千手の林
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの住んでいるところに「林」のたぐいはあるだろうか。
木々が集まっているところは、人ごとにどれほど身近にあるか、答えに差が出るところだろう。それらがなくても、生活できているような気さえ、私たちはしてしまう。
しかし、植物たちが完全にこの世からなくなってしまった日には、私たちは酸素を供給してくれるものを失い、息絶えていってしまうだろう。この世の多くのものは、持ちつ持たれつして、その命脈を保っている。
普段、意識できないほどにこいつらは溶け込んでいるから、脳みそもそちらへ容量を割かずに済み、他の喫緊の課題へ力を振り分けることができる。
けれど、それと何かのはずみで遭ってしまった場合は、どうしても頭の中にそれらの意識が残ることになるだろう。ちょっとしんどいねえ。
私の地元の話になるのだけど、聞いてみないかい?
私の実家の裏手の山。そのふもとは「千手の林」という俗称がついていた。
そこにある木々たちは、非常に枝の数が多くてね。幹の中ほどから上方にかけて、数本並べば、ほぼすき間が見当たらないほどの密集ぶりだった。
夏の間は、そこらに葉が生い茂る。枝が多かろうが少なかろうが、たいして気になることもないだろう。
しかし、葉が散り始めて枝たちがあらわになってくると、その密集具合は慣れていない人には異様に思えるほどになる。
親から聞いた話だと、ずっと昔に「千手様」なる人がここへ葬られて以来、木々の枝は無数に生えることになったという。
千手観音と関係があるかと思ったけれど、系譜は全くの別なのだとか。その千手様は、名の由来通り、千の手を持つとはされているけれどね。
だが、本当に「手」が無数に生えている状態のこと。腕が生えて、その先に掌があるなんて、一連の流れを想像してはいけない。
体中の肌から、大小の掌がじかに生えていたのだという。亡くなる直前には、まさに完膚なきまでに掌が身体中を埋め尽くし、かろうじて目鼻のみが顔の居所を示していたのだとか。
かねてより、このあたりは有名な人だった千手様は自らの容姿を確かめるや、くだんの林の中へ消えていき、二度と戻らなかった。後から村人たちが探しても、その姿を見かけることはなかったという。
千手様が、どうしてこのような容姿になったのか。その説として、まことしやかにささやかれているものがひとつある。
かつては水もしたたる美男子であったという千手様が切望したものは、自らの血を継ぐ子供だったという。
子種がないわけではないようだった。事実、千手様の妻となった女性は5人いたものの、その全員がお腹へ一度は子を宿すことができたそうな。
しかし、出産するまでに至らない。いずれの子も流れてしまうし、悪くすると母も共に命の危険にさらされた。
そのようなことが数十年続き、最終的に千手様は一人も子供をもうけることはかなわず。そして晩年にこのような無数の手に肌をおかされることになった。
水子たちの霊の仕業か、と思うものもないではなかったが、公言するにはあまりにも千手様が気の毒にすぎる。
そうして千手様は姿を消してから、話のみが遺された。千手様は少なくとも1000年以上は前の存在とされ、墓のたぐいも作られてはいない。けれども、千手の林に不思議な力があることは地元の人には周知されていることだった。
千手様を静かに眠らせるため、ということで林まわりにはしめ縄が渡されて、通行を制限している。けれども動物たちに関しては別だ。
千手の林の中から飛び出てくる小鳥たち。年に数十羽くらいは目撃される。遠方にいかず、近隣の家々の塀や屋根の上へとまる者もいるのだけど、つぶさにそれらを観察できたなから気づけるだろう。
その身のあちらこちらに、掌が張り付いていることに、だ。羽といわず腹といわずに。
そうして、そこかしこでも不自然に身体をえぐられて、絶命している小鳥たちの姿も見ることになるわけだ。
私はじかに見たわけじゃないが、林のすぐそばで身元の分からない浮浪者が、同じように身をえぐられた遺体が見つかることもあったとか。
千手様の子が欲しいという思い。まだ消えていないのではないかと思うんだよ。




