七、東方の鷹匠
曹操が兵を許都へ帰還させた事はさておいて、王則は詔を徐州へと齎していた。呂布が彼を迎接して役府へ招き、開示された詔書を読むと、「呂布を封じて平東将軍と為し、特別に印綬を賜る」との旨。一方で王則は曹操からの私信を取り出して呂布の面前に晒し、「曹公が特別な敬意を示している」としきりに述べた。
呂布が歓喜する折、俄かに袁術からの使者が至ったとの報せがあり、呂布は招き入れて目的を訊ねた。使者の言うよう、
「袁公は早晩にも皇帝位に即かれ、東宮を立てられます。皇妃を早くに淮南へ打ち立たせるよう、催促されてございます」
呂布は激怒して、
「逆賊めが、敢えてこの様な事を仕出かそうというのか!」
と言うや遂には使者を殺してしまい、韓胤を枷に嵌め、陳登に感謝の意を告げる上表文を持たせて、韓胤を送り王則と同行させて許都へと上らせ、謝恩に来訪させる事とした。さらに曹操に返書を与え、正式な徐州牧の地位を要求した。
曹操は呂布が袁術との婚姻を拒絶したと聞いて大いに喜び、かくて韓胤を市にて斬刑に処した。陳登が密かに曹操を諌めて言うよう、
「呂布は豺狼にございます。武勇はあれど知謀はなく、去就を軽んじるたちですから、早くにこれを図られるべきかと存じます」
曹操は言う、
「吾には呂布がもとより野心を抱いた狼子であり、久しく養うのは困難である事はわかっておる。そちらの情勢について知り尽くしているのは貴公ら親子のみ。貴公よ、ここはわしとともに謀ってはもらえぬかね」
陳登、
「丞相がもし動かれるとあれば、それがしが内応いたしましょう」
曹操は大いに喜び、上表して陳珪に中二千石の秩石を贈り、陳登を広陵太守に任命した。
陳登が辞去しようとすると、曹操はその手を取って述べた。
「東方の事はそなたに任せたぞ」
陳登は點頭してしかと応諾し、徐州に戻って呂布と見えた。呂布が経緯を尋ねると、陳登は父の禄が増え、自らは太守に任命されたと告げた。呂布は怒って、
「お前は俺の為に徐州牧の地位を求めず、自分達の爵位や俸禄を求めたのか! お前の親父は、俺に曹公と共同して公路との婚儀を絶つように勧めたが、俺が求めたものは何一つ手に入らんではないか! 親子揃って重く取り立てられおって……お前たち、俺の事を売りおったな!!」
とうとう抜剣して斬りかかろうとしたが、陳登は大笑して述べた。
「はっはっは。将軍がここまで愚かだとは思っておりませんでしたぞ」
「なにい⁉︎ なぜ俺が愚かなのだ!」
「それがしは曹公に見え、『将軍を待遇するのは例えるなら虎を養うようなもので、肉を当てがい、腹を満たさねばなりません。腹が空けば、即ち人を喰らうでしょう』と申しました。すると曹公は笑いながら仰いました、『貴公の言葉は間違っておるな。わしが温侯を待遇する事は例えるなら鷹を養うようなもので、狐や兎が残っておるうちは、不用意に餌を与える事はできぬ。敢えて餓えていれば用を為すが、満腹になれば飛び去ってしまうのだからな』それがしが『狐や兎とは誰のことですか』と問うと、曹公は、『淮南の袁術、江東の孫策、冀州の袁紹、荊州の劉表、益州の劉璋、漢中の張魯、これらは皆、狐や兎と申すものじゃ』と仰ったのです」
そこまで聞くと呂布は剣を擲ち、
「なるほど、曹公は俺の事をよくよく承知しておられるのう」
と述べて破顔した。さらに話を続ける所へ、俄かに袁術の軍勢が徐州に攻め寄せてきたとの報告があり、呂布は言葉を失った。
まさに秦晋の好も相成る前に呉越の如くに争い起こり、めでたき婚姻却って兵難の火種を生む、というところ。
はてさて、事の顛末如何様に。
それはまた次回で。
──第十六回、おわり──




