ひとりの夜
ガキがガキの時に作ったおはなし。見切り発車でどう転んでいくのかは不明。
両親が好きだった歌が、私も好きだった。それは、私が生まれて初めて覚えた洋楽だった。子供にしてはたいした曲を聞いていたと思う。深い理解はなかった。ただ、その曲調とその曲を歌う父と、そんな父の隣にいる母が好きで、幼いながらに小さな幸せを感じていた記憶がある。
その曲は言う。「あの日よ、もう一度・・・」と。
ある田舎町で私は育った。今年も、残すところ2週間というところまで来ていた。毎年この時期には大量の雪が降っては、近所のおじさんが雪かきに朝から大忙しだ。海はなく、代わりに高い山と綺麗な川が1本あった。私の住む家は、川を挟んだ山のふもとにある平屋だった。平屋といっても建築家だった父が設計した渾身の作品だったため外観は可愛らしいカントリーなデザインだ。私はここに一人で住んでいる。
冬は比較的に好きな季節だった。特に冬の夜は空気が澄み、月明かりが照らす清流はキラキラと輝き、私には冷たくあたる風は、優しく笹の葉を撫でて音をたてた。その日は雲ひとつないきれいな夜空だった。私はふと、外に出て風がゆらす笹の音に耳を傾けながら、月上がりの下を散歩していた。首には黒いマフラーを巻いてきたが、やはり寒かった。周りには私以外の人影は見えなかった。ただでさえ田舎町なのに、家は川を挟んだ山側ということもあって、民家が並ぶ地域とは少し離れていた。人が居ないことが当たり前だ。
こんな夜は初めてではない。澄み切った空気に私の吐く白い息が音もなく突き抜けていく。ふいに浮んだ子供の頃から大好きだった「あの曲」を口ずさむ。気分が良くなっていくのを感じた。足取りも少しばかり軽くなっていく。口ずさむ曲が一番の盛り上がりをみせようとしたとき、目の前をびゅっと竹林を弱い突風が通り抜けていった。ざっ・・・と竹がしなり、笹が大きく揺れ、数枚が風にさらわれ宙を舞う。その笹は近くを歩く私に向かって飛んでくるかのように、見事に私の目の辺りをかすって飛んでいった。
「うわっ・・・」
瞬間、目をつむる私の耳に私ではない声が聞こえてきた。少し体が固まったのがわかる。居ないはずなのだ、こんな夜にこんな処に人なんて。いつもなら。少しの恐怖というのだろうか、焦りというのだろうか、何かが私を不安にさせた。ゆっくり、ゆっくり閉じた目を開く。
「え、大丈夫?」
無意識に俯き気味になっていたのか、視界に入ったのは黒い大きなブーツ。
「もしもーし」
そのまま視線を上に上げていく。ダメージの入った濃いめの色をしたジーンズ。黒いインナーで隠れた茶色革で編んだようなベルト。そして薄手のチェック柄のシャツの上にはカーキ色のコートが見えた。
「お姉さーん。大丈夫?マジで。おーい」
そのままもう少し視線を上げていく。白い肌に鎖骨が浮んでいた。男性だ、確実に。
「ねえ!!」
ポン、と肩に手をおかれ、思わずびくっと体がはねる。
「あ・・・っ」
「おぉ・・・驚き過ぎでしょ・・・。ごめんね。びっくりした?」
そこには、きれいな顔の若い男性がこちらを覗き込むように見ていた。視線が交わって、さらに私の体は固まったが、男性はにこりと笑った。
「お姉さん、ここの人?名前は?」
「え、なま・・・あ、わたし?」
「そ、お姉さん以外に人、いないじゃん」
笑顔だった男性の表情は少し、困った様な苦笑いに変わっていた。
「あ、わたし、ここに住んでる・・・一瀬・・・」
「一瀬?下の名前は?」
「・・・・みなと」
「みなと!俺、やまとって言うの。にてるね、なんか」
ふっと笑う顔は、優しかった。
「会ったばかりで悪いけど、みなと。教えてほしいことが何個かあるんだけど、今話しかけて大丈夫だった?」
「あ、散歩してただけだから」
「あのさ、ここらへんてホテルとかない?泊まるとこ探してんだよね」
「ホテル?ないよ。」
見ての通りの田舎だ。山と川しかないような場所に今日行ってすぐ泊まれる様なビジネスホテルなるものはないどころか、カラオケも漫画喫茶もない。何度も言うが田舎なのだ。
「え、ないの!?」
「ない・・・です」
「あらー・・・」