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第14章 おめでとうございます

翔平の死から、数時間後。

遥は実家のリビングで、メモを眺めていた。

翔平の部屋で見た光景が、頭から離れない。

翔平の胸が裂かれ、内臓がテーブルに並べられている。

リボンで飾られたカード。

血文字の「おめでとうございます。あと3ページです」。

そして、翔平の差し伸べた手に、破れたメモ。


あれは、翔平の最後の抵抗だったはずだ。

遥はメモを握りしめ、必死で意味を考えた。

「失う必要はない

本から逃——

遥が生——」

翔平は何を言いかけたのか。

答えは、出ない。

翔平は、もういない。

遥はテーブルにメモを置き、目を閉じた。

残り3ページ。

父、母、自分。


ふと、手のひらに蔦が触れた気がして、目を開けた。

リビングの窓の外に、うっすらと、森が重なって見える。

空は、水彩画のような、淡い青とピンクに染まっていた。

動物たちが、優しい表情で、家の中を覗き込んでいる。

遙を見つめているが、その瞳は黒く、底なしの穴のように見えた。

遙は、ぼんやりと思った。

そうか……今、私はあの小さな家の中にいるんだ。

タイムリミットが、きた。


リビングのドアが開き、母が入ってきた。

「お夕食よ、遥」

父も、後ろから入ってきた。

「一緒に食べよう」

二人の声が、いつもより少し高かった。

母が笑い始めた。

「今日は特別な日ね」

父も笑った。

「おめでとう、遥」

遥は凍りついた。

母と父の目が、虚ろだった。

笑顔が、不自然に穏やかすぎる。

母が、包丁を手に取った。

「家族で、お祝いしましょう」

父が、ナイフを握った。

「物語が、完成する日だ」

遥は後ずさった。

「やめて……お母さん、お父さん……」

母と父は、笑顔のまま、互いに向き合った。

「おめでとうございます」

「おめでとうございます」

二人は、同時に刃を振り上げた。

遥は叫んだ。

「やめて!」

でも、止まらない。

母が父の胸を刺した。

父が母の喉を切った。

血が、噴き出した。

二人は、笑顔のまま、倒れた。

その体に、蔦がゆっくりと絡まっていく。

血が、床に広がる。

遥は床に崩れ落ちた。

温かい血が、足に触れる。

両親の顔が、穏やかな笑みを浮かべたまま、

瞳が虚ろに開いている。

「おめでとう……」

最後の言葉が、部屋に響いた。


遥は震えながら、絵本を手に取った。

私も、もう殺される。

人生の最後に、せめて綺麗なものを見たい。

絵本を開いた。

1ページ目。

美しい水彩の挿絵。

柔らかな光に包まれた森の家。

優しい動物たち。

穏やかな空。

遥が、ずっと描きたかった理想の世界。

この絵の続きを描きたいと思った時から、

自分の人生は終わっていたんだな。

遥は感傷的に、ページを撫でた。

挿絵の下の文字。

遙をときめかせた、あの誘惑。

「これは、あなただけの物語。

次のページからは、あなたが埋めてね」

怒りが、込み上げた。

なにが、あなたが埋めてね、だ。

私には、何も描かせてくれないくせに。

遥は油性ペンを取り、感情を抑えながら、1ページ目の挿絵に書き込んだ。

「私が描きたかった」

美しい世界の上に、黒い文字が残った。

他のページは、インクを弾くのに、

1ページ目だけは、文字が残った。

遥の目から、涙がポロポロ溢れる。

怒りに任せるまま、殴り書きした。

「これは、あなたが勝手に作った物語。

私のための絵本じゃない」

理想の世界が、否定の言葉で真っ黒に塗り潰された。


絵本が、震えた。

最初は、指先に伝わる微かな振動だった。

紙の表面が、生き物のように脈打つ。

次に、ページ全体が波打ち、

金文字がぼんやりと光を放ちながら、

まるで息をしているかのように上下した。

遥は息を止めた。

震えは強くなり、絵本が熱を帯び始めた。

最初はぬるい温かさ。

すぐに、火傷しそうな熱さへ変わる。

血の臭いが、鼻を突いた。

両親の血が、床に広がり、

温かく湿った空気が部屋を満たす。

1ページ目の美しい挿絵が、歪んだ。

森の家が壊れ、動物たちが狂ったような笑顔を浮かべ、花が萎れ、空が灰色に染まる。

「私が描きたかった」

「これは、あなたが勝手に作った物語。

私のための絵本じゃない」

遙が殴り書きした文字が、吸収されていくように薄まる。

が、次の瞬間、まるで本からインクが吐き出されたように、文字がしっかりした黒さに戻った。

ページが、めくれ始めた。

誰も触れていないのに。

めくれるたび、そのページに描かれた挿絵が悲鳴をあげるような表情で消えていく。

おぞましく美しい、死の記録が、白紙に戻っていく。

絵本が、最後に大きく震えた。

まるで消滅する世界から逃れようとするかのように、本から影が溢れ出す。

熱が、頂点に達した。

遥の視界が、真っ暗になった。

意識が、飛んだ。

血の臭いの中で。

両親の笑顔の中で。

自分の物語が、終わっていく中で。

すべてが、静かに、闇へと沈んでいった。

闇の底で、嘲笑う声が聞こえた気がした。

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