七、宋憲の裏切り
さて、侯成は馬十五頭を有していたが、世話係の者がこれを盗み出して劉備に献上しようとした。事が発覚すると侯成は世話係を追い掛け、これを殺して馬を奪い返した。
諸将が侯成を慶賀すると、侯成は五、六斛の酒を醸造し、諸将と共に宴会を催そうと考えた。が、呂布に罰される懸念があったため、先に五瓶ほどの酒を呂布の役府へ持ち寄って、このように申し上げた。
「将軍の虎の如き威風を恃みとする事で、失った馬を追いかけて取り戻す事がかないました。諸将もみな祝賀にやって来てくれまして、僅かばかりの酒を醸造致したのですが、勝手に飲んでしまうのも如何なものかと考え、先ずそれがしのささやかな気持ちとして一献差し上げようと罷り越しました」
呂布は激怒して言った。
「俺が禁酒を言いつけたのに、お前は逆に酒を醸して宴会を開こうというのか! さては、示し合わせて俺を伐とうとしているのだろう!?」
彼を引き摺り出して斬るように命じたところ、宋憲や魏続ら諸将が倶に入室してきて赦免を請うたので、呂布はこのように言った。
「俺の命を違えた事は理から言って斬首に相当する所であるが、ここは諸将の顔に免じて棒罰百回とする」
諸将がなおも哀告したため、背部への打擲が五十を数えた所で侯成は釈放されたが、一同のうちで気勢を削がれぬ者はなかった。
宋憲と魏続が侯成の邸宅まで見舞いにやって来ると、侯成は泣きながらこう述べた。
「貴公らがおらねば、俺は死ぬところだった」
宋憲、
「呂布が感けるのは妻や子供ばかりで、我々の事などは草や芥同然にしか見ておらんのだ!」
魏続、
「城下は大軍に包囲され、塹壕が水没してしまったとあっては、我々の命も今日明日であろうな……」
宋憲、
「呂布には仁義というものがない。この際、やつのことは見捨てて逃げてしまおうか」
魏続、
「意気地がないのう。呂布を捕えて曹公に献じるに越したことはあるまいよ」
侯成、
「俺は馬を追って咎めを受けることになったが、呂布が恃みとするのも赤兎馬だ。お前たち二人が果たして呂布を捕えたなら、俺は先に馬を盗んで曹公のもとに見参するとしよう」
三人の商議が定まると、当夜に侯成は馬小屋へ忍び込んで赤兎馬を盗み出し、東門へ飛ぶように奔った。魏続が直ぐ様門を開け放ってこれを逃すと、逃亡者を追走するていを装った。
侯成は曹操の幕営へと至ると馬を献上し、宋憲と魏続は白旗の掲揚を合図として城を明け渡す手筈を整えている事を具に上言した。
曹操は話を聞いてこれを信じ、即座に署名した公文書数十通を城内へと射ち入れ、その場を去った。
その文書にいわく、
「大将軍曹操は特別に明詔を奉じて呂布を征伐する。もし大軍を拒み抗う者あらば、城を破った日には一門盡くを誅戮せん。上は将校から下は庶民に至るまで、呂布を虜として献じる事が出来た者、或いはその首級を献じる事が出来た者には重き官職と褒賞を加えん。この文書の述べる所、各々周知せよ」
翌日の明け方、城外に地を震わすような喊声があがった。大層驚いた呂布は戟を手に城へと上って各門を視察したが、侯成が赤兎馬を盗み取り、それを魏続が逃がしてしまったとわかると、「然るべき処分を受けさせてやる!」と責罵した。
城下の曹操軍は城の上に白旗が上がった事を望見すると力の限りに城を攻め立てたので、呂布は自ら迎撃せざるを得なくなった。明け方より日中に至るまでの激戦を経て曹操軍が稍稍に退却を始めると、呂布は門櫓にて一息つこうとしたのであるが、椅子に腰掛けたまま図らずも眠りに落ちてしまった。
宋憲はそこで左右の者を追い払い、先に方天画戟を盗み取ってから魏続とともに一斉に呂布の捕縛に取り掛かると、これでもかと言うほどその体をきつく縛り付けた。
夢の中にあった呂布もこれには驚いて目を覚まし、急いで側近を呼び付けたが、宋憲と魏続の二人がその悉くを蹴散らして白旗を手に一振りさば、曹操の軍勢が大挙して城下へと押し寄せた。
魏続が「呂布は既に生捕りにされたぞ」と大声で叫ぶも夏侯淵はいまだ信じられぬといった様子であったが、宋憲から方天画戟が投げ下ろされた事に加えて城門が大々的に開け放たれたので、曹操の兵はそこでやっと一斉に突入した。
高順と張遼は西門にあったが、水に囲まれて脱出し難き状況に追い込まれ、曹操の兵の為に捕われた。陳宮は奔走して南門へと至るも、やはり徐晃の手で捕われてしまった。




