八、呂布、そして陳宮の死
やがて部衆が高順を引っ立ててきたので、曹操は問うた。
「君、何か言う事はあるかね」
高順は何も答えず、怒った曹操は彼を打ち首とするように命じた。
続いて徐晃が陳宮を解放して連れてくると、曹操は言った。
「公台よ、あれ以来お変わりはないかな?」
「きさまは性根が腐っている、故に見捨てたまでだ」
「わしの性根が腐っているとしても、貴公はまたどうして獨り呂布なぞに事えたじゃ?」
「呂布は無謀と雖も、きさまのような詐術を弄する奸賊などとは訳がちがうからだ」
「貴公は有り余る智計があると自分で言っておったが、結局はこのような境遇に至っておるではないか」
陳宮は呂布の方を振り返って、
「この方が我が進言に従わなかった事が悔やまれる。もし私の言葉に従っていたなら、きっと虜とされる事などなかったであろうに」
「こうした事態に当たり、さて、どうしようというのかね?」
「こうなっては、死あるのみだ」
「貴公が命を落とすような事になれば、貴公の年老いた御母堂や、妻子はどうなってしまうのじゃ」
「私は、孝によって天下を治める者は人の親を害さず、天下に仁政を施す者は、人の祭祀を絶やさぬものと聞いている。
老母や妻子の生死もまた、明公の手にあるのみ。我が身こうして捕われたとなれば、一思いに殺していただきたい。思い残す事などはない」
曹操は名残惜しんだが、陳宮は自らの足で櫓を下り、左右の者が彼を牽いても止まる素振りも見せない。遂に曹操、身を起こして涙ながらにこれを見送るも、陳宮は顧みもしなかった。
曹操は従者に向かって言う。
「今すぐに公台の老母や妻子を許都へ送り帰して生活の世話をせよ。怠った者は斬る」
陳宮はその言葉を聞きながらもやはり口を開く事なく、頸を伸ばして刑に服した。人々みな流涕し、曹操は彼の屍を丁重に棺に納めて許都に葬ったのであった。
後世の人が彼を歎じて詠んだ詩にはこうある。
生死に二つの志無く、
丈夫、何と壮なる哉。
金石の論に従わず、
空しく負う、棟梁の材。
主を輔けて真敬うに堪え
親を辞して実に哀しむべし。
白門に身、死した日に
誰が肯えて公台に似ようか。
曹操が陳宮を送り出さんと櫓を下りている間に、呂布は劉備に向かって言った。
「玄徳よ、貴公は上客の席に座りながら、俺は階下の虜囚となってしまっている。なあ、どうして縄を緩めてくれるように一言言ってくれんのだ?」
首肯する劉備。やがて曹操が櫓を上って戻ってくると、呂布はこう叫んだ。
「明公が煩わしく思っておられたのは私だけに過ぎぬが、それが今はもうこうして降服しておる。明公が大将、私が副将となったならば、天下を平定するのも容易な事ではないのか!」
曹操が劉備の方を回顧して、
「ご尊意は如何かね」
と問うと、劉備は答えた。
「明公は、丁建陽や董卓の事をご覧にならなかったのですか?」
予想と反する答えに、呂布は劉備を睨みつけ、こう言い放つ。
「おのれ、この小僧こそが一番信用ならないのだ!!」
曹操が櫓から引き摺り出して縊り殺すように命じると、呂布は劉備の方を振り返って言った。
「大耳野郎! 轅門に戟を射た事を忘れたのか!!」
そこで、俄かに大声を張り上げた男が一人。
「呂布の匹夫め、死ぬとなったら潔く死ね! どうして死を懼れることがある!」
一同これを見やれば、すなわち刀斧手に抱えられてやって来た張遼その人であった。
曹操は呂布を縊り殺させ、然るのちに晒し首とした。
後世の人がこれを歎じた詩には、こうある。
洪水、滔滔として下邳を淹し
当年、呂布が擒を受くる時、
空しく赤兎馬千里を如き、
漫りに方天戟の一枝有らん。
虎を縛るに寬を望むこと、今は太だ懦く、
鷹を養うに飽きさせしむるなと、昔に疑い無し。
妻を恋いて陳宮の諌めを納れず、
枉げて罵る、大耳兒に恩無しと。
また、劉備の事を論じた詩がある。
人を傷つける餓虎、縛りを寬やかにするなかれ、
董卓・丁原の血、未だ乾かず。
玄徳、(呂布が)既に能く父を啖らうを知り、
争でか留め取りて曹瞞を害させしめんや。
さて、武士に引っ立てられてきた張遼。曹操が彼を指して言う、
「この男、どこかで見覚えがあるのう」
張遼は言った。
「かつて、濮陽の城内で会ったことを忘れたのか(第12回参照)」
曹操は笑って、
「おお、あの時の男であったか。思い出したぞ」
「ただ、残念でならぬ事がある」
「何が残念なのじゃ?」
「あの時、火の勢いが弱くて国賊を焼き殺せなかった事がだ!」
曹操怒気を露わに、
「おのれ、敗将めが敢えてこのわしを侮辱するか!」
と述べ、抜剣して自らの手で張遼を殺そうとしたが、張遼の顔にはまるで恐れの色など見えず、首を伸ばして刃の到来を待ち受ける。ところへ、背後から一人が曹操の臂膊を掴み、また一人が面前に跪いて説いた。
「丞相、一旦お手をお止めください」
まさに、哀願する呂布を救おうとする者皆無なれど、賊を面罵した張遼はあべこべに命を拾う、というところ。畢竟するに、張遼を救おうとしたのは誰なのか。
それは、また次回で。
──第十九回、おわり──




