集団の中の孤独
アストラル体での国際移動は、想像していたよりもずっと味気ないものだった。
パスポートも機内食も時差ボケもない。妖精が指定した座標へ、意識をデータのように送信するだけだ。
一瞬の浮遊感の後、私の視界には見慣れない景色が広がっていた。北米、サンフランシスコの沖合に浮かぶ無人島。かつて軍事施設があったというその場所は、今は風化したコンクリートと錆びついた鉄塔が残るだけの、荒涼とした廃墟となっていた。
演習場としては悪くない。見れる者などそう居ないだろうが、人目を気にする必要がないし、壊しても誰も文句を言わない。
私は指定された集合場所である広場へと足を進めた。そこには既に、先客がいた。
二人の少女だ。
一人は、金髪碧眼の白人少女。背中には天使のような白い翼が生え、空色のドレスはフリルとレースで幾重にも飾られている。手には、先端に大きな宝石がついた杖を持っていた。
もう一人は、栗色の巻き髪が特徴的な少女。ピンク色を基調とした、アイドル衣装のような華やかなドレスを身につけ、手にはキラキラと輝くコンパクトを持っていた。
彼女たちは楽しそうに談笑していたが、私の姿を認めると、ピタリと動きを止めた。
私は、思わず息を呑んだ。
……眩しい。
物理的な光量ではない。彼女たちから発散される、圧倒的な「正統派」のオーラが、私の網膜を焼いたのだ。
これぞ魔法少女。ニチアサの日曜朝八時半から放送されていそうな、夢と希望の具現化。だが、衝撃はそこで終わらなかった。
次々と、世界各地から光の柱が降り注ぎ、新たな魔法少女たちが転送されてくる。
極彩色のアフリカンプリントを取り入れたドレスの少女、アラビアンナイトの踊り子のような薄布を纏った少女、額にビンディを輝かせ、サリー風の衣装を着たインド系の少女。
総勢十二名。
彼女たちの衣装は、それぞれの地域性や民族衣装のエッセンスを取り入れつつも、一様に「少女の憧れ」を形にしたような、華やかで可愛らしいものばかりだった。
武器もまた然り。ハート型のステッキ、リボンのついたバトン、ルージュ型のロッド、宝石のついたリング。どれもこれも、おもちゃ売り場に並んでいそうな、プラスチックのような質感のファンシーなアイテムだ。
うーん、と私は唸った。彼女たちが、春のお花畑に咲き乱れる色とりどりの花だとしたら、私は何だ?その花畑に不法投棄された、コールタールの塊か、錆びた鉄屑か。
私は自分の姿を見下ろした。漆黒のゴシックドレス。その上から羽織っているのは、廃墟の瓦礫や鉄骨に溶け込むための、灰色と黒の斑模様が入った都市迷彩柄のマントだ。マントの裏地には、ギリースーツのように無数の布切れが縫い付けられており、輪郭をぼかす機能を果たしている。
そして、肩にかつぐのはトゲだらけの鉄塊、モーニングスター。腰のホルスターには、滑車とワイヤーがむき出しの、機械的なコンパウンド・ピストルクロスボウ。
どこからどう見ても、別ジャンルのキャラクターだ。魔法少女アニメに間違って出演してしまった、ハードボイルド映画の殺し屋だ。
「……今更だが場違い感が、すごいな」
私は、ため息交じりに呟いた。
予想はしていたが、実物を前にすると、その格差に目眩がしそうだ。私と同系統の、実用一点張りの装備をした魔法少女など、一人もいやしない。
他の魔法少女たちもまた、異様な雰囲気を察知していた。彼女たちの視線が、私に集まる。その瞳に浮かんでいるのは、新しい仲間への歓迎ではない。得体の知れない異物を見るような戸惑い、好奇心、そして、本能的な警戒の色だった。
私は、彼女たちの視線を無視して、モーニングスターを担ぎ直した。ジャラリ、と鎖が重い音を立てる。その音に、数人の少女がビクリと肩を震わせた。
まあいい。この合同演習は、馴れ合いの場ではない。彼女たちが私をどう見ようと、私のやるべきことは変わらない。私は、一歩前に進み出た。さあ、地獄の異文化交流会の始まりだ。
広場には、世界の縮図のような光景が広がっていた。言語の壁は、アストラル体のテレパシー機能によって取り払われている。本来なら、国境を越えた友情が芽生える感動的なシーンになるはずだった。
だが、現実は違った。
アフリカ系の少女、鮮やかなオレンジ色のドレスを着た、ライオンの耳を持つ少女が、私を指差して、震える声で呟いたのだ。
「……悪魔」
その言葉は、まるで波紋のように、静まり返った広場に広がっていった。
「悪魔……」
「あれが、噂の……」
「東の極地に現れたという、黒い処刑人……」
さざ波のような囁き声が聞こえる。
次の瞬間、少女たちと、その肩に乗っている各国の担当妖精たちは、示し合わせたようにサッと後ずさりし、私の周囲にぽっかりと無人の空間を作り出した。
まるで、私が見えないウイルスでも撒き散らしているかのような扱いだ。私は、その様子を、マントのフードの下から静かに見ていた。
やはりか。
私の悪名は、敵だけでなく、味方の間でも轟いていたらしい。「悪魔」という呼称がここまで浸透しているとは。私の担当妖精が肩身の狭い思いをしていたのも頷ける。
私の担当妖精は、恥ずかしさと申し訳なさで、私のマントの中に隠れて出てこようとしない。
さて、どうするか。
このままでは、連携練習どころか、会話すら成立しない。私が一歩近づけば、彼女たちは二歩下がるだろう。恐怖で委縮させてしまっては、演習にならない。私は判断した。
「……私は見学させてもらうよ」
私は、短くそう告げると、広場の隅にある瓦礫の山へと歩いていった。
彼女たちの安堵のため息が聞こえた気がした。私は瓦礫の上に腰を下ろし、腕を組んで、彼女たちの訓練を眺めることにした。いわゆる「ぼっち」だが、気楽でいい。
演習が始まった。
仮想敵として用意されたのは、演習用の魔法障壁で守られたターゲットドローンだ。
少女たちは、次々と華麗な技を披露し始めた。
「プリズム・スターライト・ビーム!」
「フラワー・ストーム!」
「ホーリー・アロー!」
技名を叫びながら、ステッキやロッドを振るう。ピンク色の光線、花びらの嵐、光の矢。飛び交うエフェクトは、眩しいほどに煌びやかで、美しい。まるで、夜空を彩る花火大会のようだ。
彼女たちは、ドローンの周囲を飛び回り、互いに声を掛け合いながら攻撃を繰り出していく。
「今よ! 合わせて!」
「了解! ダブル・インパクト!」
息の合った連携。美しいフォーメーション。見ているだけで心が洗われるような、正義のヒロインたちの共演。
だがその光景を見れば見るほど、私の眉間の皺は深くなっていった。
違和感。強烈な違和感が、拭えない。
私は、冷徹な目で彼女たちの動きを分析した。
まず、距離が近すぎる。
彼女たちは、敵であるドローンに対して、半径十メートル以内のインファイトを挑んでいる。敵の攻撃範囲に自ら飛び込み、回避行動と攻撃を同時に行っている。
確かに、アニメなら見栄えが良いだろう。アクション映画なら迫力がある。
だが、これは戦争だ。
敵が反撃してこないただの的だから成立している動きだ。もし敵が、広範囲の衝撃波や、不可視の毒ガス、あるいは自爆攻撃を仕掛けてきたらどうする?
あんな密集陣形で突っ込めば、一網打尽にされる。
次に、火力の集中運用ができていない。
彼女たちは、個々の必殺技をバラバラに撃ち込んでいる。「せーの」で合わせているつもりかもしれないが、タイミングも着弾点も微妙にズレている。
それなら、中距離から包囲網を敷き、十字砲火を浴びせる方が遥かに効率的だ。あるいは、一人が囮となって敵を引きつけ、残りの全員で死角から一斉射撃を行う「釣り野伏」戦法など、いくらでもやりようがあるはずだ。
さらに言えば、誰も「遮蔽物」を利用していない。
広場には廃墟の壁や鉄骨があるのに、誰もそこに隠れようとしない。空中に無防備に浮遊し、自分を見てくれと言わんばかりに輝いている。
スナイパーからすれば、いい的だ。
「……ままごとだな」
私は、小さく吐き捨てた。
彼女たちの戦いは、戦術的合理性よりも、美学やパフォーマンスが優先されている。個々の能力を磨くことには熱心だが、集団戦や兵法といった「殺し合いのロジック」が決定的に欠けている。
平和ボケ。
その言葉が脳裏をよぎる。
彼女たちは、アストラル体という復活可能な安全装置に守られ、まだ本当の意味での「命のやり取り」を経験していないのかもしれない。あるいは、妖精たちが「正統派」という理想を押し付けた結果、効率的な戦い方を学ぶ機会を奪われてきたのか。
このままではマズい。
妖精の情報によれば、敵は大規模な侵攻を計画しているという。
もし、数十、数百の敵が押し寄せてきた時、こんなお遊戯のような戦い方をしていたらどうなるか。物量で押し潰され、個別に撃破され、全滅する未来しか見えない。
私は、モーニングスターの柄を強く握りしめた。
放っておけばいい。私は私の管轄を守るだけで精一杯だ。他国の魔法少女がどうなろうと知ったことではない。
……本当にそうか?
もし彼女たちが全滅すれば、敵の戦力は全て私の方へ向かってくる。防壁が決壊すれば、私の老後の安泰も消え失せる。
つまり、彼女たちを生かし、戦力として底上げすることは、私の利益に直結する。
私は立ち上がった。
瓦礫の山から降り、広場の中央へと歩き出す。
私の接近に気づいた少女たちの動きが止まる。光のエフェクトが消え、緊張が走る。私は、彼女たちの視線を一身に浴びながら、マントを翻した。
彼女たちの戦い方を否定するつもりはない。それは彼女たちの文化であり、誇りなのだろう。だが、現実はもっと残酷で、もっと汚い。
私は、この「悪魔」としての立場を利用して、彼女たちに戦いの真実、生き残るための汚いやり方を教えてやる必要があるだろう。 私は、無言のまま、ターゲットドローンの前に立った。
そして、ホルスターからピストルクロスボウを抜き、一瞬のタメもなく発射した。
シュッ。
ドローンのセンサーアイに、矢が深々と突き刺さる。一撃。ピンポイントでで弱点を狙った無駄のない、確実な破壊。私は振り返り、呆気にとられている少女たちを見渡した。
「……休憩時間は終わりだ」
私は、低く、よく通る声で告げた。
「お遊戯は上手だったよ。だが、実戦で死にたくなければ、少しはマシな戦い方を覚えた方がいい」
広場に、冷たい風が吹き抜けた。私の合同演習という名の「新人研修」が、今、始まろうとしていた。




