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淡々三国演義  作者: ンバ
第十五回 太史慈酣に小覇王と鬥い、孫伯符大いに厳白虎と戦う
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二、虎子、ふたたび

 さて、袁術が寿春にて大規模な宴会を催して将士を労っていた折、廬江ろこう太守の陸康りくこうを征伐した孫策そんさくが勝利を得て帰還した、と報せる者があった。袁術の喚呼で至った孫策は堂の下へ再拝し、慰労が済んだ後は直ちに宴席への侍坐を命じられた。


 もともと孫策は父・孫堅そんけんを喪ってより江南へと退居して賢士を礼遇していたのであるが、後に陶謙とうけんと母方の叔父である丹楊たんよう太守の呉景ごけいが不仲となってしまい、孫策はそこで母と家族を連れて曲阿きょくあへと移住し、自ら袁術へと身を寄せていたのであった。


 袁術は甚だ彼を寵愛しており、


「私に孫郎のような子がいたなら、死んだとしても何の悔いもないのだが」


 と、常々歎息していた。


 そこで孫策を懐義校尉に任じ、兵を引き連れて涇県を攻撃させた所、太師の祖郎そろうを撃ち破る戦果をあげた。袁術は孫策の勇壮さを見て今度は陸康の攻撃に当たらせたが、今回もまた勝利を得て戻ってきたのであった。


 宴が終わり、当日のうちに孫策は軍営へと戻っていったが、宴席に於ける袁術の傲慢な振る舞いを目の当たりにして心中鬱悶としており、月明の下、中庭へと歩み出した。当世の英雄であった父孫堅、凋落した自分自身の現状を思ううち、孫策ははからずも声をあげて哭いていた。


 そこへ、忽然と一人の男が外より立ち入ってきて、笑い声をあげた。


「伯符よ、どうしたのだ。ご尊父が在りし日には、常々我を用いてくださった。君がもし決めかねている事があるのならば、どうして我に相談してくれぬのだ。こうして一人で哭いておっても、仕方がなかろうに」

 

 孫策がかの人を見やると、乃ち丹楊故鄣の人、姓は朱、名は治、字を君理、古くから孫堅に従事してきた男であった。


 孫策は涙を拭い、彼を座上へ招いて、


「俺が泣いていたのは、父の遺志を継げぬ事がただただ悔しいからです」


 朱治、


「君はなぜ、袁公路どのに告げ、兵を借りて江東へ向かい、『呉景の救援』という名分を仮りながら、実際には大業を図ろうとせぬのか。このように久しく人の下で逼塞しておるわけにもゆくまい」


 話し合いの折、突如として一人の男が割って入った。


「貴公等の謀る所、私は已に承知いたしておりますぞ。我が配下には百人の精鋭がおりますゆえ、伯符殿に一臂の力をお貸しいたそう」


 孫策がその人を視れば、乃ち袁術の謀臣、汝南細陽の人、姓は呂、名を範、字を子衡である。孫策は大いに喜び、座へ招いて共に議した所、呂範は言った。


「ですが、袁公路どのが兵を貸す事を肯じぬ事だけが気がかりですな」


 孫策、


「俺は亡き父の遺していった伝国の玉璽を持っている。あれを質とすればよかろう」


 呂範、


「なるほど、公路どのは久しく玉璽を欲しがっておいででしたな。これを質とすれば、間違いなく兵を貸してくださいましょう」


 三人の協議はかくて定まり、明くる日孫策は袁術に見えると、涙ながらに跪拝して述べた。


「父のあだに報いる事も叶わず、今、母舅の呉景ごけいもまた揚州刺史の劉繇りゅうように逼迫される所となっております。私の老母や幼い弟達は皆曲阿(きょくあ)におり、間違いなく害を被る事になりましょう。つきましては、精強な兵士数千を拝借して長江を渡り、一家の危難から救いとうございます。恐らく明公は疑いを抱かれるものと思われますが、亡父が遺した玉璽がございまして、こちらを質としてお手許に留め置きとうございます」


 袁術は玉璽があるものと聞き、手に取ってこれをしげしげと眺めると、欣喜して述べた。


「わしはこのような玉璽などを欲しておる訳ではないが、さらば今しばらく預かっておこう。わしから三千の兵と五百の馬をそなたに預ける、平定した後は速やかに戻ってきて返還するように。そなたは官職や地位が低く、大権を掌握しようにも難しかろうから、わしが上表してそなたを折衝校尉・殄寇将軍にしてやろう。期日を定め、兵を統領さば、ただちに打ち立つがよい」


 孫策は拝謝すると、かくて軍馬を引き連れ、朱治・呂範、旧将の程普ていふ黄蓋こうがい韓当かんとうらを帯同し、日を選んで兵を挙げた。


 一行が歴陽れきようへと至る頃、一軍の到来があった。先頭をゆく男は資質風流にて眉目秀麗──孫策の姿を認め、下馬して即座に拝礼する。孫策かの人を見やれば、すなわち廬江ろこう舒城の人、姓はしゅう、諱を、字を公瑾こうきんである。


 原来、孫堅そんけん董卓とうたくを討伐した際に家を舒城へ移していた周瑜は、孫策と年も同じでその交情は甚だ厚く、義兄弟の契りを結ぶまでに至った。孫策の方が周瑜より二ヶ月年長であったので、周瑜は孫策に兄事したのである。


 周瑜の叔父・周尚しゅうしょう丹楊たんよう太守となったので、こうして安否を尋ねに向かった折、ちょうど孫策と相出会したのであった。


 再会がかなって大喜びした孫策が衷情を訴えると、周瑜は言った。


「私は犬馬の労も厭わない。共に大事を図ろう!」


 孫策は欣喜して言った。


「俺が公瑾を得たからには、大事も叶おうというものだぜ」


 すぐに朱治と呂範らに命じて互いに目通りをさせると、周瑜が孫策に言った。


「我が兄よ、大事を成さんとするのならば〝江東に二張あり〟と聞いておろう」


 孫策、


「なんだ、その〝二張〟というのは?」


 周瑜、


「一人は乃ち、彭城の張昭ちょうしょう、字を子布しふ。もう一人は乃ち、広陵こうりょう張紘ちょうこう、字を子綱しこう。二人はいずれも天地を経緯するほどの才を有しており、折しも動乱を避けてこの地に隠居している。どうして彼らを招聘せぬのだ」


 孫策は喜び、即座に人に命じて礼物をもたらさせて招いたが、倶に辞去してやって来ようとはしなかった。孫策はそこで自ら彼らの家を訪うと、ともに語らって大変に喜悦し、力強く出仕を勧めたので、二人はついに許諾した。


 孫策はかくて、張昭を拝して長史兼撫軍中郎将、張紘を参謀・正議校尉とした上で、劉繇攻めについての商議の場を設けた。

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