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魔法少女 シャイニングスター  作者: 妖精56号 北緯36度東経140度担当
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これが私の戦い方

人間の適応能力というのは、時として恐ろしいものだ。

二つの意識を同時に操るという、常識で考えれば発狂してもおかしくないような感覚に、私はわずか二週間足らずで慣れてしまっていた。

日中は、都内のオフィス街にある中堅商社で事務職として働く。伝票を整理し、電話を取り、愛想笑いを貼り付けて上司の機嫌を伺う。そこにあるのは、どこにでもいる平凡な二十九歳の会社員、諸星ヒカリだ。


だが、夜になると世界は反転する。帰宅し、簡単な夕食を済ませてベッドに横たわると、もう一つのスイッチが入る。肉体は休息を取りつつ、意識の一部を切り離してアストラル体へとダイブさせる。

漆黒のドレスに身を包み、モーニングスターを提げた「シャイニングスター」として、私は深夜の街を徘徊する。


誰に見られるわけでもない。誰に評価されるわけでもない。

ただひたすらに、路地裏の野良猫のように闇に紛れ、モーニングスターを振るう動作確認と、イメージトレーニングを繰り返す日々。それは、日中に溜め込んだストレスという名の黒い澱を、物理的な運動エネルギーに変換して放出する、私だけの秘密の儀式となっていた。


そんな二重生活が日常として定着し始めた頃ついに、その時は訪れた。


深夜二時。

枕元で不意に電子音が鳴った気がして、私は薄目を開けた。スマホのアラームではない。脳の奥で直接響くような、独特のシグナルだ。

目を開けると、私の顔を覗き込むようにして、妖精が浮いていた。その表情は、いつになく真剣で、どこか緊張の色を帯びていた。


「諸星ヒカリ、起きろ。緊急招集だ」


その声のトーンに、私は瞬時に覚醒した。眠気は霧散し、意識が冷たく冴え渡る。


「……初出撃か」

「ああ。観測班が反応を捉えた。場所は新宿区、歌舞伎町の裏路地だ」


私はベッドの中で身体を起こし、深く息を吸い込んだ。  心拍数が上がることも、恐怖で足がすくむこともない。ただ、これから始まる「業務」に向けて、思考のギアが一段階切り替わる音がした気がした。

私は、サイドテーブルに置いてある水を一口飲み、短く頷いた。


「了解。行こう」


妖精は、私の前で空中に複雑な光の図形を描き始めた。ブリーフィングだ。


「今回のターゲットについて説明する。敵はアストラル体として、次元の壁の薄い場所を狙って突破してきた『侵蝕種』だ。

物理的な実体を持たないため、一般人には見えないし、干渉もできない。だが、放置すれば確実に害をなす」


妖精は、まるで軍の作戦参謀のように、淡々と敵の目的を語った。


「奴らの目的は、地球世界の人類の精神に干渉し、思考誘導を行うことだ。不安、恐怖、怒りといった負の感情を増幅させ、社会不安を増大させる。

そうすることで、世界全体の精神的な防御力が下がり、より強力なアストラル体を送り込める余地が増える」

「なるほど」


私は冷めた声で相槌を打った。


「物理的にビルを破壊する怪獣よりも、タチが悪いな。見えない場所で人の心を蝕み、内側から社会を腐らせていくわけか。まるで、どこかの陰湿な派閥争いみたいだ」

「その通りだ。そして、一定のリソースが溜まると、奴らは我々の妖精界への侵攻ルートを確立してしまう」


妖精は私をじっと見据えた。


「肉体や武器までアストラル体で作られた魔法少女は、この侵略者たちを打ち払うために考案された、伝統的かつ唯一の対抗手段なのだ」


私は、自分の分身体が持つモーニングスターを思い浮かべた。

あれは、ただの鉄塊ではない。アストラル体を破壊するためだけの、概念武装。精神的な装甲を貫き、悪意の塊を粉砕するためのハンマーだ。

妖精が、片耳に小さなインカムのようなデバイスを装着した。指先でそれを押さえ、誰かと通信を始める。


「こちら管区担当エージェント。適合者コード『シャイニングスター』、これより現着する。座標固定、転送準備よし」

「本部、応答願います」


そのやり取りを聞いて、私は少し驚いた。

どうやら、このファンタジーじみた契約の裏側には、私が想像していたよりもずっと巨大で、組織的な官僚機構が存在しているらしい。本部、管区、エージェント。飛び交う単語は、おとぎ話というよりは諜報機関のそれだ。


「よし、準備はいいか?」


妖精が私に向き直る。私は目を閉じ、意識を切り離す準備をした。


「いつでもいい。さっさと片付けて、明日の仕事に備えさせてくれ」


妖精は私の手のひらに乗り、眩い光を放った。


「転送!」


光が視界を白く塗りつぶす。浮遊感とともに、冷たい風が肌を刺す感覚が襲ってきた。

光が収束すると、私は見慣れた寝室ではなく、鼻をつくような腐臭とアルコールの混じった空気に包まれていた。


そこは、繁華街の裏路地だった。雑居ビルが乱立し、ダクトからは油っぽい煙が吐き出されている。頭上には無数の電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、遠くで鳴り響くパトカーのサイレンや、酔っ払いの叫び声が、不快なノイズとなって耳に届いた。


だが、私に見えている景色は、それだけではなかった。  現実の風景の上に、青白く発光するもう一つの層が重なっている。アストラル界の視界だ。

そこでは、ネオンの光が毒々しい紫や緑に歪み、路地の奥からどす黒い靄のようなものが漂っていた。


「聞こえるか、諸星ヒカリ」


インカム越しの妖精の声が、私の耳元でクリアに響いた。私は、自分の姿を確認する。

漆黒のフリルドレス。黒い革手袋。そして右手には、ずしりとした重みを感じさせるモーニングスター。

完全に「シャイニングスター」と同調している。


「ああ、聞こえている。感度は良好だ」


私は、柄を握る手に力を込め、静かに路地の奥へと足を踏み入れた。ヒールの音がコツコツと響くが、それは現実世界には届かない音だ。私は今、この世界の幽霊のような存在なのだから。


路地を曲がった先。

自動販売機の明かりが点滅する薄暗い空間で、私は「それ」を見つけた。


壁に寄りかかってうなだれている、一人のサラリーマンがいる。年は四十代半ばだろうか。くたびれたスーツを着て、足元には吐瀉物が散らばっている。泥酔して動けなくなっているようだ。

だが、問題は彼ではない。

そのサラリーマンの両肩に乗り、頭部に覆いかぶさるようにして張り付いている、異形の怪物がいた。


大きさは人間ほどもあるだろうか。皮膚は濡れたようにぬらぬらと光り、トカゲと昆虫を混ぜ合わせたような醜悪な姿をしている。長い尾がサラリーマンの首に巻き付き、鋭い爪が彼のこめかみに食い込んでいた。

怪物の口からは、細長い管のようなものが伸び、それがサラリーマンの耳の穴へと挿入されている。


「……あれが、ターゲットか」


私が呟くと、妖精が答えた。


「そうだ。思考誘導型の低級魔獣だ。対象の脳波に干渉し、絶望感を増幅させてエネルギーを吸い取っている。あのままだと、あの男は明日、電車に飛び込むか、家族を傷つけることになるだろう」


怪物の体からは、ジジジ、という不快なノイズが発せられている。それが私の脳を直接やすりで削るような感覚を引き起こす。

サラリーマンは、苦しそうに顔を歪ませ、「もうだめだ……終わりだ……」と譫言のように繰り返していた。


典型的な社畜の末路。他人事とは思えない光景に、私はわずかな不快感を覚えた。

その時、妖精が興奮した声で指示を飛ばしてきた。


「さあ、いよいよだ! 魔法少女として高らかに名乗りを上げ、正々堂々と戦いを挑むんだ!」


私は一瞬、足を止めた。


「……は?」

「だから、名乗りだよ! 『愛と希望の魔法少女、シャイニングスター! 悪行は許さないわ!』みたいなやつさ! それが様式美というものだろう?」


妖精の声は本気だった。私は深く、長くため息をついた。

ニチアサのヒーロー番組じゃあるまいし。名乗りを上げて、敵にこちらの位置と戦意を通知し、態勢を整える時間を与える?


「馬鹿馬鹿しい」


私は吐き捨てるように呟いた。


「そんなものは、ただの自己満足に過ぎない。この世界はテレビショーじゃないんだ。ましてや、私の貴重な睡眠時間を削って行う業務だ。効率が悪すぎる」

「えっ、でも……」


妖精が何か反論しようとしたが、私はそれを無視して通信を切った。ノイズが消え、静寂が戻る。


私は、足音を殺して怪物に忍び寄った。

こちらのドレスは漆黒だ。夜の闇に紛れるには、これ以上ない迷彩効果を発揮している。ピンク色の派手な衣装でなくて本当によかったと、心の底から思った。

怪物は、サラリーマンの脳をいじることに夢中で、背後の気配に全く気づいていない。無防備な背中を晒し、時折、満足げに喉を鳴らしている。


距離、三メートル。私はモーニングスターの柄にあるトリガーを引いた。

カシャン、という微かな音と共に、ロックが外れる。私は大きく振りかぶることもなく、手首のスナップと遠心力だけで鉄球を操った。

最小限の動作で、最大限の威力を生む。日々の素振りの成果だ。

一歩踏み込み、音もなく跳躍する。


「……消えろ」


敵に聞こえないよう短く呟き、私は躊躇なくモーニングスターを振り下ろした。


ヒュンッ!


風を裂く鋭い音。

次の瞬間、無数のトゲが生えた重い鉄球が、怪物の後頭部に深々とめり込んだ。


グシャァッ!!


鈍く、湿った破壊音が路地裏に響き渡る。

怪物は悲鳴を上げる暇もなかった。頭部が割れた陶器のように大きくへこみ、体液のような光の粒子が飛び散る。

衝撃で怪物がサラリーマンから剥がれ落ち、地面に転がる。だが、私は攻撃の手を緩めなかった。  相手は未知の生物だ。一撃で死ぬとは限らない。確実な死を与えるまで、止まる理由はない。


私は着地と同時に、柄のボタンを操作して鎖を最大まで伸ばした。

手元で鎖を操り、鞭のようにしならせる。


ジャララッ!


鎖が生き物のように空を舞い、もがき苦しむ怪物の首に巻き付いた。

私は地面に足をしっかりと踏ん張り、背中の筋肉を使って一気に鎖を引き絞った。


ギリギリギリ……。


鎖が怪物の柔らかい肉に食い込み、不快な音を立てる。

怪物は苦しそうに手足をバタつかせ、ヒュー、ヒューと喉の奥から空気が漏れるような音を立てた。その瞳が私を睨みつけるが、そこにあるのは捕食者の傲慢さではなく、圧倒的な暴力に対する恐怖だった。

私は冷ややかな目で見下ろしながら、さらに力を込めた。

情けも、高揚感もない。あるのは、害虫を駆除するような淡々とした作業の感覚だけ。


やがて、プツン、という何かが千切れる感触が手に伝わった。怪物の動きが止まる。その体は、輪郭を保てなくなり、黒い霞となって空中に霧散していった。アストラル体が崩壊し、元の次元へ強制送還されたのだ。


後に残ったのは、静寂と、まだ少しだけ嫌な臭いが漂う空気だけ。

私は鎖を巻き取り、カチリと音をさせて柄に収納した。ふと見ると、サラリーマンは何事もなかったかのように、壁に寄りかかって眠り続けていた。彼の記憶には、この出来事は一切残らないだろう。明日になれば、ただの酷い二日酔いとして処理される。

私はドレスの裾を払い、インカムを再びオンにした。


「ターゲットの排除を確認。作戦終了だ」


私の報告に対し、しばらく沈黙があった。  やがて、恐る恐るといった様子の妖精の声が聞こえてきた。


「……ヒカリ、君……」


私は肩に浮遊してきた妖精を見た。

妖精は、顔を引きつらせ、まるで恐ろしい猛獣でも見るような目で私を見ていた。


「……どうしたの? そんなドン引きして」


私が首を傾げると、妖精はブルブルと震えながら言った。


「あ、あまりにも……情緒がないというか……慈悲がないというか……。魔法少女の戦いって、もっとこう、キラキラしていて、ドラマチックなもののはずじゃ……」

「結果は同じだろう」


私は冷たく言い放った。


「これが、私の戦い方だ。リスクを最小限に抑え、最短時間で目標を達成する。最も効率的で、最も安全な、労働者の戦い方だ」


敵に反撃の機会を与えれば、それだけこちらの負傷リスクが高まる。怪我が現実の肉体に反映されないとしても、痛いのは嫌だ。それに、長引けば明日の仕事に響く。

私はモーニングスターを肩に担ぎ、妖精に背を向けた。

妖精が何を想像していたのかは知らない。愛と勇気で敵を改心させるとか、必殺技の名前を叫んで光線を発射するとか、そんなものを期待していたのなら、人選を間違えたのだ。

私は、彼らが望むような、お花畑の魔法少女ではない。私は、ただの現実を生きる、疲れた大人だ。


「さあ、帰るぞ。明日も、現実の方の私には退屈な会議と書類作成が待っているんだ」


私の言葉に、妖精はまだ震えながらも、諦めたように私の肩に乗った。


「……了解した。帰還シーケンスを開始する」


再び光が私を包み込む。  私は、薄汚れた路地裏が遠ざかっていくのを感じながら、口元だけで小さく笑った。退屈な日常に戻るために、この異常な「副業」をこなす。

だが、私の心は、もう以前のように死んではいなかった。鉄球が頭蓋を砕く感触。鎖が肉を締める感触。あの瞬間の、背筋がゾクゾクするような生々しい感覚が、指先に残っている。

これは、私の人生を大きく変える、新しい「仕事」だ。誰にも知られず、誰にも賞賛されず、闇の中で敵を屠る。

悪くない。むしろ、性に合っている。私は、この「仕事」を、完璧にこなしてみせる。そう、誰よりも優秀な、冷酷な執行人として。

光の中で、シャイニングスターの顔が、魔法少女にあるまじき邪悪で、楽しそうな笑みを浮かべていた。


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