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魔法少女 シャイニングスター  作者: 妖精56号 北緯36度東経140度担当
10/20

『魔法』のお薬

六体目となる敵は、港湾地区の古い倉庫街に現れた。

潮の香りと錆びた鉄の臭いが混じり合う、深夜の埠頭。水銀灯の青白い光が、コンテナの隙間を不気味に照らし出している。

私は、積み上げられた木箱の影から、ターゲットを見据えていた。

今回の怪人は、獣型の中でも特に筋肉質な、ドーベルマンを擬人化したような姿をしていた。身長は二メートル強。引き締まった黒い皮膚の下で、鋼のような筋肉が脈動している。鋭い牙が並ぶ口元からは荒い息が漏れ、その呼気に混じって、周囲の空間にジジジという不快なノイズを撒き散らしている。


社会不安を増大させる精神汚染波。これまでの敵と同様の行動パターンだ。

私は、いつものようにアストラル体の特性を活かし、音もなく背後へと回り込んだ。もう、手慣れたものだ。恐怖も緊張もない。あるのは、効率的にタスクを消化しようとする事務的な思考だけ。

私は、モーニングスターを構えた。


「……邪魔だ」


心の中で短く呟き、鉄球を怪人の後頭部めがけて振り下ろす。


ゴッ!!


鈍く重い衝撃音。不意打ちの一撃は、完璧に決まったはずだった。

怪人はよろめき、膝をついた。私はその隙を見逃さず、流れるような動作で鎖を操作し、怪人の太い首と両腕をまとめて縛り上げた。


拘束完了。


ここまでは、完璧なルーチンワークだ。

私は怪人の背中に乗り、動きを封じると、腰のホルダーから愛用の鉄串を抜き放った。冷たい金属の感触。これが、敵の心に恐怖を刻み込むためのペンだ。


「さて、少し教育の時間だ」


私は無表情のまま、一本目の串を怪人の太い指の爪の間にあてがい、一気に押し込んだ。


ズプッ。


神経を直接刺激する激痛が走ったはずだ。だが。


「……?」


反応がなかった。悲鳴はおろか、身じろぎ一つしない。

私は眉をひそめた。角度が悪かったのか?いや、手応えはあった。

私は二本目、三本目と、次々に串を突き刺していった。爪の間、指の関節、神経の密集する部位を選んで、的確に苦痛を与えていく。しかし、怪人は沈黙を守ったままだった。


痛みを感じていないわけではない。額には脂汗のような光の粒子が浮かび、呼吸は荒くなっている。

怪人は、ゆっくりと首を回し、背中に乗っている私を見上げた。その双眸。獣の瞳が、私を射抜いていた。

そこにあるのは、恐怖でも、絶望でも、哀願でもない。燃え上がるような、純粋な憎悪と敵意。そして、痛みになど決して屈しないという、鋼のような意志だった。


「……グルルル……」


喉の奥で、低く唸るような音が響く。それは悲鳴ではなく、私への威嚇だった。


「へえ」


私は手を止め、感心したように呟いた。


「肉体的苦痛に強いタイプか。それとも、忠誠心が高い兵士なのか」


これまでの敵は、痛みを与えればすぐに心が折れ、恐怖に支配された。だが、こいつは違う。痛みを与えれば与えるほど、その敵意を鋭く研ぎ澄ませていく。

私は、さらに深く鉄串をねじ込んだ。グリグリと傷口を抉る。怪人の筋肉がビクリと収縮するが、その瞳の光は揺らがない。むしろ、私を殺す機会を虎視眈々と狙っているような気迫すら感じる。

私は、小さくため息をついた。


「効率が悪いな」


私は串から手を離した。このまま拷問を続けても、こいつの精神は屈しないだろう。肉体が崩壊するのが先か、私の出勤時間が来るのが先か。どちらにせよ、無駄な時間だ。


「心を折る、という点では、難敵だったよ。褒めてやる」


私はそう告げると、モーニングスターの柄を握り直した。鎖を巻き取り、鉄球を固定する。


「だから、死んでいいぞ」


私は、容赦なく鉄球を振り上げた。ターゲット変更。精神破壊による無力化から、物理的破壊による強制排除へ。


ゴッ! ゴッ! ゴッ!


何度も何度も、無慈悲に鉄球を叩きつける。怪人の頭部が砕け、黒い霧となって霧散していく最期の瞬間まで、その瞳は私を睨み続けていた。

後に残ったのは、静寂と徒労感だけ。私は消えていく黒い霧を見つめながら、独りごちた。


「痛みだけじゃ、足りないのか」


その夜、帰還した私は、リビングのソファに深く沈み込んでいた。

テレビはついているが、深夜の通販番組が流れているだけで、内容は頭に入ってこない。テーブルの上では、妖精がタブレット端末のような光の板を操作し、何やら興奮した様子で声を上げた。


「ヒカリ! 朗報だよ!」


私は気だるげに視線を向けた。


「なんだ? 残業手当でも出るのか?」

「もっといいことさ。今回の戦いで、敵の撃破数が規定に達したんだ。本部への貢献ポイントが溜まって、パワーアップの申請が可能になった!」


妖精は、空中でくるりと宙返りをした。


「パワーアップ?」


私は少しだけ身を起こした。それは、業務効率の改善に直結する話だ。


「ほう、具体的にはどんなことが出来るんだ?時給アップか、それとも休暇の付与か」

「魔法少女としての能力強化だよ」


妖精は、光の板を私の目の前に掲げた。そこには、過去の魔法少女たちのデータらしきものが表示されている。


「歴代の魔法少女は、この段階で『必殺技の会得』か『サポートパートナーの召喚』を願い出ることが多いね」

「詳しく説明しろ」

「必殺技は、いわゆるフィニッシュブローだね。杖の先から極大の魔力ビームを発射したり、光の剣で敵を一刀両断したり。ニチアサの番組で、最後の五分に使われるアレだよ。一撃で広範囲の敵を消滅させる火力がある」


妖精は目を輝かせて説明する。


「もう一つはパートナー。アストラル生命体の中から、君の相棒となるペットを選べる。意思疎通して偵察をさせたり、視界や感覚を共有して死角をカバーしたり、戦闘のサポートをしてくれる存在だ」


なるほど。


私は顎に手を当て、提示された選択肢を吟味した。

謎の波動や光線。確かに、見た目は派手だし、分かりやすい強さだ。一撃で敵を消滅させられるなら、戦闘時間の短縮になるかもしれない。

だが、今日の戦いを思い出す。肉体的苦痛に耐え、最後まで私を睨み続けていたあの目。もし、敵が物理的なダメージや、魔力的な攻撃に対する耐性を持っていたら?あるいは、防御障壁を展開されたら?

ただの火力で押し切るだけでは、倒せても「心を折る」ことはできない。復活までの時間を稼ぐという、私の本来の目的、敵へのトラウマ植え付けとは噛み合わない。

一瞬で蒸発させてしまっては、恐怖を感じる暇もないだろう。


次に、ペット。論外だ。今でさえ、このお節介で涙もろい妖精一匹の相手で手一杯なのに、これ以上、意思を持った「生き物」を管理するなんて御免だ。

餌やりも散歩も、ましてや戦闘中の連携訓練など、面倒なタスクが増えるだけだ。私は首を横に振った。


「却下だ。どちらもいらない」

「えっ!?」


妖精が驚愕の声を上げた。


「なんで!? 必殺技だよ? 魔法少女の華じゃないか!それに、サポートがあればもっと安全に……」

「華なんていらない。私が求めているのは、効率と結果だけだ」


私は、冷めたココアを一口飲んだ。なまなかな火力も、愛らしいペットも、今の私には不要な装飾品でしかない。

私が求めるのは、ただ一つ。  どんなに頑強な精神を持つ敵であっても、確実にその心を砕き、二度と立ち上がれないほどの絶望を与える手段。

痛みを超えた先に、恐怖を植え付ける方法。私は、妖精を見据えた。


「次の戦いが始まるまで、保留にしておけ。私が本当に必要な能力を、考えておく」


妖精は、私の言葉に首を傾げたが、私の頑固さを知っているためか、それ以上は何も言わなかった。


「……分かった。申請期限まではまだ時間があるから、じっくり考えてくれ」


その夜、私はベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。あのドーベルマンのような怪人の目が、瞼の裏に焼き付いている。痛みでは屈しない。暴力では従わない。


ならば、どうすればいい?


人間の歴史を振り返ってみる。拷問、尋問、洗脳。肉体的な苦痛が無効な相手に対し、人類はどうやって意志を砕いてきたか。 恐怖。混乱。そして、快楽。脳内の化学物質。神経伝達の阻害。


ふと、あるアイデアが脳裏をよぎった。


私は、暗闇の中で、ニヤリと笑みを浮かべた。そうだ。これだ。物理で殴ってダメなら、化学で攻めればいい。


翌日の夜。

私は、仕事を終えて帰宅するなり、妖精を呼びつけた。スーツ姿のまま、私は机の上に鞄を放り出し、妖精に向かって指を立てた。


「決まったぞ。私が欲しい能力が」


妖精は、期待に満ちた顔で飛んできた。


「本当かい!? やっぱり必殺技? それともパートナー?」


私は、もったいぶることなく、結論を口にした。


「毒の精製能力だ」


一瞬、部屋に沈黙が流れた。

妖精は、私の言葉の意味を理解できないように、瞬きを繰り返した。


「……え? 毒?」

「そうだ。私のアストラル体、あるいは武器から、任意の成分を持つ毒物を生成し、付与する能力」


妖精は、引きつった笑みを浮かべた。


「い、いやいや、ヒカリ。それはちょっと地味すぎないかい? 毒って……杖の先から毒霧を噴射するとか? それとも酸をかけるとか?」


私は、そんな貧困な発想を鼻で笑い飛ばした。


「馬鹿め。そんな即効性だけしかなさそうな、芸のない方法でどうする」


私は上着を脱ぎ、スカーフを緩めながら、熱っぽく語り始めた。


「おまえの想像する毒という言葉の定義が狭すぎるんだよ。私が言っているのは、単に相手を殺すための致死毒のことじゃない」


私は、自分の手のひらを広げ、握りしめた。


「苦痛には耐えられる奴がいる。昨日の犬のように、痛みそのものを闘争心に変えるタイプだ。

 だが、自分の意思とは無関係に体が動かなくなったら? あるいは、見てもいない幻覚に襲われたら?

 耐えるとか耐えないとか、そういう次元の話じゃなくなる」


妖精の顔色が変わっていく。青ざめ、そして恐怖に染まっていく。


「ま、まさか……」

「そうだ。神経毒、筋弛緩剤、そして幻覚剤」


私は、昨夜考えたプランを披露した。


「まず、武器や鉄串に、強力な筋弛緩作用を持つ毒を纏わせる。クラーレやサクシニルコリンのようなものだ。これを敵の体内に直接打ち込む」


私は、空中で串を刺すジェスチャーをした。


「敵は意識があるのに、指一本動かせなくなる。呼吸筋すら麻痺し、窒息寸前の恐怖を味わうことになる。抵抗できない状態で拘束するんだ」

「そ、それだけで十分残酷だよ……」

「まだだ。ここからが本番だ」


私は、邪悪な笑みを深めた。


「体の自由を奪った後、別の種類の毒を注入する。地球でも古来より伝統的に使われている、ある種の植物由来成分……そう、『魔法のお薬』の成分をベースにした精神作用物質だ」


私は声を潜めた。


「強烈な多幸感、色彩の爆発、時間の感覚の喪失、そして悪夢のような幻覚。脳内のセロトニンやドーパミンを強制的に暴走させ、理性を化学的に焼き切る」


痛みで屈しないなら、快楽と狂気で壊せばいい。

自我の崩壊。自分が自分でなくなる恐怖。それは、肉体的な死よりも遥かに恐ろしい体験として、アストラル体の深層に刻み込まれるだろう。

妖精は、空中でふらつき、テーブルの上に落ちた。顔は真っ青で、ガタガタと震えている。


「そ、それは……ダメだ……。それは、条約があれば、絶対に使えない……戦争犯罪レベルの手法だ……」


妖精は、涙目で私を見上げた。


「毒ガスや化学兵器は、魔法界でも禁忌とされているんだ! そんなものを使ったら、君の魂まで汚れてしまう!」


私は、冷ややかに見下ろした。


「条約? 禁忌?」


私は、鼻で笑った。


「寝言を言うな。前回までの、不意打ちからの拷問紛いの戦いもそうだが、私たちは条約のない戦場で戦っているんだ。相手は侵略者。ルール無用の殺し合いだ」


私はパソコンの電源を入れ、ブラウザを立ち上げた。


「だからこそ、最も効率的で、最も確実な方法を選ぶべきだ。私の魂がどうなろうと知ったことではない。重要なのは、敵が二度と来たくないと思うかどうかだ」


画面には、薬理学や毒物学の専門サイトが表示されている。私はキーボードを叩きながら言った。


「申請が通るかどうかは、私のイメージ力次第なんだろう? だから、その毒について、もっと詳細に、分子構造レベルでイメージできるように、これから勉強するんだよ」


検索窓に、『神経伝達物質』『受容体』『アルカロイド』といった単語を打ち込んでいく。


「ヒカリ……君は……」


妖精は、言葉を失っていた。恐怖と、畏怖と、そして諦め。

彼が選んだ「魔法少女」は、魔法の力で奇跡を起こすのではなく、科学と悪意を煮詰めた劇薬で敵を廃人にする、マッドサイエンティストだったのだ。


私は、妖精の反応など気にせず、モニターの光に顔を照らされながら、没頭し始めた。私は、自分の選択に一点の後悔もなかった。

この世界を守るためには、どんなダーティーな手法でも、どんな忌まわしい知識でも、利用できるものは全て利用する。

それが、私のリアリズムであり、私の正義だ。毒という名の、新たな力。見えない弾丸。音のない悲鳴。それは、この退屈で理不尽な世界を、私のやり方で守り抜くための、最強の「魔法」となるだろう。


私は、深夜の部屋で一人、静かに笑った。次の敵が楽しみだ。私の新しい実験台になってくれることを、心から期待している。


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