3.
それは僕が小学校を出る年だった。
夏祭りの少し前、父から翌春の引越しを告げられた。中学もそちらで通う事になると。もう村へは行けなくなると。
まず頭を過ぎったのは柊の事だった。彼女に会えなくなってしまう。そればかりを思った。
父にはちゃんと父の事情があるのだし、婆ちゃんにも迷惑をかけてばかりはいられない。それは分かっている。分かってはいたけれど、それでも嫌だった。
押し込めたつもりだったけれど、その感情は大人に見透かされていたのだろう。
祭りの前の日、泊まりに来た僕に婆ちゃんが珍しく訊いた。
「お前、ここが好きかい?」
勢いよく首肯すると、婆ちゃんは嬉しそうな、そして少し悲しそうな不思議な顔をして、いつもより多く小遣いをくれた。
その年のお祭りは、いつもよりもぐっと盛大だった。
例年よりも人が多いようだったし、珍しい事に花火も、少なくない数が打ち上げられた。
喧騒のおしまいを告げる夜空の花のその下で、僕は柊に引越しの事を話した。
今までみたいに、週末ごとにやってくるなんてできなくなる事を伝えて、でもきっと、夏のこのお祭りの時に戻ってくる事を約束した。
「だから、また一緒にお祭りに来よう」
今度は僕から小指を出した。
「また……来年?」
「うん。また来年」
でも、ゆびきりげんまんは最後まで歌えなかった。
小指と小指を結んだまま、途中で彼女が泣き出してしまったから。
柊が泣くのを見るのは初めてだった。
遠慮のない子供の頃は、取っ組み合いの喧嘩だって何度かした。その時にだって泣かなかったのに。
どうしたらいいのか、何と声をかければいいのか分からなくて、僕はただおろおろとするばかりだった。
どれくらい経っただろう。
繋ぎ直した柊の手のひらは、ぎゅっと僕の手を握って温かい。花火が終わって静寂が降りるまで、僕たちはそのままでいた。
ようやく泣き止んだ柊は袂で目元を拭って、「ごめんね」と淡く微笑んだ。
それから社の裏のいつもの場所に座り込んで、色んな話をした。どちらからもお別れを切り出せなくて、まるでそうしていれば終わりが来ないと信じるかのように、いつまでも話し続けた。
けれど盛況だった人の波が途切れ途切れになり、まばらになり、やがて絶えた頃。
「さようなら」
不意に、柊が立ち上がった。告げられたのは、いつもの「またね」でも「じゃあね」でもなく、もっと決定的な別れの言葉だった。
僕が何を言うより早く、ぽんと彼女は森の方へ飛んだ。飛んで、降りた時にはもう彼女はいつもの彼女ではなかった。
首をもたげて、最後にもう一度だけこちらを見返って。
ふんわりとした尾をぱたりと振ると、その狐は森の奥へと消えていった。
その年の夏祭りが盛大だった事。
婆ちゃんの不思議な表情。
そして、柊の涙。
それら全ての理由を、僕は後で知る事になる。
──また来年。
指を絡めたその約束は、けれど果たされる事はなかった。