sky 未解決事件 第1話
1 「板橋区一家殺人事件」
午前八時。小雨が降る中、刑事、田倉は殺人犯を追っていた。
向澤 拓 25歳は、度重なる警察からの警告を無視し、女性のつきまといを繰り返すストーカーだ。
ある夜、被害女性からの悲痛な通報により、警官が女性宅に急行するも、現着警官が見た物は、家族全員の絶命姿だった。
被害女性の通報内容と、これまでの経緯から向澤を指名手配した。
ここ数ヶ月、田倉率いる一課は、向澤の友人関係が少ない事から、朝まで営業しているサウナやカプセルホテルやインターネットカフェを中心に捜索をしていた。
この日、インターネットカフェの従業員から向澤らしき人物がいるとの通報を受け、店を警察官で完全に包囲した。
従業員の案内で寝ている男を向澤だと確認し、一気に向澤を取り押さえにかかった。
「確保!」
田倉と何人かの警官で、向澤の上に乗って抑えた。
しかし、大柄の向澤は目を覚まし、想像を超える強い力で抑え付けている刑事を押し返し、素早く裏口から逃げて行った。
田倉と警官達は、押し返されてしりもちをついた。
「クッソ!何て力なんだ」
田倉は起き上がり、外の部下に指示を出すと、フラつく足で先回りに走った。
向澤が元陸上選手で空手も得意とあるから、簡単にはいかないと覚悟はしていたものの、あの状況から大の大人を一気に押し返す程の強い力にかなり驚いた。
部下の連絡で倉庫に、向澤を追い詰めた。
そっと背後を取り、田倉は確保するチャンスを狙った。
「あきらめるんだ。向澤」
向澤の前方から、ジリジリと警察官が距離を詰める。
「お前は、もう逃げられない!」
倉庫に警察官の声が響くと、向澤はナイフを内ポケットから取ると、周りの物を投げつけながらナイフで警官を威嚇して、少しずつ出口を目指す。
向澤が、出口の方に目をやった。
隙が見えた。
このチャンスを逃すまいと、田倉は向澤との距離を縮め、向澤の背後から向澤を押し倒した。
「今だ!」
田倉の合図で警官が、向澤に向かおとした時、向澤のバカ力の反撃が田倉の顔をかすめて、それだけで田倉は口を切った。
驚いた田倉だが、口の血を袖で拭うと「やってくれるね」と、ニヤつき、向澤を睨み付けた。
やられて腹が立ち、俄然やる気になった田倉。向澤が目を反らした隙に、ナイフを蹴りあげた。
次こそ、それが合図だったかのように、その場にいる警官全員が向澤に倒れ込んだ。
「絶対に、離すなよ!」
部下の一人が叫んだ。
警官達も、また押し返されては大変だと、必死に向澤に覆い被さった。
さすがの向澤も、この人数を押し返すだけの力はなく、唇を噛みしめて「くっそ!」と、大声を出しながらもうなだれた。
「てこづらせやがって」
息を切らしながらスーツを乱れを直し、立ち上がった田倉の額からは汗が落ち、大きく息をはいた。
「連れていけ!」
田倉の意気込み入った声に、部下達も息を切らして、汚れた服をそのままに、向澤を何十人で車まで連れていき、四人係りで何とか車に押し込んだ。
もう、全員、ぐったり。
昼過ぎ、ようやく署に戻ってきた一課に、次の事件がきた。
着替える暇もなく、事件の現在の詳細に耳を傾けた。
「よし、行くぞ」
田倉は聞き終えると部下達と共に、駐車場に走った。
駐車場で田倉達が車に乗ろうとした時、渋い男の声が田倉を呼び止めた。
「田倉!」
その声に、車のドアにかけた田倉の手が止まった。
田倉を呼び捨てにするのは、田倉の上司しかいない。
田倉はゆっくりと振り向いた。
「山島警視」
田倉はその男をそう呼ぶと、一礼をした。
山島は田倉の側まで来ると、少し言いづらそうに
「田倉、悪いがこの件は君は行かなくていい」
そう言って、作り笑顔を見せた。
「はっ?」
何の事なのか?田倉には理解出来ない。
「この件はすでに、広瀬くんに行ってもらってる」
「広瀬に?」
名前を聞いて、田倉の顔が強ばった。
一番、言ってはいけない名前が出てきた。
部下達の顔も、引きつった。
広瀬は田倉の同期であり、最大のライバル。ここではあまり、いい関係は気付けていない。顔を合わせれば、いがみ合いばかりで、部下達もそこが唯一、田倉の嫌いな所だった。
「二課の広瀬が、何故?」
本当に嫌そうに、田倉は山島を睨むように見た。
山島も負けじと、急に真面目な顔になり
「まあ、そう怖い顔するな。私も使われてる身だ。今回のお前の活躍は、十分に分かってる。しかし、これは私が決めた事ではない」
二人の睨み合いに、側の部下達はどうしていいのかオロオロしていた。
そんな部下に気付いた田倉は、部下達に「先に行っててくれ。俺は大丈夫だから」と、肩を叩き部下達を安心させるように笑った。
「わ、わかりました」
部下達は気まずいながらも、二人に一礼をして車に乗り込むと、現場へと向かった。
田倉と山島は、部下達の車を見送った。
山島は部下の車が見えなくなると、田倉と目を合わせ「私に着いてきなさい」と、低い声で言うと建物内へと歩いて行った。
田倉も縦社会に生きる一人の人間として、不本意ではあるが仕方なく、山島の後に着いていった。
エレベーター内では、二人の会話は一切なく、エレベーターが上に上がって行くかすかな音だけが流れていた。
エレベーターが止まり、扉か開いた。
山島が先に降りると、田倉も続いて降りた。
山島が、田倉の方へ急に振り返った。
「田倉、実はこの事に賛成してるのは、あのお方と私だけなんだ。もし失敗すれば私もあのお方も、ここにはいられないだろう。それでも、私とあのお方はこれに賭けたんだ。私はあのお方が正しいと信じている。信じる事あってこその、警察社会だと私は思っている」
突然、何を言い出すのか?田倉は少し驚いたが、何の事なのかまだ理解できておらず、一応、ぎこちなく頷いた。
「それと、あのお方は少々、変わっておられる。そこの所も頭に、十分入れておいてくれ」
更に、わけのわからない事を。田倉は、山島が変に気持ち悪く、返事も出来ない。
しかし山島は、田倉のキョトンとした顔を見ながらも、念を押して勝手に安堵していた。
山島が、あるドアの前で止まった。
「警視総監室」とある。
「えっ?」
田倉は息を飲んだ。
警視総監室といえば、ここのトップの部屋。
一気に田倉の体内温度が上がり、凄いスピードで緊張が走った。
二人は総監室の前でネクタイを直し、山島がノックをした。
中からの返答はないが、山島は慣れた様子でドアを開けて中へ入って行った。田倉は少し驚きつつも、山島の後について中に入った。
中では一人の男性が、頭にタオルハチマキをして、トンカチを右手に釘を口にくわえて、木材で何か作っているようだった。
見渡せば失敗したであろう、木材の残念な残骸がある。
しかし、男性はお父さんの日曜大工のように、楽しそうに目を輝がやかせて一生懸命に作っている。
『もしかして、これが警視総監なのか?』
田倉の心が、男性に疑いの目を向けた。
山島はまたも慣れた様子で、失敗したであろう残念な残骸を隅の方に寄せると夢中な男性に声を掛けた。
男性は気付かない。
何度か山島が声を掛け、ようやく男性は山島に気がついた。
「おお。山島くんか。夢中になっていて気付かなかったよ。すまない」
男性は恥ずかしそうに笑い、頭のタオルハチマキを取った。
山島の後ろにいる田倉に気づかくと、この世の終わりか。というような驚いた顔をして、田倉をガン見してきた。その恐ろしい顔に、田倉は目を合わせられない。
男性は慌てて、部屋の木材を上手く避けて、隅に掛けてあるブレザーをビシッと着ると、真面目な顔をして改めて田倉の前に立った。
「君が、田倉くんかね?」
「は、はい」
さっきとは全く違う、真面目な男性に田倉の声が小さくなった。
ギャップがありすぎて、田倉にはついていけない。
田倉の気持ちを他に、男性は気持ち悪いほどの満面の笑顔で
「そうかね。田倉くん、私が警視総監の吉田だ。これからどうぞよろしく」
と、吉田が田倉に手を出し、田倉もおそるおそる、それに答えて握手をした。
『マジかぁー』
分かってはいたが、田倉の心がそう叫んだ。
「これから君は、とてつもない任務に着く。君の人生はこれからいい意味で変わっていく。私も山島くんも君に期待しているから、頑張ってくれたまえ」
吉田は嬉しそうに言って、まだ田倉の手を離さない。
何も分からず連れて来られた田倉は、何を言っているのか?返答と、吉田が手を離してくれないのが、とても困った。
「総監、田倉には実は何もまだ話していません。初めからお願いします」
田倉がとても困っていると、山島が吉田を止め、田倉の現状を吉田に伝えた。
吉田は田倉の手を話すと、かなり驚き、さっきの恐ろしい驚いた顔で田倉を見た。
その顔に、田倉の顔がひきつる。
「えっ!?そうなのー?」
若者の友達同士のような口調で吉田が言い、山島が苦笑いしながら丁寧に吉田に説明した。
「この重要な任務は、総監直々の方がよろしいかと思います。その方が、私が話すよりも信憑性も増しますし」
「あ、そう。じゃ、始めから話そうか」
「お願いします」
「じゃ、二人とも座って」
田倉には二人の会話はわからないが、山島が吉田を上手く使いこなせてる事に少し感心した。自分には出来ない。
「はい。失礼します」
吉田が二人をソファーに座らせ、向かいに吉田が腰掛けた。
「では、始めよう」
「はい。お願いします」
山島が、座りながら一礼すると、吉田は深く頷き、話始めた。
「田倉くん、事件が多発してる昨今、我々がどんなに全力を尽くしても解決に至っていない過去の事件も多数ある。悔しい事に打ち切られてしまう事件もある。"迷宮入り"とも言うよね。私と山島くんは、この未解決事件を何としても解決したいと思ってる。その想いは、警官なら皆、そうだと思う」
吉田は田倉が見た中で一番、真面目な顔をして拳を握りしめた。
田倉の横で、山島も凄い目力で田倉を見た。
田倉の体に、鳥肌が立った。
ちょっと吉田が苦手かもしれない。と、田倉は感じた。
驚いた田倉。二人の目力と、不気味な力強さが恐ろしかった。
田倉の気持ちを他に、話は進んでいく。
「だが、田倉くん。未解決事件を解決したくても、凡人にはかなりの時間と体力がいる。そして、解決に至るまでに国民の税金も使ってしまう。それではここのトップである私も辛い。そこで私は、私が信じるある人の力を借りて、君と共に未解決事件を解決に導いて欲しいと考えているんだ」
田倉は、「事件」と「未解決」という刑事がそそられる言葉に反応した。
「ある人の力を借りる?」
急に田倉の目が、鋭くなった。
「その人は素晴らしい人だから」
「総監、そのある人とは?」
いつもの取り調べのように、田倉は吉田に横目で聞くと、吉田は突然、激変した。
「その人はね。実は」
「実は?」
「とっても」
「とっても?」
「とーても」
「とーても?」
「とーても可愛いんだ」
吉田は、オヤジの満面の笑みで、恥ずかしそうに言った。
「はい?」
田倉は、拍子抜けで、思わず、膝に乗せていた肘が、「カクン」と、なった。
「すっごく可愛い人なんだよ」
「はい?」
何のこっちゃ?
田倉は、呆れてしまった。
さすがの山島も、見ていられずに咳払いをして田倉の肩を叩いた。
「田倉、見なかった事にしてくれ」
山島の言ってる事は正しい。
「そ、そうします」
吉田はクネクネと体を動かし、話が全く進まない。
山島は田倉を自分の方へ向けさせ、吉田を見ないようにした。
「田倉、俺が話すから」
「あ、はい」
二人は吉田をカットした。
「田倉、アメリカではすでに特殊能力による事件解決を多く聞く。能力を信じるか?信じないか?は、人それぞれだが、能力による難事件解決も紛れもない事実なんだ。私と総監は、特殊能力を信じる方に回っている。総監は日本で凄い特殊能力を持つ人に出会い、その人の力を借りて田倉と共に、過去の未解決難事件を解決して欲しいと思っているんだ」
「特殊能力?」
「この力は、これからの日本には必要だと確信している」
「はぁ」
田倉は何故か、嫌な予感しかしなかった。
「これでわかったでしょ」
急に吉田が入ってきた。
「はい?」
言いたい事だけ言った二人だが、田倉は嫌な予感はしたがわかない。
「まだわからないの??」
吉田が壊れたまま、馴れ馴れしく田倉を馬鹿にした目で見て
「そのかわゆい人の能力はね、霊能力だぞ」
吉田が壊れたまま、田倉にウインクした。
田倉の全身に悪寒が走った。恐ろしい。
しばらく呆然とした田倉だが、能力を聞いて顔が強ばった。
田倉は叩き上げの刑事。目に見える物を追いかけて、真実を突き止めてきた。足を棒にして、事件を解決してきた人間。
そんな田倉に、目に見えない物を信じて事件を解決しろ。と、この人達は言っている。しかも、お蔵入りの件を。
「何を言ってるんですか?」
真面目な顔で、田倉が言った。
絶対に納得してない。
田倉のこれまでを知っている山島は、田倉の肩を叩いて落ち着かせ
「田倉、お前の言いたい事は分かっている。今は最後まで話を聞いてくれないか?」
「警視」
山島が、田倉が初めて見る真剣な顔。
沢山、言いたい事はあるが、いつもと違う山島に、田倉も怒りを抑えて最後まで話を聞く事にした。
吉田もまた、さっきとは違う真面目な顔に変わり、ソファーから立ち上がって田倉を見下ろした。
「田倉くん。勘違いしてもらっては困る。この件は数名しかしらない、極秘任務となる。君レベルで、この事を知る事などはない!君には断る権利などないんだよ」
「し、しかし」
「今は、色々な思いがあるかもしれない。しかし、彼女の力を目にすればわかるはずだ」
「か、彼女!?」
パートナーになる人物が女と知って、更に田倉は驚いた。
女などと、関わらないと思っていたこの仕事。この仕事に女がいる事は分かっているが、田倉は男社会、女など使えない。と、ずっと思ってきた。だから、さっきより増して怒りが込み上げた。
「田倉くん。これは命令であって、絶対なんだと思ってくれ。それに、君は家族を大事にしてない」
「えっ?」
吉田は田倉の怒りをよそに、突拍子も無い事を言い出した。
「だから、君は家族を大事にしていないだろ」
「は、はい?」
急に田倉の家族が出てきて、田倉は驚いた。
吉田は窓際まで歩くと、外の景色を眺めながら穏やかな顔になった。
「田倉くん。君の子供達は年頃だろ?今、君は家族としっかりと向き合っているかね?」
吉田にそう言われ、田倉は怒りが一気に吹き飛んだ。
「家族と向き合っているか?」と、聞かれても、自信はない。子供達の寝顔を見れない日々も確かにある。妻と子供と最近、何を話したか?と、聞かれたら、覚えていないし、話してないかもしれない。
子供達の声も、いつから聞いていないかも覚えていない。事件に追われているんだから、仕方ないとずっと思ってきた。
田倉はかなり、動揺していた。
「田倉くん。この任務は土日が休みだ。彼女の都合で朝九時から夕方五時までとなる。月に二回、協力してくれるから、その日以外は事件の詳細や彼女から調べて欲しいと言われた物を調べる時間に使いなさい。必ず彼女は、未解決難事件を解決へと導いてくれる。休みの日は、君はちゃんと家族と向き合いなさい。いいね」
吉田は諭すように田倉に言うと、優しく微笑んだ。
田倉は、何も言い返せなかった。
吉田が何故、田倉の家族を心配するのかはわからない。
しかし、この任務に対しての怒りが自然と消えて、本意ではないがこの任務をやるんだろうな。と、いう事だけはわかった。
「わ、わかりました」
「じゃ、早速、明日からね」
またまた急に吉田が、馴れ馴れしくなった。
「えっ?」
「明日の九時に、ここに彼女を迎えに行ってね」
吉田は迎えに行く所のメモを田倉に渡し、一緒に解決する事件ファイルも手渡した。
「田倉くん。君はこの部屋の隣の資料室を使ってくれ。そこは私専用だから、誰も来る心配はないだろう。そもそも、この部屋の通り自体が人が通らないから安心だよ。これから、どんな事を言われても気にしてはいけない。陰の存在かもしれないが、誇りに思える事は沢山ある」
そう言うと、隣の部屋の鍵を田倉に渡した。
色んな事が一気に駆け抜けて、戸惑いばかりだったが田倉は鍵を受け取ると、一礼をして総監室を後にした。
ガランとして静かな、総監室の前の廊下。田倉は、大きくため息をついて、上を見上げた。
何故だか凄い、喪失感。
築き上げた物が、崩れていく感じ。
田倉はまだまだ、やる気マンマンだったのに、自分の警察人生は終わった。と、思う。
仕方なく田倉は隣の部屋の前に立った。また、深くため息をついて、もらった鍵を出して開けて中に入った。
資料室とあるが、中は机とパソコンと椅子があるだけの殺風景なもの。
田倉は何のやる気も出ず、椅子に腰掛けるとボーっと、天井を見上げた。
どれくらい、時間が経ったのだろうか?
相変わらず田倉は、椅子に腰かけて天井を見上げていた。
「未解決事件ねーー」
全くやる気が出ない。
ふと、事件ファイルの年代が目に止まった。
今から三十年以上前、事件名は「板橋区一家殺人事件」と、ある。
「えっ?」
田倉は驚いて、ファイルを取った。
田倉が子供の時に、凄い衝撃を受けた事件ではないか。
確か、平凡な父、母、子供三人の五人家族を襲った悲劇。子供の運動会の日の朝、祖父母が迎えに行ったら全員が何者かに殺されていたとか。あれ、未解決だったんだ。衝撃は受けたが、未解決とは。
実は知らなかった。
田倉は子供の時の記憶が蘇り、ちゃんと座り直し、事件ファイルを開いた。
事件の日
子供の運動会で、祖父母が朝に平野家を訪ねると、玄関が開きっぱなしになっていた。祖父母が不思議に思って中に入ると、リビングで父親が、台所で母親が、子供部屋で三人の子供が、血まみれで絶命していた。
金銭目的か?怨恨か?
隅々まで調べたが、金銭には手を付けられておらず、家族の人の良さから怨恨の線も出てこなかった。
犯人の残留物もなく、一つの手掛かりも見つけられぬまま、事件は迷宮入りとなった。
ファイルを読みながら、田倉は疑問に思った。
時効が存在した三十年以上前の事件を、何故、調べるのか?
時効が過ぎて、平野家の祖父母も他界し、血縁の線が無い今、この事件を解決したい総監の想いがわからない。
犯人が分かったとしても、犯人は捕まえられない。
何故か?
考えながらページをめくっていると、事件を指揮したのが当時の警視の名に吉田。
「なるほどね。そういう事か」
もしかして、キャリアのプライド?未解決の汚点を残したくないだけ?単純にそう思った。
しかし、田倉には興味がある事件。とりあえず、警察専用のパソコンを起動し事件について調べた始めた。
家族構成や父親の職業や人柄や性格。母親の交友関係や生活サイクル。家族の近所との関わりや、良く行く場所など色々とまとめてみた。
気付いたら午後七時。一段落した所で、何となく田倉は家に帰ろうと思った。別に吉田に言われたからではない。と、自分に言い聞かせるが、吉田の言葉は引っ掛かっているのは確かだ。
何年振りかに田倉は、早く家に向かった。
家に着いた田倉は、自分の家なのに、緊張しながらも玄関のドアを開けてそーっと家に入った。
玄関に入ると、妻と子供二人がいる。起きている家族に会うのは久しぶりだ。
田倉と目が合った妻と子供二人。
三人は凄い物でも見たかのように、目を丸くして驚いている。
「ど、ど、ど、ど、どうしたの?」
妻、咲美の声が震えた。
「あ、いや、その、あの、今日は犯人も捕まえたし、早く帰れたんだ。ハハハハ」
田倉は本当の事が言えず、ぎこちなく答えると、苦笑いで靴を脱いで二階に着替えに走った。
田倉の家族は同級生の妻、咲美。長女、香澄、十四歳で中学二年生。思春期で少し反抗期に入った、難しい年頃。長男、斗真、十一歳で小学五年生。父親と遊んだ記憶がなく、父の日の絵も書きたくないと言い張ったり、父親が他の家と違う事が嫌だと咲美に聞いた事がある。その話も、田倉は事件で忙しいんだから仕方ないと思って、聞き流していた。この四人で社宅に住んでいる。
咲美は突然、早く帰ってきた夫と子供の為に夕食を作りにキッチンへ。
夕食が出来ると四人が揃い、田倉は何十年振りかに家族と食事を取った。
田倉にとっては、何だか新鮮で少し嬉しいが、妻と子供達は違うようだ。
食卓には家族の笑顔が溢れ、明るく楽しい夕食風景。。。。とは程遠く、誰も話さない。誰も目を合わせない。シーンとした、重ーい空気が漂っていた。
田倉の予想とは大違い。
重たい空気が段々、しんどくなってきた。
田倉は子供達をチラチラと見るが、子供達は父親の視線を無視して、黙々と食べている。
「そっ、そう言えば、野球の方はどうなんだ。斗真?」
ここは男同士、話しやすそうな下の子を選んで話かけてみた。
「別に」
横目で睨むように田倉を見た斗真は、面倒臭そうに答えた。
この反応に田倉は、びっくり。
更に斗真は食べ終えた食器を重ねると、キッチンに食器を下げて、さっさと二階へ行ってしまった。
その行動には、田倉は腹が立った。
次に香澄と、目が合った。
香澄は田倉から嫌そうに目線を反らすと、食器を重ねてキッチンに食器を下げて二階へ行ってしまった。
田倉は更に、腹が立った。
「なっ、何なんだ。あれは?」
せっかく早く帰ってきたのに。と、思いながらおかずを口にして、チラッと咲美の方を見ると、咲美は呆れたような顔で田倉を見て箸を置いた。
「あなた、仕事も大事ですし、子供達もわかってると思いますよ。ただ、小さい頃から約束を破り続けた結果がこれなんですよ」
咲美にそう言われたが、田倉にはピンとこない。
「や、約束?」
「はい。香澄の運動会、今年は行く。今年は行く。と、言ってましたが、1回も行った事ありませんよね。斗真の野球の試合、この日は大丈夫、大丈夫と言いながら、当日、何回、ドタキャンした事か」
具体的に言われて、記憶の奥隅から約束した時が蘇った。
確かに、何度も約束してる。指切りした事もある。
「いや、あれは事件が」
「確かに事件が起きれば、刑事たる者、駆け付けなくてはなりません。でも、約束は約束。守れないと分かった時点で、相手に誠意を持って謝罪する事も大事なんではないですか?子供達に謝った事ありますか?」
「えっ?」
自分の子供だから大丈夫。
そういう甘えがあったのかもしれない。子供達との約束を何度も破ってしまったが、謝った事は記憶にない。
今、全部思い出した。
「子供達も一人の人間です。父親らしい事をするのは、他の家庭に比べて難しいと思います。でも、あなたが事件が起きて、関係者一人一人に向き合うように、子供達ともあなたが出来る範囲で向き合ってはいかがですか?」
咲美も子供と田倉の関係が、このままずっと悪いのも家族としていい気持ちではないので、田倉を諭すように話した。
今日、子供との事で言われたのはこれで二回目。
でも、素直に「はい」とは言えない。この高いプライド。
咲美の言葉を耳にしながらも、田倉は子供の真似をして、食器を重ねてキッチンに下げると、二階へ上がった。
その後ろ姿を見て、「しょうがないわね」と、咲美は大きくため息をついた。
田倉は湯船に浸かっていた。
今日は色々ありすぎて、頭で上手く整理が出来ない。
午前中は、いつもの自分だった。
午後に山島に声を掛けられ、そこから全てが変わってしまった。
このまま犯人を追い掛けて、充実した人生を送ると思っていたのに、急に一課を広瀬に取られ、総監と山島に霊能力を信じて過去の事件を解決しろ。と言われ、パートナーは女と言われた。
縦社会で生きる限り、断る事など出来ない。
田倉のこれまでの人生では、あり得ない出来事。
そして、子供達との関係がこんなにも悪いなんて、初めて知った。
今日、何もかもを失ったと思い込む田倉。
湯船に顔を浸けて、息を止める。
すると
『君は子供とちゃんと向き合っているかね?』
吉田の声が頭に響いた。
『別に』
そして、斗真の夕食の時の出来事が、頭に響いた。
香澄の睨む顔、無言で食器を片付けて去っていく姿を思い返した。
『約束を破り続けた結果がこれなんですよ』
更に咲美の言葉が、頭に響いた。
田倉は顔を上げて、大きくため息をつくと、天井を見上げた。
「やっぱり全部、俺が悪いのか?」
お風呂場に、田倉の悲しげな声が響いた。
次の日の朝、田倉は家族と朝食を取った。
昨日と同様、静かな食卓。
一つ違うのは、妻も子供達も二回続けて田倉が食卓に居る事に、動揺をしていた。
ここ何十年も、食卓にいなかった田倉。「何があったのか?」三人は田倉をチラチラ見ながらも、話掛けはせず、食べていた。
沈黙の中、田倉は出された朝食を全て食べ終えると、箸をそっと置いた。
「ご馳走さま」
「あっ、はい」
咲美が、驚いたかのように返事をした。
「斗真、今日、お父さん遅いんだ。斗真の学校の門まで一緒に行くから」
突然、そう言って斗真を見た。
「えっ?」
驚いた斗真は箸を落とし、咲美と香澄は動きが止まった。
三人の反応など気にせず、田倉は食器をキッチンに下げると着替えに部屋へ行った。
午前、八時。
二階から香澄が、玄関をおそるおそる覗いた。
玄関の前には、スーツを着て出れる状態で斗真を待つ父の姿。
香澄は気づかれないように、頭を引っ込めると、斗真の元へ急いだ。
「斗真、本当に待ってるわよ」
準備は出来たものの、父親と登校などした事ない斗真は、下に降りるのをためらっていた。
「早く、行きなさいよ!」
香澄は、他人事のように笑いながら斗真をせかした。
「じゃ、姉ちゃんが行けばいいだろ!」
斗真が口を尖らせた。
「絶対、嫌。私、学校、反対だし」
「俺だって、嫌だよ」
「いいから、行きなさいよ。あの人が、キレるかもしれないじゃない」
香澄に押され、渋々、玄関に降りた斗真。
その様子を二階の影から、興味本意で香澄が覗く。
斗真が玄関に座り、靴をゆっくりと履くのを田倉は文句も言わずに待っている。
見送りに来た咲美も、何だか気持ち悪い。
「咲美、ゴミも捨てて行くから」
結婚して十六年、田倉の口から聞いた事もない言葉が飛び出し、さすがの咲美も唖然。
「咲美?」
呆然と立ち尽くす咲美を気にせず、玄関の隅に置いてあるゴミ袋を手に取ると、田倉は「じゃ、行ってくるから」と、笑顔で言って、口が「ポカン」と開きっぱなしの斗真を連れて、出て行った。
斗真の学校の前の門。
一言も話さなかったが、田倉は斗真が正門をくぐり、見えなくなるまで見送った。
斗真はその視線に耐えきれず、途中から小走りで下駄箱に飛び込んだ。
田倉は自分に「気にしない、気にしない」と、呟きながら本庁に向かうと、資料室に寄ってから、車で吉田が指示した場所へと向かった。
吉田から手渡された、吉田、手書きのパートナーの資料。
名は「岡井 真央 三十一歳」。三人の子を持つシングルマザー。普段はスーパーで働いており、とても可愛くて素直な子❤
と、ある。
「ハートマークって...」
昨日、吉田と会って、何となく分かってはいたが、いい年したおじさんの直筆のハートマークに、田倉の体に鳥肌が立った。
三十分程で、待ち合わせのコンビニの駐車場に着いた。
コンビニの入口の側に、リュックを背負った可愛らしい女性が立っていた。
吉田の手書きのイラストによると、あの女性で間違いない。
とても三人の子持ちとは思えぬ見た目。田倉には、真央が年よりもかなり若く見えた。
吉田が、ああいう風になってしまうのも、少し納得。
鼻で笑いながら、車を止めると、田倉は真央の側に駆け寄った。
「初めまして。岡井さんでよろしいですか?私は本庁から来ました、田倉といいます」
田倉は、頭を下げた。
気付いた真央も、頭を下げて
「吉田さんから聞いております。岡井 真央と申します。よろしくお願い致します」
と、真央も笑顔で挨拶した。
二人は挨拶が終わった。
そして、少し沈黙。
田倉は、こんな若い女性と二人きりで会うなんて、しばらく無かった事だから、どう接していいかわからない。
「えーーっと、じゃあ、行きましょうか?」
「そ、そうですね」
ぎこちない二人。
真央は車の後部座席に乗り、田倉は運転席に乗ると車を走らせた。
移動中、真央は田倉がまとめた、パソコンの事件ファイルを開いて、しばらくそれを読み続けた。
そして、ある部分の画像を見ながら、事件当時、家族が使用していた私物を手に取った。
その様子をミラー腰に見ていた田倉は、何も言わず、真央の力とやらを鋭い目で観察していた。
真央が急に、口を開いた。
「この櫛は、以外にもお父さんの物。青の歯ブラシはお母さんの物。ビデオテープは、上の子の宝物。ミニタオルは真ん中の子の物。ボールペンは下の子の物」
優しい、母親の顔で一つ一つが誰の物なのかを言った。
田倉は、隠し持っていた紙を開いて驚いた。
能力を信じない田倉は、ファイルの方には私物としか記載しなかった。なのに、全て合っている。
誰の物なのかは、事件当時も公表はされていないし、調べようにも極秘なだけに、警察関係者でない限り難しい。
吉田が教えた?
一瞬、そう思ったが、教えたとしても解決にはほど遠い。
そんな意味のない事を、警視総監である立場の吉田がするとは、さすがに思えない。
二時間後。
事件があった、現場に到着した。
そこにはもう家は無く、コインパーキングになっている。
真央は何も持たずに車を降りると、ゆっくりとコインパーキング内を歩き始めた。
ゆっくり右に行き、しばらく止まって奥へ。奥でしばらく止まって、左へ。何故か、それを繰り返している。
何をしてるのか?検討も付かず、田倉は運転席からコーヒーを飲みながら、ぼんやりと真央の行動を目で追っていた。
それから真央は同じ行動をして、四十分。
欠伸をした田倉は、ふと、何かに気付く。
真央が何度も、しばらく止まる場所。
それは
「まさか」
田倉は急いで、事件ファイルをまとめたパソコンと連動してるタブレットを開いた。
出したのは、当時の平野家の間取り図。
真央が止まった。
間取り図では、当時、リビングがあった場所で、父親が死んでいた場所。
歩いて、また真央が止まった。
そこは、間取り図では当時、子供部屋となっていた場所。三人の子供が無惨にも、死んでいた場所。
歩いて、また真央が止まった。
そこは、間取り図では当時、台所があった場所。そして、母親が死んでいた場所。
真央の止まる場所は、家族が死んでいた場所。
「まさか」
でも、田倉の顔が、「信じない」と強ばった。
更に、三十分後。
真央が、車に戻ってきた。
後部座席に座ると、難しい顔をして、後ろを振り向いた田倉を見た。
「色々と聞いては来たんですが、家族の皆さんは家族以外の人間を、あの日に見ていないんです。かろうじて、下の子だけが、声を聞いた。と、言っています」
「家族の皆さん?」
霊の存在は信じない!頑なに思う田倉は、真央の話が入ってこない。
「ええ。今、話してたじゃないですか?」
真央の顔が、曇った。
「えっと、そうだっけ?」
田倉の顔を見て、真央はすぐに分かった。
「もしかして、信じないタイプ?吉田さんに私の能力は、聞いてると思いますけど、もしかして、嫌々、やってません?」
真央のズバリの指摘。
「いや、その、事件を霊能力で解決なんて、あり得ないし」
つい、本音が出た。
「それに、これは、命令だったし」
戸惑いながらも、言ってしまった。
『それなら、私はもう協力しません!』とか、怒るとかと思いきや、真央はニヤニヤして
「田倉さんって、ただ、怖いだけでしょ?万が一、霊を見たりしたら、失神するタイプでしょ」
と、田倉を少し小バカにした。
「田倉さんの事は置いておいて、事件を解決するんです。田倉さんの気持ちはどうでもいいので、話を続けます。いいですね?」
急に強気になった真央は、恐怖をひた隠しにしてる田倉の顔を見て、笑いを堪えながら続けた。
「平野家の皆さんは、変わらずこの場所にいます」
「そ、そ、そうなんだ」
「で、死んだ事は皆さん理解しています。何故、死んだのか?そこが分かってないから、まだ、ここに残っている。と、いった感じです」
「そ、そ、そうなんだ」
「残念ながら私には、成仏させる力も有りませんし、お経とかもわかりません。分かる事は、平野家の皆さんが、殺された理由を知れば、成仏に繋がるのだと思います」
「じょ、成仏。。。理由?」
「そう、理由です」
田倉は、この会話が少しずつ頭に入ってきた。事件解決の為に必要なら、全力でやるしかない。と、思えた。
「あっ、岡井さん」
「真央でいいですよ。田倉さん」
「あっ、そう。じゃ、真央。三十年以上前の犯人を探すのは、かなり難しいと思うぞ。このように資料が沢山、ある訳じゃない」
「でも、手掛かりは一つ見つけましたよ」
「何?」
「下の子が聞いた、声です」
「声?」
「はい」
「下の子は五歳だろ。当てになるのか?」
「あー!それ、大人の嫌な考え方。五歳って、色んな事が自分で出来るようになり、純水だから大人より信用できると思いますけど」
「そ、そういうものかね?」
「勿論。でも、この子が言った事で気になる事が」
「な、何?」
「声は、『ヒーローのおじちゃん』だった。と、言ってるんです」
「ヒーローのおじちゃん??」
「それが誰なのか?ヒーローと言うのだから、下の子が大好きな男の人なはず。父親には全く心当たりがなく、母親は始めは分からないと言っていたんですが、一つの出来事を思い出してくれました」
「何?」
「下の子がまだ三、四歳の時、商店街で母親が知り合いと立ち話に夢中になった事があったんです。母親が目を離してる間に、下の子はいなくなり、慌てて皆で探し回った事があったそうです。そんな中、下の子を見付けてくれたのが、巡回中の警察官だったとか。母親はその警察官に子供から目を離した事を、こっぴどく怒られたそうです。でも、下の子にはとっても優しい『ヒーローのおじちゃん』だったとか。その警察官が偶然にも、父親の野球部の先輩だったそうです。その出来事以来、母親は一度もその警察官に会ってなかったので、思い出すのに時間がかかりました」
「ちょっと待て。下の子が聞い声がそのヒーローのおじちゃんで、ヒーローのおじちゃんが警察官で、父親の野球部の先輩」
「そうですね」
「それと、事件とどう関係があるんだ?」
「実は人の声を鮮明に聞くのは、死の直前の事が多いんです」
「死の直前?」
「資料を見る限り、発見したのは祖父母とあります。祖父母の声を覚えているべきなんです。でも、祖父母の声は死後、時間が経過してたので、覚えていない。そこが、引っ掛かかるんです」
「どういう事だ?」
「下の子に駆け付けたのが、祖父母より先にヒーローのおじちゃんの可能性があるって事です」
「えっ?」
「それがどういう事か、分かりますよね?」
「いや、わかってるけど」
田倉の顔が、青ざめて行く。
もう時効なんだから大丈夫。と、いう気持ちもあれば、このまま未解決ではいけない。と、いう気持ちもある。
田倉は、本当にどうしていいのかわからない。
「田倉さん。とりあえず、私は帰る時間なので、次の時までに田倉さんは、下の子が言っている父親の野球部の先輩で、『ヒーローのおじちゃん』という警察官は誰なのか?探して下さいね。では、帰りましょ」
「はっ?」
田倉にはまだ難問なのに、真央はさっさと話を終わらせて帰る気満々。
「急いで送って下さいね。今日は早帰りになってるので」
「へいへい」
仕方なく田倉は、真央をコンビニの駐車場に送ると、自分は本庁の資料室へと帰った。
資料室
まずは当時の平野家の近くの交番を調べる。
商店街、駅、学校近く。いくつかピックアップし、平野家の父親の野球部の先輩を調べる。
野球部だから、中学、高校の二つになる。先輩だから、父親の二つ上までを調べる。全部で五十人以上もいる。
「結構、いるなぁ」
人数を見ると、めげてしまいそうだが、この野球部の先輩達の中で、警察官になった人間を調べる。三十年も前だから、難しいと思われたが、以外にも先輩達の職業が短時間で調べられた。
「おっ、以外にいい調子じゃん」
すぐにたどり着けそうだと、田倉は喜んだ。
しかし
「えっ、嘘でしょ?」
何度も何度も五十人以上の所在地、職業を見返す。
「マジで?」
結果は何度、見ても変わらない。
何と、五十人以上いる先輩で警察官になった人間は、一人もいなかったのだ。
「えっ、何で?何で?五十人以上いるのに?」
そして、亡くなってる方も何人もいた。
完全に、行き詰まってしまった。
この先、調べようがない。
田倉は考えに考えて、帰る事にした。
次の日も次の日も、田倉は徹底的に調べた。
そんな日が何日も続いた。
「だめか」
ため息をつき、田倉は天井を見上げて目を閉じた。
ふと、平野家の下の子がいなくなった事がある。と、いう出来事を思い出した。
「そう言えば、話に夢中になって下の子がいなくなった時に、見付けてくれた警官に母親がこってり絞られたっていってたな」
違う線から追ってみようと思ったが、三十年以上前の事で、すぐに子供は見つかっている。資料など残ってるとは思えない。
「きっと、ダメだろうな」
すぐに諦めて、この日も疲れ果てて家に帰る事にした。
自宅
田倉が玄関を開けると、香澄と斗真がまたも田倉が早く帰ってきた事に驚きの表情で固まった。
「た、ただいま」
田倉がぎこちなく言うと、慣れてない香澄は何て答えていいのか分からず、そそくさと二階へ行ってしまい、斗真は一応、頷いて苦笑いでその場を去った。
「気にしない。気にしない」
田倉は自分に言い聞かせて、着替えに部屋に向かった。
この日も、家族揃って夕食を取った。
今日も静かな夕食。この静けさにも慣れてきた田倉は、半分諦めて黙々と食べていた。
すると、香澄が何かを思い出したように、咲美の方を見て口を開いた。
「そう言えばお母さん、今日ね、みつよ先輩に会ったの。久しぶりで驚いた」
「えっ?みつよちゃん?久しぶりね。引っ越しして以来よね。よかったわね。元気だった?」
「凄く元気そうだったよ。みつよ先輩、ピアノ頑張ってるって」
「あら、そう。香澄も負けないように、トランペット、頑張らないとね」
「もう、わかってるって」
家族団欒とはこういう物なのか。と、思うほど母と娘は楽しそうな会話。
夕食に家族が口を開くなんて、田倉が帰るようになってからは、初めてだったので、食べながらもちょっと驚きつつ、嬉しかった。でも、この会話には入れそうもない。
「本当にみつよちゃん。懐かしいわね。音楽クラブ以来だものね」
咲美がそう言ったとたん、田倉の手が止まった。
『音楽クラブ?』
その名称が、田倉には引っ掛かった。
「でね、お母さん」
香澄は咲美と楽しそうに、みつよ先輩との話を続けている。
『音楽クラブ?音楽クラブ?音楽クラブ』
田倉の頭の中を、その言葉だけが何度も流れていく。
『音楽クラブ、音楽クラブ、音楽クラブ。。。クラブ、クラブ。野球クラブ、野球クラブ、クラブチーム。となると、野球部』
「そっか、野球部!野球クラブって事か!」
何の前兆もなく、田倉が急に大声を上げてテーブルを叩くと立ち上がった。
咲美、香澄、斗真は、突然の事に驚いて三人して田倉を見た。
「あ、あなた?」
始めて見る田倉の姿に、咲美は恐怖を感じ、香澄も斗真も固まっている。
三人をよそに、田倉は嬉しそうにご飯を急いでかき込み、平らげると箸を置いた。
「咲美、音楽クラブって何だ?どういう内容だ?香澄は吹奏楽部だろ?」
「えっ?」
唐突の質問に、咲美も苦笑い。
「お、音楽クラブは、香澄が小学生の時に入っていたクラブよ。色々な小学校から上の音楽を目指す子供達が集まった、音楽のクラブチームよ。何度も金賞を取ってる、凄い所よ」
「色々な小学校から、子供達が集まったクラブ?」
「そうよ」
「そういう事か!」
田倉は、満面の笑みで咲美と香澄と斗真に、無理やり握手をすると、ルンルンで自分の部屋へ走って行った。
残された三人は、ただ、唖然としていた。
「な、何なのあれ?」
咲美が無理やり握手された、右手を見る。
香澄も斗真も、無理やり握手された、格好のまま固まっていた。
部屋に入った田倉は、野球部の先輩。と、いう名称で、中学、高校時代を必死に調べていた。
小学校で入っていた野球クラブなら、野球部と言っていたかもしれないと、田倉は思った。
小学校で入っていた野球クラブなら、学校が違う子も入っていたかもしれない。
急いで父親が小学校時代に入っていた、野球クラブチームを調べた。
随分と昔の事だから、探すのに苦労した。
それから何日かして、ようやく当時の父親が入っていたチームを見付け出した。
そして、そのチームを知る人物と会える事となった。
その日、田倉は当時、野球クラブの監督をしていた監督の息子に会いに行った。
もう亡くなっているが、当時の監督はとても几帳面な人で、野球クラブをこよなく愛し、当時の資料を全て大事に保管していた。
息子も父親の気持ちを尊重し、その資料を父親の形見として大事にしまっていた。
五十年以上前の物で古びてはいたが、殺された父親が五年生の時の名簿を見せてもらう事が出来た。
了承を得て、携帯で名簿を撮らせてもらい、息子に平野家の父親の話を聞いた。しかし、息子は体が弱く、野球の事は何一つ分からなかった。
資料室に戻った田倉は、撮った名簿に目を通していた。
以外にも人数がいる。この中に、警察官になった人物を探す。
一人一人を調べる前に、一通り最後まで見ようと上から順に見ていると、ある人物に目が止まった。
「この人は?」
聞いた事のある名前が、名簿にあった。
会った事はないが、アメリカではかなり活躍した日本人警察官。警察掲示板と同じ名前がある。
「角野 優」
気になった田倉は、念の為、この人物について一番に調べた。
角野 優は、確かに殺された平野家の父親の野球クラブの先輩だった。
角野は優秀な成績で大学を卒業し、警察のエリートコースを歩いている。平野家の事件前に、平野家の側の交番にエリートならではの、ちょっとした事件を解決して、自身の成績をあげる為に研修という名目で来ていた。
交番に来て一週間後、平野家の事件が起きている。
この事件を解決すれば、角野の成績も上がるはずなのに、角野は事件が起きてすぐに、交番を去りアメリカに渡っている。
何故?
角野は現在、日本人初のニューヨーク市警で警視監をやっていると聞く。
しかし、その職を今年で退くと発表している。
田倉が警官報で気になる、角野の言葉があった。
退くと発表しているが、角野の文面に「やらねばならない事がある」とある。
この意味とは何か?
何をやらねばならないのか?
何故、こんな事をわざわざ警官報に載せるのか?
「やらねばならない事がある」というのが、まるで、誰かへのメッセージのようにも見える。
誰へのメッセージ?
そして、平野家の事件とどう関係してるのか?
そこがまだ、何一つ繋がっていない。
複雑すぎて、田倉の頭では整理が出来ない。
一週間後。
この日、田倉は事件頃の角野の写真を持って、真央をコンビニの駐車場に迎えに行った。
コンビニでおにぎりとお茶を買い、真央を車に乗せるとまた、当時の事件現場へと車を走らせた。
この前のように、真央は田倉が調べたパソコンの資料を見ていた。
田倉は真央に、角野の写真を渡した。
真央はその写真を見て
「この人って」
「わかるか?」
「丁度、そこ読んでるから」
「そっか。アメリカで、かなり上まで登りつめた人物だよ。今年、その職を退き、日本に帰ると言っている。そして、「やらねばならない事がある」と、言ってるんだ。真央、どう思う?その人は、この事件に関わっているのか?」
その時、真央は窓も開いていない車内に、風が吹くのを感じた。
そして、真央の右側にそれは降りてきた。
「田倉さん、車、止めて下さい」
真央がそう言うと、田倉はゆっくりと車を止めて、バックミラー越しに、真央の視線の先を追った。
「どうした、真央?」
「田倉さん、私に言えるのは、角野さんが犯人ではないと言う事です」
「えっ?何で?」
「それと、角野さんが今になった理由は、他にもあります」
「えっ、どういう事?」
真央は全てが分かったかのように、話し始めた。
「角野さんは、この事件に関わっていた事は、間違いありません。そして、この事件の原因を作ってしまったのかもしれません。角野さんの為に言わせてもらえば、事件の日、角野さんはこの家族を守りたくて、葛藤の末に平野家に駆け付けた。と、いう事です。でも、間に合いませんでした」
「守りたくて?」
「はい」
「真央、まだ良く分からない」
「そもそもの始まりは、平野家の下の子がいなくなった時まで遡ります。下の子を、見付けてくれたのは、角野さんで間違いありません。子供から目を離した母親を叱るほど、角野さんは子供思いで正義感のある警察官でした。母親は知らなかったのかもしれませんが、下の子はちょくちょく角野さんに会っているんですよ。だから、下の子は角野さんを『ヒーローのおじちゃん』と言ったのだと思います。所がある日、下の子は角野さんが誰かに脅されている所を見てしまったんです。下の子は、それが何だったのかは分かるはずもありませんでしたが、奴等は小さかろうがとても警戒し、下の子の居場所を見付けたんです。それを知った角野さんは、時間を見付けては平野家を巡回し、平野家の無事を毎日、確認していました。角野さんは、とても優しい方です。あの日、角野さんが平野家を巡回していた時、奴等が平野家から出てきたので、慌てて中に入ったら全員、殺されていたのです。角野さんは絶命した下の子を抱きしめて「すまない」と泣いています」
「なるほど。しかし、警察官である角野さんは、何故、その場から去ったんだ?」
「それは、角野さんのお子様の為です」
「はっ?」
「角野さんのお子さんは、重い病気だったんです」
「病気?」
「はい」
「角野さんの子供の病気と、角野さんが奴等に脅されていた事と、平野家が殺された事とどう繋がるんだよ?」
「それは、角野さんのお子さんの病気が移植が必要な物だったんです。当時の日本では、移植を認める法律が無く、例え海外に行けたとしても、体に合う臓器はいつ、見付かるか分からない。それまでにどれくらいのお金がかかるのか?どれくらいの時間がかかるのか?子供はそれまで生きていれるのか?その不安な想いこそが、原因です」
「な、何かまだ良く分からないけど」
田倉には、真央の言っている事が、まだ理解出来ない。
すると、車内をまた、冷たい風が通った。
その風は、田倉の体を抜けて助手席に降りた。
田倉は身震いをし、何が起きたんだ?と、助手席に目をやった。
「あれ?田倉さんも気づきました?」
「な、何がよ?」
田倉には、嫌な予感しかしない。
全身に鳥肌が立ち、目には見えないが、助手席に何かいる!と、感じた。
「真央、そ、そ、そういえば、角野さんは退く前に日本に一度帰る。と、あったぞ」
変な感じを吹き飛ばすかのように、田倉は話を変えた。
「田倉さん、角野さんが日本に帰ってきたかったのは確かですよ」
真央は、意味深な事を言い出した。
「な、何?」
田倉の声が、少し震えた。
「角野さんは日本に帰ってきて、全てを打ち明けたいと願っていました。今になったのは、自分の命に時間制限がついたから」
「えっ?時間?」
「時間が過ぎる前に、やり遂げたかったのだと思います」
「そ、それって」
さすがの田倉でも、分かった。
「そうです。話は戻りますが、角野さんは衰弱していく我が子の姿を見ていられず、出してはいけない物に手を出してしまいました」
「手を出してはいけない物?」
「それは、『臓器売買』です」
「ぞ、臓器売買!?」
田倉は、思わず大声を出してしまった。
臓器売買が日本で、三十年以上前に簡単に出来たのだろうか?
色々と疑問は残るものの、臓器売買が絡んで、一家が殺害されたとは、当時での解決は難しいだろうな。と、田倉は思った。
「下の子は、その話し合いを見てしまったんですね。だから、家族全員が殺されてしまったんです」
「何て、酷い事を」
田倉は、怒りが込み上げてきた。
それと同時に、一つ疑問が。
「と、所で真央は何で、そんな詳しく分かるんだよ」
田倉と真央がミラー越しに、目が合った。
真央はニヤニヤしながら、嬉しそうに
「それは、角野さんの奥様が教えて下さいました」
「お、奥様?」
「奥様は五年前に亡くなられています。その奥様が、教えて下さったんです」
「えっ!」
田倉の全身に寒気が走った。
「も、も、も、も、もももももももももも」
もう、言葉にならない。
「はい。その通りです。助手席に奥様が。田倉さんの後ろの席に、角野さんがいらっしゃいます」
真央の不適な笑み。しかし、田倉は顔面蒼白で聞こえていないだろう。
真央は田倉を放っておいて、角野との話を田倉に聞こえるように話を続けた。
「角野さんのお子様は、今は元気で暮らしております。しかし、角野さんも奥様も、自分の子供の命を救いたいとはいえ、この家族を巻き込んでしまった事を、ずっと悔やんでおられました。そして、お分かりかと思いますが、角野さんは亡くなりました」
「チーーン」
田倉は、白目を向いて気を失った。
どれくらい、経ったのだろうか?
「田倉さん?田倉さん」
真央に何度、呼ばれたのか?
遠くの方から、真央の声が近づき、ようやく田倉は目を開けた。
「真央?」
田倉の側には、真央の顔。
「全く、ようやく気づきました?」
「えっ?俺は?」
自分の状況がわかってないのか、田倉は頭がボーッとしている。
「田倉さん、気を失っていたみたいですよ」
「えっ?」
「角野さんとの話は、覚えてますか?」
「あっ、ああ」
田倉は、今の状況と気持ちがついていけてない。
「田倉さん、起きた所で行きますよ」
「えっ?」
「起きるの待ってたんですから、早く行きましょ」
「ど、何処に?」
「何処って、現場でしょ」
「現場?」
「事件現場。元は平野家で今は、コインパーキングになってる所。わかった?」
「ああ」
現実逃避してる田倉に、仕方なく説明し、田倉は言われるままに車を走らせた。しかし、まだ幽霊二人を乗せてる事には気付いていない。このまま、田倉の為に、真央は黙ってる事にした。
事件現場に着いた。
田倉は何か忘れてるな。と、思いつつもコインパーキングの近くに車を止めた。
「ここって」
田倉が思いだそうとしてる中、真央は車を降りて、ドアを閉める前に
「田倉さん、ありがとうございます。と、角野さん夫婦が言ってますよ」
ニヤニヤしながら言い、ドアを閉めた。
「あっ!!」
一瞬で、田倉は全てを思い出した。
田倉の全身を、また寒気が走り、幽霊を乗せて走ってた事に恐怖を感じていた。
「マジかー」
走ってる最中、その事を思い出さなくて良かったと思ったものの、こんなにも霊という物は怖いのか。と、霊体験をあなどってはいけない。深いため息を付きながら、染々と思った。
しばらくして、田倉は何とか平常心を取り戻した。
車から外を見ていると、真央は何をするのでもなく、ただ、駐車場を外側からじっと見ていた。
声が出せるようになった田倉は、窓を開けて真央に小さな声で訪ねた。
「真央、どうなってる?」
真央には、聞こえない。
足がすくんでるのか。思うように体が言う事が利かず、立てない田倉。震える声で精一杯、腹から声を出したつもり。
「ま、真央、どうなってる?」
「えっ?」
微かに何かが、真央に届いた。
振り返った真央。車から手が震えてる、田倉を見付けた。
「大丈夫になったんですか?」
やっぱりニヤニヤしながは、真央は田倉の側に来ると
「今ですね、角野さん夫婦が平野家に全てを話してる所なんですよ」
「そ、そう」
「これで平野家は、殺された理由が分かります。ただ、許せるかは私には分かりません。見守るだけですから」
「そ、そう」
「田倉さん、降りないんですか?」
「いや、俺はここで」
恐怖で立てないなんて、口が裂けても言えない。
しばらく、沈黙が続いた。
「あっ」
真央の声に、田倉がビクッとした。
「どうやら家族は、お二人を許したようですよ」
「あっ、そう」
田倉はもう、一つ一つにビクビクして、出来たら早くここから離れたいとしか思わなかった。
「角野さんが、平野家を連れていくと言ってます」
「はあ」
「それと、角野さんが田倉さんのパソコンをいじったようです。後は、よろしく。と、言ってます」
「えっ?」
田倉はまた、ビクッとした。
「な、何で?」
「君の刑事魂を信じてる。と、言ってますよ」
「はっ?」
今の状況にも着いていけないに、田倉はまた気を失いかけた。
「田倉さん、皆さん消えていきます。良かったですね」
真央はクスクスと笑い、田倉は大きく深呼吸をし、ようやく恐怖は終わったと、心からホッとした。
「た、大変」
真央は時計を見るなり、慌てて車に乗り込んだ。
「田倉さん、ちびのお迎えが迫ってる。急いで送って下さい」
「あ、ああ」
田倉の足は思うように動くようになり、車を走らせた。
コンビニの駐車場に真央を降ろすと、疲れきった田倉はそのまま家に帰った。
自宅
「ただいま」
家に着くと、田倉は着替えもせずに、ソファーに倒れ込んだ。
「疲れたー」
クッションに顔を埋め、深呼吸をした。
物音に気付いた咲美が、奥から田倉の方に小走りで来て
「あなたなの?お帰りなさい。コーヒー飲みます?」
手を上げた田倉を見て、飲むと判断した咲美は洗濯物を置くと、キッチンにコーヒーを入れに向かった。
咲美はここ最近、田倉が帰ってくるようになり、家族になりつつある事が、凄く嬉しかった。
咲美は田倉にコーヒーを渡すと、洗濯物をたたみ始めた。
同じ空間に、ソファーで田倉がコーヒーを飲み、咲美が洗濯物をたたんでる。
まさに、家族。
その二人の姿を、香澄と斗真が不思議な感じで見ていた。
コーヒーを飲み終えると、こっちを見ていた香澄と斗真と目が合った。
二人は慌てて目を反らすと、そそくさと二階へ上がっていった。
田倉はため息をつき、「気にしない。気にしない。」と、自分に言い聞かせて、着替えに部屋に向かった。
着替えながら、今日の出来事が走馬灯のように流れた。
幽霊を二人も乗せて車を走らせて、今日だけで七人が成仏した?事になるのだろう。普通に生活していたら、ほぼしない体験。また、田倉の全身に鳥肌が立った。
「思い出すのを辞めよう」
自分に言い聞かせてると、角野がパソコンをいじった。と、言っていたのを、思い出してしまった。
「そういえば」
着替え終わると、早速、パソコンを立ち上げた。
パソコンには何故か、田倉の見た事のない新しいファイルが画面のど真ん中に、大きく現れた。
「いや、存在感ハンパないし」
苦笑いしながらも、恐る恐るファイルをクリックした。
すると、凄い量の平野家殺害事件の資料が、事細かに出てきた。
事件に関わった主犯の、ブローカー四人の写真と名前と、現在の居場所。性格や行きつけの場所や、癖や家族構成や、事件の後に起こした犯罪など、詳しく書いてある。一家殺害の証拠など、全てが揃っている。
そして何よりも四人が、この事件で逮捕できるように、角野は四人をかなり長い間、渡航させていた。そして一年前程に、角野は四人を日本に返している。
三十年もこの人は、この四人を逮捕する為だけに、接触を続けていた。警察官としては許せないが、彼なりの執念を田倉は感じた。
角野のした事は、間違っている。
それはわかっているが、このファイルを無駄にはしない。
田倉は、ファイルを読み続け、これをどうするか?策を練った。
次の日、山島に相談した田倉は、このファイルを一課の広瀬に渡した。
「広瀬、手柄はくれてやる。このファイルを読んで、行動を取ってくれ」
広瀬は田倉のファイルを受け取ったが、田倉に勝った。と、思っていたから、田倉の行動が気持ち悪くて、中が見れなかった。
しかし、ファイルに警視総監の印があるので動かないわけには行かず、仕方なくファイルを読み、山島の指示通りに四人を次々と逮捕した。
「板橋区一家殺人事件」は、解決となった。
一週間後。
この日、田倉は「板橋区一家殺人事件」のファイルに「解決」の印を押した。
ファイルはずっと残るので、幽霊や真央の事など書けないから、つじつまを合わせるのに苦労した。
田倉はスーツの乱れを直し、警視総監室をノックした。
中からの、返答はない。
何となく分かってはいたが、一応もう一度、ノックした。
やっぱり、返答はない。
しかし、中からは「トントントン」と、トンカチの音がする。
「何してるんだか?あの、おっさんは」
そこへ、山島も総監室に来て、二人して総監室に入った。
中ではタオルハチマキをし、汗を首のタオルでふきながら、木に釘を打っている吉田の姿。
吉田の周りには、失敗したであろう木材が、乱雑に置かれている。
『やっぱりね』
山島と田倉は、心の声が揃って出てしまった。
「もしもし、総監?」
山島の声に気付いた吉田が、二人に気づくと、吉田は恥ずかしそうにタオルハチマキを取った。
「いたの?ごめんね。夢中になってて、気づかなかったよ」
ヘラヘラしながら、汗を拭いた吉田は二人をソファーに座らせた。
田倉は早速、解決したファイルを手渡した。
吉田はファイルを真剣な顔で受け取ると、田倉に一礼をした。
「今回はご苦労だった」
吉田がそう言うと、田倉はどれが出来てるのかわからない木材の残骸を指差した。
「総監、何を作ってるんですか?」
「こ、これは」
急に吉田はデレデレし始めて、モジモジしながら
「これは本棚で、真央ちゃんの解決したファイル専用なんだ♥」
そう言って、吉田は年がいもなく頬を赤らめた。
「はっ?」
な、何、言ってんだ。この人?
田倉は唖然としたが、山島は苦笑いで
「総監、本棚なら買えばいいじゃないですか?」
と、言うと、吉田は人差し指を横にふり
「チッ、チッ、チッ。それでは意味がないだろ、山島君。愛を込めた物といえば、手作り!基本だろ」
自信満々に言った。
やっぱりこの人、変だ。
二人は、確信した。
「所で田倉君。君、気絶したって聞いたけど?」
吉田がニヤニヤしながら、田倉を横目で見た。
ドッキーーーン!!
「あっ、そ、そ、それは」
いくつも事件を解決してきた田倉の名の手前、誰にも知られたくない。焦った田倉は、頭をかきながら
「そ、そう言えば、この事件は総監も携わった事件ですよね」
話を反らした。
すると、吉田は急に真面目な顔に戻り、ファイルをテーブルに置くと立ち上がって、窓の外を切なそうに眺めた。
「まあね。ファイルに書いてあるから、分かっちゃうよね」
「総監はずっと、気になっていたんじゃないですか?」
図星の問いに、吉田は一つため息を着いた。
「かもね。あいつがあっちに行ってから、三十年も会ってないのにね」
「それは、親友だから?ですかね」
吉田は更に悲しそうな顔をして、田倉をチラッと見た。
「あいつ、死んじゃってさ。人間って、あっけないよね」
「でも、角野さんのおかげでこの事件で、犯人を逮捕する事が出来ました」
「それが、警察官として正しいとは私にも思えない。でも、それがあいつの生涯をかけた、最後の事件解決だと思う事にしたんだ。あいつの事を、君は世間に知らせるべきだと思うかね?」
吉田は全てが明らかになった今、角野の罪について田倉に怖いが聞いてみた。
「もし角野さんの事を公にするならば、真央の事や幽霊の存在などを説明しなくてはなりません。真央には子供がいます。これによって、真央を傷つけるかもしれません。これから先も、総監は私と真央で未解決事件を解決して欲しいと思っていらっしゃると思いますので、角野さんの事を私は誰かに言う事はありません」
「そう。ありがとう。それを聞いて安心したよ」
吉田は安堵の表情で、また窓の外を見た。
「総監、角野さんのお子さんは大人になり、向こうで元気にしています」
「そう、良かった。子供に罪はないからね」
窓の反射で微かに移る吉田の顔は、少し嬉しそうだった。
「総監、今回の事で、こういった事件の解決の仕方もあるのだと分かりました。しかし、まだ自分は霊は見えませんし、信じていくのも難しいです」
「でもね、田倉君。真央ちゃんは本物だよ」
「そうなのかもしれません。私は真央を信じるのみです」
「それなら、いい。これからも、君にはやってもらうよ」
「命令ですからね」
「そう。命令」
吉田が田倉の方を振り向いて、笑顔で言った。
田倉も静かに頷くと、立ち上がって吉田に一礼した。
「それより総監」
田倉がニヤニヤしながら、形が出来ている木材を指差した。
吉田は、ビクッとして、田倉の指差す方に恐る恐る目を向けた。
「総監、この本棚、曲がってますよーーー」
満面の笑みで、嫌味っぽく言うと、田倉は総監室を出て行った。
「う、嘘でしょ?」
吉田は目を見開いて驚き、慌てて本棚に駆けよった。
山島は確めるかのように、テーブルの解決ファイルを手に取って本棚の一段目に入れた。
ファイルは「スーーッ」と、右から左へと滑った。
山島はファイルをもう一度、本棚に置いてみた。
やっぱりファイルは「スーーッ」と、右から左へと滑った。
山島は一応、笑いを堪えながら
「これは、曲がってますね」
と、吉田の耳元で言うと、口を押さえて「クッ、クッ、クッ」。もう堪えられないとら総監室をそそくさと後にした。
一人、残された吉田。
この世の終わりかと言う顔で、メソメソしながらファイルを手に取って、ファイルを本棚に置いてみた。
ファイルは「スーーッ」と、右から左へと滑った。
「そ、そ、そんなーーー」
総監室に、吉田の情けない大声だけが響いた。
ーー完ーー