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湯あみを終え、浴槽から上がった裸身を姿見に映したソフィアは、浮き上がった鏡文字の刺青を確かめる様に撫でた。
「……ふむ?」
不審げに鏡に映った腹を見る。
鏡文字はゆっくりとかすれて消えていった。
「陛下、王太子殿下より遠乗りの御誘いがございますが、如何致しましょう?」
「今からか?湯冷めしてしまうぞ」
浴室から戻った女王にセナが声を掛けた。
「いえ、御都合の良い日をお教え願いたいとの事です」
「あい分かった。そうさな、風呂上がりでなければいつでも構わんと伝えよ」
「……では、明日という事で」
顔をしかめながら対応するセナに女王は笑った。
夜中に降った雪を馬の脚が踏む。
翌日は良く晴れた空が広がり、雪景色も陽を照り返して輝いている。もっとも、この陽射しではすぐに溶けてしまうだろう。
「夜中降った時には日延べしようかと思ったが、良い具合に晴れたものだ」
ソフィアと馬を並べて進むケイレブが、白い息を吐きながら空を見上げた。
「どうだ?少し早駆けでもするか?」
「……止めておこう。借りた馬だ、脚を折ったら悪い」
ケイレブの発案に女王は首を振る。
郊外の林道だ、雪に埋もれた木の根など馬の脚を取るものが隠れていてもおかしくは無い。
「冬の間部屋に籠っていては気が鬱ぐだろうと思ってな?遠乗りを誘ったのだが、気乗りせんかったか?」
「いや?散歩は好きだ。滅多に馬には乗らんので勝手が違うというだけの事」
ケイレブの気遣いにソフィアは微笑みと共に返した。
「そうか……少し休んで一回りしたら帰ろう、陽射しがあっても底冷えがするからな」
「なんだ寒がりだな?私なら平気だぞ?」
「お前が平気でも供回りの者どもに悪い」
王太子の遠乗りだ、供回り無しに出掛ける事は出来無い。二人の後ろにはセナとセレナの他、数人が馬で追随している。
「ならばあの辺りで一休みしよう、乗馬は久方振りで尻が痛くなってきた」
「……女子が尻とか云うな」
女王の示した場所には、丁度林を伐採したばかりの様な空き地があった。
切り株に腰を下ろし、火を焚いて暖を取る。持ち込んだ軽食をつまみ、沸かした茶をすすった。
「うむ、暖まるな」
「俺は近衛の訓練で野営などするから慣れておるが、そなた随分馴染んでおるな?」
「没落王家だぞ?貧困に毎日耐えているのだ、それこそ爪に火を」
「言っとれ」
二人の笑い声が響く。
……と。
林の奥から鬨の声をあげて迫る一団が現れた。
何処に隠れていたのか?
いや、思えば林道に伐採されたばかりの空き地がある事自体があやしい。となれば……
「敵襲!」
山賊の様な成りの男どもに、供回りがいち早く反応してみせた。が、遅い。
たちまち乱戦となる。
「おのれ!」
供回りは皆近衛に所属する者達だ、山賊風情にひけはとらない。
……そう侮ったのが間違いだった。
襲い掛かった者どもは統制の効いた動きを見せた。近衛と五分に戦ってみせる。
「押し返せ!」
言いながらケイレブは腰の剣を抜く。
そこに敵の一人が彼に迫った。
剣の才の無い男だ、一合して敵の剣をなんとか受けたが二合目がいけない。
ギリギリと鍔迫り合いで押し込まれる。
あわや、というところで敵の剣が力を失った。
そのまま崩れ落ちる。
「ケイレブ!お前は剣を振るな!」
敵の背中を斬り伏せたソフィアが怒鳴る。
「馬に乗れ!早く!」
「しかし皆が」
「お前の逃げ道を守っておるのだ、早く乗れ!」
怒鳴りながらも振り向きざまにソフィアは迫ってきた敵を屠る。
大将を倒されぬ様、撤退の道を切り開くのが近衛の仕事である。供回りは皆ケイレブを逃がす為、命を張っていた。
「セナ!セレナ!王太子につけ!」
「陛下を置く訳には参りません!」
「言うな!今は王太子が大事だ!」
敵も味方も数を半減させている。周囲の白に鮮血の赤が飛び、軍靴に踏まれ泥の色に染まる。
「近衛!防御陣組め!王太子殿下を逃れさせよ!」
生き残った供回りを集め、小さいながらも護りの壁を形成させる。
その壁を乗り越え、ソフィアは無尽に剣を振るった。
「退け!退けぇ!」
形勢が不利となった山賊姿の者どもは脱兎の如く逃げ出した。
「何人か生かして捕らえよ!私は王太子殿下を追う!」
馬に飛び乗るとソフィアは鞭を当て、ケイレブの後を追った。
林道の外れ近く、剣撃の音が響く。
従者兄妹がケイレブの盾となり数人の男と斬り結んでいた。
そこにソフィアは馬で割って入る。
一閃。
馬の勢いを用いて一人の首をはね飛ばした。
「いかん!ソフィア!」
放たれた矢がソフィアに迫るのを見て……
……ケイレブはその身を盾にして受けた。
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