三、宛攻防戦
一方、黄巾の残党である趙弘・韓忠・孫仲の三人は数万を集めて張角の仇討ちを唱えていた。
朝廷はすぐさま朱儁に討伐を命じ、詔勅を奉じた朱儁は軍を率いて前進した。当時、賊は宛に籠城しており、朱儁がこの拠点に攻撃を掛けると、趙弘と韓忠が迎撃に出てきた。
朱儁が劉備・関羽・張飛に城の西南側を攻撃させると、韓忠は精鋭の悉くを西南に結集させた。朱儁は自ら鉄騎二千を率いて間道から東北側を攻め取った。落城を恐れた賊は慌てて西南を放棄したが、劉備に背面を衝かれて掩殺された。
大敗を喫した賊軍が宛に引っ込むと、朱儁は兵を分けて四方面からこれを囲んだ。やがて城中の食糧が尽きると、韓忠は使いを遣り、城を挙げての降伏を申し入れたが、朱儁は許さなかった。
劉備が直訴して、
「かつて高祖(劉邦)が天下を得られたのは、投降者に対して寛大だったからです。公はなぜ韓忠を受け入れてやらんのですか」
朱儁は反駁した。
「その時代と今とでは状況が異なる。秦から項羽の時代は天下が大いに乱れ、民衆には定まった主君がいなかった。故に高祖は投降した者に恩賞を与えて帰順を勧めたのであろう。今は海内が統一され、ただ黄巾党のみが朝廷に造反しておるのだ。もし奴等の投降を受け入れれば、勧善とは申せまい。賊は利あらば欲しいままに略奪を行い、利が無くなれば投降するようになるだろう。賊をのさばらせる選択を良策とは呼べん」
劉備、
「賊の降伏を受け容れぬというのは正しい事なのでしょうが、今は四方面を鉄桶の如くに固められおり、賊は降伏が叶わないとわかれば、必然的に死を賭して抗戦してくるでしょう。一万人の敵が心を一つにすれば、なお当たるべからざる勢いとなります。況してや、城中には太平道に命を捧げられる人間が数万人もおるのでしょう? 東と南の攻囲の手を緩めて、攻撃は西と北のみに絞るのが得策です。さすれば賊は抗う意思を持たず、必ずや城を放棄して逃げ出そうとするでしょうから、すぐにでも虜にできます」
朱儁は劉備の進言を尤もだと考え、東と南の二方面の軍団を撤収させて、西と北から同時攻撃を仕掛けた。韓忠が果たして城を捨てて逃亡しようとしたところ、朱儁と劉備、関羽、張飛の率いる三軍に迎え撃たれた。韓忠は矢に当たって死に、余勢は蜘蛛の子を散らすかの如くに四散していった。
追撃を掛けると、趙弘と孫仲が軍勢を引き連れて到着した。朱儁は交戦しようとしたが、趙弘の兵力が多い事を鑑みて一旦撤退、趙弘は勢いに乗じて宛の城を奪い返した。




