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小さな芸術家

作者: コメタニ

 私は浮かない気持ちで並木通りを歩いていた。小脇に抱えたキャンバスも、あれほど熱を入れ長い時間をかけて制作した絵が描かれているというのに、今では叩き割って投げ捨ててしまいたいとさえ思えてくる。日ごろ世話になっている画廊の応接室で、つい先ほど行われたやり取りを思い返しては怒りと哀しみが入り混じった感情が沸き上がってくるのを覚えていた。画廊の主人は、私が差し出した完成したばかりの絵を眺め、口元に歪んだ笑みを浮かべながらこう評したのだ。

「なんだねこれは、まるで子どものお絵かきじゃないか。こんなものはうちで扱うわけにはいかないよ。大体だね、君には大人としての、そうだな、社会経験というものが不足しているんだよ。それに世間一般の知識もまるでないときた。学生からそのまま絵を描くだけの生活をぶらぶらと続けているんだろう。本当の芸術というものは、そんなモラトリアムに表現することなんて出来っこないんだ。うちの店に飾ってある絵を見ただろう。どれも人生経験豊かな、本当の大人が描いた本当の芸術作品だ。帰るときにでもじっくりと見て、本物とはどういうものかじっくりと学んで行くといい。残念だけど、この絵はうちでは扱えないね。早々に持ち帰ってくれたまえ」

 私は殴りつけてやりたい気持ちを必死で押さえながら、投げつけられるように返された絵を受け取ると応接室を出た。画廊の店頭には沢山の絵が飾ってあった。それを言われたとおりに、一枚そして次の一枚と渡り歩くように観ていった。たしかにどの絵も技術は素晴らしく、そして美しかった。豪華な調度品がしつらえられた部屋に飾っておくには持ってこいだろう。だが、どの絵も私の心を揺さぶることはなかった。

 そうして私は力作の絵と悶々とした気持ちを抱えながら、寒々とした冬空の下を歩いていたのだった。裏通りの交差点で足を止め、さて、これからどうしようか、家に帰るかそれともカフェにでも寄ろうかと思案を始めたとき、足元から思わぬ声がかかった。

「ちょっと、踏まないで!」

 見ると、ひとりの女の子が石畳にチョークで絵を描いていて、それを私の足が踏んでしまっていたのだ。

「あ、失礼」

 慌てて一歩下がり謝意を表した。そんな私にお構いなしに、彼女は黙々と絵を描き続ける。その絵は拙く荒々しい線で描かれていて、お世辞にも上手いとは言えない代物だった。三つ並んだオブジェクトは目と鼻と口が歪んだ点と線で表現されていて、それによりなんとか人物を描いたものだと分かるくらいだ。だが、私はそのチョークで描かれた絵を見て、胸に熱いものが沸き上がってくるのを感じていた。両端の大きな人物はたぶんお父さんとお母さんで、その間に挟まれるように描かれている小さな人物は彼女自身なのだろう。三人は仲良く手を繋ぎ、その顔は幸せそうな笑顔だった。そこには溢れるばかりの愛情と幸福な日常が刻まれ、光り輝いていた。私は幼かった頃の幸せだった日々の映像を思い浮かべ、私の掌を握りしめる両親の暖かな手の感触を思い出していた。

「あれ、お兄さん泣いてるの? どうしたの?」

 そんな私のようすを見上げ、彼女は不思議そうに尋ねた。

「いや、なんでもないよ。ちょっと懐かしい気持ちになって、つい涙が出ちゃっただけさ。それにしても上手な絵だね。とっても素敵だよ」

「ありがとう!」

 満面の笑みを浮かべると、彼女はふたたびキャンバスに向かい、今度はお日さまや家などの背景に取りかかった。

「こちらこそ、ありがとう」

 私はそう呟くと、そっとその場を立ち去った。脇に抱えていた大事な作品をしっかりと持ち直し、軽やかな足取りで自宅にある寝室を兼ねたアトリエへと向かった。空一面を覆っていた灰色の雲の一部が切れ、そこから差し込む陽の光が私と並木通りとを暖かく照らした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 少女に出会えて良かったですね。 ほっこりとしていて、良い話でした。
[一言] じんわりと暖かな気持ちになりました。 夢を持つ者としては、ときに言われたく無いことを言われる事もあるでしょう。 けれど、主人公は救いを見つけたのですね。 文章も話の流れも良かったです。
[一言] 短くキレイに素朴に固まっててとても良かったです。 なんでもお金と競争がからみはじめると厄介なものですねー。
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