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人々のざわめきが広場に響いている。それは性的な興奮にも似ていた。
広場の中央近く設えられた演台。
押し掛けた群衆は広場に入りきらずに周囲の建物にまで入り込み、窓から身を乗り出して演台に注目している。
やがて演台に一人の男が両脇を抱えられて引き出された。ざわめきが更に大きくなっていく。
男はその身なりから富裕層と思われた。恰幅の良い体型を華美な衣服で包んでいる。
しかし近寄ってよく見る事が出来れば、その衣装は汚れが目立つ。
丸みを帯びた顔にもやつれの相が感じられた。
男は演台の中央に跪かされた。両膝の間に大きめの木桶が置かれる。
首桶だ。
これからこの男は処刑されるのだ。衣服の汚れは牢獄に収監されていたせいだろう。集まった群衆は見届け人という名目の見物客なのだ。
震える男を大観衆が見守るなか、演台に特異な姿が現れた。
全身深紅の出で立ち。
つばの広い帽子を目深に被り、足首に届くマントの襟を立てている。そのせいで表情は読み取れない。マントの奥に覗く装いは軍装風であるが、それもまた深紅であった。
その後ろを年若い従者が、刀身の長い剣を捧げ持ち従っている。
深紅の処刑人は大観衆を前に片手を挙げた。その片手がざわめきを静める。静寂が訪れるまでその片手は下がらなかった。
「……これより執行致します。御希望ならば最期の言葉を」
深紅の人は震える男の横に屈み、耳打ちをした。
男の震えが更に激しくなった。禿げ上がった額から脂汗が流れる。
見開かれた男の両目が処刑人を見た。
「……こ、怖い。怖いのです!」
「解ります」
「お、御慈悲を……死にたくない」
深紅の人は屈めた背を伸ばし、従者から杯を受け取ると男に差し出した。
「薬酒です。心が休まり怖れを鎮めましょう」
男は震える両手で杯を一息に呑み干した。大きく溜め息をつく。
「御覧下さい」
従者の捧げる長剣を鞘より抜き放ち、刀身を男の目に確かめさせる。
輝く白銀には流麗な文字が刻まれていた。
「銘を『贖罪』と申します。お読みいただけますか?」
「な……『汝の罪をあがなわん』」
「左様です。聖水で清められたこの一刀によって、貴方の罪は償われ、罪無き魂は光に導かれましょう。御覧なさい」
紅き処刑人は天空の一点を指した。男の正面に陽光が輝いている。
「あ……あぁ、光が……」
薬酒が効き目を顕し、男の震えがおさまっていく。瞳孔の開ききった男の瞳には陽の光が大いなる世界への扉と映っていた。
譫妄状態に陥った男の傍らで、深紅の人は『贖罪』の刀身に清めの聖水を掛けた。白銀を伝う澄んだ水が、一筋流れ切っ先からこぼれ落ちる。
鋭い風切り音を響かせ、腕に重さを馴染ませんが為に『贖罪』が一振りされた。陽を受けた白銀が輝き、刀身についた聖水が振り払われる。
「執行する」
煌めきが一閃された。
一刀のもと切断された首級が、勢いで虚空を回転する。
回転を重ねた首は重力に従い首桶に音を立てて落ちた。
す、とマントが処刑人の顔を隠す。
次の瞬間頭を失った男が赤い噴水をほとばしらせた。演台が赤黒く染まる。
彼の人が赤い衣装に身を包むのは、この時の為であった。
つば広の帽子に、マントに同色の噴水が降りかかる。
やがて、噴流のおさまりを見てマントが下がった。剣を逆手に持ち柄を額にあてると紅の人は瞑目する。
トンッ、と。
切っ先を床に落とすと、その微かな震動で首無しの身体が倒れた。自らの首に覆い被さる。
処刑人は懐の隠しから純白の布を取り出すと、刀身についた血脂を拭い床に捨てた。
従者の持つ鞘へ刃を滑らせる。
今や観衆の静寂は爆発寸前だった。深紅の人が演台の先へ歩を進ませる。
彼の人が帽子を外し両手を広げた。
深紅の処刑人は端正な顔立ちの女性であった。
当世、長く伸ばし纏めるのが女性全般の髪型であるにもかかわらず、たおやかであろうはずの黒髪が短く切り揃えられていた。異様と謂える。
彼女の首には点線状の刺青が横断していた。正面には小さく二本の剣が交差した模様が彫られている。それは遠目では鋏に見えた。
まるで切り取り線である。
両手を広げていた彼女は、次いで帽子を胸にあて、静まりかえった群衆へ一礼をする。
それは処刑という名の演目の終わりであった。
どっ!!!!
堰を切ったかの如く大観衆の叫びが押し寄せ、その響きで演台がわずかに震えた。
処刑執行が完了するまで、群衆は見届け人として無言無音を義務とされている。
彼女の一礼は執行完了を意味する。
否応にも昂った人々は歓声を上げ、手を打ち鳴らし、高く口笛を響かせた。
女王陛下万歳と叫ぶ太い声。昂りの為に失神する娘の吐息。万雷の拍手。
それらが渾然一体と化した音の洪水を一身に受け、『深紅の女王』は演台を後にした。
演台の陰、控えの空間に壇上から降りた彼女の眉は不機嫌に歪んでいた。
「お疲れ様です陛下、見事な剣の冴えでございました」
年若い従者の言葉に、更に眉を険しくする。
「……お気に召しませんか?」
「我が身の不覚を恥じ入るばかりだよセナ。褒めてくれるな」
「何が御不満でしょうか?」
設えられた階段へ疲れた様に腰を下ろすと、『女王』は腕を組む。
溜め息がこぼれた。
「罪人の震えを薬酒に頼った。あの様に震えを起こされては、綺麗に首を落とせないからな……腕の未熟に赤面する」
戦にて鎧の上からの撲殺を旨とした正剣にあって、『贖罪』は首伐ち用に特化された剣だ。その身は薄く剃刀に似て剣撃には向かない。
一閃を誤ると刃が折れてしまう。
頸骨の間、狭く柔らかい関節をすり抜ける事で首伐ちは成功する。
大観衆の見守るなか、失敗すれば物笑いの種となる。罪人が震えたままで首の関節を狙うのは達人の技と謂える。
(無論、罪人にとって薬酒は慈悲なのだが……)
「帰るぞセナ」
「はい陛下」
用意された馬車に乗り込むと、『女王』は演台で昂った心を溜め息とともに吐き出した。
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