九、漁陽の戦い
帝は詔勅を下して孫堅を仮の長沙太守に任命し、区星の討伐に当たらせた。五十日に満たぬうちに捷報が届き、江夏の一帯は平穏となった。この功績により、孫堅は詔勅を受けて烏程侯に封じられた。
一方、劉虞が幽州牧に封じられ、漁陽の張挙と張純の討伐に当たった。代州の劉恢は劉虞に宛てて劉備の推薦状を書いてやり、会見の機会を得て喜んだ劉虞は劉備を都尉に任命した。
かくて劉虞と劉備は兵を率いて賊の根城へ向かい、力戦する事数日で賊の鋭気を完全に挫いた。賊の副将の張純は身勝手で凶暴な男であり、漢軍に追い詰められていよいよ求心力を失っていた。果たして幕下の頭目の一人が張純を刺し殺し、その首を土産に軍勢を挙げて投降してきた。張挙もまた大勢が決したと見るや、自ら首を吊って死んだ。こうして、漁陽の乱は平定されたのである。
劉虞は、漁陽の平定に関しては特に劉備の戦功が多大であったと上奏し、その結果、かつての督郵の一件については無罪放免とされた。かくて劉備は下密県の丞に除され、やがて高堂県の尉に遷った。
劉備のかつての学友であった公孫瓚も、劉備の以前からの戦功を改めて上奏し、別部司馬及び平原県の令に推薦した。劉備は平原で財貨や軍馬を蓄え、その勢力は以前よりも大いに奮った。
一方で劉虞は賊討伐の功を認められ、太尉となった。




