銀の章一 盗賊迎撃戦
十四のとき、レッセは英雄となるべく村を飛び出し、アルフはそれを見送った。
それからおよそ一年。故郷に残り穏やかな日々を送っていたアルフのもとに、一人の男が現れる。
その男は、「盗賊がこの村を襲いに来る」という報せを携えていた。
本人はまったく望んでいないことなのだが――
戦乱の渦中へのアルフの第一歩は、ここから始まる。
ラピユリア暦315年。銀の満月の頃。
右目に金光を孕む男は言った。
「俺は、この村を出ていく」
それを聞き、左目に銀光を宿す男は尋ねる。
「いきなりだね。どうしたんだい、レッセ」
金光の男――レッセの宣言の突飛さを指摘しつつ、銀光の男に動揺した様子はなかった。それは、彼が生来感情の起伏を表に出さない人物という理由もあるが、それ以上に、レッセの普段の言動から、いずれはこのようなことになるだろうと、容易に予測できたからだ。
「お前はそう考えたことはないのか、アルフ」
そう考えたとは、村を出ていくことについてだろう。問いに問いで返され面食らいつつ、銀光の男――アルフは、ふと夜空を見上げて、月が綺麗だなと感慨を抱いてから答える。
「ないよ」
「一度もか?」レッセは間髪入れずに追求してきた。
「うん。僕はこの村が好きだ。出ていきたいと思ったことは、一度もない」
アルフがそう答えると、レッセは腕を組んで眉間にシワを寄せた。
「やはり俺にはお前のことが理解できん。こんな田舎村で、一生を終えるつもりか?」
口調と表情には苛立ちが感じられたが、アルフは変わらず、穏やかな口調で応じる。
「人にはそれぞれ、丈に見合った生き方があるんじゃないかな」
それは、十四歳という成人したばかりの年頃の男にしては、あまりに達観した物言いであったろう。だがアルフの言葉に嘘はなかった。村を出ていくという同い年の男の宣言は、彼の心情に衝撃など一切与えてはいなかった。
「ふん。それが俺と同じ選ばれた者の言葉とはな」
レッセは軽蔑するようにそう吐き捨てた。金色の右目は、彼の感情の昂ぶりを映してか不吉な兆しを見せていた。
「……僕は、自分が選ばれた者だなんて思っていないよ」
アルフは自嘲気味に微笑みながら告げた。
「ただ片目が変な色をしているだけじゃないか」
「偶然が一つだけなら、俺とてそう考えただろうさ」
この段において、二人は互いの考え方が相容れないものであることを悟っていた。
「だがな、俺たちはこんな田舎村にありながら教師を得た。伝承の英雄のように、右目が金色の俺を、左目が銀色のお前を見て、通りすがりの賢人が伏して教師にしてくれと願いでたんだぞ」
「うん。あのときは僕も驚いたよ」
レッセの語調は熱を帯びていくが、アルフは変わらず平静を保っていた。
そんなアルフの眼前に、レッセは指を突きつける。
「そしてお前だ」
「……僕?」
「右目が金色の俺と同じ村に、しかも同じ年にお前が生まれた。こう考えると嫌になるが、俺の運氣はお前が裏付けているのさ」
そう言われてみると、そうかもしれない。アルフはそう思った。だがそれだけだった。自分とレッセは選ばれた者。それならそれでいい。自分の安穏とした日々が壊れることさえなければ。
「でも、ベイカのことはどうするんだい? キミたちは結婚したばかりじゃないか」
ベイカとは今年の金月にレッセの妻となった女性だ。親同士の口約束からのいいなづけであった。まだレッセとは、夫婦として八ヶ月程度しか過ごしていない。
「待たせるさ。家族を養えるような立場になれば迎えに来る」
「それは、勝手すぎるんじゃないかな」
「どうせ数年の我慢だ。いずれ楽をさせてやればいい」
知ったことか、とにべもない言葉が返されるかと思えばそうではなかった。レッセはこの村での平穏な暮らしが我慢ならないだけで、彼女のことを愛していないわけではないのか、とアルフは思った。
「キミは、都に出てなんになりたいんだい?」
「俺は英雄になりたい」
レッセの声からは、一片の迷いも感じられなかった。
「お前がここに残るというなら構わん。英雄は一人でいい。俺はウェヌカンスが言ったように、この国を救う」
ウェヌカンスとは、かつて帝都の大臣であったという彼らの師の名であった。師は彼らに貴族の子弟と同等以上の教養を与え、そしてレッセの心中に野望の火を灯した。
「お前はその報せを、田舎の一農夫として耳にしてろ」
「ああ、それは素晴らしいね」
皮肉ではなく、本心であった。都の政治は腐敗し帝国は壊れ始めているとウェヌカンスは語った。それをレッセが救い、自分はただの農夫でいられるなら、アルフにとってそれ以上望むことはなかった。
「……やはり最後の最後まで、俺にはお前のことが理解できん」
「安心していいよ。僕もキミのことを理解しているわけじゃないから」
「ふん」
アルフの言葉に不敵な笑みを浮かべ、レッセは夜空に浮かぶ月を見上げた。銀の満月の頃。丸い月の縁には銀色の光が滲んで見える。夜風は肌寒く、二人の息は白い。
「あばよ」
夜空を見上げたままに、レッセは言った。アルフに向けてか、それともこの村や土地自体に向けたものなのか、それは誰にもわからなかった。
◆
ラドキア大陸。
かつて邪竜オースザードによってこの大陸が滅ぼされかけとき、一人の聖女が降臨した。
神々から遣わされたその聖女は一人の騎士を供に邪龍と対峙し、それを討ち倒し大陸を救ったという。
聖女は光を束ねたかのような流麗な髪に、処女雪のように白く滑らかな肌をしており――
その供の騎士の双眸は、月を収めたかのような銀色と、太陽を収めたかのような金色、左右異なる色合いをしていたという。
銀の章 一 盗賊迎撃戦
時はラピユリア暦316年黒の左月の頃。
レッセが村を出てから一年が経とうとしていたある日、アルフは村の近くの森で、落ち葉を集めて芋を焼いていた。すでに灰となった落ち葉のと燻る火の中に芋を入れ、あとは焼きあがるまで木の幹に背を預け、待つだけである。この待ち時間が、アルフにとっては至上のひとときであった。腕を組み、悠然と、何気ない思索に耽っていられる。ここはレッセが言うように変化に乏しい田舎だが、考えることは尽きない。もうじき成人となる妹の婚儀。荒れてきたという近隣の治安。村長の健康問題。焼き芋はなぜこうも美味いのか。
灰の中で燻る火を見つめて考えていると、時間の経過すら忘れて、思考の渦へと没入してしまう。起きながらに夢を観ているようなその感覚が、アルフは好きだ。
「兄さん!」
しかしその感覚は、横合いから聞こえてきた大声によって断ち切られることとなった。居眠りから叩き起こされたようにビクリと体を竦め左手を見上げると、そこでは妹のエミルがむつかしい顔をして彼を見下ろしていた。
「やあ、エミル。驚いたよ」
「驚いたよじゃありません!」
エミルが大きな目を吊り上げて叫ぶ。長い金色の髪と、アルフが以前に作ってあげた大きなリボンが揺れる。
「こんなところでなにをしているんですか、兄さんは」
その言葉をこれまでにいったい何度聞いただろうか。人を叱るだなんて疲れるだろうに、よく飽きないものだと、アルフは妹の忍耐力に内心感嘆しつつ、座る位置をずらし空いた場所を手で示した。
「まあまあ、ひとまず座りなさい。芋を焼いているんだ。半分あげよう」
「えっ、本当ですか?」
するとエミルは笑みを浮かべてアルフの隣に座ったが、自分がここに来た理由を思い出したのか、またすぐに眉間にシワを寄せ、兄を見据える。
「――お、お芋一つでごまかせるなんて思ったら、大間違いですからね」
「ごまかそうなんて思ってないさ。エミルと一緒に食べたほうが美味しいからね」
「むー」
唸りながらにむくれたかと思うと、エミルは急に肩から力を抜いて、アルフの肩に頭を預けてきた。なにかを諦めたようなため息がかすかに聞こえた。
「……ダメじゃないですか。ちゃんと働かないと」
「うん、そうは思うんだけどね、僕が働くと、かえってみんなに迷惑をかけてしまう」
実践で学んだことだった。アルフは農作業にも狩猟にも向いておらず、手伝おうとすると逆に邪魔になってしまうという奇特な資質の持ち主であった。クワを振り上げようものなら体幹を崩して倒れてしまい、矢を射ろうとすれば意図せぬ方向にばかり飛んでいく。
「甘えてちゃダメです。兄さんも、なにかみんなのためにできることを見つけないと」
「エミルはしっかりものだね。いいお嫁さんになれるよ」
「ですから、ごまかさないでください」
「ふーむ」
そんなつもりはなかったのだが、そう言われては別の答えを返さねばならない。
「とは言ってもだね、先生が来てからというもの、どうもみんな僕の扱いに困っているみたいじゃないか」
「それは……そうですけど」
彼らの師、ウェヌカンスは村を去る際に、アルフとレッセの二人を「いずれ救国の英雄となる御方だ」として、丁重に扱うようにと告げていった。もともと二人の瞳の色は不思議に思われていたことに加え帝都から流れてきた賢人にそう言われ、以来、村の人々はアルフとレッセをなんとなく特別扱いするようになっていた。
「だからさ、僕はこうしているのが一番いいのかもしれないよ。それにまったく働いていないというわけじゃないしね」
「でも、お裁縫や小物作りじゃないですか」
アルフは肉体労働はからっきしなものの、手先は妙に器用なところがあり、裁縫や力の要らない小物作りだけなら村一番である。特に飾り物などを欲しがる女性には重宝されていた。彼の怠惰な日々が容認されている一因である。
しかしそれは基本的には女性がすることであり、いかに腕がいいとはいえ、男がそれを生業としていることに、陰口を叩く者たちもいないわけではない。そのためエミルも、兄にはもっと他のことで一目置かれてほしいと思っていたのだ。
「そういうのじゃなくてですね――」
「おっと、そろそろいいかな」
エミルの言葉を遮る形で、アルフは灰の中から芋を取り出した。長くは握っていられぬほど熱いため、しばらく片手から片手へと投げ渡し熱が下がるのを待つ。
「兄さん、話の途中です」
「まあまあ。エミルは逃げないが、食べごろは逃げてしまうよ。話の続きは、これを食べてからでも――」
「美味そうだな」
突如、二人の頭上から野太い声が聞こえてきた。聞き覚えのないその声に驚き見上げると、そこには長柄の斧を手にした大男が立っていた。眉は太く、口は大きく、左頬には顎から耳までかかる古い刀傷がある。麻の衣服もところどころに破損が目立ち、武器の有無を別にしても、賊のたぐいに見える。
アルフは咄嗟にエミルを庇うように立ち上がった。そうしてみると、男との体格差は歴然となる。縦も横も、男のほうが二回り以上は大きい。村の誰も比肩できないだろう。
「腹、減ってるんだ。それ、くれねえか」
男は眉と比べると不釣り合いに細い目でアルフを見下ろし、太い指で芋を指さし告げた。腹が減っているという言葉自体には嘘はないように、アルフには思えた。だが後ろにエミルがいるこの状況では、さしものアルフも呑気に人物考察をしているわけにはいかない。
「わかりました。じゃあ、半分あげますよ」
アルフは熱いのを我慢し、焼けた芋を半分に割った。黄金色の断面からは湯気が立ち上り、食欲をかきたてる甘い香りがした。
そしてただでさえ近くにいた男にもう一歩近寄ると、精一杯の速さで腕を伸ばし、その熱々の断面を男の顔へと押し付けた。
「逃げろ、エミル! みんなのところへ行け!」
普段は決して出さないような大声と真剣な面持ちで妹に命じる。男が熱さで怯んでいるうちに、彼女だけでも逃がそうという算段であった。
「い、嫌! 兄さんを置いてなんて行けない!」
しかしエミルは斧を持った大男の出現に腰を抜かしたのか、アルフの足にしがみついて離れようとしなかった。
まさか、こんなことになるとは。アルフは戦慄した。単独で村を離れこんな森にいたのは、自分一人ならいつ賊に襲われ命を落とすことになろうとも、それが天命かなという呑気な考えの上でだ。だがよりにもよってエミルが一緒のときに、このような事態になるとは。
「いいから行きなさい! このままじゃ二人とも――」
「なにを言ってるんだ、お前ら」
聞こえてきた大男の声には、意外なことに怒気も殺気も含まれていなかった。そもそも、熱い断面を顔に受けて怯んだ様子もない。妙だぞと思いアルフがエミルから大男へと視線を移すと、アルフが突き出した芋を、大男は口を開け、口内で受け噛み切り、咀嚼していた。
アルフは半分のさらに半分程度にまで短くなった芋を手に、呆然とするしかなかった。先程まで頭を満たしていた危機感はどこかへ飛んでいき、思考には空白が生まれた。
「美味いな。ありがとよ」
そう言いながら、大男はアルフの手に残った分も指でつまむように取り上げ口内に放る。アルフが何口もかけて味わうものをこの大男は二口で悠々と呑み込む。人を食べてしまう巨人の話をアルフは頭に思い浮かべた。
「お前ら、近くの村のもんか?」
「……うん、そうだ」
アルフは頷いた。こうなってはじたばたしても無駄である。
「なら、早く逃げた方がいい」
ずしんと、大男はその場に膝をついた。アルフはその衝撃で大地が揺れたのではないかと思った。
「近くに、賊が来ているぞ……」
そこまで言うと、男は力尽きたかのようにその場に倒れてしまった。咄嗟にアルフが避けなければ、彼も転倒してしまうところだった。
「兄さん、その人の背中……」
「うん」
エミルに指摘されるまでもなく、倒れたことで男の背があらわになったときにアルフも気づいていた。
大男の背中には、一本の矢が突き立っていた。失血はわずかで、この男の体格なら致命傷とは程遠いように見える。
「ど、どうするの?」
エミルはアルフにしがみついたまま訊いてくる。その顔は青ざめており、この状況に言い知れぬ不安を感じていることが見て取れた。
「……このままにはしておけないね」
「村に連れていくの?」
「ああ。エミル、セインたちを呼んできてくれないかな?」
大男は、二人ではとても運べそうになかった。
「兄さんは?」
「ここに残るよ。もし目を覚ましたら、事情を訊いておきたいからね」
エミルはまだ怖がっているようだが、アルフは、この大男が少なくとも問答無用の悪人ではないと確信していた。頼まずとも、自分たちから芋を奪うくらいわけなかっただろうし、賊が近くにいると忠告もしてくれた。
問題はその「賊」だ。近くに来ているのが本当なら、どの程度の規模か。どこから来るのか。自分たちの村を狙っているのか。大男はまだ大事なことを話してくれていない。
「な、なら、私が残ります。兄さんが呼びに行って」
「僕が呼んでもセインくらいしか来てくれないよ。エミルなら、男はみんな駆けつけてくれるさ。ほら、いつまでもしがみついてないで、早く行きなさい」
ぽんと頭に手を置き、離れるよう促す。エミルの目は潤んでいた。こんな状況は物心ついてから初めてだろうから仕方ないか、とアルフは自分のことを棚に上げて考えた。
「すぐに戻りますから!」
エミルが村の方へと駆け出す。急がないとアルフが死ぬとでも思っているのか、余力など念頭にないかのような全力疾走だ。
「転ばないように気をつけなさい!」
みるみる遠ざかっていくその背に忠告すると、アルフは視線をうつ伏せに倒れたままの大男へと向けた。血色はよく、寝息は安らかだ。妹をあれだけ慌てさせておいて、自分もこの男もなんて呑気なのだろうかとアルフは思った。
「ま、何事もなければいいけど」
再び木の幹に背を預けて座り、独りごちる。
それは、面倒なことになるだろうなと、予感しているからこそ出た言葉であった。
◆
ホイット村は、ペルセイン帝国の南東に位置するファンテ領内において、南端付近に点在する村々の一つである。小麦の栽培と、スパード王国との国境付近にそびえるレイズ山脈での狩猟や採取を生活の基盤とする、人口五十人程度の村落である。
ここ数十年、非友好国であるスパードとの国境付近に位置しているためこれまで何度か危機に見舞われそうにはなったが、街道から離れているという地勢や偶然にも助けられ、大きな被害に遭うことはなかった。
そんな平和な村に、見知らぬ大男が「山賊襲来」の報を運んできたのである。
最初、大男は村の男たちによってアルフたちの住居に運び込まれ、寝ている間にエミルの手によって傷の手当てが施された。大男が目を覚ますと、彼はまず空腹を訴え食事を要求したが、その前に村長の住居で話を聞かせてもらうこととなった。
不吉な報を持ってきた珍客の到来に、村長の住居は人で溢れかえることとなった。老若男女問わず、大男の姿を見ようと、その話を聞こうと、呼んでもいない者まで集まってきたのだ。
二十人ほどが肩を寄せ合う事となった村長の住居。話の中心にいるのは村長をはじめ顔役の男たちと、当事者であるアルフとエミル、そして大男である。
「おぬし、名はなんという」
「ヤーガスだ」
村長の問いに、大男は堂々と答えた。背の曲がった老人である村長と彼が対峙していると、彼の巨躯が一層強調されて本当に巨人のようだとアルフは思った。
ヤーゴス。大男の名は入口付近に立つ者たちの口から、外で待機している者たちへと伝えられていく。おそらく村のほとんどの者がここに集まっていることだろう。
「山賊が来る、とアルフらに申したそうじゃな」
「アルフ?」
「そこにおる金髪の若者じゃ」
村長がアルフを手で示すと、ヤーガスは振り向いた。
「おお、お前か。さっきは世話になったな」
世話になった、とは焼き芋をあげたことか。アルフはなにも言わず、片手を上げるだけに留めた。周囲のざわめきの中、相手に明瞭に聞こえるよう声を大にして喋るのはアルフにとって少々面倒であった。
ちなみに、エミルは未だにヤーガスのことが怖いのか、ここに集まってからずっとアルフの手を握りしめたままである。
「ん? あんたの左目――」
「奇怪な色をしておろう」
ヤーガスがアルフの銀の左目に注目すると、村長が口を挟んだ。
「しばらくここに逗留されていた先生は英雄の相とおっしゃったが、わしにはそうは思えん。こんな田舎村に、英雄など生まれるわけがないのじゃ」
「そうかねえ」村長の物言いに、ヤーガスは首をかしげた。
「――それで、その話は本当か?」
アルフに逸れたヤーガスの注意を引き戻すべく、長老は声を張り上げた。
「まあな。一両日中には来るだろう。もたもたしてる時間はねえぞ」
ヤーガスは平然と語ったが、聞いている者は同様にはいられなかった。周囲のざわめきは先程までと比較にならないほど大きくなり、外で待機していた者たちはもっとよく話を聞こうとしてか、中へ押し入ろうとする。
「落ち着かんか!」
しかしその動揺は村長の一喝で徐々に静まっていった。またも騒ぎの原因となりかねない周囲の会話の一つ一つに睨みを利かせていき、場に完全な静寂をもたらしてから、改めてヤーガスへ問う。
「なぜおぬしにそのようなことがわかる」
「ああ、まあ、それは、なんだ……」
ヤーガスは恥ずかしそうに頭をかいてから言った。
「実は俺は、その賊どもに世話になってたことがあってな」
「なんじゃと!?」
「落ち着けよ爺さん。俺が悪い盗賊に見えるかい?」
「充分見えるわい!」
「まあ、そりゃそうかもしれねえが」
ヤーガスは左頬の古傷をかいた。
「路頭に迷ってた俺を仲間に加えてくれたし、義賊と自称してたから一緒に行動してたが、さすがに罪もない村を襲うと聞いちゃ、もう付き合いきれなくなってな」
「なぜじゃ。なぜこの村を襲うのじゃ」
村長の問いは、ヤーガスが賊を抜けた事情になど興味がないと言わんばかりに素早かった。
「女だよ」
「女?」村長が復唱する。
「ああ。あんたら、この前オープの街に貢物を送るとき、やたら美人な女を運び役に付けたろ? その女の噂が賊の親玉に伝わってな。欲しくなったそうだ」
ここに来て、ようやくアルフはこの事態に切迫した危機感を抱いた。
先日の貢物の護送についていった女性といえば、一人しかいない。おまけに美人となれば決定的である。
「誰じゃ、その女娘とは」
村長が、傍に控えていた顔役の男に尋ねる。
男はすぐに答えた。「ベイカです」と。
それは、レッセがこの村に残していった妻の名であった。
◆
村長の家の中に入れず外で様子を窺っていたベイカは、すぐに寄り合いの中心へと呼び出され、事情を尋ねられた。嘘にせよ真にせよ、ヤーガスの話がそのどちらなのか確信させてくれる要素を、皆が欲していた。
レッセの妻であるベイカは、村長から話を訊くと、そういえばと口を開いた。
「同行を許してくれた皆さんが貢物を届けている間、私は街を歩き回っていたんです。あんな賑やかな場所に行ったの、初めてでしたから。いろいろなところを見て回って、待ち合わせの場所に向かおうとしたとき、強面の男性に声をかけられました。ちょっと付き合えよって。嫌な予感がしてお断りしたら、腕を掴まれたんです。必死に振り払って、なんとか逃げたんですけど……」
彼女の端正な顔立ちは青ざめていた。自分が原因で村が危機に瀕していると思い、責任を感じているのだろう。そして顔色が優れないのは他の皆もそうだった。彼女の話は、確定的とまではいかなくとも、ヤーガスの言葉の正しさをある程度裏付けるものであったからだ。
中央の炉に灯る火で淡く照らされた場に、重苦しい沈黙が垂れこめた。
ベイカを差し出せば、賊たちは村に害を及ばさないんじゃないか。それはおそらく話の場にいた者の多くが、多少なりとも頭に思い浮かべたことであろう。だがそれを口にだす者はいなかった。ベイカは気立てが良く、「彼女に欠点があるとすればそれはレッセといううつけ者の妻であることだ」と冗談交じりに言われるほどの人気者であり、また、もし彼女を差し出したところで賊が村を略奪しないという保証などどこにもなかった。
勇ましい顔役の一人から、戦おうという意見も上がったが、ヤーガスの話によれば賊は三十人ほどいるという。ホイット村で満足に戦える者は、多く見積もっても二十人前後。荒くれ者三十人を相手に、到底戦えるものではない。
賊の襲来を報せているのは結局のところよそ者のヤーガスの口一つだが、ベイカが街へ向かったことを知っていることや、彼が矢傷を負っていたことから、虚言とも思えない。
紛糾した話し合いの結果、村人全員で翌朝にもオープの街を頼り移動することとなった。オープの街とはこの辺一帯の村落を管理する交易街で、そこには守備隊もいる。村が略奪の憂き目に遭ったときなどは、まずそこを頼ることとなっていた。
「どうして街に行ったんだい?」
寄り合いの後、アルフはベイカの住居を尋ねた。二人は同年代であり、レッセを通じてそれなりに交流があった。彼女の顔色は寄り合いのときと変わらず、美しい顔からは血の気が見受けられない。
街へ貢物を届けるのは主に男たちの役目であり、女性が同行する必要はない。しかし別段禁じられているわけではないので、彼女にどうしてもと頼まれては、そのときの当番であった男たちは断れなかったことだろう。むしろ鼻の下を伸ばして快諾したのではないだろうかとアルフは見ていた。
「……街を、見てみたかったの」
彼女は鮮やかな赤色の長髪の房を撫でながら、憂いを帯びた眼差しでそう言った。アルフは、皮肉なことに彼女は気落ちしているときが一番美しく見えると思った。
「街を?」
「レッセが憧れた場所が、どういうところなのか」
「なるほどね」
彼女の気持ちに共感できたわけではないが、特に疑問もない。アルフは納得したように頷いた。もっとも、レッセが目指す場所とは、オープの街よりもっと賑やかで華やかな都のことだから、街を見学しても意味はなかったんじゃないかとは思うが。
「ねえ、アルフ」
どう会話を続けたものか彼が迷っていると、ベイカのほうから話題を向けてきた。レッセが村を出てからなんとなく接しづらくなってしまったが、彼女のほうにも話したいことがあったのかもしれない。
「レッセが村を出てから、もうじき一年が経つわね」
「……うん」
「今頃どこでなにをしているのかしら」
それは誰にもわからないことだった。あれからなんの音沙汰もない。
村人の多く――特に年配の者たちは、村を捨て、新妻を置いていったレッセを、死んだも同然のものとして扱っていた。
「生きていると思う?」
熱のこもった瞳を向けながらに、彼女はそう訊いてきた。アルフはその真意を考えながら、肩を竦めつつ答えた。
「たぶんね」
彼女に気を遣ったわけではなく、本心である。レッセはアルフの目から見て、誰よりも生きることに貪欲であった。あの男がなにも成さぬまま死んでいくということは、彼には想像しがたいことだった。
「あなたは不思議と、レッセと仲が良かったものね」
「そう、見えていたかな?」
ベイカの物言いに、アルフは困惑しつつあった。この会話において、彼女の意図するところが依然わからないからだ。加えて言うなら、嫌な予感もする。「厄介なことになりそうだ」と、ものぐさ者の直感が告げている。
小さな家の中、夜に男女が二人きり。考えてみれば、あまりいい状況とはいえない。
「あの人は、きっと死んでるわ」
ベイカが歩み寄ってくる。もともと壁に寄りかかるように立っていたアルフはさがることもできず、かといって外に出るという決断もできず、至近距離で見つめ合うことを余儀なくされた。
「べ、ベイカ、これはまずい――」
アルフは自身の顔に熱が昇ってくるのを感じた。目の前にいるのは同年代で、それも村一番の美人と名高い女性である。美しく育っていく彼女を横目に生きてきた。意識するなというのは無理な話だ。
「なにがまずいの? レッセはいない。みんな、もう戻ってこないと思ってる。それに私たち、もしかしたら明日には死んでしまうかもしれないのよ?」
彼女の両手がアルフの肩に触れた。顔は胸に触れる。眼下には艶やかな赤髪が広がっており、背丈だけは人並み以上のアルフが腕を伸ばせば、彼女の細い体はすっぽりと包み込むことができるだろう。
だが彼にはできなかった。明日には死ぬかもしれない。その切迫感が彼女を大胆にしているのか。そう思うとこの場で抱きしめるのは卑怯に思えたし、なにより彼女は曲がりなりにも人妻である。自分とレッセが特別仲が良かったとは思っていないが、それでも不義理なことには違いない。
どうすれば波風立てずにこの場をやり過ごせるか。アルフにとって救いの手が訪れたのは、彼がそう考えていたときだった。
「アルフさん、いますか――うわっ」
レッセの弟でありベイカの義弟、セインがやってきたのだ。エミルと同い年の未熟な少年は、二人の姿を見つけるや驚き飛び退いた。ベイカも慌ててアルフから身を離す。情事に及ぼうとしていたところを可愛い義弟に目撃されたためか、その顔は真っ赤だった。
「どうしたんだい?」
彼女には悪いがもっけの幸いと、アルフはセインへと視線を転じた。動揺していた少年もなんとなく状況を察したのか、「ちょっといいですか」と言って、アルフを外へ連れ出す。
外はすっかり暗くなっており、寒期の到来を感じさせる冷たい風が吹いていた。夜空に浮かぶ月は右側が大きく欠けており、フチは黒く滲んで見える。黒の左月であった。
「あの人をどうするつもりだって、村長が言ってますよ」
セインが指差す先には、村の中央付近で所在なさげに佇むヤーガスの姿があった。
「ああ、彼か」
「これから大変なのにやたら飯は食うし、村長たちも扱いに困ってるみたいでした」
「だろうね」
あの体格だ。機嫌を悪くして暴れられてはたまらないだろう。村長たちの気持ちはよくわかる。
「わかった。気になることもあるし、彼と少し話してみるよ」
「俺もお供します」
アルフの身を案じてか、セインはそう申し出た。彼はレッセの弟ながら、兄と違い顔立ちに不遜な感はなく、誠実でひたむきな少年だった。そして実兄よりも、なぜかアルフの方に懐いているようなフシがあった。村でアルフのことを「さん」付けで呼ぶのは、彼だけである。
「いや、それよりキミはエミルと一緒にいてやってくれないか。夜に一人は寂しいだろうから」
アルフたちもレッセたちも、早くに両親を亡くしている。それもまた、彼らの縁を深めた奇妙な符号の一つであった。
「わかりました。あ、それと」
「ん?」
「さっきの、俺、賛成ですからっ」
セインは精悍な顔を恥ずかしそうに緩めていた。
「……さっきのって?」
「姉さんとのことです」
「ああ」
アルフは苦笑した。まさかこの少年がそのような話題を向けてくるとは。
「姉さん、寂しがってますから、その、アルフさんが……」
「おいおいおい。彼女の夫はキミの兄さんだろ?」
「あんなヤツ、兄でも姉さんの夫でもありません。あいつなんかより、アルフさんのほうが――」
「わかったわかった。その話は今の問題が落ち着いてから聞こう」
アルフは熱のこもったセインの弁を遮ると、逃げるようにヤーガスのもとへと向かった。なぜ自分のような怠け者を慕うのか理解できないという理由もあって、アルフはあのひたむきな眼差しに当てられるのを苦手としていた。さらに話題がベイカとの色恋のこととなれば、苦手なことの二段重ねで、強引に逃げたくもなる。
「なにを見ているんだい」
山のような背に話しかける。ヤーガスの視線の向く先には明日の出立に備えて荷を纏めている一家の姿がある。今頃自分の家でもエミルが支度をしているのだろうか、とアルフは思った。
「おお、お前――なんて言ったっけ」
快く振り返ったかと思えばバツが悪そうに頭をかく大男に、アルフは改めて自分の名を告げた。
「アルフか。この村は逃げるのか?」
そう言いながら、ヤーガスはぐるりと首を回す。アルフも同じように慌ただしい村の様子を眺めてから肩を竦めた。
「そうなるかもね」
「俺にはよくわからんが、それでいいのか?」
「まあ、よくはないね。畑とか住み慣れた土地を放置することになる。でも命には変えられないよ。みんなそれをわかってる」
するとヤーガスは興味が無さそうに「ふーん」と呟くだけで、それ以上会話を広げようとはしなかった。
「ちょっと訊いてもいいかな」
ならばとアルフは自分が興味を持つ事柄を尋ねるべく切り出す。
「なんだ?」
「賊はどっちの方から来ると思う?」
この問いに、ヤーガスは村の周辺の山や森の位置を確かめ、眉間にシワを寄せて一考してから「あっちの方だな」と、村から見て北西の方を指さして答えた。ヤーガスと出会った森のある方角である。
「彼らの武器は? 騎兵はどのくらいいる?」
「武器なんて普通の槍や剣や弓だ。騎兵は頭領一人だったな」
「なるほど。じゃあもう一つ」
左手の人差し指を立て、アルフはこれまでと変わらぬ調子で、最も尋ねたいことを尋ねた。
「もし僕たちが戦うとしたら、キミは協力してくれるかな?」
「……やる気か?」
ヤーガスはイタズラを企む悪童のような、愉快げな笑みを浮かべた。
「キミの返答次第かな。キミが協力してくれないなら、面倒だけど逃げることにするよ」
「言っておくが、あまり頼られても困るぞ。このヤーガス、腕に自信はあるが、お前らのために命を張ってやるつもりはねえ」
「もっともだね」
むしろ賊が来ると報せたことに対し恩を売ってもいいくらいなのに、その上話によっては戦いに協力してくれるとは。アルフは、このヤーガスという男が見た目の威圧感に似合わずかなりのお人好しなのだと理解した。
「大丈夫。キミ一人に無茶を頼むつもりはないよ」
「そうか?」
「ついてきてくれるかな? どうするにしても、村長たちに話を通さないと」
「よし、わかった」
アルフが村長の家に向けて歩き出すと、後ろから大きな影がついてくるのがわかった。これならきっとうまくいく。アルフはそう思った。
村長の家は寄り合いのときの喧騒とは打って変わって静寂に満ちていた。大きく背が曲がり、白い頭髪もほとんど残っていない老夫は、すべてを悟ったかのように達観した眼差しで炉に燃え立つ火を見つめていた。その様子は、侵略、天災、賊といった理不尽にその身を流され続けねばならない、力なき村民の宿命を粛々と受け入れているかのようであった。
「村長。話があるんだけど」
「アルフか。なんじゃ」
ヤーガスとともに中に入ったアルフが呼びかけると、村長は火を見つめたまま応じた。
「できればみんなをまた集めて、聞いてほしいことなんだけど」
「なに? 用件を言ってみよ」
「うん、やっぱり戦ったほうがいいんじゃないかと思うんだ」
アルフがそう言うと、村長はゆっくりとその顔を彼に向けた。口は半開きで目には訝しむような濁りがある。
「なにを言っとるんじゃ。槍一つまともに振れぬ男が」
「それを言われるとつらいんだけどさ、幸いなことに、ここには僕より強い人が何人もいるから」
「大陸中のどこにでもおるわ」
提案を一笑に付そうという村長の態度にめげず、アルフは主張した。
「みんなが協力してくれれば、逃げずに済むと思うんだよね」
すると、村長はやれやれとため息をつきつつ、立ち上がった。アルフはその頼りない足取りに手を貸そうとしたが断られた。
「お前はこの村に生まれ落ちた災厄なのか、それとも都から来た男が言うような英雄なのか……」
村長はアルフの左目を覗きこむように見た。アルフの銀色の左目。それを不吉の兆しと見るか、英雄の資質の証と見るか。村民の認識はわかれるところだが、少なくとも村長は前者であり、アルフ自身はどちらでもなく、なんの意味もないただの特徴と捉えていた。個人の背の高低、耳の形、顔の美醜と大差ないものだと。
そのため今のようなことを言われては、そのたびに苦笑でもって返している。
「それは極端じゃないかな、村長」
「まあよい。お前がしっかり話すというなら、老い先短いわしが一人で判断するべきことではないじゃろう」
すると村長は、村の顔役の男たちをこの場に呼んできてくれた。それを異常な事態と察したのか、他の者たちも村長の家を囲うように集まってくる。
顔役だけじゃなく、なるべく多くの人に聞いてほしいと、アルフは彼らを可能な限り中に招き入れた。誰しもがアルフとその背後にそびえるヤーガスを見て首を傾げるような仕草を見せた。アルフがこのように場を仕切るのも奇妙なら、大男の来訪者がその従者のようにこの場にいるのもまた奇妙だからだろう。
多くの視線が集まるなか、アルフは考えていることを口に出した。村長に語ったように、逃げるのではなく戦ったほうがいいと。緊張した様子を見せずに、いつもの通り呑気と言えるほどに落ち着いた口調で。
「逃げると言ったって、逃げきれるとは限らない。もし相手が追いかけてきた場合、足はどうしたって元気な男だらけの連中のほうが早いわけだからね。もしそうなったら、どうしようもないよ」
アルフが抗戦を主張する理由の一つを述べると、もともと抗戦すべきと主張していた血気盛んな男たちがうんうんと首を縦に振る。しかし当然、それに疑問の声も上がる。
「でもさ、村が空ならその時点で諦めるかもしれないだろ? 第一、戦うにしたって勝ち目あるのかよ」
そう発言したのは、アルフより二回り程度歳上のヘイボだった。彼の言葉に、抗戦派以外の者たちが頷き賛意を示す。
想定内の言葉に、アルフは想定通りの返しをする。
「あるよ。僕がこんな話をしているのは、逃げるよりも戦うほうが危険性が低いと思っているからさ」
「仮に戦って追い返しても、何人死ぬかわからないんだぞ」
ヘイボはすぐさまそう言った。多くの視線がアルフに集う。そのうちの大半には、非難めいた意思がこもっていた。大切な人が死んだらどう責任が取れる、と。それには日頃怠けているアルフが皆の前で堂々と語ることに対する反感も起因していた。
ヘイボは薄い笑みを浮かべる。
「そりゃぁ、お前は先頭に立って戦うことなんてないからいいだろうが――」
「ほとんど死なないんじゃないかな」
自身に集まる嘲りの意思をかわすように、アルフは顔に貼りついた微笑を深めた。そして後ろに佇むヤーガスを振り返り、その肩に気安く手を置いてから言葉を続ける。
「ここにいる豪傑、ヤーガスさんも一緒に戦ってくれるみたいだし。それに、作戦もあるんだ」
「作戦じゃと?」
村長が口を開いた。説明しろと、しわくちゃの表情は物語っていた。
この場に集まる誰もが知っていた。無意識か意識してかは人それぞれだが、認識していた。アルフとレッセは特別であると。片方はその怠慢さやとらえどころの無さから、もう片方はその不遜さや上昇志向から煙たがられていたが、同時に自分たちとはどこか違うと、一目置かれていた。
なにより、彼らは帝都から流れてきた見識者が、村に金を払ってまで二人の時間を買い、教えを授けた者なのである。
「まあ僕が考えたんじゃなくて、先生の受け売りだけど――」
皆の耳目が傾けられるなか、アルフはそう前置きしてから語り出した。
◆
今ホイット村へと向かっている盗賊団の頭目は、名をバルデスと言い、もとはオープの街を守る警備兵であった。若い頃から禿頭で妙に肌が白いことを馬鹿にされており、酒に酔って上官を殺してしまった原因もそれである。もはや街でまともな仕事に就くことを諦めた彼は、同じような境遇・気質にある者を集めて盗賊団を結成しその頭目となった。仲間の人数が三十人ほどにまで膨らむと、オープの街の警備隊程度では迂闊に手を出せなくなり、彼らは犯罪者の集団でありながらも、堂々と街中をうろつくようになった。
こうなっては恐ろしいのは都からの増員・または討伐隊だけだが、彼らにとって幸いな事に、今の御時世中央の政治の腐敗によって世の中は乱れ、ペルセイン帝国内ではにわかに大規模な権力争いの兆しが見えていた。端的に言ってしまえば、領主の機嫌を損ねるほど目立った行いをしない限りは、ちっぽけな盗賊団などに構っていられないような情勢だったのである。
罪を重ねても捕まらず、むしろ大きな顔をして街を歩け、さらに手下は増えていく。こういった状況に増長しないほど、バルデスは殊勝な男ではなかった。
自分はこの近辺なら、大概のことが許される。オープの街でベイカを見かけたのは、彼にそういった自信が根付いて間もない頃であった。油断から取り逃がしてしまい、彼女をその場でものにするということはできなかったが、そのことが彼に一つのことを決意させた。自分がさらおうとした女性がホイット村の者だと知った彼は、村一つを襲撃するというこれまでにない行為に出ることにしたのだ。
「へへっ。そんなにいい女だったんですか? 頭」
街道からホイット村へと通じる森林が見えてきたとき、傍らを歩く手下が彼を見上げながらにそう訊いてきた。バルデスの背丈はその手下より低いが、翼を持たない騎乗用の竜――走竜に乗っている。走竜とは二足で走る大きな蜥蜴のような生物で、人が跨がる箇所の高さは成人男性の肩のあたりに相当する。
「まあな。波打った赤い髪に、物憂げな表情が色っぽくてよ。しかもありゃぁ多分、成人したてかそこらだぜ。ひょっとすると生娘かもな」
「おおぅ、そいつはいいっすね」
「その女は俺のもんだが、お前らも気に入った女がいれば好きにしろよ。小さな村でも、あと何人かは当たりがいるだろ」
近くにいた手下たちから歓声が上がる。実のところ、今となってはバルデスにとって重要なのは「村を襲撃する」という行為自体だった。彼にはそれが、悪漢として、ならず者として、次の段へと進むための通過儀礼のように思えていた。
「ほう。いい紅葉じゃねえか」
街道から森へと進入すると、バルデスはそう呟いた。地面を覆い隠し、また今も木々から零れ落ちていく紅や黄の葉が美しい。黒月の時季の風情と言えよう。
「道はあってるんだろうな」
道案内役の手下に訊いた。バルデス自身はホイット村に行ったこともなければその場所も知らない。
「もちろんですよ。何度か行ったことがありますからね」
手下は自信をもってそう答えた。この男はもともとホイット村とは違う田舎村の住民で、村ぐるみの付き合いからホイット村に行き来したことがあるという。バルデスが街で見かけた女性がホイット村のベイカだろうと推察したのもこの男であった。
「どういう村なんだ?」
「どうってことのない退屈な田舎村ですよ。気になるものと言えば……妙な目をしたガキが二人いたくらいですかね」
「なんだそりゃ」
「右目と左目で、色合いが不気味なくらい違うんですよ。それが二人並んで歩いてるもんだから――あ」
男の説明は途中で止まった。その理由はバルデスにも明らかだった。
前方遠く、彼らの行く先に何者かが二人、佇んでいるのが見えたからだ。
「村のもんか?」
「たぶんそうでしょうが――あ!」
案内役の手下の言葉はまたも途中で止まった。今度はその理由はすぐにはわからなかったが、距離が迫り、相手の姿が鮮明になっていくに連れてバルデスもその理由を察することができた。
彼らの向かい先に佇んでいる者たち。一人は頼りない体つきの金髪の若者。そしてもう一人は、つい昨日に彼らのもとを脱走したヤーガスであった。
「そこで止まれ! 薄汚ねえ盗賊ども!」
そのヤーガスが長柄の斧を大地へと振り下ろし、耳をつんざくような大声でもって彼らに命じてきた。手下たちは罵られたことにいきり立つが、バルデスは言われたとおりに進行を止め、密かに弓を持った者に前に出てくるよう指示を出す。まともにぶつかれば厄介な相手であることは、あの並外れた巨躯を見れば誰でも察せられる。
「なんのつもりだヤーガス! 腹が減って死にそうだったお前にメシを恵んでやった俺たちに、一つも恩を返すことなく逃げ出しておいて、その上なにをしようってんだ!」
バルデスの口上に手下たちが続き罵声を浴びせる。「恩知らず」「乞食以下」と。それにヤーガスは一瞬顔を真っ赤にして激発するかと思ったが、隣に立つ男が肩に手を置きつつ何事か呟くと、大きく息を吸って平常の顔色を取り戻した。
「うるせえうるせえ! それと言うのもお前らが世の不正を糾す義賊と語ったからじゃねえか! 罪もねえ村民をかどわかそうとする野良犬と知ってりゃ――え、なんだよ今いいとこなのに」
威勢よく言い返してきたかと思えば、またも隣の男の指図でヤーガスは態度を大きく変えてきた。
「あー、今すぐ引き返せ。そしたら、悪いようにはしない。これ以上テメエら狗盗が進もうものなら、この先にある村を襲うものと考え容赦はしないとよ」
それはまるで自分の口から他人の声を発しているような、取り繕った物言いであった。
思わぬ成り行き、そして慮外の警告にバルデスはつい失笑しつつ、手を振り上げる。もう弓を持った手下は前に集っていた。
「なに言ってやがんだ! 容赦しねえってのはこっちのセリフよぉ! さあやっちま――」
「やれ!」
バルデスよりも先にヤーガスの指示が飛んだ。するとそれに呼応するかのように、盗賊団の左右から十本程度の矢が飛来し、彼らの腕や脚、さらに不運な者には首や頭へと突き刺さる。
これに盗賊団は動揺し、ヤーガスに矢を放つどころではなくなった。
「な、なんだ!?」
バルデスらが左右を見回すと、いつの間にか遠く木陰から弓を構えた村民たちが姿を見せていた。彼らは焦りながらも第二矢を番え、放ってくる。それによってまた数名の手下が傷を負う。
「ふざけやがって! テメエら、やっちまえ!」
バルデスに指示されるまでもなく盗賊団は左右へと散って待ち伏せしていた村民に迫ろうとするが――
「今だ、起きろ!」
続くヤーガスの指示によって、走りだした手下たちの前の地面が盛り上がり、人の形をなした。否、落ち葉にすっぽりと覆われていた村民たちが姿を現した。彼らは必死の叫び声を上げながら、突然の事態に動転した手下たちを木の槍で突き刺す。一人一人の強さは盗賊団のほうが上だとしても、いきなり目の前に現れた敵に槍を繰り出されてはまともに対応できる者はいない。
さらに問題は、落ち葉の中より現れたその人数であった。
「ば、馬鹿な……」
バルデスは周囲を見回して愕然とした。土に塗れているため顔はよく見えないが、槍や短い刃物を手にした村民が三十人ほど、いきなり姿を現したのだ。対して、自分たちは矢で射抜かれ槍で刺され、三十人のうち半数近くが傷を負い戦えない状態となっており、その数は今も左右から飛来する矢によって増え続けている。
「クソ! 退け! 退けぇ!」
バルデスはすでに勝手に逃げ始めていた手下たちに逃げるよう指示し、自らも走竜の首を返して退散しようとするが、時既に遅かった。
「逃がすかよ!」
背後から投じられたヤーガスの斧が、その背に深々と突き刺さったのだ。
彼に率いられてきた三十名ほどの盗賊たちは、ほんの数名しか逃げることができなかった。
傷を負い動けなくなった者は、禍根を残さぬためにと止めを刺され、死体はすべて森に埋められることとなった。
◆
ホイット村の人々は勝利に沸き返った。誰もが半信半疑のままアルフの提案に乗り、そして無我夢中のまま指示に従い戦ううちに、勝利を収めたのだ。村の中央では大々的に火が起こされ祭りの様相を呈し、頭目の乗っていた走竜の肉が焼かれ、各自に振り分けられた。竜種の肉はこの村ではまず食べることのできないご馳走である。その美味と自分たちで盗賊団を滅ぼしたという熱に酔い、多くの者たちが浮かれていた。
無論、その賑わいの中心にいるのはアルフであった。彼は同郷の人々からこれまでにない眼差しや言葉を向けられ、戸惑いと喜びを同時に味わっていた。
「やるときはやるんだな、アルフ!」
「あの都の先生の教えが役に立つとはな!」
同村の年長者から賞賛の言葉を浴びせられ、一人前の男として見られる。そのような日が訪れるとは夢にも見ていなかったアルフにとって、これはまさに現実感のない光景であった。傍らにはエミルとセインがいて、アルフが褒められることが本人以上に嬉しいのか、満面の笑みを浮べている。
「……ま、いいか」
夜空を見上げ、人知れずにアルフは呟いた。この子たちがいい気分を味わっていてくれるなら、この慣れない心地も悪くない。そう思ったのだ。二人がアルフが認められることを喜ぶように、アルフも二人が喜んでくれることが嬉しかった。
「ようようよう」
アルフを称える人の輪が散り散りになったとき、酒に酔っているのか赤ら顔をしたヤーガスがアルフの前に腰掛けた。その威圧感に苦笑しつつ、アルフは応じる。
「やあ。飲んでるみたいだね」
「あったりまえよぉ! 俺もいくらか場数をこなしたつもりだが、こんな嘘みたいな勝利は初めてだからな」
「嘘みたい?」
「ああ。こっちは一人も死なないのに敵は全滅。まるであれだ。物語の中の魔法みたいじゃねえか」
「そんなんじゃないよ。相手は油断していた。こっちはキミのおかげで敵が来ることがわかっていたし、地の利があった。不思議なことじゃない」
「謙遜するなって。弓で引きつけて、落ち葉で身を隠してた奴らで不意を衝く。おまけに女や爺さんにも武器を持たせて落ち葉を被せて戦力を多く見せ、相手の戦意を徹底的に削ぎ落とす。言っちまえば簡単だし、一つ一つは単純なことかもしれねえが、じゃあオメエ以外にここで思いつけたヤツがいるか?」
「……参ったな。そんな風に褒められたら、横の二人が舞い上がっちゃうじゃないか」
そう言って、アルフは両隣に座るエミルとセインを示した。二人はヤーガスの褒め言葉に頬を緩ませ、そうだそうだと言わんばかりに首を縦に振っていた。
「兄さんは無欲すぎるんです」
「アルフさんは謙虚すぎます」
「キミたちは持ち上げすぎだよ」
こうも褒められては、正直なところ申し訳なく思えてしまう。賊を退ける作戦を立案した。そのことに賞賛されるべき点がまったく無いとは思わないが、今日一日の働きよりも、ほとんど毎日農耕や狩猟に精を出せる人たちのほうが、アルフにとってはよっぽど凄いのだ。
「そこで頼みがあるんだが」
ヤーガスが緩んだ赤ら顔を引き結んだ。真剣な眼差しに、アルフの隣の二人が怪訝な顔をする。
「なんだい?」
アルフが促すと、ヤーガスはまっすぐに見つめたまま言った。
「俺を、あんたの傍に置いちゃくれねえか?」
「……ええ?」
予想外なだけでなくその意図するところも判然としない頼みに、アルフは首をかしげた。
「これからよぉ、きっと世の中荒れてくると思うんだ。聞いた話だが、帝都じゃ皇帝を選定する巫女様は奸臣の操り人形同然で、実質的に奸臣どもとその一派が政務を取り仕切っているらしい。そんな現状に嫌気が差した諸侯は挙兵の時を窺っているってんだ」
「おいおいちょっと待ってくれないか」
話が大きくなっていると感じ、アルフは心底困った声を出した。
「キミの話は、僕も聞いたことがある。先生が都を離れたのも、それが原因だったらしい。でもね、中央が腐敗して戦争が起きそうだからって、どうしてさっきの頼みが出てくるんだい」
「正直に言うぞ」
「なんだい?」
「俺は力は強いが頭は悪い。あの盗賊団を義賊だと信じちまったくらいだ。だから頭が良くて信用できるヤツに付いていきたい」
ヤーガスの表情は真剣そのもので、冗談を言っているふうには見えない。アルフはほとほと困惑した。
「付いていきたいって……一介の農民に過ぎない僕に、キミのような豪傑が?」
「ああ。しばらくは下男としてこき使ってくれ。頭を使わねえ仕事なら、十人分は働くつもりだぜ」
「わからないな。キミはたぶん武人として名を上げることが望みなんだろ? 僕なんかに従って、なにができるっていうんだい」
「なんにもならねえようならそのとき考えるさ。それに、あんたには只者じゃねえ相がある」
そう言われたとき、アルフは内心で「またか」と溜息をついた。
「……この目かい?」
「ああ。思い出したぜ。銀の左目。まるで伝説に聞く神帝エスケイオスみたいじゃねえか」
神帝。ラピユリアと共に戦った騎士は後にこのペルセイン帝国の初代皇帝となったため、その尊称で呼ばれていた。
「僕は金の右目は持ってないし、神帝陛下どころか一介の農夫だよ」
「どうかな? 左目が銀色をした知恵者とこんなところで巡り会えたんだ。これは運命ってもんじゃねえか?」
運命。アルフはレッセのことを思い出した。どうもみんな、ただの偶然をその言葉に置き換えたがる。そしてそういうとき、その人の目には決まって野望や、夢や、情熱といったものが煌めいているのだ。
その煌めきを前にすると、アルフは強く出れなかった。いや、いつもより弱腰になってしまうのだ。それは彼が、世間一般で言う男らしい、勇ましい野望や情熱を持ち合わせていないと自認していることからくる、劣等感のせいである。
「……わかったよ。好きにすればいい」
「お、いいのか!?」
「先に言っておくと、見込み違いだったと肩を落とすことになると思うよ」
「へへっ。まあそれも一興さ。とりあえず、これからよろしく頼むぜ、アルフのアニキ」
「あ、アニキ!?」
これにはアルフだけでなく、横で聞いていたエミルとセインも目を丸くした。
「俺はあんたがいずれ頭角を現すと思ってるからな。今のうちに上下ははっきりさせとかねえと」
「上下って……だいたいキミのほうがいくらか歳上だろう」
「細かいこと気にすんなって。気楽にいこうぜ、なっ?」
少年のような笑みを向けられ、アルフは頬をかいた。悪い男でないことは確かだが、果たしてこの男のノリに、慣れる日が来るのだろうか。
それは宴もたけなわとなり、皆が後片付けを終えて散り散りになった夕刻のことである。
「アルフ。ちょっといいかしら」
宴の痕跡を残す広場になんとなく佇んでいたアルフの後ろから、ベイカが声をかけてきた。
「なんだい?」
「ここだと人目があるから、こっちへ」
ベイカはアルフの手を掴むと、レッセの家の裏手へと回った。そこは村の外周にあたり、向かいにはレイズ山脈の肥沃な自然が広がっている。二人を見咎める者がいるとすれば、それは山の動物たちや精霊くらいだろう。
「どうしたんだい?」
そう尋ねると、ベイカは恥ずかしそうに視線を下げ、答えた。
「お礼を言いたくて……」
「お礼?」
「助けてくれたでしょう? だから……」
彼女が指しているのが盗賊団を撃退したことだと気づくのに、アルフは数瞬を要した。消去法に基づく結論である。今日一日の行動を見つめ直し、彼女が自分に感謝するようなことがあるとすれば、その可能性がわずかでもあるのはあのことくらいだろうと、そう思い至ったのだ。
「あれは僕じゃなくて、みんなの力によるものだよ」
むしろ自分は一番楽な役回りをしていた。彼は本心からそう思っていた。
「うん。あなたなら、きっとそう言うだろうと思った。謙虚だから」
「正直なだけなんだけどなぁ」
「本当にそう思っているのなら、考え違いをしているわ」
そう言って彼女は微笑んだかと思うと、アルフの胸にその身を寄せてきた。
昨日、彼女の家にセインが入って来る寸前と同じような体勢になる。
「ベイカ……」
アルフは当惑した。昨日に続いてこうも好意を示されては、なんらかの返事をせねばならない。彼女のことは嫌いではないし、むしろ憧れに近い感情を抱いていた。村一番の美人と評判の彼女に身を寄せられては、さしものアルフも男としての性を自覚せずにはいられなかった。
だが無論のこと、彼女はレッセの妻である。この想いに応えることは、彼への裏切りであり――
「アルフ。キスしてもいい?」
ベイカはそう言って、アルフを見上げた。宝石のように美しい黒の瞳に間近で見つめられ、アルフは息を詰まらせた。
その挙動が、他者の目には了承と受け取れるものだったのか――
「んっ」
ベイカは背伸びをし、アルフの首に腕を回すと、彼の唇に自身の唇を重ねた。それはアルフにとっては初めて体験する感触であった。
――まあ、いいか。ベイカの積極的な行動に、アルフの心は押し流された。
レッセには申し訳なく思うが、妻を残してあてのない旅に出た彼にも非はある。だから彼女が僕を愛してくれるなら、その間は僕も彼女を愛そう。
唇を重ね、舌を交わし、柔らかな体を抱き寄せながら、アルフはそう考えた。