私めに精兵五千をお与えください! 宮中に切り込みて新君を冊立し、閹豎をことごとく討ち果たして朝廷を払い清め、天下を安んじてご覧に入れます!!」
かの人は司徒袁逢の子にして袁隗の甥、現在司隷校尉の官職に在る袁紹、字を本初である。
何進大いに喜び、かくて直轄の五千を集めて袁紹に配属させた。何進は全身武装で固めた袁紹、何顒、荀攸、鄭泰ら大臣三十名余りを引き連れて宮中へと押し入り、霊帝の棺の御前にて太子の劉弁を扶持し、皇帝に即位させた。




