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魔法少女 シャイニングスター  作者: 妖精56号 北緯36度東経140度担当
12/20

暗殺者のプレリュード

倦怠感、という言葉では生温い。

泥の中に全身を沈められ、そのまま乾燥させられたような、重苦しい不快感が全身にまとわりついている。

私は、出勤前の洗面所で鏡を覗き込み、深く溜息をついた。目の下のクマはコンシーラーで隠せるレベルを超えつつあるし、肌のツヤも最悪だ。


体温計を脇に挟むと、電子音が鳴った。三十七度五分。微熱だ。風邪のひき始めのような、関節の節々が軋む感覚がある。  原因は分かっている。

先日の、あの忌々しい「正統派魔法少女ごっこ」のツケだ。

アストラル体は物理的な肉体ではないため、怪我をしても血は出ないし、骨も折れない。だが、ダメージのフィードバックは確実に存在する。あの巨大な熊型怪人と正面から殴り合い、衝撃を受け止め続けた結果、私の精神力はゴリゴリと削られ、それが今、自律神経の乱れや謎の発熱として現実の肉体に跳ね返ってきているのだ。


「……馬鹿げている」


私は、冷たい水で顔を洗い、無理やり目を覚まそうとした。

あんな非効率な戦いを続けていたら、敵に殺される前に過労で死ぬ。あるいは、美容と健康を損ねて、老後の安泰どころか現在の生活水準すら維持できなくなる。


「先代の橋田ウメさんは、これに耐えながら数十年も魔法少女をやってたのか。……根性あるな、昔の人は」


私はタオルで顔を拭きながら、独りごちた。

昭和のド根性論には敬意を表するが、模倣するつもりは毛頭ない。私の体は、長時間労働とストレスに蝕まれた現代人のそれだ。気合いでどうにかなるスペックではない。

私は、ふらつく足取りでリビングに戻り、ソファの背もたれに体を預けた。テーブルの上では、私の担当妖精が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「ヒカリ、顔色が悪いよ。今日は休んだらどうだい? 有給休暇という制度があるんだろう?」

「断る。有給は消化するものではなく、万が一のために取っておくものだ。それに、今夜は予報が出ているんだろう?」


私は、妖精が持っているタブレット端末を顎でしゃくった。

アストラル界の天気予報、もとい、敵性反応予測には、今夜半から警戒レベルが上昇するとのデータが出ていた。

休んでいる暇はない。敵は私の体調など考慮してはくれないのだ。

だが、この体調で、またあの肉弾戦を行うのは自殺行為だ。私は、熱っぽい頭を冷やしながら、思考を巡らせた。必要なのは、省エネだ。動かず、触れず、リスクを負わず、一方的に敵を排除する。


前回、毒の使用は確立した。だが、接近して刺すというリスクが残っている。敵の懐に飛び込むには、それなりの体力と反射神経が必要だ。今の私には、そのどちらも欠けている。


ならば、距離を取ればいい。


私は妖精に向き直った。


「おい、相談がある」


私の声を聞いて、妖精がビクリと肩を震わせた。最近、私が何かを提案するたびに、彼はこの反応をする。パブロフの犬状態だ。


「な、なんだい? また、何か……恐ろしいことを考えている顔だね」

「失礼な。業務改善の提案だと言え」


私は、重い体を起こし、テーブルに頬杖をついた。


「こんな消耗した状態でも確実に勝つために、道具を作りたい。機械的な構造物は作れるか?」


妖精は、警戒心を露わにしながらも、素直に答えた。


「う、うん。アストラル体の形成能力は君のイメージ力に依存するからね。君がしっかりと形状や構造を思い浮かべることができて、かつ魔力で再現可能な単純な構造物なら可能だよ。

 でも、前にも言ったけど、複雑な銃器や精密機械は無理だぞ?」

「分かっている。火薬も複雑な雷管もいらない」


私は、頭の中で設計図を広げた。求めているのは、遠距離攻撃手段。

弓矢?いや、あれは熟練の技術と筋力が必要だ。今の私に、弦を引き絞る体力はないし、的確に当てる腕もない。もっと簡単で、力が要らず、誰でも扱えるもの。

トリガーを引くだけで、致死性の矢を放てるもの。


「……それじゃあ、ピストルクロスボウだ」


私の脳裏に、一つの形状が浮かび上がった。中世のクロスボウを小型化し、現代的なタクティカル仕様にアレンジしたもの。

弦を引くのは腕力ではない。テコの原理を利用したコッキングレバーだ。これなら、非力な女性でも強力な初速を生み出せる。構造はシンプル。板バネと、弦と、トリガー機構だけ。


「テコでコッキング装填するタイプなら、構造は単純だ。ギリギリいけるな」


私は、ニヤリと笑った。熱に浮かされた脳が、逆にクリアに冴え渡っていく感覚がある。


「弾丸はどうするんだい? ただの矢じゃ、怪人の硬い皮膚は貫けないよ」

「貫く必要はない。刺さればいいんだ」


私は、右手を前に突き出した。


「中空構造の短い太矢ボルト。その内部に、以前精製に成功した『特製ブレンド毒液』を充填する。注射器を矢にして飛ばすようなものだ」


私は目を閉じ、イメージを固めた。黒く艶消し塗装された、金属と強化樹脂の複合ボディ。硬質な弦。下部に備えられたコッキングレバー。

そして、先端に不吉な液体を湛えた、ガラスと金属でできた鋭利なボルト。

空間が、陽炎のようににじみ歪む。魔力が収束し、質量を伴った物体へと変換されていく。


カシャン。


硬質な音と共に、私の手の中に、凶悪なフォルムをした小型の射撃武器が具現化した。重量は一キロほど。片手で扱うには少し重いが、アストラル体なら苦にならない。


「……よし、完璧だ」


私は、グリップを握りしめ、感触を確かめた。指が吸い付くようだ。

レバーを操作してみる。ギチチ、という音と共に弦が引かれ、カチリとロックされる。

私は、生成されたボルトをレールに乗せた。狙いをつける動作をする。これだ。これなら、安全圏から、指先一つで死を届けられる。


「正統派魔法少女からは、だいぶかけ離れてきているけど……まあ、安全第一だし、良いよねえ?」


私は、肩に乗った妖精に同意を求めた。妖精は、私の手にある凶器と、私の顔を交互に見つめていた。その瞳には、かつてのような反論の色はなかった。あるのは、底知れぬ恐怖と、そして、「もう何を言っても無駄だ」という、深く静かな諦めだけだった。


「……君がそう言うなら、そうなんだろうね」


妖精は、力なく呟いた。私は満足げに頷いた。もう、妖精の顔色を伺う必要はない。私は、実績を出した。そして、この世界を守るために、最も効率的で、最も合理的な道を選んだのだ。私は、もう、ただの魔法少女ではない。

私は、妖精世界から公認された、最も合理的で、最も恐ろしい「対侵略者専門の戦闘兵器エクスキューショナー」なのだ。


深夜二時。

私は、雑居ビルの屋上の縁に立ち、眼下を見下ろしていた。冷たい夜風が、熱っぽい体に心地よい。

今夜のターゲットは、私の体調を気遣ってか、それとも私の新兵器のテストに相応しい相手を選んでか、路地裏の狭い空間に現れた。


バッタ型の怪人だ。


人間の体に、巨大なバッタの頭部と、背中から生えた長い脚を接合したような姿をしている。複眼がギョロギョロと動き、絶えず周囲を警戒している。その脚力は凄まじく、時折、建物の壁を蹴って高速で移動しては、また別の場所に降り立っている。

近接戦闘を挑めば、あの機動力に翻弄され、泥仕合になるのは目に見えていた。


だが、今の私には関係ない。


私は、屋上の給水塔の影に身を潜め、ピストルクロスボウを構えた。


距離、約三十メートル。風向き、良好。障害物、なし。


私は、スコープのレティクル(照準)に、怪人の太い首筋を捉えた。

怪人は、地上で何かを探すように触角を動かしている。その体からは、不快なノイズが撒き散らされ、周囲の空気を汚染している。


「……大人しくしていろ」


私は、呼吸を止め、心拍を落ち着かせた。指先に力を込める。


カッ。


乾いた発射音が、夜の静寂に小さく響いた。


シュッ、と空気を切り裂き、毒矢が闇を疾走する。

それは、怪人が反応するよりも速く、正確無比に目標へと吸い込まれた。


プツッ。


微かな音と共に、中空の針が怪人の首筋に深々と突き刺さる。  怪人は、ビクリと体を震わせた。何が起きたのか分からない様子で、自分の首元に手をやろうとする。だが、その手は空中で止まった。


「……効き目が早いな」


私は、冷ややかに見下ろしていた。今回装填したのは、即効性の強力な筋弛緩毒だ。神経伝達を遮断し、随意筋を強制的に脱力させる。

怪人の膝がカクリと折れた。支えを失った巨体が、崩れ落ちるようにアスファルトに倒れ込む。怪人は、必死に立ち上がろうとしているようだった。ビクン、ビクンと痙攣している。だが、手足は言うことを聞かない。自慢の脚力も、筋肉が動かなければただの重りだ。


複眼が恐怖に見開かれ、キョロキョロと周囲を探っている。見えない敵、動かない体。そのパニックが、アストラル体の視界を通して手に取るように分かる。

私は、クロスボウを下ろし、音もなく屋上から飛び降りた。

アストラル体の浮遊能力を使い、羽毛のように静かに着地する。


私は、倒れている怪人の枕元に立った。怪人の複眼が、私を捉えた。

黒いドレスの女。手には奇妙な銃。怪人は、何かを叫ぼうとして口を開けた。だが、声帯の筋肉も麻痺しているのか、ヒューヒューという掠れた息の音しか出てこない。


「……静かだな。気に入ったよ」


私は、無表情のまま、怪人を見下ろした。

抵抗できない相手を一方的に見下ろす優越感。だが、それに浸っている暇はない。さっさと終わらせて帰って寝る必要がある。

私は、クロスボウのレバーを引き、次弾を装填した。


カシャン。


その音が、怪人にとっては死刑執行の合図のように響いただろう。私は、怪人の眉間に銃口を突きつけた。


「安心しろ。今度の薬は、苦しくない」


私は、トリガーを引いた。


バスッ。


至近距離から放たれた二本目の矢が、怪人の額に突き刺さる。

今度の矢の中身は、筋弛緩剤ではない。脳内麻薬物質を過剰分泌させ、強烈な幻覚と快楽を誘発する、精神破壊毒だ。

数秒後。怪人の痙攣が止まった。恐怖に染まっていた複眼の色が変わっていく。虚ろになり、焦点が合わなくなり、そして、どこか陶酔したような、だらしない色へと変貌していく。


口元が緩み、茶色みがかった涎が垂れる。

怪人は、自分が見ている極彩色の幻覚の世界へと旅立ったのだ。そこにはもう、痛みも恐怖もない。あるのは、脳が焼き切れるほどの快楽だけ。

アストラル体の輪郭が、ぼやけ始めた。自我の崩壊に伴い、存在そのものが維持できなくなっているのだ。


「……ギ…ギィ……」


怪人は、最後に幸せそうな、しかし聞いていて背筋が寒くなるような声を漏らし、黒い霧となって霧散していった。

後に残ったのは、二本の矢と、静寂だけ。私は、矢を回収し、ハンカチで拭いてからポーチに戻した。例えアストラル体から生成されたものだろうと、リサイクルはエコの基本だ。


「我ながら、酷いな」


私は、自嘲気味に呟いた。戦いではない。これは、ただの処分だ。

だが、私の体調を考えれば、これ以上の正解はない。汗一つかかず、息も切らさず、ノーダメージで勝利したのだから。

妖精が、恐る恐る私の顔を覗き込んできた。


「……ヒカリ、終わったのかい?」

「ああ。撤収だ」


私は、クロスボウを消滅させ、身軽になった。ふと、私は自分の姿を見た。

真っ黒なドレス。闇夜に紛れるには都合が良いが、街灯の下ではシルエットが目立ちすぎる。それに、いくらアストラル体とはいえ、輪郭がはっきりしすぎているのは隠密行動においてマイナスだ。私は、ビルのガラスに映る自分を見ながら、次の改善案を口にした。


「次は、防具というか、衣装のオプションも考えるべきだな」

「衣装?」

「ああ。都市迷彩柄のマントか、あるいはギリースーツのように輪郭を誤魔化せる外套だ」


私は、頭の中でイメージを膨らませた。周囲の風景に溶け込む、光学迷彩に近い性質を持つマント。それを羽織れば、私は完全に気配を消し、誰にも気づかれることなく、どこからともなく死を降らせる影になれる。


「もはや魔法少女の装備じゃないね……。それは、スナイパーか暗殺者の装備だよ」


妖精が呆れたように言った。私は、ガラスに映る自分に向かって、ニヤリと笑った。その笑顔は、かつての疲れた会社員のものではなく、プロフェッショナルの自信に満ちたものだった。


「職業に貴賎なし、だ。呼称なんてどうでもいい」


私は、夜空を見上げた。熱っぽかった体は、仕事を終えた達成感からか、少しだけ軽く感じられた。


「私は、この戦いを、どこまでも続けていくよ。たとえ、お前たちから悪魔と呼ばれようともな」


私は、踵を返した。進化は止まらない。私は、この世界で最も効率的な捕食者へと、着実に変貌を遂げつつあった。




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