サクセスストーリー
すべての報告を終えた数日後、担当妖精が私の部屋にやってきた。
その顔色は、以前にも増して優れなかった。世界を救った功労者のパートナーだというのに、まるで死刑宣告書を持参した執行官のような暗い表情をしている。
妖精は、テーブルの上にタブレット端末を置くと、重い口を開いた。
「……本部からの通達だ。今回の事案に関する最終評価が出たよ」
「ほう、楽しみだな。ボーナス査定は弾んでくれたか?」
私は、リラックスした様子でコーヒーを啜った。敵の世界の文明崩壊。侵略能力の恒久的な喪失。これ以上の戦果はない。最高評価以外あり得ないだろう。
だが、妖精が告げた言葉は、私の予想の斜め上を行くものだった。
「君の評価が変更された。これまでの『悪魔』から……『魔王』へと格上げされたよ」
私は、カップを持つ手を止めた。
「……は?」
「敵の世界を単独で壊滅させ、種族を絶滅の危機に追い込んだその手腕と、制御不能な生物兵器を使役する危険性。それらを鑑みて、君はもはや一介の魔法少女の枠には収まらないと判断された。カテゴリー・魔王。これが、妖精界における君の新しい認識だ」
私は、呆れてものも言えなかった。解せない。世界を救ったというのに、この扱いは一体何なのだ。
ヒーローどころか、ラスボス扱いではないか。
「感謝状の一枚くらいあってもいいと思うんだがね」
「感謝はされているよ……恐れと共にね。本部の一部では、君がいずれ妖精界すら支配するんじゃないかと本気で危惧している者もいるくらいだ」
私は、鼻で笑ってコーヒーを飲み干した。
「馬鹿馬鹿しい。私はただの労働者だ。契約以上の仕事をするつもりはないし、支配欲なんて面倒なものも持ち合わせていない」
まあいい。呼び名など、どうでもいいことだ。重要なのは結果と、それに対する報酬だ。
それから間もなくして、魔法少女組織の解散命令が出た。
敵の脅威が消滅した以上、莫大な維持コストがかかる防衛網を維持する必要はない。少数の監視要員を残し、世界中の魔法少女たちは契約解除、すなわち離職となった。
私も、その一人だ。
そして、最後の儀式として、アストラル界の迎賓館にて、戦勝記念パーティ兼解散式が催されることになった。
会場は、雲の上に作られた白亜の宮殿だった。 シャンデリアが輝き、豪勢な料理が並び、美しい音楽が流れている。世界中から集まった魔法少女たちと、そのパートナーである妖精たちが、互いの健闘を称え合い、平和の訪れを祝杯で祝っていた。
……ただし、私の周囲半径十メートルを除いて。
私は、会場の壁際に一人で立っていた。手には、毒々しい色のカクテル……ではなく、ただのオレンジジュースを持っている。
煌びやかなドレスに身を包んだ少女たちは、談笑しながらも、チラチラと私の方を見ては、さざ波が引くように距離を取っていく。
その瞳に浮かんでいるのは、憧れや感謝ではない。得体の知れない怪物を見るような恐怖と、生理的な嫌悪感。そして、どう接していいか分からないという困惑。 私は、まるで会場に紛れ込んだ致死性のウイルスのようだった。 担当妖精が、いたたまれない様子で私の肩に縮こまっている。
「……ヒカリ、ごめんよ。みんな、悪気はないんだ。ただ、君のやったことの規模が大きすぎて、消化しきれていないだけで……」
「気にするな。慣れている」
フォローを入れる担当妖精に私は、冷ややかに笑ってグラスを傾け言った。
「やめてもらえるかな? これでも一応、世界を救った英雄だぞ? サインくらい求めてきても良さそうなものだが」
私の皮肉に、妖精は何も返せなかった。彼女たちは知ってしまったのだ。
自分たちが理想としていた「正統派の勝利」ではなく、私が実行した「魔王の虐殺」によって世界が救われたという、受け入れがたい現実を。
彼女たちの平和な日常は、私の汚れた手によって守られた。その事実は、彼女たちのプライドを傷つけ、同時に、私の圧倒的な力への畏怖を植え付けた。
私が「魔王」と呼ばれるのは、ある意味で正しい。彼女たちにとって、私は理解の範疇を超えた、恐怖の象徴なのだから。
私は、グラスの中の氷が溶けていくのを眺めながら、ふと重要なことを思い出した。
「そうだ、忘れていた」
私は、肩の妖精に話しかけた。
「仕事が終わったなら、精算をしないとな」
妖精がビクリと体を震わせた。
「せ、精算……?」
「契約の話だ。実績に応じて、妖精世界のできる範囲で、希望を叶えてくれるんだったね?」
妖精は、生唾を飲み込んで頷いた。
「あ、ああ。もちろんさ。約束は守るよ」
私は、会場を見渡した。平和ボケした少女たち。安堵しきっている妖精たち。
「私は、敵をほぼ完全に駆逐した。単なる撃退ではない。敵文明そのものを再起不能にし、この先数百年は侵攻不可能な状態にした。前代未聞レベルの戦果だ」
私は、妖精の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「文句ないよね? 査定は最高ランク、ポイントはカウンターストップしているはずだ」
妖精は、脂汗を流しながら、何度も頷いた。
「な、ないよ! 文句なんてあるわけない! 君の功績は、妖精界の歴史に残る偉業だ。どんな願いでも……王族の秘宝でも、若返りの妙薬でも、あるいは妖精界の領土の一部だって、君が望むなら用意させる!」
妖精の目には、恐怖と諦めが滲んでいた。
こいつは、何を要求されると思っているのだろう。世界の半分でも寄越せとでも言うと思ったか。私は、ジュースを一気に飲み干し、グラスを近くのテーブルに置いた。
カツン、という音が、妙に響いた。私は、この戦いで、彼らの世界を絶滅の危機から救った。その対価として、私は何を受け取るべきか。
金か? 名誉か? 権力か?いや、そんなものは現実世界で稼げばいいし、邪魔なだけだ。私が望むのは、もっと根源的で、かつ実用的なものだ。
私は、静かに口を開いた。
「私の望みは、単純で簡単なことだ」
妖精が、身を乗り出した。
「今回の作戦で、敵の世界は崩壊した。だが、生物というのはしぶといものだ。もしかしたら数十年後、粘菌感染への抵抗力を持つ新人類が現れ、滅びゆく世界から脱出するために、最後の総力をかけた特攻を仕掛けてくるかもしれない。」
私は、未来の可能性を語った。
「パンドラを通して調査した結果、向こうの世界自体が霊的死を迎えるのは、今から約六十年後だ。その時、彼らが再び牙を剥く可能性はゼロではない」
私は、自分の手を見つめた。
「六十年後。私は九十歳近い老婆になっているか、あるいは寿命で死んでいるだろう。私が死ねば、魔法少女シャイニングスターも消滅する」
妖精が、悲しげに眉を寄せた。
「それは……人間の宿命だね」
「そして、この先、別の世界が地球や妖精界に手を出してくる可能性もある。どこからも侵略がなければ、こちらから手を出す必要はない。私は平和主義者だからな」
どの口が言うか、という顔を妖精がしたが、私は無視した。
「だが、もし侵略があれば、再び誰かが戦わなければならない。また新しい魔法少女をスカウトして、一から育てるのか? そんな非効率なことを繰り返すのか?」
私は首を横に振った。
「だから、私の願いはこれだ」
私は、はっきりと告げた。
「『私の肉体的な寿命や、何らかの事態で本体が死亡した後も、魔法少女シャイニングスターのアストラル体が、自我と能力を保ったまま、この世界に永続的に残るようにシステムを改変すること』」
会場の喧騒が、一瞬遠のいた気がした。妖精は、言葉を失い、ポカンと口を開けていた。
「……え?」
「聞こえなかったか? 私は死んでも引退しないと言っているんだ。永遠の労働契約を結んでくれ」
妖精は、理解が追いつかないようだった。
「で、でも……それは、君にとって何の得があるんだい? 本体が死んだら、君の意識はどうなるの? 永遠に戦い続けるなんて、それは呪いのようなものだよ?」
「得はあるさ」
私は笑った。
「私が築き上げた『魔王』という抑止力。これを失うのは惜しい。私以上の魔法少女なんて、この先そうそう現れそうもないだろう? 私がここにいれば、睨みを利かせるだけで平和が保てる。最高に効率的な防衛システムだ」
それに、と私は心の中で付け加えた。今の退屈な人間としての生が終わった後、第二の人生として、超越的な存在になって世界を見守るのも悪くない。
人間としての諸星ヒカリは死ぬ。だが、概念としてのシャイニングスターは残り続ける。それは、ある種の神への昇華だ。
「のんびりと、担当妖精の君と、粘菌魔法少女パンドラと共に、世界を見守りながら過ごすさ。たまに悪い子が現れたら、お仕置きをする。悪くない隠居生活だろう?」
私は、妖精の頭を指先でつついた。
「君も、私と一緒なら退屈しないだろう?」
妖精は、涙目になりながら、それでも深く、深く頷いた。
「……分かった。君がそれを望むなら、全力で叶えるよ。本部も、君のような最強の戦力を永遠に保持できるなら、喜んで承認するはずだ」
妖精は、少し震える声で付け加えた。
「でも、やっぱり君は……常識外れだよ。魔王なんて名前が、本当に似合いすぎて怖い」
「光栄だ」
私は、会場のテラスに出て、アストラル界の空を見上げた。
どこまでも広がる青空。その下には、私たちが守った二つの世界がある。
私の物語は、たった一本の行き倒れ救出から始まった。
退屈な日常に飽き飽きしていたアラサーOLが、効率と合理性を突き詰めた結果、世界を救い、そして人外の領域へと足を踏み入れた。
滑稽で、残酷で、そして最高に痛快なサクセスストーリーだ。
風が、私の黒いドレスを揺らす。
遠くで、他の魔法少女たちの笑い声が聞こえる。彼女たちは、それぞれの日常へと戻っていくだろう。愛と勇気を胸に。
だが、私は残る。この先、百年、千年と。
魔王少女シャイニングスター。
その名は、妖精世界で畏れと敬意をもって語り継がれることになるだろう。ある時は慈悲深き守護者として。またある時は、侵略者を一片の慈悲もなく根絶やしにする、荒ぶる神として。
私は、空に向かって手を伸ばし、虚空を掴む仕草をした。
手の中には、何も無い。
だが、そこには確かな充実感があった。私の戦いは終わらない。しかし、それはもう「労働」ではない。これは、私が私自身の意思で選び取った、永遠の「在り方」なのだ。
「さて、まずは明日の出社だな。……有給、取れるかな」
私は苦笑し、テラスを後にした。私の人間としての物語は、もう少しだけ続く。そして、その先に待つ永遠の伝説へ向かって、私はヒールの音を響かせて歩き出した。
ルシファーという名前は、元々のヘブライ語が「朝の星/モーニングスター」または「輝くもの」を指すイザヤ書第14章12節のラテン語訳に由来しています。
黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。




