はじまり
ある夏休み中のオフィスにて…
「なんて事をしてくれるんだ!!!」
会社役員の一人である田中修二が怒鳴り声を上げて机を叩いた。
置いてあったコーヒーが少し揺れ飛散る。
「相手先のデータが全部飛んだって…どうしてそんな事が起きたんだっ!!!」
「…はい、相手先には十分に説明したはずですが、インストールするだけでバージョンアップが終了すると思い込んでたみたいです。」
社長席の前に立ったまま顔色ひとつ変えず、冷静に経緯を伝える蒼井日菜子。
「…思い込んでたって…結果的にはデータが飛んだって事はこっちの責任になんだろっ!どうするんだ!」
ドンッ!
感情的になった修二がまた机を叩き、コーヒーがこぼれる。
「…まぁまぁ、日菜子に怒ったってデータが戻って来るわけじゃねーだろ。」
応接セットに足を投げ出して座っているもう一人の役員、松田直哉が助け舟を出した。
「…っ、お前はいつも蒼井をかばうな!」
「だって日菜が優秀なのはお前もわかってんだろ。3人で修復すればそんなに時間なんて掛かんねーよ。」
「…いえ、だいたい2日徹夜でやれば修復出来るかと…。」
日菜子がそう淡々と答え、修二と直哉が唖然とした。
「…3人でやれば多少は時間が短縮出来るんじゃ無いのかな?日菜子ちゃん?」
強ばった顔で直哉が日菜子を覗き込む。
「…いえ、3人で2日です。徹夜しなければ3日です。」
「…………っ。」
修二は天を仰ぎ、頭を抱えながら窓側を向いてしまった。
社長室の中が沈黙に包まれる…。
「…ちょうど社員のSEも夏休みに入ったばかりだし、俺らでやるしかねぇんじゃね。」
直哉が腕組みをしながら、修二をなだめるように言った。
「……最低でも明日の夕方だな。」
背中を向けた修二が小声でつぶやく。
「え?」
聞き返す直哉。
「明日の夕方までには終わらすって事だよっ!!!」
そう怒鳴って修二はドスドスと部屋の入り口に向かい
バタンッ!
と役員室の扉を勢いよく閉めて出て行った。
少しの間残った2人の耳の奥に、扉が閉まった残響が続いていた。
「…日菜〜、オレサバ味噌が食いたい。」
グーッと背伸びをしながら直哉が言う。
「…岩ちゃん食堂のサバ味噌ですか?」
社長席の机に飛び散ったコーヒーを日菜子が拭きながら答えた。
「仕事する前に腹ごしらえしよっ!」
スクッと立ち上がり、直哉は日菜子に自分の帽子を被せた。
「暑いから被ってけ!行くぞ!」
ー会社裏の岩ちゃん食堂ー
「サバ味噌おまたせ〜。」
食堂の看板娘が直哉の前に定食を置く。
「いや〜コレコレ!」
無邪気にがっつく直哉を、鯛茶漬け啜りながら日菜子は見ていた。
日菜子と直哉の出会いは、大学時代に遡ることになる。
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大学で2つ上の先輩。同じ学部で、同じ研究室。
修二と直哉のコンビは、大学でNO.1、NO.2を争うほど女子に人気で、イケメン、長身、秀才の3つを兼ね備えた有名人だった。校内では男も女も知らない人はいなかったと思う。
修二先輩は少し神経質で、逆に直哉先輩は豪快。
その2人のコントラストが絶妙だった。
でも私にとっては苦手なタイプの2人…。
特に直哉先輩。
ちょっとガサツで、態度がでかい。
研究室共有のPCを勝手に外人女性の露な姿の待ち受けに変えたり、自分の食事を後輩の男子に怒鳴って買いに行かせたり…。
自分勝手。いっつも笑ってて声がうるさい…。誰彼構わずカッとなると直ぐ食って掛かる。
一度教授にも食って掛かって、危うく退学処分になりそうだったとかなんとか…。
「あんなヤツどこが良いんだろう…。」
私は絶対に関わらない…そう思っていた…。
ある日の大学の帰り道。
課題がなかなか終わらなくてちょっと遅くなってしまった。
すっかり暗くなって誰もいなくなった帰り道を1人駅に向かう。
校門を出た所の交差点で信号待ちをしていると、雨がシトシトと降ってきたので私は折りたたみ傘を開いていた。
キキーーーーーーーッッッッ
突如、急ブレーキを踏む音がした。
顔を上げると目の前にトラックが停まっており、運転手らしき男が降て来て前方を確認している。
「あ〜あ。」
そう言って運転手はトラックに戻り、エンジンを掛けて行ってしまう。
前が開けて見えた交差点の真ん中には、猫が血だらけで倒れている…。
私は一瞬ハッと息を飲み、手で目を覆ってしまったが、状況を確認するために恐る恐るもう一度前を見ると
猫が2匹いて、1匹は大きい猫…血だらけ。もう1匹は小さい子猫。
子猫は大きい猫の側を離れない。
私はどうしたら良いのか分からなくて固まっていると、信号がまた赤になってしまい目の前をまばらに通る車が2匹を避けて通っていく…。
大きい車が目の前を通っているのにもかかわらず、子猫はニャーニャーと必死に鳴き、親猫から離れずにいた。
(せめて子猫だけでも助けなきゃ…。)
そう思い信号が青に変わるのを待つ。
青に変わった瞬間、私の横をスッとひとりの影が走って行った。
そして血だらけの猫と子猫を抱きかかえ、一人こちらに引き返して来る。
すごく目つきが鋭くて
いつもと表情が違う
直哉先輩だった…。
彼は両手に猫を抱えたまままっすぐ前だけを見据えて、私の横を通り過ぎ大学の校内に戻って行った。
パーカーのフードを被っていたので顔が一瞬しか見えなかったけど、殺気を感じる様な表情で少し怖かったが、それでも私は心配で先輩を追いかけた。
先輩は木の影に猫を下ろし、しゃがんでしばらく様子を見ている。
徐々に雨が強くなってきて、先輩のパーカーのフードがしぼんでいく。
私は後ろからその姿をただひたすら見守った。
そして急に先輩が立ち上がったと思うと、前方に有った木の枝でガッガッと地面を掘り始めた。
穴が空いた場所を今度は手で掘って行く。
私は居ても立っても居られず、傘を捨てて側に行き一緒に土を掘った。
急に人が来て先輩は少し驚いていたが、直ぐに前を向いて黙って2人で穴を掘った…。
「…はぁ、はぁ。よしっ、こんくらいでいっか。」
そう言って先輩が立ち上がり、泥だらけの手を払いながら血だらけの母猫と子猫を連れて来た。
「アンタはコイツ持ってて。」
ポイっと子猫を私の胸に乗せた。
静かに母猫を穴に寝かせて、上から少しずつ土をかける。
小さな山が出来上がり、合掌した。
私も目をつぶりしばらく冥福を祈った…。
「手伝ってくれてありがとう。」
立ち上がりそう言って先輩は私の胸からヒョイっと子猫をつまんでフードに入れた。
その顔はさっきと真逆で…
優しくて、悲しくて…
目は潤んでいて、雨なのか、涙なのか…分からなかった。
「見て、めっちゃ泥だらけ。どうしよっか?」
急におどけて、先輩が泥だらけの服を私に広げて見せた。
お互いにズブ濡れだし、泥だらけだし、最悪な格好だった。
「ふふふ。」
ブルブルと手足を振る姿がおかしくて少し笑った。
「ははは。」
先輩も私の笑った顔を見て嬉しそうに笑った。
「ねえ、家どこ?」
「…電車で40分位です。」
「そっか…どうしよっか…。」
「…大丈夫です。このまま帰りますから。」
「うーん…。」
大げさに大の字に脚を開いて、腕組みしながら顔を傾げて悩むのが可愛いくて、
更にフードから頭に登った子猫がニャーと鳴いて吹き出してしまった。
「…何笑って?オレそんなに変かな?」
「いえ…大丈夫です…。」
「あのさ!」
ポンと先輩が手を叩く。
「おれん家、直ぐ近くだからシャワーしてって!!!」
「えっ!!」
「うん!そうしよ!!」
そう言って私の手をぐいっと掴んで歩き出した。
「…ちょ!」
「大丈夫!!何もしないから!」
「いや、着替えもないし…。」
「おれん家洗濯乾燥機あるから洗ってあげる!」
グイグイ引っ張られて連れて行かれる。
「でも…。」
先輩の背中を見ながら、言葉を探していた。
「大丈夫!絶対何もしないから安心して!
…それにコイツも居るし、早く綺麗にしてあげたいから…。」
そう言って猫を指差し、私を引っ張ってグングン歩いて行った。
私は大人しく手を引かれて、仕方なくついて行くことにした。