基底層 沈黙の白丘
はるか上の天井から降り注ぐ人工光。淡い青色のそれに照らされながら少年は白土の上を歩いていた。白土、これは保水ポリマーと呼ばれる高機能人工土壌だが、足元にあるこれらは本来の機能の殆どが失われて久しい。そもそも少年が歩いているこの場所はそうした有効期限切れの白土を集積していた最終処分場なのだが、食糧難の今では村の貴重な農地として活用されていた。
少年は足元の植物を白土と混ぜ込むように踏みつけながら歩いて行った。それもそのはず。ここで育てられているのは赤芋と呼ばれる根菜だが、老人の肌のように萎びた茎や葉は、根に秘められた食物が食べられないことを明示していた。土地が枯れているのだ。100年間も使い込んだのだから当たり前か。
「おーい」
少年は自分を呼ぶ声を聞いて立ち止まり、周りを見渡した。白土の丘と、それに突き刺さるように点在する金属建築物。村の方角には野焼きの煙が立ち上り、青みがかった空気を白く染めていた。また誰かが死んだのだろうか。
「おーい!ライチ!」
振り向くと、1つ白土の丘を隔てた先でキャスがこちらに手を振っていた。
モフモフの白土に足を取られながらそちらに向かうと、キャスは片膝立ちで下の白土を弄っていた。ライチが近づくと、キャスは手についた白土を払いながら残念そうな顔でこちらを見た。
「こっちはダメっぽい」
キャスは赤芋をこちらに投げ渡した。所々に黒いしみが浮き出ている。最近流行っている黒斑病の症状だ。
「そっちはどうだった?」
「こんなに大きな赤芋自体がそもそもないよ。栄養が足りないみたい。全然駄目だね」
「こっちも大きいのはそれだけ」
ライチは浮かない顔をしているキャスに赤芋を投げ返した。
「最近全然まともなのがないね」
嘆息交じりに枯れた芋を弄っていたキャスは、やがてそれをポケットにねじ込み肩をすくめた。
「もう戻ろう。」
町に戻る途中には火葬場がある。人類が上層から降りる際に持ってきた戦争の残滓のおかげで、火葬に必要な高温の炎を作り出すことには事欠かない。ここ二日は燃やす死体にも事欠かないらしく、常に煙が上がっていた。
「最近よく死ぬなあ」
「4区で風邪が凄い流行ってるらしいよ」
2年前に上層へ派遣された探検隊が持ってきた風邪が今もなお猛威を振るっていた。人の死は今や日常の一部だった。最近はこうして歩いていても聞こえる音が少ない。当たり前だ。人が減っているのだから。
ふとキャスを見やると,ポケットから先ほどの赤芋を取り出し物憂げに眺めていた.
「大丈夫だよ。赤芋は少しあるし、セピアの根もまだ残ってる」
「数が足りないよ。もっと食べさせないと...」
帰り道の途中でぶらぶらと買い物バッグを下げたロボットに出会った。モルのロボットのヘクタだ。顔についたライトの点滅が若干悲しげに見える。
「ヘクタ、どうだった?」
「商店には何もありませんでした。残念です」
「何か買った?」
「大根の葉を少し。これでも店主と直接交渉したのですが、出せるのはこれが限界のようです。世も末ですね。まあもう末ですけど」
ヘクタはライトをチカチカと光らせた。表情を伝えられるような機構は備わっていないので、彼のその動作がため息でもついているのか、それとも世の終末具合に苦笑しているのかは定かではなかった。
褪せた金属に覆われた道を三人でしばらく歩くと、やがて鈍く輝く金属で形作られたモルの家に着いた。薄っぺらい買い物バックから大根の葉を取り出したヘクタはそれを水で洗う。ライチは残り少ない赤芋を戸棚から一つ取り出し、鍋に張った水に皮をむいたそれを入れて火をつける。キャスは同じく残り少ないセピアの根を赤芋の皮と一緒に煎じ、出来た粉に何種かの液体と粉を入れ混ぜ合わせ、丸薬を作った。
そうして出来た蒸し芋と丸薬、そして大根の葉のサラダを盆にのせ、ヘクタは廊下の奥、咳の続く部屋へ入っていった。
「大丈夫ですか?モル」
ベッドに横たわっていた女は差し出した水を受け取りながら自嘲気味に笑った。
「ああ大丈夫だ。少しばかり咳が出るだけさ」
キャスが机に置いた盆を一瞥し、モルは頭を横に振った。
「今日は食欲が無いんだ。薬だけにするよ」
「そんな。駄目だよ食べないと」
「お前たちが食べたほうが良い。私は良いんだ」
モルはキャスとライチを見た。
「お前たちに話がある」
モルはヘクタに目配せし、ヘクタは盆を持って部屋から出ていった。風が部屋に入り、沈黙を支えている。
「私はそのうち死ぬことになる。お前たちはこれからどうするか決めなくちゃならない」
キャスは驚いたように声を挙げた。
「そんな、わからないでしょ?」
「いや、わかるのさ。200年も生きるとね」
「...わかんないよ。それにいきなりそんなこと言われても」
ライチは俯き、拳を握る。
「モルは死んじゃっていいの?まだガイルが帰ってきてないのに」
モルは薄く笑った。
「会いたいのはやまやまだが、でも仕方がない。あの男はいつも肝心な時に間に合わないのさ」
揺られるカーテンの向こうを見やる。窓から入る青みがかった光が顔を照らす。また沈黙が暫く続いた。
「あいつは空を見れたのだろうか...」
「空?」
「そう、空。元気になったら一緒に見に行こうと約束してたんだが、無理そうだ」
空が何かは知っていた。文字だけだったが、地上において頭上に広がる空間で、赤色になったり青色に変わったりするものらしかった。最もそれがどんなものかは見たことが無い。地上に出たいと思わせるようなものは悉く失われてしまったのだ。
ゆったり更新していきたいと思います。