キルゾーン
結果から言えば、交渉は決裂だった。 いや、そもそも交渉のテーブルにすら着くことができなかったと言うべきか。
サンフランシスコ沖の孤島で行われた合同演習の後、私は各国の魔法少女たちに一つの提案を持ちかけた。
来るべき大規模攻勢において、真正面からの衝突を避け、敵を特定のエリアに誘い込み、罠と精神攻撃によって殲滅する作戦だ。私は、タブレット端末に表示したシミュレーション結果を見せながら、淡々と説明した。
敵の集団心理を利用し、恐怖を植え付け、パニック状態に陥らせることで、指揮系統を崩壊させる。そして、混乱したところを一網打尽にする。
こちらの被害予測はゼロ。敵のリスポーン率も極限まで低下させられる完璧なプランのはずだった。
だが、彼女たちの反応は、私の予想を遥かに下回るものだった。
「……信じられない」
ヨーロッパの魔法少女が、青ざめた顔で口元を押さえた。
「そんな卑劣なこと、できるわけがないわ! 私たちは正義の味方なのよ? 敵を罠に嵌めて、恐怖で操るなんて……そんなの、悪役のすることだわ!」
他の少女たちも同様だった。
彼女たちの瞳には、私に対する生理的な嫌悪と、得体の知れないものを見る怯えが浮かんでいた。彼女たちは、私の提案した「効率」よりも、自分たちの「美学」と「誇り」を選んだのだ。
血を流し、傷つき、それでも立ち上がって敵を倒すことこそが尊いのだと、本気で信じている。
「……そうですか」
私は、タブレットの画面を消した。
これ以上、言葉を重ねても無駄だ。彼女たちは、理解できないのだ。この敵を一方的かつ徹底的に叩き、恐怖を与え、集団を破壊することでしか得られない、長期的な安定という果実を。
ようやく敵が焦燥と憎悪に駆られ、冷静な判断力を失った状態で、こちらの防衛ラインにのこのこと踏み込んできてくれるというのに。その絶好の機会を、みすみす逃そうとしている。
実に、愚かだ。
私は、彼女たちに背を向けた。
「好きにすればいい。君たちの『正義』とやらで、どれだけの命が守れるか見物だ」
背後で、誰かが息を呑む気配がした。私は、平和ボケしたお遊戯集団に何を期待していたのだろう。最初から、分かり合えるはずがなかったのだ。
私は自嘲気味に口の端を吊り上げ、その場を後にした。チームプレイは放棄する。私は、ソロでの作戦を決行する。
数時間後。
私は一人、サンフランシスコの市街地を見下ろすビルの屋上に立っていた。夕日が、霧の街を茜色に染め上げている。
ゴールデンゲートブリッジが遠くに霞み、眼下には碁盤の目のように整備された街路が広がっている。妖精の情報によれば、敵の大規模攻勢における主要侵攻ルートは、このダウンタウンエリアになると予測されている。
人口が密集し、人々の精神エネルギーが豊富なこの場所は、敵性アストラル体にとって格好の餌場だからだ。
他の魔法少女たちは、今頃、湾岸エリアの防衛ラインで円陣でも組んでいるのだろうか。
「みんなで力を合わせて守り抜こう!」などと、青春ドラマのような台詞を吐きながら。
私は鼻で笑った。そんなことをしている暇があったら、手を動かすべきだ。
私は、手帳を取り出し、手書きのマップを確認した。
敵のアストラル体は、物理的な障害物を透過できるが、エネルギー効率の観点から、ある程度開けた空間や、霊的なパス(通り道)を利用する傾向がある。
大通り、交差点、そしてビルの谷間を抜ける風の通り道。
私は、敵の心理と行動パターンを分析し、侵攻経路を五パターンほど想定した。
「……ここを通らざるを得ないように、誘導すればいい」
私は、屋上の縁に腰掛け、担当妖精を呼び寄せた。妖精は、私の殺気立った雰囲気に当てられたのか、いつも以上に小さくなっている気がする。
「指示を出す。ついてこい」
「は、はい! なんでも言ってくれ、ヒカリ!」
妖精は敬礼のようなポーズを取った。
私は、ビルの屋上から飛び降りた。 アストラル体の浮遊能力を使い、風に乗って滑空する。
目指すのは、二つの高層ビルに挟まれた狭い路地だ。ここが、私の想定する第一の「キルゾーン」になる。
路地に着地した私は、周囲を見渡した。人通りは少ないが、まだ帰宅途中のビジネスマンや観光客が歩いている。
私は、空中に手をかざし、イメージを固めた。今回、私が創造するのは、派手な武器ではない。単純で、陰湿で、そして致命的な「仕掛け」だ。
極細のワイヤー。そして、強力な弾性を持つ板バネ。
私は、魔力を練り上げ、空間に透明な糸を紡ぎ出した。
それは、アストラル体で構成された高強度のピアノ線だ。私はそれを、ビルの壁面と街灯の間に、複雑な幾何学模様を描くように張り巡らせた。
高さは、敵の首と足首の位置を想定している。
「……念のために確認するぞ」
私は作業の手を止めずに、妖精に問いかけた。
「この武装や罠は、アストラル体にしか効果がないんだよな?」
これは、絶対に疎かにできない確認事項だ。
ここは現実の都市だ。一般市民が生活している。もし、私の罠が物理的な実体を持ってしまえば、通りがかった無関係な人間がバラバラになってしまう。
妖精は、私の顔色を伺いながらも、はっきりと答えた。
「う、うん。その通りだ。君が生成する武装は、すべて霊的なエネルギーの結晶体だ。波長が合わない物質……つまり、現実の人間や建物、車などの実体をすり抜ける性質を持っている」
妖精は、歩道を歩く男性を指差した。
男性は、私が張り巡らせたワイヤーの中を、何事もなく通り抜けていった。ワイヤーは彼のアストラル体をわずかに切り裂きながら透過し、彼もまたワイヤーの存在に気づくことなく、スマホを見ながら歩き去っていく。
「よし、それでオーケーだ」
私は満足げに頷いた。これで、法的にも倫理的にも(少なくとも人間に対しては)、クリアだ。
私の仕掛けが、現実世界に被害を出すことはない。だが、波長の合う敵性アストラル体にとっては、ここは地獄の断頭台となる。
私は作業を続けた。
ワイヤーだけではない。路地の死角となるゴミ箱の裏や、看板の影に、板バネを利用した射出装置を設置していく。
これは、敵がワイヤーに引っかかったり、特定のエリアを踏んだりした瞬間に作動するブービートラップだ。発射されるのは、もちろん、私が精製した特製の毒ボルト。今回は、即効性の筋弛緩毒をメインに採用した。
「……動けなくなったところを、後でゆっくり処理すればいい」
私は、ワイヤーの張力を調整しながら独りごちた。
構造は単純だ。子供の工作レベルかもしれない。だが、単純ゆえに誤作動が少なく、発見されにくい。そして、使いようによっては、最新鋭の兵器よりも凶悪な武器になる。
見えない糸で拘束し、動けなくなった獲物に、自動的に毒矢が突き刺さる。
蜘蛛の巣だ。
私は、この街の一角を、私という蜘蛛のテリトリーに変えようとしていた。
一か所目の設置を終えると、私はすぐに次のポイントへ移動した。
時間は限られている。敵の侵攻開始まで、あと数時間。
私は、機械のように正確に、そして迅速に、街中に死の罠を植え付けていった。大通りの交差点には、広範囲に展開するネット状の粘着ワイヤーを。
ビルの屋上には、侵入者を感知して作動するスプリング式の落とし穴を。地下鉄の入り口には、侵入と同時に複数の方向から毒矢が飛んでくるクロスファイア・トラップを。
妖精は、私の背中を追いかけながら、時折、悲鳴に近い声を上げていた。
「ヒ、ヒカリ……そこまでやるのかい? これじゃあ、通っただけで全滅だよ……」
「全滅させるためにやっているんだ」
私は手を休めずに答えた。
「他の魔法少女たちには、何も告げていない。彼女たちは、正面から敵を迎え撃つ気満々だ。私の罠のことなど知る由もない」
「えっ? そ、それは危なくないかい? もし彼女たちがこのエリアに入ってきたら……」
「大丈夫だ」
私は冷淡に言い放った。
「魔法少女のアバターは頑丈だ。多少ワイヤーで切られたり、毒矢が刺さったりしても、死にはしない。アストラル体が損傷するだけだ。本体が死ぬわけじゃない。最悪、爆散しても、時間が経てば復活するだろう」
妖精は絶句していた。
「それに、彼女たちは『正々堂々』がお好きだ。こんな裏路地や死角を利用したルートなんて通らないさ。大通りの真ん中を、光り輝きながら行進するだろうよ」
私は、最後の仕上げに、トリガーとなるワイヤーに魔力を込めた。
「……ただし」
私は妖精に向き直り、真剣な眼差しを向けた。
「お前たち妖精族だけは別だ。お前たちは、アストラル体が本体だ。死んだら終わりなんだろう?」
妖精は、こくりと頷いた。
「だから、各国の担当妖精には通達しておけ。『戦闘が始まったら、ヒカリの指定したエリアには絶対に近づくな』とな。巻き添えで死なれたら、後味が悪い」
妖精の瞳が、少しだけ潤んだように見えた。
「……ありがとう、ヒカリ。君は、やっぱり優しいね」
「勘違いするな」
私はフンと鼻を鳴らした。
「クライアントを死なせたら、報酬が受け取れない。それだけの話だ。これはビジネスだ。彼女たちのヒーローごっこじゃない」
私はマントを翻し、次の現場へと急いだ。
これは戦争だ。
そして、私はこの戦争を終わらせるために、最も効率的で、最も冷徹な準備をしているだけだ。私の行動に、一点の曇りも、疑問もない。
日が落ち、街に夜の帳が下りた。
街灯が灯り、ネオンサインが輝き始める。サンフランシスコの夜景は、宝石箱のように美しい。
私は、全ての仕掛けを終え、街で一番高いビルの避雷針の上に立っていた。
冷たい夜風が、私のマントを激しくはためかせる。 ここから見下ろす街は、先ほどまでとは違って見えた。アストラル体の視界を通せば、街中に張り巡らされた私の魔力ラインが、微かに青白く発光しているのが分かる。
幾重にも重なり合ったワイヤー。暗闇に潜む射出装置。それは、複雑怪奇で、それでいて機能美にあふれた、巨大な魔法陣のようにも見えた。
あるいは、都市そのものを飲み込む、巨大な蜘蛛の巣。敵にとっての、死の迷路だ。
私は、ポケットから携帯食料のバーを取り出し、かじった。
味気ないうえに特に意味はないが、カロリーは補給できる気分になる。
あとは、待つだけだ。
「……来るぞ」
妖精が、緊張した声で告げた。
遠く、湾岸エリアの上空に、どす黒い雲のようなものが渦巻き始めている。空間の裂け目だ。
敵の大規模侵攻が始まる。
おそらく、あの場所には、色とりどりのドレスを纏った魔法少女たちが待ち構えているはずだ。彼女たちは、円陣を組み、互いに励まし合い、勇気を振り絞って敵に立ち向かうだろう。
「みんなを守るために!」「愛と正義のために!」と叫びながら。
そして、圧倒的な物量と、憎悪に狂った敵の波に飲み込まれ、泥沼の消耗戦を強いられることになる。何が起きているのか理解できないまま、傷つき、倒れていくかもしれない。
だが、私には関係ない。
彼女たちが時間を稼いでいる間に、敵の前衛を抜け、中枢を目指して侵攻してくる別動隊や、指揮官クラスの個体が必ず現れる。
奴らは、手薄になった市街地を抜け、最も効率的なルートを通って人間たち、もしくは最大の敵である私を襲おうとするだろう。
つまり、私のテリトリーに飛び込んでくる。
私は、口元の食べかすを拭い、ピストルクロスボウを構えた。
眼下の闇を見つめる私の瞳は、冷たく、静かに燃えていた。
私は、誰とも手を組まない。誰にも理解されなくていい。私は、孤高の戦士だ。そして、この戦いを、私のやり方で、最も確実に終わらせてみせる。
「さあ、パーティーの始まりだ」
私は、静かに呟いた。 その声は、夜風に溶けて消えた。 サンフランシスコの街が、静かに、しかし確実に、屠殺場へと変わろうとしていた。




