抱きたくなれば
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朝起き出したら、キッチンでコーヒーをカップ一杯ホットで飲み、カバンに必要な物を詰め込んで出勤する。携帯型のノートパソコンとフラッシュメモリ、それに社での会議に必要な資料などを入れて、自宅マンションを出ていた。大概午前八時過ぎには最寄の電車の駅まで歩いていき、そこから街の中枢部まで電車に乗る。僕が住んでいる街は東京や大阪などの首都圏じゃなかったのだし、電車に乗ればすぐに目的地に行けた。車内ではスマホを見ている。確かに情報を仕入れるのに新聞や雑誌などを読んでではなく、パソコンやスマホなどを見ることでの方に比重が移りつつあった。電車が目的の駅に着くまでスマホを見続ける。そして着いた先の駅から社まで歩いていく。社フロアへと入っていき「おはよう」と同僚たちに声を掛ける。さすがに勤続して十年になる会社だ。二十二歳で大学を出て、新卒で入ってきてからちょうど十年経つ。慣れてしまっていた。僕も社ではずっとパソコンのキーを叩きながらいろんな文書やグラフなどを作り、フロア中央席にいる課長の吉井のパソコンにメールで送っていた。確かに大変だ。ずっと詰め続けている以上、疲れてしまう。僕も余裕があまりなかった。仕事がきついからだ。大抵お昼に牛丼かハンバーガーなどを食べ、昼食の時間が終わってから店を出て社へと戻る。そしてフロアのコーヒーメーカーでコーヒーを一杯淹れ、飲む。年中ホットだった。この季節はホットコーヒーだと熱いのだが、仕方ない。昼食後のコーヒータイムぐらいはある程度ゆっくりと寛ぐ。また就業時間になったらきついことが続くので。
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別の会社に勤めている女性社員で、彼女の真衣とはずっと付き合い続けている。変わらない。普段ずっとスマホなどを使ってメールのやり取りをしながら、休日になると会っていた。というよりも、抱きたくなればすぐに彼女の自宅マンションへと行く。近所に住んでいて、会おうと思えばいつでも会いに行ける。僕もメールしながら想っていた。真衣とはこれからもずっとずっと続いていくだろうと。現に付き合い出してからもう五年以上が経つ。確か二〇〇七年の夏ぐらいに出会い、それからずっと付き合い続けていた。僕の方が彼女のマンションに行っているのだ。通い婚といえばその通りだろう。平日でも都合が付けば会っていた。歩いて十五分ぐらいの場所に真衣の家がある。僕も会えるときは欠かさず会い続けていた。普段狭い1Kのマンションに住んでいて、何かと居心地が悪かったのは事実なので……。それに僕も彼女とは普段別の場所にいるからいいのだった。お互い普通の会社員でも同じ屋根の下に暮らすと、個性が強い者同士なのできっと喧嘩になったりするだろう。だから、いつもは別の場所で暮らすのが一番だと思っていた。互いに大人同士なのだが、そういったことが一番気になっている。僕も真衣の部屋に行けば、なるだけゆっくりと寛ぎ続けていた。単に一緒にいて抱き合うだけでいい。心が十分満たされる。僕もそう思ってずっと会い続けていた。同じ三十二歳だったが、これと言った夢などはない。まあ、ずっと会い続けられるだけでも十分幸せだったのだが……。それに僕も彼女に対し、過剰な要求などはしなかった。食事したり、夏という今の季節らしく花火大会に行ったりといろいろある。何も不自由することはなかった。一緒に過ごせるだけで十分な幸福感を味わえている。それが僕たちの付き合い方であり、共に時を送る方法だった。ずっと会社では仕事に追われていて、休む間がないのだから。
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八月上旬の土曜日の昼、真衣と会いに彼女の自宅マンションに行くと、彼女も応じて、その日も一緒に過ごすことにした。ゆっくりとベッドの上で抱き合い続ける。互いに薄手のシャツを着ていたのだが、抱き合うときは裸体になった。腕を絡め合わせて感じ取る。相手の体の熱や匂いを。抱き合いながら、しばらく行為が続いた。あまり激しくはなかったのだが、いい感じでスキンシップできている。僕も真衣と口付け合いながら、愛する気持ちを感じ、性行為をした。ゆっくりと達した後、サイドテーブルに置いていたミネラルウオーターのボトルを手に取り、キャップを捻って口を付ける。確かに疲れていた。いつもはこの午後二時前後の時間帯はバリバリ仕事をしているのだが、今日は違う。週末は互いに予定を空けて過ごす。通い婚の場合、どうしてもそうする必要があった。僕も大人なのだし、彼女もちゃんと常識があるので互いの思いは手に取るように分かっている。別に相手を傷つけるようなことはしない。単に一緒に過ごせて楽しいというだけだ。ずっとそう思っていた。出会ったときから、いつもそんなことばかり考え続けている。相手があってこそ人間関係が成立するのだから、そう思ってやっていた。常に相手を察しないといけない。特に加齢していけばいくほど、恋人や配偶者などは大事になってくる。僕にもそんなことは言われるまでもなく分かっていた。一人の人間として当たり前のことだ。今、僕にとって真衣が一番大事な人なのだから……。
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「料理作ってたから食べる?」
「ああ、いただくよ」
「ちょっと待ってて。今、温めるから」
夕方になり、互いに食事を取る頃になると、僕たちは空腹感を覚えていたのでベッドから抜け出す。そして真衣はキッチンへと入っていった。確かに疲れていて体が重たい。だけど現時点ではまだ平気だった。これから夜に掛けて徐々に寝苦しくなってくる。夕方になり、僕もリビングに置いてあるノートパソコンを立ち上げて、ネットに繋いで見ながらネットサーフィンし続ける。仕事に役立つか役立たないかは別として、必要な情報等を随時ネットで掻き集めていた。確かに僕も単なる一会社員なので、社の方から大きく責任が掛かってくることはない。ゆっくりと歩いていけた。休みの日の同棲ほど、互いにいいものはない。僕も寛ぎ続けていた。憂さなどは何もかも忘れてしまって。そして夕食の食卓を囲むと、和やかな雰囲気になる。普段ずっと仕事ばかりなので、こういったときに疲れが取れるのだった。溜まっていた疲労が落ちる。僕も自覚していた。彼女と一緒にいて楽しいと。その日の夕食はカレーで真衣は作っていた食事を温めると、食事用のテーブルの上を布巾で拭き、カレーの載った皿を持ってくる。仲良く揃って食事を取り始めた。僕もいつもは大抵一人で食べていて食卓を囲むということがない。こういったときぐらいなものだ。彼女の手料理でゆっくり出来るのは。ずっと牛丼やハンバーガーなどファーストフードばかりだったが、たまにはカレーもいい。僕もキーを叩きすぎて腱鞘炎になっていた。疲れるのだがこれが現実だ。その日も食事を取ってから混浴し、ゆっくりと寛ぎ続ける。冷たいシャワーで掻いていた汗を洗い流し、風呂から上がると、真衣がドライヤーで髪を乾かし、揃ってリラックスタイムへと入った。またベッドの上に寝転がり、ゆっくりする。僕も気を遣うことはまるでないのだし、彼女と一緒にいて抵抗はない。楽しかった一日が終わり、明日日曜も一緒に過ごせると思うと、不思議と気分が紛れて熟睡できる。愛し合う僕たちにとってこれが現実なのだし、こんな時間がこれからもずっとずっと続いていくと感じながら……。夏の夜の蒸し暑さをやけに肌に覚えた一日だった。汗を薄っすらと掻いていて……。
(了)