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第三話 錆びつく栄光と、剥がれ落ちる虚飾

数日後。

俺、アレンと『剣姫』エリスは、無事にダンジョンを脱出し、冒険者の拠点である王都アルカディアへと帰還していた。

エリスの呪いが完全に浄化されたことで、彼女の身体能力は全盛期、いやそれ以上に戻っていた。彼女が振るう大剣は、ダンジョンの魔物を紙屑のように斬り裂き、俺たちの帰路を阻む障害は皆無だった。


王都の門をくぐる時、俺は少し緊張していた。

もし、あの裏切り者たちに会ったらどうしようか、と。

だがエリスは、俺の肩をポンと叩いて笑いかけた。


「堂々としていなさい、アレン。貴方は私の命の恩人であり、専属のメンテナンス師なのだから。誰も貴方を馬鹿になんてさせない」


彼女の言葉に背中を押され、俺は顔を上げた。

そうだ。俺はもう、ただの雑用係じゃない。

自分の力で、Sランク冒険者を救った男なのだ。


俺たちはギルド本部へ直行し、エリスの復活を報告した。

ギルド長は驚愕し、涙を流して喜んだ。そして、彼女を救ったのが俺だと知ると、俺の手を両手で握りしめて感謝した。

俺は一躍、ギルドのVIPとして扱われることになったのだ。


   ◇ ◇ ◇


一方その頃。Sランク依頼『深緑の大森林』の調査に向かっていた勇者パーティー『銀の翼』は、地獄のような苦境に立たされていた。


「はぁ、はぁ……っ! くそっ、なんでこんなに体が重いんだ!」


勇者レオンは、粗い息を吐きながら聖剣を地面に突き刺し、体を支えていた。

全身から汗が噴き出し、鎧の内側は蒸し風呂のような不快感に包まれている。

以前なら、どれだけ動いても汗はすぐに乾き、不快感など皆無だったはずなのに。


「おいゲイル! 援護しろ! オークどもが迫ってきてるぞ!」

「やってるよ! クソッ、魔法の照準が定まらねえ! 目が霞むんだよ!」


新入りの魔導師ゲイルもまた、青ざめた顔で杖を振るっていた。

彼の放つ火炎魔法は威力が高いものの、狙いが甘く、素早いオークたちにかわされている。

連戦による精神的な摩耗。集中力の低下。

それらが蓄積し、彼のパフォーマンスを著しく低下させていた。


「キャアアッ! もう嫌! 虫が! 虫が寄ってくる!」


後衛では、聖女マリアが悲鳴を上げていた。

彼女の周りには、森林特有の羽虫が群がり、美しい金髪に絡みついている。

以前は、アレンが常時展開していた微弱な『浄化』の結界が、虫除けの効果も果たしていたのだが、今の彼女は無防備なただの人間だ。

汗の臭いと化粧品の香りに釣られた虫たちは、容赦なく彼女に襲い掛かる。


「マリア! 回復だ! 俺の体力が持たない!」

「無理よ! さっきからヒールしっぱなしで、魔力がもう空っぽなの! それに、喉が渇いて……水! 誰か水を出して!」


マリアの声は枯れ、目は血走っている。

彼女の水筒の水は、とっくに生ぬるくなり、雑菌が繁殖し始めて不味くなっていた。

アレンがいれば、いつでも冷たく清浄な水が飲めたのに。

そんな当たり前のことが、今は贅沢な願いとなっていた。


「くそっ、どうなってるんだ! たかがオークごときに、Sランクの俺たちが!」


レオンは歯噛みする。

目の前に迫るオーク・ジェネラル。巨体を揺らし、巨大な斧を振り下ろしてくる。

レオンは聖剣で受け止めようとする。

いつもなら、この程度の攻撃は軽く弾き返せるはずだ。


ガギィィンッ!


「ぐあっ!?」


鈍い金属音と共に、レオンの手首に激痛が走る。

衝撃を殺しきれない。

聖剣の刃に、微細な亀裂が入っていたせいだ。

そこに応力が集中し、衝撃がダイレクトに腕に伝わったのだ。


「うおおおっ!」


レオンは必死の形相で押し返し、なんとかオークを退ける。

だが、その代償は大きかった。

聖剣の刀身に、目に見えるほどの刃こぼれが生じてしまったのだ。


「馬鹿な……エクスカリバー・レプリカが、欠けた……?」


レオンは呆然と剣を見つめる。

オリハルコン製の、絶対に壊れないとされた伝説の剣。

それが、たった数回の戦闘でボロボロになり始めている。


「レオン! あいつら、まだ来るわよ! 逃げましょう!」

「逃げるだと!? 勇者の俺が、オークごときから!」

「死ぬよりマシでしょ! 私の肌ももうボロボロなの! 早く街に戻ってエステに行きたい!」


マリアのヒステリックな叫び声に、レオンも渋々撤退を決意する。

プライドよりも、限界に達した肉体の悲鳴が勝ったのだ。


「……撤退だ! 全速力で逃げるぞ!」


彼らは無様に背を向け、泥だらけになりながら森を駆け抜けた。

枝が顔を打ち、茨が服を裂く。

泥濘ぬかるみに足を取られ、転んでは起き上がり、這うようにして逃げ延びる。


その姿にかつての栄光は見る影もなく、ただの敗走兵でしかなかった。


   ◇ ◇ ◇


数日後。

ボロボロになった『銀の翼』の面々は、命からがら王都の冒険者ギルドに辿り着いた。

鎧は凹み、ローブは泥と血で汚れ、髪は鳥の巣のように乱れている。

周囲の冒険者たちが、驚きと嘲笑の入り混じった視線を向ける中、彼らはカウンターに倒れ込んだ。


「し、死ぬかと思った……」

「水……水をくれ……」


受付嬢が慌てて水を持ってくる。

彼らはそれを奪うように飲み干し、ようやく人心地ついた。


「おい、どうなってんだ今回の依頼は! 情報が間違ってるんじゃないか!?」


レオンがカウンターを叩いて怒鳴る。


「オークの強さが異常だったぞ! それに、森の環境も最悪だ! あんな場所でまともに戦えるわけがない!」

「そ、そうですよ! 私の肌を見てください! こんなに荒れて……補償してください!」


自分たちの不甲斐なさを棚に上げ、ギルドに八つ当たりをする彼ら。

その醜態を、二階のVIP席から冷ややかに見下ろす影があった。


「……見ろよ。随分とみすぼらしいな」


ワイングラスを片手に呟くのは、俺、アレンだ。

隣には、美しいドレスに身を包んだエリスが優雅に座っている。


「あれが、貴方を追放した元仲間? ……随分と、小物に見えるわね」

「ああ。俺がいた頃は、もう少しマシに見えてたんだけどな」


俺は彼らの姿を観察する。

『視える』。

彼らの体にまとわりつく、どす黒い「疲労」と「不運」のオーラが。

レオンの肩には「古傷の再発」の予兆があり、マリアの内臓には「ストレス性胃炎」の影がある。ゲイルに至っては、魔力の使い過ぎで「回路の焼き付き」が起こりかけている。


俺がメンテナンスを止めてから、たった数週間。

彼らは本来受けるはずだったダメージを一気に受け、急速に劣化していたのだ。


「アレン。どうする? 挨拶でもしていく?」


エリスが悪戯っぽく笑う。

俺は少し考えてから、ニヤリと笑った。


「そうだな。久しぶりの再会だ。感動の対面といこうか」


俺たちは席を立ち、一階へと降りていった。


   ◇ ◇ ◇


「おい、聞いてるのか! 俺たちは勇者パーティーだぞ! もっと敬意を払え!」


レオンが受付嬢に食って掛かっていると、背後から声がかかった。


「おや、随分と賑やかですね。何かトラブルですか?」


レオンが振り返る。

そこに立っていたのは、見違えるほど上質な服を着て、血色の良い顔をしたアレンだった。

隣には、息を呑むほど美しい銀髪の美女が寄り添っている。


「ア、アレン……!?」

「な、なんでお前がここに……!」


レオンとマリアは、幽霊でも見たかのように目を見開いた。

ダンジョンの深層に置き去りにしたはずの雑用係が、五体満足で、しかも自分たちより遥かに良い身なりで立っているのだから。


「生きてたのか、お前……」

「ああ、おかげさまでね。君たちが置いていってくれたおかげで、素敵な出会いもあったし」


俺はエリスを紹介する。


「彼女はエリス。今の俺のパートナーだ」

「エリス……って、まさか『剣姫』のエリスか!?」


ゲイルが素っ頓狂な声を上げる。

冒険者なら知らぬ者はいない、生ける伝説。

そんな雲の上の存在が、なぜアレンごときと親しげにしているのか。


「初めまして。貴方たちが『銀の翼』ね。アレンから話は聞いているわ」


エリスは冷ややかな微笑を浮かべ、彼らを一瞥した。

その視線だけで、レオンたちは蛇に睨まれた蛙のように萎縮する。

格が違う。

ボロボロの彼らと、輝くばかりの彼女とでは、存在の格が違いすぎた。


「な、なんだよアレン。新しい飼い主を見つけたってわけか? 寄生虫の才能だけはあるみたいだな」


レオンが虚勢を張って嫌味を言うが、その声は震えている。


「飼い主じゃないわ。彼は私の恩人よ」


エリスが遮る。


「私の命を救い、失われていた力を取り戻してくれた。彼は世界最高の『概念浄化師コンセプト・クリーナー』よ。貴方たちのような、彼の価値を理解できない愚か者とは違う」


「概念……浄化師? なんだそれ、聞いたこともねえぞ」

「ただの掃除係を、大層な名前で呼んでるだけだろ」


マリアも鼻で笑おうとするが、その表情は引きつっている。

彼女の本能が、アレンの変化に気づき始めていたからだ。

肌の艶、堂々とした立ち振る舞い、そして何より、彼から感じる底知れない余裕。

かつて自分たちの後ろをついて回っていた「都合のいい幼馴染」は、もうどこにもいない。


「まあ、信じなくてもいいさ。でも、忠告だけはしておこうか」


俺は一歩前に出て、レオンの目を見据えた。


「レオン。その剣、もう限界だよ。次に本気で振ったら折れる」

「は……? 何を言って……」

「マリア。君の肌荒れ、ただの乾燥じゃないよ。体内に蓄積した毒素が表面化してるんだ。すぐに解毒しないと、顔中にシミができるぞ」

「い、嫌っ! 嘘よ! 脅さないで!」


マリアが悲鳴を上げて自分の頬を押さえる。


「ゲイル。お前もだ。魔力回路が焦げ付いてる。次に大魔法を使ったら、暴発して手が吹き飛ぶかもしれない」


俺の淡々とした指摘に、三人は顔面蒼白になる。

彼ら自身、薄々は感じていた違和感。それを的確に言い当てられたからだ。


「な、なら治せよ! お前、それが仕事だろ!?」


レオンが叫んだ。


「俺たちは仲間だったじゃないか! ちょっと喧嘩別れしたくらいで、見捨てるのかよ! 今すぐ俺の剣を元通りにしろ! マリアの肌も、ゲイルの魔力もだ! そうすれば、パーティーに戻してやってもいいぞ!」


上から目線の命令。

彼らはまだ、自分が上の立場にいると勘違いしている。

俺が彼らに依存していたのではなく、彼らが俺に生かされていたという事実に、まだ気づいていないフリをしている。


俺はため息をついた。

呆れを通り越して、哀れみすら感じる。


「『戻してやる』? 断るよ」


俺は冷たく言い放つ。


「俺はもう、君たちの掃除係じゃない。それに、君たちの汚れはもう『手遅れ』だ」

「なっ……」

「物理的な汚れなら落とせるけど、君たちの魂に染みついた『慢心』と『腐敗』は、もうこびりついて取れそうにないからな。……掃除する価値もない『産業廃棄物』だよ、君たちは」

「き、貴様ぁッ!!」


レオンが激昂し、反射的に剣を抜こうとした。

その瞬間。


パキィッ……!


乾いた音が響いた。

レオンが柄に手をかけ、引き抜こうとした瞬間、聖剣の刀身が根元からへし折れたのだ。

折れた刃先が回転しながら飛び、床に突き刺さる。


「あ……」


レオンの手には、虚しく柄だけが握られていた。

会場が静まり返る。

勇者の象徴である聖剣が、戦闘中でもないのに、ただ抜こうとしただけで折れた。

それは、彼の勇者としての資格が失墜した瞬間でもあった。


「言っただろ? もう限界だって」


俺は静かに告げる。


「それが、俺のいない君たちの『実力』だよ。……じゃあな。二度と関わらないでくれ」


俺は踵を返し、エリスと共にギルドを出ていく。

背後で、レオンの絶叫と、マリアの泣き叫ぶ声が響いていたが、俺は一度も振り返らなかった。

胸の中にあるのは、かつてないほどの清々しさと、未来への希望だけだった。


「さあ、行こうエリス。新しい依頼が俺たちを待っている」

「ええ、アレン。貴方の行くところなら、どこへでも」


扉の外には、澄み渡るような青空が広がっていた。

俺たちの物語は、ここからが本番だ。

そして彼らの物語は、ここから泥沼のような転落の一途を辿るだけだろう。

それはもう、俺の知ったことではない。

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